アジ研ワールド・トレンド No.240(2015. 10)
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●
ト
ム
・
ル
ッ
ツ
著
『
働
か
な
い
――「
怠
け
も
の
」
と
呼
ば
れ
た
人
た
ち
』(
青
土
社
、
二
〇
〇
六
年
)
いつまでたってもカウチから起
き上がってこない息子。著者のル
ッツは怠惰な息子にとうとうキレ
た。そして悩んだ。なぜ私は怠け
ている息子に怒りを感じるのだろ
うと。怒りの正体を知るために、
ルッツは一八世紀から現在までに
英
米
に
登
場
し
た
怠
け
者
た
ち
の
肖
像・主張と、彼らに対する批判や
怠
け
者
表 ひょうしょう
象
を
め
ぐ
る
歴
史
を
丹
念
にたどり、私たちの労働観の両極
に位置する勤労主義と怠け者(ス
ラッカー)主義との奇妙にねじれ
た関係を解き明かした。
分厚い労働文化史を読み終えて
わかることは、人間(社会)にと
って働くことと怠けることは不可
分の価値を構成し、私たちは勤労
私はタンザニアの都市零細商人
の商慣行や商実践、商関係につい
て研究している。最近では、アフ
リカ諸国と中国とのコピー商品や
偽物の交易に関心を持っている。
私の研究対象は一般的に「インフ
ォーマル経済」と呼ばれるものだ
が、経済学や開発研究ではなく人
類学者を名乗って研究している。
人類学の醍醐味は、この世界に確
かに存在する、私たちのものとは
異なる文化や社会、経済、政治の
しくみとそこで生きる人びとのミ
クロな営みから、私たちがこれ以
外にはありえないと思いこんでい
る世界のしくみや生のあり方を相
対化し、オルタナティブな世界・
生き方を構想する糸口をみつける
ことにある。今回の特集では、ア
ナザーワールドを構想し、いまこ
この世界に戯れるヒントとなる著
作を選んでみた。
主義と怠け者主義のいずれの側に
立っても満たされない思いを抱え、
つねに他方を希求するということ
だ。
産
業
革
命
の
幕
開
け
期、
「
時
は
金
なり」と唱えて現在の勤労主義を
形作ったベンジャミン・フランク
リンは、空気浴にいそしむ快楽主
義者だった。他方、人間は「怠惰
な動物」であり、自己修養や利益
追求に邁進することこそおかしい
と説いたサミュエル・ジョンソン
は、猛烈な勢いで執筆活動をこな
した多忙な人物であった。かの有
名なカール・マルクスの娘婿ポー
ル・
ラ
フ
ァ
ル
グ
は、
『
怠
け
る
権
利
』
を
上 じ
ょ
う
し
梓
し、
「
個
人
や
社
会
の
あ
らゆる悲惨さは、労働への情熱か
ら生まれる」と結論づけた。アイ
ドラー、ラウンジャー、ボヘミア
ン、ソーンタラー、トランプ、フ
ラヌール、ビートニク、バム、ヒ
ッピーなど本書に登場する多彩な
スラッカーたちは、各時代の勤労
主義者の労働哲学を反転させたが、
彼らの生き方や彼らが生みだした
芸術を消費したのは、勤労主義者
でもあったのだ。
いま日本では、ニートやワーキ
ン
グ
プ
ア
な
ど「
働
く
こ
と
」「
働
か
ないこと」をめぐり硬直した言論
が飛び交っている。本書が描く実
在・架空の怠け者たちは、そのよ
うな硬直した労働観に対して――
訳者の小澤英実氏も述べるように
――、私たちに優越感や軽蔑や慰
めや励ましといった感情を呼び起
こしながら、私たちの生き方を維
持・破壊・肯定・自問させる機能
を果たすトリックスターとして立
ち現われるだろう。
●
ル
イ
ス
・
ハ
イ
ド
著
『
ト
リ
ッ
ク
ス
タ
ー
の
系
譜
』(
法
政
大
学
出
版
局
、
二
〇
〇
五
年
)
トリックスターとは世界各地の
民話や神話、文学などに登場する
文化的英雄であり、いたずら者で
ある。東アフリカでは、野ウサギ
やクモなどがその代表だ。体は小
さく力も弱いが、頭の良い彼らは、
狡賢い知恵で自分よりも力の強い
相手をやりこめる。必ずしも彼ら
●
特
●
集
本の森への道案内
ア
ナ
ザ
ー
ワ
ー
ル
ド
を
構
想
し
な
が
ら
、
い
ま
こ
こ
の
世
界
に
戯
れ
る
た
め
に
小川
さやか
[文化人類学]
15
アジ研ワールド・トレンド No.240(2015. 10)
は道徳的に善ではないし、また常
に企みが成功するわけでもない。
だが、魅力的な者たちだ。私は、
本書の次の一節を読んで以来、頭
のなかに「おしゃべりな猿」を飼
うことにしている。
「
……
わ
れ
わ
れ
の
生
き
方
が
わ
れ
われに閉塞感を与えるとき、例え
ば見知らぬ人たちが織った織物の
ようで、元気を与えるよりは意気
消沈させる模様に感じられるとき、
そういうとき、もしもわれわれが
幸運であれば、精神に潜む猿がわ
れわれを無気力から目覚めさせる
ために悪戯っぽいお喋りを始める
であろう。どうにも物わかりの悪
い人々のためには、その猿はまず
お決まりのトロープ・ア・ドープ
[
騙
し
の
修
辞
]
か
ら
始
め
て、
規
範
をあまりに生真面目に受けとめれ
ば、いわば自己拷問につながるこ
と
を
明
ら
か
に
す
る
で
あ
ろ
う
」(
四
二四ページ)
。
社会はその内部に集団を分節化
する内的な境界をもち、聖と俗、
清と濁、男と女、若と老、生と死
といった多様な区分の上に成り立
っている。トリックスターは一般
的にこれらの境界・区分を超え出
ることで、社会の規範や秩序を攪
乱させる者とみなされている。ハ
イドはこれに修正を加えて、彼ら
は既存の境界を超えるだけでなく、
隠されていた境界を表出させたり、
消したり、動かしたりする働きも
すると指摘する。彼は、トリック
スターを「関節=業師」と名づけ、
その破壊的想像力とそれに基づく
技芸を記述する。すなわち、トリ
ックスターは、私たちがみずから
再生産している文化や社会をあた
かも永久不変のものとみなし、み
ずからの世界を形づくる作業に参
与する/できることを忘れ、そう
してつくられた文化に苦しめられ
るとき、古い境界を消し去ったり、
窮屈な区分を緩めて接合部に油を
塗ったり、そこに開口部をつくり
「
規
則
」
が
禁
止
を
命
じ
て
い
た
場
所
に交渉を開始させたりして、文化
の根本的な形状を変化させるのだ。
だが、私たちの社会ではトリッ
クスターが棲む余地がますます縮
小しつつある。たとえば、ハイド
はレヴィ=ストロースを引きつつ、
根本的な変化の脅威を与える者た
ちに対する処遇の異なる二つの社
会を例示する。ひとつは、危険な
力をもつ個人を飲み込んで、その
力を利益に変えようとする「食人
を
実
行
す
る
社
会
」。
も
う
ひ
と
つ
は、
危険な個人を孤立させたり特別な
監獄へと閉じ込めようとする「人
の
嘔
吐
を
実
行
す
る
社
会
」。
し
か
し、
関節=業師が破壊的な力を行使す
るためには、そのいずれの運命も
逃れて、内でも外でもない敷居の
上に留まれる隙間、世界の余白、
猥雑な空間性が必要となる。
私は、この余白・隙間、猥雑な
空間性を創造する鍵こそ、インフ
ォーマルな領域を問うことにある
と考えている。
●
酒
井
隆
史
著
『
通
天
閣
――
新
・
日
本
資
本
主
義
発
達
史
』
(
青
土
社
、
二
〇
一
一
年
)
通天閣のふもとから描きだす都
市の一大叙事詩。アナキスト詩人
の小野十三郎から始まり、一九○
三年の第五回内国勧業博覧会に際
して裏仕事を担った小林佐兵衛、
「
将
棋
の
王
様
」
阪
田
三
吉、
織
田
作
之助と『貸間あり』の映画監督川
島雄三、借家人同盟を率いた無政
府主義者たちに飛田遊郭の娼婦た
ち――著者のことばでいえば、怪
しげな投機家、人道主義者の極道
者、悪評だらけの企業家、単独決
起する車夫、わがもの顔でのし歩
く博徒、警察に追われるアナキス
ト、野宿する私娼たち、ハッタリ
めいた運動家、あるいは嫌われ者
のジャーナリスト――本書は、大
阪ディープサウスの空間性を創り
だしてきた人びとの生き様から、
日本の社会思想の流れを独自の視
座で汲みだした大作である。
私が関心を寄せている「インフ
ォーマル性」の豊かさはこのよう
にも描きだせるのだと感じた。イ
ンフォーマル性は、違法性とは異
なる。インフォーマル経済の研究
者
た
ち
は、
違
法
性
illegal
と
道
義
的
な
違
法
性
illicit
/
合
法
性
licit
と
の
関
係
に
関
心
を
持
っ
て
き
た。
licit
は法的には禁止されているが、社
会的には許されている行為を意味
する。だが法的な違法性とは異な
り、どんな行為が何故どこまで許
されるのかはよくわからない。な
ぜなら、この道義性とは、本書で
描き出されているように、ばらば
らの方向をむいた勢力がひしめき
あい、互いの行為に整合的な意味
を読み込むことを拒みながら、人
間臭い駆け引き/調整をすること
を通じて事後的に発見される何か
でしかないからだ。それでもイン
フォーマルな領域はいまある世界
に身を投じながら、その世界の構
成に戯れる術に満ち溢れている。
(
お
が
わ
さ
や
か
/
立
命
館
大
学
准
教授)