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イメージ生成システムとしての映画 : ベルクソンとポストベルクソン的イメージ論

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イメージ生成システムとしての映画 : ベルクソン

とポストベルクソン的イメージ論

著者

岩城 覚久

(2)

− 19 − 氏 名 学 位 の 専 攻 分 野 の 名 称 学 位 記 番 号 学位授与の要件 学位授与年月日 学 位 論 文 題 目

岩 城 覚 久

博 士(美 学)

甲文第115号(文部科学省への報告番号甲第408号)

学位規則第4条第1項該当

2012年3月2日

論 文 審 査 委 員 (主査) (副査)

加 藤 哲 弘

網 干   毅

前 川   修

(神戸大学大学院准教授) 教 授 教 授

イメージ生成システムとしての映画

 ―ベルクソンとポストベルクソン的イメージ論―

論 文 内 容 の 要 旨

 本論文は、フランスの哲学者アンリ・ベルクソンのイメージ論と一連のポストベルクソン的イメージ論を 通じて、映画を中心とする映像メディアが私たちに与えるイメージの諸特性、および、その生成プロセスを 明らかにする試みである。  ジル・ドゥルーズの映画論『シネマ』(1983、1985年)の出版以降、ベルクソンのイメージ論には大きな 関心が集まり、ジョルジュ・ディディ=ユベルマンの連続写真論(2004年)、マーク・B・N・ハンセンのニュー メディア論(2006年)といった、方法も対象も異なる刺激的なポストベルクソン的イメージ論が登場した。『シ ネマ』と同様、これらの諸論考は、『創造的進化』(1907年)において映画を批判していたようにも見えるべ ルクソンの哲学を通じて、逆説的にも、さまざまな映像メディアが生み出すイメージの諸特性を明らかにし たとみなされている。他方で、これまで映画にかかわるベルクソンの諸論考の今日的な意義が問われること はほとんどなかった。たしかにベルクソンの言う「シネマトグラフ」は今日私たちが思い描く意味での「映 画作品」ではなく、同時代の映画作品に関する彼の知見も限られたものである。しかし、提出者の岩城氏が この論文で提起しているように、シネマトグラフに言及する際のベルクソンの議論は、その本来の文脈に立 ち戻って、それを芸術論としてではなく、知覚や思考のメカニズムについての批判的な考察として読解する なら、今日の映像理論にとっても興味深い観点を提供する可能性を秘めている。  本論文では、このような問題意識にもとづいて2部5章にわたって論述が進められる。まず第1部第1章 で岩城氏は、1914年のインタビュー記事を主な手がかりに、ベルクソンの言う「シネマトグラフ」の実質的 なモデルを探求するとともに、映画の批判者ベルクソンという紋切り型の理解に疑問を投げかける。続く第 2章では、先行研究の問題点を整理しながら、ベルクソンの映画理解の限界をドゥルーズがどのように乗り 越えていくのかということが明らかにされる。また第3章で岩城氏は、ポストベルクソン的映画論としての 『シネマ』の意義を、「イメージの深さ」という問題に焦点を絞って、より広範な映画史や映像理論の文脈の なかで明らかにする。次に第2部第4章で氏は、シネマトグラフに関するベルクソンの諸論考に立ち戻り、 従来、映画史や映画理論のなかでしばしば誤った説明が与えられ、ドゥルーズも『シネマ』で十分な回答を 与えることのなかった問い、つまり、映画はどのようにして運動するイメージへと生成するのかという問い に取り組む。最後に第5章で岩城氏は、第4章の帰結をさらに展開し、知覚・身体・記憶をめぐるベルクソ ンの諸論考を主な手がかりにして、1990年代初頭の、新たなメディアをめぐる日本の言説空間に焦点を合わ

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− 20 − せて、イメージの生成に関与する身体の多様な機能を明らかにする。  以上の考察からの結論として、 本論文では、 「シネマトグラフ」をめぐるベルクソンの諸論考が、映像メ ディアにおけるイメージの成立基盤を捉えるうえできわめて有効な視点を提供するものであること、より具 体的には、ベルクソンの言う知覚のシネマトグラフ的メカニズムこそが、イメージが運動するイメージへと 生成するための条件であることが明らかにされた。また同時に岩城氏は、ベルクソン自身の知覚論や記憶論 とポストベルクソン的イメージ論の成果をふまえて、映画をはじめとする映像メディアが私たちに与える多 様な画像群の諸特性を解明するとともに、わたしたちは、イメージを見る観者である以前に、当のイメージ を生成させるための条件として、さまざまな映像メディアにあらかじめ組み込まれているのだということを 強調している。

論 文 審 査 結 果 の 要 旨

 本論文は、岩城覚久氏が大学院後期課程において取り組んできたベルクソンおよびポストベルクソン的映 画理論研究の成果をまとめたものである。本論文は、ベルクソンおよびドゥルーズの哲学の精緻な読解はも とより、さらにドゥルーズ以後のその影響下にある膨大な映画理論を消化し、なおかつ映画史/映像史の資 料を用いながら自らの立場を明確に打ち出した、新たな優れた研究と言うことができる。  本論文において具体的に評価すべき点は、以下の3点に要約できる。  第一に、本研究がベルクソンおよびドゥルーズによるベルクソン解釈のいずれをも十分に読解した上で、 ドゥルーズによるベルクソンのある種の還元をいったん括弧にいれ、ベルクソン自身のテクストに立ち返る ことでドゥルーズとは立場を異にする映画哲学の枠組みを立ち上げている点がある。従来の、ともすればベ ルクソンに依拠するドゥルーズを引用することで映画作品を「解説」する観のあったポスト・ドゥルーズ的 映画研究と比較すれば、本研究で提示される「シネマトグラフ」、「フリッカー」等諸概念についての討究は、 その意味で実証的かつ、独創的な研究足り得ている。  第二に評価すべき点は、既存の映画理論における概念の系譜(例えばアンドレ・バザンやジャン・ミトリ の諸概念)を十分に咀嚼し、20世紀後半から現在に至る映画言説の問題を鮮やかに腑分けしつつ、その混乱 や曖昧さなどの問題点を整理し、映画理論の基づくべき概念の可能性を新たに提示している点である。たと えば、「平均的イメージ」や「画面の奥行」など、従来のようなドゥルーズのテクストという枠組みに限定 した議論では意味の曖昧さが残りがちであった諸概念が、こうした映画理論の伝統を参照し、その起源をお さえることで新たな可能性をもった概念として鋳直されている。  第三に評価すべきなのは、ヴァーチャル・リアリティやニューメディアの理論という現在にも結びつく理 論を参照しながら、その混乱や切り詰めの起源を、ベルクソンからドゥルーズへと至るイメージ論から逆照 射し、なおかつイメージ生成システムにおけるプロセッサとしての身体、感覚=運動的連関からは逸脱する 身体とイメージの連関など、ニューメディア論のこれまで顧みられることのなかった可能性を前景化させた 点である。また、機械的反復にもとづく視覚的イメージの生成という、映画の誕生以来、現在に至るまで不 問に付されがちであった問題を、生理学他複数の言説を参照しながら正面から論じている点も、メディアの 考古学とニューメディアの理論を鮮やかに繋ぐ論点だということができるだろう。  なお、本論文において十分に展開できなかった論点があることも否定はできない。たとえば、従来の芸術 学的、美学的言説における芸術作品の位置や力学が岩城氏のベルクソン/ポストベルクソン論の立場からど のように再編されるのかという問題、そしてニューメディアとオールドメディアの時代的特殊性にどのよう にきめ細かに対処できるのかという問題、さらには本論の問題構成からメディアアートにおける諸作品(た とえばジェフリー・ショーの作品など)のもっと広範な分析が必要ではないかという問題などがある。とは

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− 21 − いえ、公開審査の際に披瀝された回答では、上記のいずれの問題もすでに岩城氏には自覚されており、こう した問題に取り組むべくさらなる理論と作品分析を続行していることが十分に示されていたことも付け加え ておく。  以上のことから、これらの問題点を勘案しても、本論文は博士論文としての条件を充分に満たしている。 本論文審査委員3名は、論文の審査ならびに2012年2月13日に実施された論文発表とそれに続く公開審査会 での口頭試問の結果により、岩城覚久氏が本論文によって博士(美学)の学位を受けるに値すると判断し、 ここに報告する。

参照

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