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哲学することから応答の倫理へ : 死を受容すること

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はじめに:私の哲学の出発点  最終講義にあたりまして,私がどうして哲学を 目指すようになったのか,そして,皆様には同じ ように思えるかもしれませんが,哲学ではなく倫 理の探求へと向かう転向をおこなって,やがて医 療倫理を専門とするものとして大阪薬科大学に赴 任することになったのかを振り返りまして,私の 教師として研究者としての人生に一区切りをつけ させていただこうと思っております.思ったより も少し早く人生の総括を要求されましたので,本 来,哲学徒としましては,私の全存在を賭けてこ の最終講義に臨むべきだったのですが,世俗のな かで生きている者として,慌ただしい日常性に追 われてその十分な時間がありませんでしたこと を,まずはじめにお詫びしたいと思います.  私の生まれ育った家は医家の家系で,男は医師 になること,女は医家に嫁ぐ以外に許されていま せんでした.私が高校  年になり,生きるべき道 を決定しなければならなかったのですが,それは 医家の伝統が生きていたおそらく最後の時期で, 私が哲学の勉強をしたいという意思表明をしたと き,その意思決定をおこなうことは私本人だけで は,また家族だけでもできない時代でした.父親 と伯父たちの男だけの親族会議が開かれ,哲学を 選ぶのであれば勘当,法学の場合は許すという結 論でした.まさに男性中心主義的伝統そのままが 引き継がれ,その結果が私に押しつけられること になりました.それでも法学部に進むことが許さ れ,少しほっとしながら京都大学の法学部に進む ことになりました.私が京都大学を選んだ理由の 一つに,いろいろな魅力はあったのですが,転学 部がその学部の最低点さえあれば認められる唯一 の大学であったことがあります.当時京都は,滝 川事件以来の法学部の伝統が強く,法学部の学生 は市民に尊敬の念を持って迎えられました.その ―,QYLWHG5HYLHZ―

哲学することから応答の倫理へ:死を受容すること

松 島 哲 久※

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なかで,いざ哲学を学ぶために文学部へ転部すべ きかどうか迷うことはありましたが,最終的に文 学部へ転部して,念願の哲学の道を進むこととな りました. 年  月のことでした. 1 哲学を勉強する:フランス実存現象学の 哲学者たち  当時,世界の思想界は -36DUWUH を中心軸と して展開されていた時代でした.%5XVVHO,0 +HLGHJJHU,.-DVSHUV も存命で活躍していて,同 時代人として彼らの思想を受け止めていました。 翻訳もあっという間に売れる時代で,哲学も思想 界で華やかな時代でした. 年  月はパリで 学生蜂起があり,パリは半年近く機能がマヒし, ついにナチス支配からフランスを解放した英雄の ドゴールが大統領を辞任するにいたり,学生の蜂 起に始まりパリの市民を巻き込んだ運動は  月革 命として位置づけられて,フランスは新たな時代 に入ることになりました.世界にはベトナム戦争 反対の運動が広がって行った時代です.そのよう な時代背景で哲学するということは,とりも直さ ず,同時に世界を生きるということでもありまし た.  専門の哲学の勉強をする前には,まず翻訳で 世紀のデンマークの実存哲学者キェルケゴー ルのいくつかの著作『不安の概念』『死にいたる 病』『あれかこれか』『キリスト者の修練』『反復』 などを読み,また,現代実存哲学者のサルトルの 『嘔吐』『存在と無』『弁証法的理性批判』,ハイデ ガーの『有と時』などを読みあさり,それら実存 哲学者たちとマルクスの『資本論』とを対峙させ たりしていました.多くの若者たちが実存哲学と マルクス哲学を思想の準拠軸として思考していた 時代でした.そのなかで,学部の卒業論文のテー マとして,当時サルトルと並ぶフランスの代表的 実存現象学者の 00HUOHDX3RQW\ の哲学を選びま した.  当時は,彼の翻訳はほとんどなく,フランス語 原文で読む必要がありました.主著は『行動の構 造』『知覚の現象学』『見えるものと見えないも の』などです.ここでのテーマが,デカルトの心 身分離の哲学に対する心身合一の哲学でした.以 後,この心身関係についての研究が主要テーマの ひとつとなって,現在も医学哲学的研究として展 開しているところです.大学院では,+%HUJVRQ 『創造的進化』『道徳と宗教の  源泉』,*0DUFHO 『存在と所有』,35LFRHXU『意志的なものと無意 志的なもの』などを研究し, 世紀フランス哲 学を全体的に捉える視点を確立することを目指し ました.この大学院時代に私に大きな転機が訪れ ました.それは研究の中心を哲学から倫理へと転 換する必要性に遭遇したことでした.  哲学的研究では,意識とは何か,存在するとは 何か,自由とは何か,主体と世界との関係はどう かなど,人間存在に関する基本的問いが先行しま す.その後に倫理的探求をおこなえばよいという のが,当時の私が相談した倫理の教授の話でし た.しかし,倫理的問いかけが哲学的探求の後に 来るというのは,ひとつの立場,ある先行的決定 を暗黙の前提にしているのではないかと思うよう になったのでした.まず哲学的探求をおこない, しかる後に倫理を問うという思想の態度と,倫理 をまず第一のものとして中心テーマに掲げて人間 としての生き方を問うということとの間に根本的 差異があるのではないか,まさに両者の間には測 り知れない深い溝渠があるということを感じたの でした.それは方法論の問題として言い換えれ ば,現象学的哲学から解釈学への転換でもありま した.主体はそれ自身のみで存立しうるのかとい う問いに,他者を媒介としてしか存立しえないと 応答することによって,意識の哲学からの脱却が 要請されてくることになりました.まさに他者に 責任を負う主体の問題が倫理として浮かび上がっ てきたということにほかなりません. 2 哲学から応答の倫理へ  哲学的探求のなかに倫理学的問いかけは当然含 まれています.しかし,そこで前提とされる倫理 とは,一般性の倫理,社会性の倫理であり,ま た,それを主体において取り入れて成立する個人

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性の倫理にほかなりません.そして実存哲学者の キェルケゴールは,そのような倫理は宗教性へと 超り越えられるべきものと考えていました.しか し倫理がその本来性において実存的倫理として成 立すべきものとするならば,宗教性の内でも廃棄 されず,逆にその信仰の主体を構築するものとし て考えられる倫理こそが要求されることになりま す.まさに哲学的問いにも,宗教性にも解消され ることのない,逆に倫理から出発して,哲学的問 いかけと宗教性とを同時に成り立たせるものと しての倫理こそが目指されるべきものとなりま した.それはまさに他者に向かっての倫理であ り,超越が他者への超越であり,他者へと責任を 持つということの決定的意味を根幹とする倫理の 探求ということでした.自己を徹底的に深めるこ とに徹する哲学的努力,自己が自己へと無限に対 話する哲学の営為は,まさに他者からの呼びかけ に応える倫理へと自己を超越するのでなければな らないということを,倫理的責任=応答可能性 (UHVSRQVLELOLW\)ということは示しています.この ことを強く主張し,宗教性へと超り越え不可能な 他者の倫理をいち早く展開していたフランスの哲 学者が (/HYLQDV でした.そしてこの他者の倫理 を根底に置きながらも,同時に生命倫理的視点も 取り入れて,倫理の問題を医療倫理として展開す るようになったのは,主として本学に赴任してか らのことでした. 3 患者中心の医療としての医療倫理  ここで少し話を医療倫理に移します.以下は私 が編纂した医療倫理のテキスト,京都の西陣病 院,日本薬剤師学会での講演,そして漸く終了し ました大学コンソーシアム大阪でのシンポジウム での報告などで発表したもののエッセンスのよう なものです.現代医療に求められている患者中心 の医療とは何かということ,そしてそのような医 療を可能にする倫理は如何に成り立つのかという ことに関するものです.  現代医療が先進医療として展開されるにつれ て,インフォームド・コンセントの法理をはじめ として,自己決定権,リビング・ウィルなど患者 の権利に根差した医療が患者中心の医療として定 着してきています.医療倫理の展開としては,そ れは医師中心のパターナリズムの倫理から患者の 人格の尊厳と権利とを尊重する生命倫理へのパラ ダイム転換として示すことができます.それはも ともと医療の歴史において,その根底に横たわっ ている医療の不確実性に関わっているのですが, その不確実性が医療の進展と共に主題化され明示 化されてきたことによります.すなわち、 どの医 療であれ,そこには一定のリスクがあると同時に ベネフィットがあります.これをどのように評価 し,実際の治療の選択をおこなうべきであるのか が問われてきています.それを患者の 42/ の改 善ということを評価の準拠軸とするならば,患者 の価値観・ライフスタイル・人生の目標等と無関 係に何を最良の医療とするかを決定することはで きません.しかも,生命そのものを危険に晒す可 能性の高い治療選択が要求されるのが先端医療で す.その中で患者中心の医療が必然的に要請され てきていると考えられます.  このような患者中心の医療の一環として (%0 ((YLGHQFH%DVHG0HGLFLQH エビデンスすなわち根 拠に基づいた医療)の推進が提唱されているので すが,それは臨床研究を通して統計学的・確率論 的方法によって得られる疾病の予防法・診断法・ 治療法についてのエビデンスに立脚した情報提供 と説明,選択肢を医師が患者に対して提示するこ とを必要不可欠とする医療を意味します.患者は そのようなエビデンスに基づいた情報提供を医療 者から受けてはじめて,自己の疾病を理解するこ とができ,その得られたエビデンスを自己の価値 観・ライフスタイルと照合しながら,自己自身に とって最善と判断される治療選択を主体的に行う ことが可能となるのです.すなわち,患者は自己 の自律性の能力に基づいて自己決断し,自己決定 権を患者の権利として行使できる可能性が開かれ てきます.  このように,(%0 は医師の経験とそれに基づ く判断に一方的に依存する医師中心のパターナリ ズムを脱却して,患者の自己決定権を重視する患

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者中心の医療を可能にするものであり,またエビ デンスが患者にも医療者全体にも開かれていると いう意味で,(%0 はチーム医療の中心に位置づ けられることになります.チーム医療において は,エビデンスは医療チーム構成員全体に開かれ ていて,そのエビデンスの評価に関してそれぞれ がその専門性において責任を持って判断し議論す ることを通して,責任意識が共有化されることが 可能となります.それぞれの専門性に基づく共働 的議論を通して医療の標準化が促されることにな ります.それによって医療の効率性と安全性を高 めることの可能性が開かれてきます.この意味で も,臨床研究を通してさまざまな分野でエビデン スが獲得されることは,患者中心の医療の確立に とって重要課題であると言うべきです.医学・薬 学分野だけでなく,さまざまな医療分野でエビデ ンスに基づく医療の考え方が推進されることは, 患者中心の医療の確立にとって重要な課題である と考えられています.そのなかで医療を根本から 制約し方向づける理念として,患者の人格の尊厳 と権利の尊重の問題が提示されてきています.患 者の権利の根底に患者の人格の絶対的な尊厳が あって,これを尊重することの上に患者の諸権利 が存立します.このことがチーム医療を構成する ときに共通に理解されていなければならない中心 的事柄あって,これによって初めて医療は人間性 (KXPDQLW\)に根拠を持つものとなります.(この 人間性の理解には再び哲学を必要とすることにな ります.医療においてそれを成り立たせている根 本原理と概念を問う学問領域が医療哲学となりま す。 医療哲学において医学哲学、 看護哲学と並ぶ 薬学哲学 ・ 原論を確立することが、 学として薬学 を成立せしめるには不可欠の課題となります。 こ の課題は本学でもそうですが、 私が会長を務めた ことのある日本医学哲学 ・ 倫理学会でも、 また日 本生命倫理学会等でも引き続き取り組まれるべき ものと考えています。)  (補遺として医療倫理に関する要点をもとめた ものを準備しておきましたので,参照してくださ い.) 4 他者への応答性の倫理:死を受け入れる ことの可能性として  医療倫理に関する総括は一応終えて,今日本当 には主題的にお話ししたかったこと,ソクラテス がかつてそうしたように,哲学者が自らの死を引 き受ける,すなわち,自らに死を与えるとは何か ということを問いたいと思います.そして,この 哲学者の死の不十分性を他者への応答性の倫理の 欠如として示したいと思います.そこから,この 他者への応答性の倫理をターミナルケアの可能性 を開くものとして考えてみることにします.最後 に死を看取るということと関連して,キリスト教 的信仰の問題に触れて私の話を終えたいと思いま す.  ソクラテスはアテネの権力者たちから死刑を宣 告されました.ソクラテスは日頃,哲学すること とは「死の修練をすること」,すなわち,「よく死 ぬこと」であると教えていました.弟子たちの計 らいで,ソクラテスは死を避けて牢獄から逃亡す ることもできました.しかし彼は哲学者としてそ うすることはできませんでした.自らに死を与え たのです.これが哲学者の死の意味です.しか し,そのようなソクラテスが実行してみせた哲学 的死は,それだけでは完成するものではないこ と,すなわち,他者の死を私の死として自らに引 き受けることを通してしか,その哲学的死の意味 は成就することができないということを申し上げ たいと思います.哲学者が自らに固執している限 り,そしてソクラテスも哲学者としての限りにお いてそうであったと私は思いますが,決して自己 の死を死に切ることができないということを言い たいと思います.それはなぜでしょうか.  ソクラテスは自らに死を与えることによって, 死の哲学的意味を自己のものとして死んでいった と言うことができます.すなわち,永遠の生へと 飛翔して行ったと言うこともできるでしょう.し かし,そこに取り残された者たちの悲しみを,ソ クラテスその人は慰めることができませんでし た.死に限界づけられた人間の運命は,ソクラテ スによって永遠の生命へと委ねられえたかも知れ

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ません.しかし,その場合でさえ,哲学者ひとり が救われていると言えるだけにすぎません.ソク ラテスの弟子たちの苦しみがその後に続くからで す.その苦しみから脱却することは,若き弟子で あったプラトンにとってさえ容易ではありません でした.プラトンはその苦悩・悲しみから,イデ アへと向かう人間の永遠の生命への参与を主張す ることによって,ようやく解放されえたようにも 思われます.しかし本当にそうだったのでしょう か.哲学は本当に,死をその自己に対する哲学的 洞察のみによって超り越えて,永遠の生命へと私 たちを導くことができるのでしょうか.プラトン 哲学は宗教に代わりうるものとなるのかどうかと いうことです.  哲学は,それが自己の死のみに関わっている限 りにおいては,繰り返し自らに死を与えること を,私たち一人一人に要求することにならないで しょうか.もしそうであるとするならば,絶えず 人は死へと自らを差し出し続けなければなりませ ん.死の修練は果てしないということになりま す.そこに救いを見出すことが可能でしょうか. 哲学者は相変わらず自己の死に固執したままでは ないか,あるいは,自己の死から免れようとして 絶望的に死の修練をおこなっているのではない か,と言い換えてもよいと思います.そして私た ちすべての人間もまた,そのように自己の死に執 着しているということを否定することは難しいと 思われます.この死の執着から脱却する道がある のでしょうか.それを人は多くの場合,短絡的に 宗教に求めるのですが,そこに欠落しているもの こそ,他者の死を看取り,その死を自らに引き受 けることができる他者への応答性の倫理だという ことを申し上げたいと思います.すなわち,宗教 へと逃れるのではなく,他者に面前し,他者に応 答する倫理に立脚し,それに徹することが重要な のではないかということです.  ここで医療とは何かということに思いを馳せて いただきたいと思います.死に行くものを看取る ということ,これを医療者は避けることができま せん.死すべき存在としての人間の苛酷な運命に 最後まで添い切ることを要求されている専門職こ そ医療職にほかなりません.ターミナルケアはそ れを要求しています.ここで心身の根源的相互性 と一体性という哲学的観点を導入して考えるとし ますと,私の心と身体がその相互性において一体 的であることを通して,そのような心身合一的な 私の身体と他者の身体もまた一体的に相互的関係 性の内にあります.ということは,私と他者とは 根源的に一体的存在であるということを意味して います.他者の死を看取る私は,同時にその他者 の死を私の死として引き受けているということを 意味しています.そうでなければ,それは看取り とはならないでしょう.あなたは死んで行く者, 私は生き残る者というのでは,その死は外的な 死,私とは無関係な死と言うほかありません.そ こにターミナルケアは成り立つはずがないので す.他者の死を自己の死として自らに与えること ができることが,最後の最後まで立ち会わなけれ ばならない医療者の有すべき資格であると言うべ きではないでしょうか.この「自己の死として自 らに死を与える」という先に考察した哲学的死 が,構造的に他者の死を看取るという行為のうち に含みこまれてきているということは,哲学的死 がどの方向性において超り越えられるべきかを示 唆していると思います.  ターミナルケアにおいては,他者と私は死を同 時に与えあっている,それが根源的に死に立ち会 う関係性だということを言いたいと思います.そ こに医療の根源があるということを同時に言いた いと思います.医療から人間本来の死が隠され, 忘れ去られてしまったとき,医療は暴走を始める ことになります.先進医療は人間の生の可能性を 広げるものではありますが,同時にその生と死の 意味を人間から剥奪してしまう可能性を秘めてい る医療でもあるということを忘れるわけにはいき ません.医療の技術が人間の生と死の意味を凌駕 してはならないということをそれは示していま す.  ではあらためて,人の死はどのように受けとめ るべきことなのでしょうか.死が外的でなくなる とは,先に述べましたように,他者の死を自己の 死として受け止めて,他者の死を看取るというこ

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とを意味しています.それは,ターミナルケアの その根底において,ケアする者とケアされる者と の間で,その根源的な相互身体的関係性において すでに常になされていると言うことができます. しかし,そうは言いましても,人は絶えず他者の 死を自らに引き受けることができると言うことは 難しいと思います.ターミナルケアの難しさがそ こにあります.他者の死を看取ることに徹すれ ば,他者の死を引き受けている自分があると言う ことはできても,そのままで,その関係性の中に 居続けることは不可能ではないでしょうか.そこ で,これが最後になりますが,ソクラテスの死に 対して引き合いに出されるイエスの死について言 及したいと思います.これは私の信仰に関わるこ とになります.すなわち,死と復活のテーマにつ いて触れたいと思います.  イエスはユダヤの宗教的権力者に死刑を言い渡 され,十字架上で死にます.それから  日後,イ エスは復活したというのです.その意味は何なの でしょうか.復活とは魂と身体とが一体になって 蘇ることを意味します.この復活の希望がキリス ト教を支えています.復活したイエス=キリス ト(救い主)と共にあること,これがキリスト教 の言う救いであり,永遠の生命へと参与すること を意味します.そしてこの永遠の生命へと参与す ることは愛によるということがキリスト教の根幹 となります.そこでは愛という主体的で内面性に 関わる行為が生命の永遠性を成就するということ が言われています.そしてイエスの死は決して自 己の死ではなく,他者のための死であったという ことが,徹底してソクラテスの死と違います.こ こに哲学的死と他者のための死との決定的違いが あります.イエスは一方で,自己の死を死に切っ たということも言えますが,しかし同時にそれ は,他者のための死,他者に代わっての身代わり の死,愛のための死であったことが,新約聖書に 言明されています.他者のために死ぬことができ る,それも愛において.これがキリスト教のすべ てを語っていると思います.だから,私はそう信 じていますが,死んで行った私の愛する人,私が 看取った人は,イエス=キリストにおいて永遠の 生命へと参与しているということ,そこに神の愛 が,私の目に見えない形で,しっかりと働いてい るということ,このことの内に,人間の苛酷な運 命をその根底から慰めてくれる絶対的存在者の, 私たち人間との根源的関わりを想定しても,多く の宗教が総じて指し示していることに反しないと 考えています.このようにしてしか私は哲学者の 死を慰めることができないのです.私の内で哲学 者が語ることをやめて,絶対的他者が私に語りか けてくる,その瞬間を謙虚な気持ちで待ちたいと 思っています.それはおそらく,私に死が訪れる ときであろうと思いますが,まさにそのときこ そ,気持ち良くこの世界とこの世界を生きている 人たちに向かって,さようならと言うことができ るように,他者と共に,お互いの生と,そして同 時に死をもいたわりながら,今日以後もこの世界 を生きて行こうと思っています.これで私の話を 終えますが,このような生と死に関わる,普段は 触れたくもない話を我慢強くご静聴いただきまし たこと,本当に有り難うございました.皆様に今 日このようなお話しができまして,一つの区切り ができたように思います.このような機会をお与 えくださいまして重ねて御礼申し上げます. [医療倫理に関する補遺] [補遺 1:患者中心の医療] 1. 患 者 中 心 の 医 療(3DWLHQWFHQWHUHG0HGLFLQH/ +HDOWKFDUH3&0/3&+&)とは ・ 医 師 中 心 の 医 療 '&0( パ タ ー ナ リ ズ ム 3DWHUQDOLVP) か ら 3&+&( 患 者 の 権 利 尊 重 ) へ: 患 者 中 心 の 医 療 と は, 良 質 の 医 療 を 受 け る 権 利, 患 者 の 自 己 決 定 権(5LJKWWR6HOI GHWHUPLQDWLRQ)(このなかにインフォームド・ コ ン セ ン ト / チ ョ イ ス[,QIRUPHG&RQVHQW/ &KRLFH,&]の権利も含まれる)をはじめとす る患者のさまざまな権利を尊重することを行為 原則の基底において,その患者の意思決定に基 づいて,患者の 42/ の改善を目指して医療を 行うことであり,また,患者の抱えている問題 が何であるかを発見し,その問題解決を患者と

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共に,患者に寄り添いつつ志向する医療であ る. ・ 人 間 の 尊 厳('LJQLW\): 患 者 の 権 利 を 尊 重 す る と い う 考 え 方 の 根 底 に は, 人 間 を 人 格 (3HUVRQ)としてその絶対性において認めると いう尊厳概念がある.したがって,患者の人格 としての尊厳を尊重するということがあっては じめて,患者の権利を尊重するという考え方が 医療の中で絶対的根拠を持ちうるのである. ・患者アドボカシー($GYRFDF\):患者の意思決 定を支える医療スタッフ→医療行為は「患者の ための」医療であり,患者の価値観,患者のラ イフスタイルにおけるその自己実現のなかでの 医療であることを自覚的に捉える姿勢が医療者 には問われている.  [補遺 2:患者の権利の歴史敵変遷] 2.患者の権利確立の歴史的変遷: ()ニュールンベルク綱領( 年:医学研究 における被験者の人権を尊重する倫理規範:ナ チス医師団の非人道的人体実験に対する反省の もとに成立:被験者の自発的同意が絶対的に不 可欠) () ジ ュ ネ ー ブ 宣 言( 年 :0$[:RUOG 0HGLFDO$VVRFLDWLRQ: 世 界 医 師 会 ] 第  回 総 会),:0$ 医の国際倫理綱領( 年)→専 門職(SURIHVVLRQ)としての医師のための倫理 綱領[「ヒポクラテスの誓い」 の現代版]→専 門職:単なる職業倫理よりもいっそう高い倫理 的態度を自らに課す自律的集団であり、 その固 有の倫理規定を持つ→人を助けるという行為は 一般人には不完全義務(実行すれば功績となる 義務で実行しなくても許される義務)であって も,医療者にとっては完全義務(しなければ責 めを負う義務)であり,自律的にそのような義 務を自ら引き受けるプロフェションとしての職 業団体である. () ヘ ル シ ン キ 宣 言( 年 :0$ 第  回 総 会,現在  年フォルタレザ版)→ :0$ に よる 「人間を被験者とする医学研究のための 倫理原則((WKLFDO3ULQFLSOHVIRU0HGLFDO5HVHDUFK ,QYROYLQJ+XPDQ6XEMHFWV):個々の研究被験者 の福祉が他のすべての利益よりも優先されなけ ればならないことが宣言されていて,研究者 としての倫理・義務よりも医療者としての倫 理・義務が優先されること(→将来の患者< 現在の患者)が明示される;対応能力のない (LQFRPSHWHQW)研究被験者の場合に代理同意を 認めて、 そういう人たちを対象とする医学研究 への取り組みに道を開いている. ()患者の権利章典( 年,現在  年版: アメリカ病院協会 $+$):患者の権利としてイ ンフォームド ・ コンセントの概念が明示される (「患者は診断,治療,予後に関する現在の情報 を分かりやすい言葉で聞く権利」 とそうした必 要な情報を理解した上で同意を与える権利とし ての ,& の権利). ()患者の権利に関するリスボン宣言(:0$ 第 回総会):良質の医療を受ける権利から始ま り,選択の自由の権利,自己決定権,情報に対 する権利,守秘性の権利,健康教育の権利,尊 厳の権利,宗教的支援の権利 などが明確に規 定される. ()患者の自己決定権法(アメリカ合衆国: 年),:+2 ヨーロッパ会議 「ヨーロッパにお ける患者の権利の促進に関する宣言」 ()ヒトゲノムと人権に関する世界宣言( 年ユネスコ):ヒト組織を使用した医学研究の 発達に伴い,人権の適用範囲が人間の身体,身 体組織にまで適用されるようになる. [補遺3:医療倫理の 4 原則] 3. 医 療 倫 理 の  原 則( 年 7/ ビ ー チ ャ ム,-) チ ル ド レ ス 提 唱 ): ベ ル モ ン ト ・ レ ポート(アメリカ国家委員会報告 「生物医学お よび行動科学研究における被験者保護のための 倫理原則と指針」 における  原則(自律尊重原 則,善行原則,正義原則)に無危害原則を加え て, 原則が提示され,これが医療倫理問題の 解決のための原則として世界的に取り入れら れ,生命倫理的議論を展開するための準拠軸と しての役割をなしている.

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()自律尊重(UHVSHFWIRUDXWRQRP\)原則:自律 的な患者の意思決定を尊重する→患者に真実を 語ること,プライバシーの尊重(自己に関する 情報に関する知る権利,知られない権利),守 秘情報の保護,侵襲のための同意を得ること (,&),患者の自律的選択への援助(患者アドボ カシー) ()善行(EHQHÀFHQFH))原則:患者に利益をも たらす→患者にとってのベネフィット/リスク を比較し,最善の結果をもたらすことを要求す る;害悪や危害の未然防止,除去も含む. ()無危害(QRQPDOHÀFHQFH/QRQKDUP)原則:患 者に危害を及ぼすのを避ける→苦痛,苦悩,不 快を引き起こさない(苦痛の緩和としてのター ミナルケア);殺さない(積極的安楽死への反 対の根拠) ()正義(MXVWLFH)原則:利益と負担を公平に配 分する(配分の正義)→被験者をどのように選 ぶか,被験者の研究成果へのアクセス権、 医療 資源の公正な配分(限られた臓器の移植の優先 順位など) ・原則対立事例の解決手段:原則の適用を限定 して対立する原則の両立を図るか,どちらの 原則を優先させるかを原則間のバランスを取 りながら判断する. [補遺 4:医療の目的と医療システム] 4.患者中心の医療とシステム論的アプローチ ()医療の目的:医療を人間的行為のひとつとし てとらえるならば,その行為の目的は何かとい うことが問われなければならない→医療行為= 「臨床(&OLQLFDO)」行為:「死の床に臨む」行為 →「死という人間にとって避けられない事実性 から出発して,医学研究全体を体系づけ,医療 を統括的にとらえるのが臨床医学である」→生 老病死を人間の四苦とすれば,医療はそのすべ てに関わる行為であり,人間的行為の本来性に 関わる:人間の根源的苦しみ(VXIIHULQJ)を癒 すこと(KHDOLQJ)としての医療の実存的理解か ら医療の目的を考えることの必要性が問われ る. ()医療の  つの方向性:科学的医療とケア行為 としての医療 ・疾病(GLVHDVH)の治療(FXULQJ)⇔病(LOOQHVV) をケアする行為(FDULQJ) ・(%0(HYLGHQFHEDVHGPHGLFLQH エ ビ デ ン ス に 基 づ い た 医 療 ) ⇔ 1%0(QDUUDWLYHEDVHG PHGLFLQH:語りに基づいた医療) ・(%0 →エビデンスの獲得は,臨床試験にお ける統計学的・確率論的方法による無作為 対照試験(5&7)による場合が多い→生理学 的・統計学的な科学的方法による医療のみの 観点の限界と狭さ:医療は人間の病気を対象 としていることから,医療者には患者の内面 的苦痛・苦悩に応えなければならない使命が 課せられている. ・1%0 →患者の内面において体験され生きら れた病気の意味が病として感得される:病の 体験の意味は患者の主体性を通して語り出さ れることによって,筋書きをもつひとつの物 語となり,病の意味が患者の語りを通して患 者と医療者両方に同時的に開示され,その病 の意味を解釈することを通してケアがなされ る. ・医療は単に科学的医療だけではなく,病気の 内面性の次元を病の解釈学を通して回復する ことによって,十全な意味で患者の苦しみを 癒すというその本来の使命を果たすことがで きる. ・ケアする者の倫理:患者の苦しみを共に受け 止めて,病において開示される本来的な人間 の実存的意味を患者と共に発見するよう努め るケアの倫理が,生命倫理的見方と同時に必 要とされている. ()医療システムの転換:'26(GRFWRURULHQWHG V\VWHP)から 326(SDWLHQWRULHQWHGV\VWHP)へ: ①医療の高度化と専門化によって科学的 ・ 客観 的に何が最適の治療法かを決定する際に,医師 のみでなく他の多くの医療専門職が関わる必 要性が生じていること,②患者自身から見た 42/の改善にとって,価値観の多様性ととも にその選択肢が多様化してきていること,③先

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端医療あるいは臨床試験で有効性 ・ 有害性が不 確実であることから,治療方針の選択に最終的 に責任を負いうる者は,決断の主体者である患 者自身である他はない→患者の自己決定権を中 心とする社会へと開いた医療システムの構築が 生命倫理的観点からする中心的課題となる. [補遺 5:チーム医療とその倫理] 5.相互主観性の倫理:共同的相互的関係性のな かでの医療行為 ()チーム医療:複数の医療専門職間および医療 者と患者・家族間の双方向的コミュニケーショ ンとそれによる情報の共有化→患者自らが自己 自身の病に関してチーム医療の一員として関与 する:患者自身にとって何が最善の医療かが患 者自身を含めたチーム医療の構成員全員に共有 され,医師が患者に代わって最善の治療方法を 決める医師のパターナリズムが決定的に乗り越 えられる→自律性の原則,善行の原則が対立せ ず共に満たされる. ()チーム医療の構成員:医師・薬剤師・看護 師.臨床検査技師・放射線技師・栄養士・理学 療法士・作業療法士・臨床工学士・臨床心理 士・医療倫理コンサルタント・宗教専門職など ()チーム医療の規模・範囲:医療機関内の  部 署・専門病院・総合病院全体などによるチーム 医療の構成;さらにはひとつの地域コミュニ ティ全体が医療チームを構成すると考えること も可能である(→この場合,さまざまな医療機 関−介護・福祉施設−かかりつけ薬局など機関 組織が構成単位となって医療システムが構成さ れる) ()チーム医療で必要とされる課題:①チーム全 体を統括する代表者による統一した意思決定 のプロセスの規則化 ②構成員全員による情報 の共有化・治療方針などの共通認識 ③チーム としての守秘義務の遵守 ④定期的カンファラ ンスなどによる恒常的情報交換と異業種間の 認識のずれの調整 ⑤チームとしての連帯感と 共通の目標設定およびその実現のためのプロ セスの共通認識 ⑥クリニカルパス(治療やケ アについての医療スタッフ共通のスケジュール をチャート様式にまとめたもの)などの活用に よって,医療への共通の参加意識と責任の共有 化,医療の標準化を促す.またそれによって医 療の効率性と安全性を高めることができる ⑦構 成員全員の間の双方向的コミュニケーションの 重要性とそれに基づく信頼関係の確立 ()チーム医療の倫理:自己自身の専門職として の役割と他の専門職との関係性を絶えず意識し ながらチーム医療を遂行する必要がある.要求 される倫理は,相互的関係性を自覚した共同体 的な相互主観性(LQWHUVXEMHFWLYLW\)の倫理であ る.医療専門職としての自己の決定について責 任をもつと同時に,他の医療専門職に対する理 解を深めて,双方向的コミュニケーションを通 して相互に尊敬し協力しながら,患者中心の医 療をチームとして実現しようと努めることが要 求される. 研究業績 著書 年 西洋思想の展開,学術出版社 年 日本社会と生命倫理,以文社 年 環境思想を学ぶ人のために,世界思 想社 年 現代医療の光と影,晃洋書房 年 生命倫理を学ぶ人のために,世界思 想社 年 メディカ・メンテ―望ましい医療を 求めて,晃洋書房 年 ケアの生命倫理,日本評論社 年 薬剤学実験法必携マニュアル,南江 堂 編著 年 薬学生のための医療倫理,丸善 年 医学生のための生命倫理,丸善 年 第  章 薬学教育における医療倫理, 『医療倫理教育』丸善,− 原著 年 0HUOHDX3RQW\ に お け る 知 覚 の 問 題 (学士論文・京都大学文学部)

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年 +%HUJVRQ における道徳と宗教の問 題(修士論文・同志社大学) 年  象 徴 と 思 惟 −3DXO5LFRHXU に お け る 《 意 志 の 現 象 学 》 と《 言 語 の 解 釈 》 (修士論文・京都大学) 年 死と超越,『実践哲学研究』第 ・ 号合併号  京都大学倫理学教室) − 年 3 リクールの倫理学の課題と方法, 『倫理学研究』第  号(関西倫理学 会)− 年 経験と解釈,『倫理学年報』第  集 (日本倫理学会)− 年 信と言語,『実践哲学研究』第  号, − 年 ベルクソンにおけるメカニックとミ スティックの問題について,『倫理学 研究』第  号,− 年 時性と内的実在性,『中部哲学会紀 要』第  号,− 年 医の倫理研究(),『浜松衛生短期大 学紀要』第  号,− 年 医の倫理研究(),『浜松衛生短期大 学紀要』第  号,− 年 危機に立つ現代医療と倫理,『ぱい でぃあ』9RO(大阪薬科大学教養 論叢)− 年 生命倫理の両義性と環境倫理,『医学 哲学医学倫理』第  号(日本医学哲 学・倫理学会)− 年 日本のターミナルケアにおける生と 死,『セミナー医療と社会』第  号, − 年 現代社会と環境倫理の必然性,『倫理 学研究』第  号,− 年 医療と哲学をつなぐもの,『ぱいでぃ あ』9RO,− 年 現代医療における患者の身体,『医学 哲学医学倫理』第  号,− 年 現代医療と家族,『ぱいでぃあ』9RO (大阪薬科大学教養論叢)− 年 現代医療におけるケアの倫理とその 優位性,『文部科学省研究成果公開講 座資料集』(日本医学哲学・倫理学 会)− 年 日本的差別意識と医療の構造,『ぱい でぃあ』9RO,− 年 ケアの倫理と現代医療,『医療と倫 理』第  号(日本医学哲学・倫理学 会関東支部会)− 年 臨床医学とケアの倫理,『理想』 号,− 年 治験の倫理について,『日本医学哲 学・倫理学会資料集』− 年 性と人権,『大阪薬科大学紀要』創刊 号,− 年 現代フランス哲学における感情と共 働性の問題,『倫理学研究』第  号, − 年 ロボットの思考と生きた人間身体: 脳神経倫理学的アプローチ,『大阪薬 科大学紀要』9RO/,− 翻訳 年  キ ェ ル ケ ゴ ー ル と 悪(3 リ ク ー ル 著),『キェルケゴールと悪』(大谷長 監修),東方出版社,− 年 キェルケゴールを哲学することはい かに可能であるか(3 リクール著), 『 キ ェ ル ケ ゴ ー ル と 悪 』( 大 谷 長 監 修),東方出版社,− 年 存在するのとは違って,あるいは存 在 す る こ と を 超 え て(( レ ヴ ィ ナ ス著,大町公と共訳),『エマニュエ ル・ レ ヴ ィ ナ ス 第  次 エ ピ ス テ ー メーⅡ』 号,朝日出版社,− 年 『労働の現象学』(-−プティ著,今村 仁司と共訳),法政大学出版局 年 ユーモアから信仰へ(M.ペロ著), 『 キ ェ ル ケ ゴ ー ル 研 究 』 第 21 号 (キェルケゴール協会), ユーモア から信仰へ(0.ペロ著),『キェル ケゴール研究』第  号 

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年 第  章 空虚な主体性と失われた生, 『 精 神 分 析 の 系 譜 』(0 ア ン リ 著 ), 法政大学出版局,− 年 .キェルケゴールの自己論(' ハ ンプトン著),『キェルケゴール』(桝 形公也監修),昭和堂,− 年  キ ェ ル ケ ゴ ー ル と ロ マ ン 主 義 (- ヴァール著),『キェルケゴール研 究』第  号,− 年 第  章 看護婦とクライエント,第 章 看護婦間の倫理的ディレンマ, 『臨床看護のディレンマⅡ』(0 ベン ジャミン,- カーティス著),時空出 版,−;− 年  第  部 . 倫 理 と 言 語(3 ケ ン プ 著),『宗教と倫理』(桝形公也編), ナカニシヤ出版,− 年 第  章 十度の知的障害をもつ人間 と 大 型 類 人 猿(& ア ン シ ュ テ ッ ツ 著),『大型類人猿の権利宣言』,昭和 堂,− 年 第  章 健康の全体論的理論に向け て,『健康の本質』(/ ノルデンフェ ルト著),時空出版,− 雑考・報告・事典項目 年  + ロルストン:野性化の価値;+ ロ ルストン:環境に適合した企業活動, 『生命と環境の倫理研究資料集』(千 葉大学),−;− 年 薬,責任,責任能力,法と倫理,無 危害原則,人権と生物医学条約,出 生前診断,着床前診断,胎児診断, 母体血清トリプルマーカースクリー ニング,羊水穿刺,遺伝死特許,『生 命倫理事典』,太陽出版 学会発表 国際学会 年 /LIHDQG'HDWKLQWKH7HUPLQDO&DUHLQ -DSDQ DV WKH 3ODFH RI$SSDULWLRQ RI WKH -DSDQHVH 5HOLJLRXVQHVV ,QWHUQDWLRQDO 6RFLHW\ IRU WKH 3KLORVRSK\ RI 0HGLFLQH DQG +HDOWK &DUH DW WKH 8QLYHUVLW\ RI 3DULV)UDQFH 年 7KH7KLQNLQJRI5RERWDQGWKH/LYLQJ +XPDQ%RG\1HXURHWKLFDO$SSURDFKDW WKH8QLYHUVLW\RI7RXORXVH)UDQFH 学会発表 国内学会 年 リクールにおける悪の問題,第  回 関西倫理学会 年 3 リクールの解釈学とその倫理的意 味,第  回日本倫理学会 年 経験と解釈,京都倫理学会 年 信と言語,第  回フランス哲学会 年 ベルクソンにおけるメカニックとミ スティックの問題,第  回関西倫理 学会 年 時性と内的実在性−* マルセルの場 合,第  回中部哲学会 年 生命倫理の両義性と環境倫理,第  回日本医学哲学・倫理学会 年 現代社会と環境倫理の必然性,第  回関西倫理学会 年 現代医療における患者の身体,第  回日本医学哲学・倫理学会 年 現代フランス哲学における感情と共 同性の問題,第  回関西倫理学会 年 臨床・疫学研究の倫理,第  回日本 薬剤師学術大会

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履歴 松島 哲久 (まつしま あきひさ) 大阪薬科大学 教授 年  月 鳥取県生まれ 年  月 京都大学文学部哲学科卒業 年  月 同志社大学大学院文学研究科哲学専 攻修士課程修了 年  月 京都大学大学院文学研究科哲学(倫 理学)専攻修士課程修了 年  月 京都大学大学院文学研究科哲学(倫 理学)専攻博士後期課程修学 年  月 大阪教育大学非常勤講師(至年 月) 年  月 同志社大学非常勤講師(至年  月) 年月 神戸商科大学非常勤講師(至年 月) 年  月 大阪教育大学非常勤講師(至年 月) 年  月 聖隷学園浜松衛生短期大学助教授 (至年  月) 年  月 大阪薬科大学薬学部助教授 年  月 大阪薬科大学薬学部教授 所属学会および役職 年  月現在 日本医学哲学・倫理学会(理事), 日本生命倫理学会,関西倫理学 会,京都倫理学会,日本倫理学 会,関西哲学会,キッェルケ ゴール協会 学会活動 年  月 キェルケゴール協会理事「 まで」 年  月 日本医学哲学・倫理学会評議員「至 現在」 年月 日本医学哲学・倫理学会監事「 まで」 年月 日本医学哲学・倫理学会理事「至現 在」 年月 第回日本医学哲学・倫理学会大会 長 年  月 キェルケゴール協会理事「ま で」 年月  日 本 医 学 哲 学・ 倫 理 学 会 副 会 長 「まで」 年月 日本医学哲学倫理学会会長「 まで」

参照

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