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シェイクスピア劇における二つの転倒の意味について: 沖縄地域学リポジトリ

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Title

シェイクスピア劇における二つの転倒の意味について

Author(s)

川本, 真由子

Citation

ALBION(36): 41-60

Issue Date

1990-10-25

URL

http://hdl.handle.net/20.500.12001/10323

Rights

京大英文学会

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シェイクスピア劇における

二つの転倒の意味について

川 本 真 由 子

41 シェイクスピアの悲劇における自殺の失敗と言えば,『リア王』におい てグロスター伯が,ドーヴァーの崖から飛び降りているのだと信じつつ, 平らな地面の上に転倒する場面が有名だが,私にはもうひとつ,興味深い 場面がある。それは『アントニーとクレオパトラ』において,海戦に敗北 し,クレオパトラの偽りの死の報告を聞いたアントニーが,自決しようと して失敗し,舞台上に倒れる−あるいは,少なくとも身をかがめる姿勢 に な る − 場 面 で あ る 。 この二つの転倒一と呼んでおこう−は,一見何ら共通点がないか に見え,また確かに,それぞれの状況は随分異なっているのだが,ある視 点から見れば,類似した要素をも持っている。その視点とは,演技あるい は虚構と,人生との関わり,という視点である。一方の転倒の意味を明ら かにすることが,他方のそれの意味をより深く認識させてくれるのではな いだろうか。まず,『リア王』における,例の場面の分析から始めたいと 思う。 I 『リア王』の第四幕第六場で,エドガーがグロスター伯に,ひいては観 客に体験させるものをつきつめて考えてゆくと,人生における演技の効用, とでも言ったものに行きつく気がする。もちろん,グロスター伯は役者で はなく,エドガーは劇作家あるいは舞台監督ではない◎にもかかわらず, ここには,何か非常に演劇的なものが感じられる。グロスター伯が,農夫

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4 2 シ ェ イ ク ス ピ ア 劇 に お け る 二 つ の 転 倒 の 意 味 に つ い て の身なりをしたエドガーに手をひかれて登場するところから,二人の会話 に耳を傾けてみよう。 Glou. &宅. Glou. &塩. Glou. &増. 欧を. Whenshalllcometoth,topofthatsamehill? Youdoclimbupitnow;lookhowwelabour. Methinksthegroundiseven. Horriblesteep: Hark1doyouhearthesea? No,truly. Why,thenyourothersensesgrowimperfect Byyoureyes'anguish. ● ● ● ● ● ● Comeon,sir;here'stheplace:standstill.Howfearful Anddizzy'tistocastone'seyessolow! Thecrowsandchoughsthatwindthemidwayair Showscarcegogrossasbeetles;halfwaydown Hangsonethatgatherssampire,dreadfultrade! Methinksheseemsnobiggerthathishead. Thefishermenthatwalkuponthebeach Appearlikemice,andyondtallanchoringbark Diminish'dtohercock,hercockabuoy Almosttoosmallforsight.Themurmuringsurge, Thatonth'unnumber'didlepebblechafes, Cannotbeheardsohigh.I'lllooknomore, Lestmybrainturn,andthedeficientsight Toppledownheadlong. 1)KennethMuir,ed., Methuen,1972).以下, (IV.vi、1-6,11-24)" KingLear(TheArdenShakespeare;London: KingLeaFからの引用はこの版による。

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川 本 真 由 子 4 3 ヤン・コットは,次のように述べている。「この場面を思い浮べるのは 簡単である。台本そのものが俳優の動きを説明しているからだ。エドガー はグロスターを支えている。彼は,坂道を登っているようなふりをして, 足を高く上げる。グロスターも,地面が高まってゆくのを期待するかのよ うに足を上げるが,足の下にあるのは空気だけである。」2)と。そして,エ ドガーの描写によって,切り立った恐ろしい断崖から深淵をのぞき込む思 いをするのは,盲目のグロスター伯ばかりではない。観客もまた,想像力 によって,空虚な舞台の上に絶壁を見るのである。「舞台はどうしても空 虚でなければならない。」鋤とヤン・コットが言うのは実に的を射ている。 空虚であるからこそ,観客はエドガーの導くままに,断崖からまっさかさ まに飛び降りるという戦’懐すべき体験を,想像力の中で,グロスター伯と 共有できるのではないか。そして,それには,エドガーが断崖の描写にお いて駆使する詩の力が大いにあずかっていることは言うまでもない。さて, エドガーは傍白する。 WhyIdotriflethuswithhisdespair Isdonetocureit. (1V・vi.33-34) そして,グロスター伯は,脆いて神々に祈った後,崖から飛び降りるつも りで前方へ身を投げ,倒れる。エドガーは言う。 AndyetIknownothowconceitmayrob Thetreasuryoflifewhenlifeitself 2)ヤン・コット「シェイクスピアはわれらの同時代人」(白水社,蜂谷昭雄・ 喜志哲雄訳,1968年),141頁。なお,この場面については,拙論「『リア王』と 悲劇的リズム」(大阪府立大学紀要,第32巻,1984年)において.,少し異なる視 点から論じたことがある◎ 3)前掲害,144頁。

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44 シェイクスピア劇における二つの転倒の意味について Yieldstothetheft;hadhebeenwherehethought Bythishadthoughtbeenpast. (1V・vi、42−45) 先程のエドガーの傍白やこのセリフによって,観客は,そこが崖ではない ことを,ようやくはっきりと認識する。にもかかわらず観客は,次のエド ガーの描写によって,再び盲目のグロスターと共に,切り立った崖を今度 は下から見上げ,聞えない雲雀の声を聞く思いをする。 及塘.Hadstthoubeenaughtbutgossamer,feathers,air, Somanyfathomdownprecipitating, Thou'dstshiver'dlikeanegg;butthoudostbreathe, Hastheavysubstance,bleed'stnot,speak'st,artsound. Tenmastsateachmakenotthealtitude Whichthouhastperpendicularlyfell: Thylife'samiracle・Speakyetagain. Gjou・Buthavelfall'norno? Eヒセ.Fromthedreadsummitofthischalkybourn. Lookupa-height:theshrill-grg'dlarksofar Cannotbeseenorheard:dobutlookup. (1V・vi、42−45) この挿話がグロスター伯にとって意味するものはいったい何か。実際に は,グロスター伯は,平らな地面の上に倒れ,また起き上がっただけのこ とである。しかし,エドガーが仕組んだところの,架空の死を体験したこ とによって,彼の内部には変化が起こっている。彼が起き上がった時,倒 れたという,まさにその動作によって,舞台上の同じ地面は,以前とは異 なる,精神的な高さをはらんだ地面に変っている。そして,その変容を,

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川 本 真 由 子 45 観客が感知するのは,エドガーの断崖描写の詩のカー観客の想像力に訴 えかける虚構のカーに促されてである。グロスターは言う。 Glou ...henceforthI'llbear Afflictiontillitdocryoutitself 'Enough,enough,'anddie. (Ⅳ.vi、75−77) 確かにグロスター伯の,この再生への意志は,ペシミスティックな蕊り を帯びている。しかし,エドガーはひとまず,父親を絶望の淵から救い出 すことに成功したと見なしてよいだろう。そして彼がそれを達成するため に虚構を用いたということは注目すべき点である。死の真似事をすること に よ っ て − 本 人 は 決 し て 真 似 事 だ と は 思 っ て い な い の だ が − グ ロ ス ター伯は本当の死を免れる。彼は倒れることによって起き上がる力を得る。 興味深いのは,似たことが,エドガー自身にも起こっているということ である。エドマンドの謹言のため,父グロスター伯に追手をかけられて命 も危くなった彼は,生きのびるために,違う人間になる−変装し,演技 をする−ことを決意するのである。 盈塘.Iheardmyselfproclaim'd; Andbythehappyhollowofatree Escap'dthehunt.Noportisfree;noplace, Thatguard,andmostunusualvigilance, Doesnotattendmytaking・WhilesImay'scape, Iwillpreservemyself;andambethought Totakethebasestandmostpoorestshape Thateverpenury,incontemptofman, Broughtneartobeast;myfaceI'llgrimewithfilth, Blanketmyloins…PoorTurlygod!poorTom!

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46 シェイクスピア劇における二つの転倒の意味について That'ssomethingyet:EdgarInothingam. (Ⅱ、iii、1−10,20−21) 気違いの乞食トムに変装したエドガーは,こうして自らの命を救い,やが て第四幕第六場では,はじめは農夫,次には崖下でグロスター伯の墜落を 目撃した者としてふるまうことで,父親の命を救う。 グロスター伯とエドガーに関する限り,虚構,あるいは演技といったも のが,彼らが生きてゆく上で,プラスの価値を持ったものとして,とらえ られているように思われる。 『リア王』の構造的特徴の一つは,主・複二つの,きわめて並行関係の 著しいプロットを持っていることである。それでは,メイン・プロットで は,虚構,あるいは演技というものは,どのように呈示されているだろう か。 メイン・プロットでの孝子,コーディーリアは,エドガーとは正反対と いってもよいくらい,演技を峻烈に拒否する。冒頭の場,例の有名な "Nothing"という答えに先立って,コーディーリアは二度,傍白する。 WhatshallCordeliaspeak?Love,andbesilent. ThenpoorCordelia! Andyetnotso;sinceIamsuremylove's Moreponderousthanmytongue. (1.1.61) (I.i,75-77) コーディーリアは,表現よりも,行為や心を重んじている。そして,飾り 立てた言葉で,ありもしない孝心を述べたてる姉達の姿を,虚偽であり, 自らの利益を追及するための演技であるとして,強い反感を抱いているよ

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川 本 真 由 子 うである。 Cor.UnhappythatIam,Icannotheave Myheartintomymouuth. Lea7、.Soyoung,andsountender? Co7、.Soyoung,myLord,andtrue. 47 (I.i.90-91) (I.i.105-106) 真実は尊ぶべきものだとしても,彼女の真実への固執が,父親と彼女自 身をも不幸に陥れることは事実である。そして,彼女はやがて,エドガー のように,虚構によって父親を救おうとするのでなく,フランス王の軍隊 という,現実の軍勢を引き連れて来,父親に正当な権利を取り戻し,安泰 を計ろうとする。 Noblownambitionbothourarmsincite, Butlove,dearlove,andouragedfather'sright. (1V.iv、27−28) しかし,荒野をさすらって,自然の中での人間の卑小さ,‘惨めさを痛感 した後のリアにとって必要なのは,おそらく,軍隊の力によって手に入れ ることができるような政治的,世俗的な権利ではなく,いわばもっと内面 にかかわる権利であろうことは想像に難しくない。それは,愛するものと の,ひっそりとした,平和な生活といったものだろう。コーディーリアが 前者によって,後者を保証するつもりであるとしても,父親を救おうとし て取る手段として,コーディーリアのそれと,エドガーのそれとが対照的 なものとして示されているということは言えるのではないか。コーディー

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4 8 シ ェ イ ク ス ピ ア 劇 に お け る 二 つ の 転 倒 の 意 味 に つ い て リアに再会した後のリアの幸福のヴィジョンは,次のようなセリフに見る ことができる。 Cor Shallwenotseethesedaughtersandthesesisters? Leα7.No,no,no,no!Come,let'sawaytoprison; Wetwoalonewillsinglikebirdsi'th'cage: Whenthoudostaskmeblessing,I'llkneeldown, Andaskoftheeforgiveness:sowe'lllive, Andpray,andsing,andtelloldtales,andlaugh Atgildedbutterflies,andhearpoorrogues Talkofcourtnews;andwe'lltalkwiththemtoo, Wholosesandwhowins;who'sin,who'sout; Andtakeupon'sthemysteryofthings, AsifwewereGod'sspies... (V.iii.7−17) これは,コーディーリアの軍隊が敗北し,二人が捕虜として引き立てられ てゆく時のセリフである。リアにとっての幸福は,「神々の密使ででもあ るかのように」,つまり,世界劇場の観客として,この世の成り行きを見守 ることである。グロスター伯が,自殺の失敗を通して,いわば,世界劇場 の役者としての自覚一幕が降りるまではいかに悲‘惨な役割であっても 最後までつとめる−を得たとすれば,リアはここで,この世を虚構と見 る観客の立場に慰めを見出そうとしている。 周知のように,『リア王』はここで終るのではなく,コーディーリアの 絞殺という,リアにも観客にも耐え難い結末が控えている。しかし,注目 しておきたいことは,虚構や演技,あるいは世界劇場の意識というものが, ごく弱々しい灯であっても,救いの可能性として,この暗漕たる劇世界に

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川 本 真 由 子 4 9 光っていることである。

冒頭の場で,ゴネリルやリーガンの演技は真実一父親への孝心のなさ

−を隠蔽する演技であることは明らかである。他方,そういった演技へ

の反発のあまり,コーディーリアは,適切な表現さえも拒否し,わずかに

発した言葉は,状況の中で歪曲され,同じく真実を−こちらは父親への

愛を−隠す結果になってしまう。そして演技への第三の立場として,エ

ドガーが配されているように思える。彼は,自ら様々な人物を演じながら,

父親に虚構の死を味わわせることで本当の死,絶望のあまりの死から救お

うとする。そして,観客は,舞台上に倒れるグロスター伯の姿を目のあた

りにすることで,その絶望があまりに深いので,いったんは倒れなければ

生きてゆく力を取り戻せないということを,理屈としてではなく,肉体的

な感覚として納得するのではないだろうか。エドガーがいくらかやり過ぎ

である,という非難も起こってくるかもしれない。しかし,彼の意図は明

白であり,シェイクスピアの意図も明白である。エドガーの意図は,死の

シミュレーションによって,現実の死から父親を救うことであり,シェイ

クスピアの意図は,演技あるいは虚構といったものを適切に用いることが,

人が生きてゆく上で助けになるかもしれないことを示すことである。そし

て,エドガーは,ややまわりくどい表現であったにせよ,そしてそのため

いくらか後悔が残るにしても,真実を−自分の父親への愛一を,十分

に伝え得たと思われる。終幕,オールバニ公にいままでのいきさつを問わ

れてエドガーは語る。 Listabrieftale; Andwhen'tistold,0!thatmyheartwouldburst! Thebloodyproclamationtoescape

Thatfollow'dmesonear,O!ourlives'sweetness,

Thatwethepainofdeathwouldhourlydie

Ratherthandieatonce!taughtmetoshift

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50 シェイクスピア劇における二つの転倒の意味について Intoamadman'srags,t'assumeasemblance Thatverydogsdisdain'd:andinthishabit MetImyfatherwithhisbleedingrings, Theirpreciousstonesnewlost;becamehisguide, Ledhim,begg'dforhim,sav'dhimfromdespair; NeverOfault!reveal'dmyselfuntohim, Untilsomehalf-hourpast,whenIwasarm'd; Notsure,thoughhoping,ofthisgoodsuccess, Iask'dhisblessing,andfromfirsttolast Toldhimmypilgrimage:buthisflaw'dheart, Alack,tooweaktheconflicttosupport! 'Twixttwoextremesofpassion,joyandgrief, Burstsmilingly. (V.iii.180-198) エドガーは,コーディーリアとは対照的に,真実を伝える演技を知る人物 として示されているように思える。 グロスター伯が,舞台上に倒れる動作が示唆する意味には,以上のよう なことが含まれていると思われる。では『アントニーとクレオパトラ』に おいて,アントニーが舞台上に倒れる動作は,どんな意味を観客に示唆す るだろうか。それを考える前に,アントニーとういう人物像の,ある一つ の特徴について述べておこうと思う。 Ⅱ シェイクスピア劇の主人公たちの中で,アントニーほど,この上ない称 賛と,非難の両方を,たっぷりと浴びせかけられる人物はまずないだろう。 例えば,冒頭の場,非難は,アントニーが公的な生活を忘れて愛欲に惑溺 していることに対して投げかけられる。部下のファイローが,

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川 本 真 由 子 5 1 Nay,butthisdotageofourgeneral's O'erflowsthemeasure・Thosehisgoodlyeyes, Thato'erthefilesandmustersofthewar HaveglowedlikeplatedMars,nowbend,nowturn Theofficeanddevotionoftheirview Uponatawnyfront.Hiscaptain'sheart, Whichinthescufflesofgreatfightshathburst Thebucklesonhisbreast,renegesalltemper, Andisbecomethebellowsandthefan Tocoolagypsy'slust. (I.i.1-10)

と,厳しい非難を述べると,そこへアントニーが登場し,クレオパトラと

過ごす時間を‘惜しんで,シーザーからの使者を追い返す。当然,シーザー も,現在のアントニーをいましましく思っている。 Letsgrantitisnot AmisstotumbleonthebedofPtolemy, Togiveakingdomforamirth,tosit Andkeeptheturnoftipplingwithaslave, Toreelthestreetsatnoon,andstandthebuffet Withknavesthatsmellsofsweat、Saythisbecomeshim− Ashiscomposuremustberareindeed Whomthesethingscannotblemish−yetmustAntony Nowayexcusehisfoilswhenwedobear

4)EmrysJones,ed.,Antonyα"dCleopα〃a(TheNewPenguin

Shakespeare,1977).以下,Antonyα凡dCleopα〃αからの引用はこの版 による。

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52 シェイクスピア劇における二つの転倒の意味について Sogreatweightinhislightness. (I.iv、16-25) しかし,シーザーは,アントニーの偉大さもまた,忘れてはいない。 Antony, Leavethylasciviouswassails・Whenthouonce WasbeatenfromModena,wherethouslew'st HirtiusandPansa,consuls,atthyheel Didfaminefollow,whomthoufought'stagainst, Thoughdaintilybroughtup,withpatiencemore Thansavagescouldsuffer.Thoudidstdrink Thestaleofhorsesandthegildedpuddle Whichbeastswouldcoughat.Thypalatethendiddeign Theroughestberryontherudesthedge…Andallthis-Itwoundsthinehonourthatlspeakitnow− Wasbornesolikeasoldierthatthycheek Somuchaslankednot. (1.iv.55-64,68-71) アントニーは,今なお偉大なのだろうか。アントニー自身も,クレオパト ラのそばにいては,自らの偉大さに傷をつける結果になることに気づいて いる。 ThesestrongEgyptianfettersImustbreak, Orlosemyselfindotage. (I.ii.117-118)

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川 本 真 由 子 5 3 けれども,彼が次のように言う時,そこに真実がこもっていないとは誰 も断言できないだろう。 LetRomeinTibermelt,andthewidearch Oftherangedempirefall!Hereismyspace. Kingdomsareclay.Ourdungyearthalike Feedsbeastasman.Thenoblenessoflife lstodothus−whensuchamutualpair Andsuchatwaincando't,inwhichIbind, Ompainofpunishment,theworldtoweet Westanduppeerless. (I.i.33-40) こうしてアントニーは,ローマとエジプトの間を往復することになる。 彼はいったい,いわばローマ的自己とエジプト的自己とのどちらを是とし ているのだろうか。そして,オクテイヴィアとの結婚を‘快諾するアントニー はどれほどクレオパトラを愛し,どれほど彼女の愛を信じているのだろう か。おそらく他のどの人物にとってよりも,クレオパトラにとってアント ニーは謎である。彼女にとって彼は怪物に見える時がある。 ThoughhebepaintedonewaylikeaGorgon, Theotherway'saMars. (II.v.116-117) クレオパトラをも含めて劇中人物達がアントニーにさまざまな批評を加 えるにつれて,観客の目に映るアントニーは,彼自身のセリフの中にある, 雲の描写に似てくる。

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54 シ ェ イ ク ス ピ ア 劇 に お け る 二 つ の 転 倒 の 意 味 に つ い て Sometimeweseeacloudthat'sdragonish, Avapoursometimelikeabearorlion, Atoweredcitadel,apendentrock, Aforkedmountain,orbluepromontory Withtreesupon'tthatnoduntotheworld Andmockoureyeswithair. (1V.xiv.2-7) アントニーの実体のとらえどころのなさ,不透明さは,千変万化する雲に 似て,観客の興味をひきつける5)劇のアクションを見守る観客達は,ア ントニーに対する絶えざる異化と同化の揺れを経験することになる。 さて,劇は進んで,シーザーとの海戦となるが,クレオパトラをのせた 船が逃げ出すと,アントニーも後を追って,戦場を捨ててしまう。その様 子は,アントニーの部下のスケアラスによって語られる。 Sheoncebeingloofed, Thenobleruinofhermagic,Antony, Clapsonhisseawingand,likeadotingmallard, Leavingthefightinheight,fliesafterher. Ineversawanactionofsuchshame. Experience,manhood,honour,ne'erbefore Didviolatesoitself. (II1.x.17-23) 5)この劇の主要な人物達の不透明さ,現実の人物と同じような人格の神秘につ いては,ジャネット・アデルマンが詳しい分析を行なっている。Janet Adelman,"InfiniteVariety:UncertaintyandJudgmentinAntony α"dCleopaかα"inW〃〃amS伽/zespere'sAntonyandCleopaかα, ModernCriticalInterpretations,ed.HoroldBloom(NewYork: ChelseaHouse,1988).

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川 本 真 由 子 5 5 アントニーは,ファイローが冒頭の場で言った通り,「淫売女の道化役」 に堕してしまったのだろうか。それとも,クレオパトラとの恋は,王国も, 武人としての名誉も投げうって‘悔いのないほど至高なものなのだろうか。 その疑問は,つまるところ,アントニーが自らを,そしてクレオパトラへ の恋を,どう規定するか−すなわち,名誉を重んじるローマ的自己をよ しとするか,それともクレオパトラから離れられないエジプト的自己を是 とするか−にかかっているのではないだろうか○シーザーとの戦いに 勝てば,アントニーにはその二つを矛盾なく両立させる可能‘性があったか もしれない。しかし,敗北は決定的となる。そして,アントニー自身の内 部での揺れがおさまり,それを契機として観客達の,アントニーに対する 揺れも急速におさまってゆくのが,第四幕第十四場でアントニーが,クレ オパトラの偽りの死の報告をきかされるところではないかとおもわれる。 そのあたりから,少し詳しく見てゆくことにしよう。 Ⅲ シーザーとの戦いでの敗北を,アントニーはクレオパトラが裏切ったた めと思い,怒り狂う。その怒りを恐れたクレオパトラは,廟に身を隠し, 使いをやって,アントニーに自分の死を伝えさせる。アントニーは言う。 Unarm,Eros.Thelongday'staskisdone, Andwemustsleep. (IV.xiv.35-36) このセリフは,一瞬前のアントニー自身の,雲の形の不安定さに自らの希 薄で不確かなアイデンティティをなぞらえるセリフ(IV.xiv.2-14)と は全く異なった確固たる響きを持っている。そして,イアロスを退らせる とアントニーはこう独白する。

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56 シェイクスピア劇における二つの転倒の意味について Iwillo'ertakethee,Cleopatra,and Weepformypardon.Soitmustbe,fornow Alllengthistorture;sincethetorchisout, Liedown,andstraynofarther.Nowalllabour Marswhatitdoes;yea,veryforceentangles Itselfwithstrength・Sealthen,andallisdone. Eros1-Icome,myqueen−Eros1Stayforme、 Wheresoulsdocouchonflowers,we'llhandinhand, Andwithoursprightlyportmaketheghostsgaze: DidoandherAeneasshallwanttroops, Andallthehauntbeours. (1V.xiv,44-54) 最後の四行は,リアがコーディーリアと共に牢獄に行く時のセリフ(V. iii、9−17)とよく似て,俗世を捨てたところにある幸福のヴィジョンを 示している。クレオパトラの死を知った時の,アントニーのこの瞬時の反 応は,彼が自分にとって,もっとも大切なものを,今こそ決定的に悟った ことを示しているように思われる。そして,アントニーは,イアロスに自 分を刺し殺すことを命じ,彼が自刃してしまう−Erosという名を持っ たこの従者はまるで恋人達の先導者のように二人の死に先立つ−と,自 らも剣の上に身を投げかける。ところが,手際が悪く失敗してしまう。こ の失敗は,粉本であるプルタークにおいても全く同じであるものの,シェ イクスピアが描き上げたアントニー像の源泉はここかもしれないと思わせ るほどのものである。というのは,この失敗は,実にローマ的武人として のアントニーの不完全さを象徴するようなエピソードである一方,この失 敗によってこそ,アントニーには,クレオパトラとの最後の会見が可能に なるからだ。さて,アントニーは,衛兵を呼んでとどめを頼むが,彼らは 逃げ散ってしまう。そこへ,クレオパトラから使いが来,アントニーは,

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川 本 真 由 子 5 7 彼女のもとへ自分を担いで行かせる◎クレオパトラは,シーザーの捕虜に

なることを恐れて,廟の門は開けず,かわりに廟の窓の所に姿を現わし,

そこへアントニーを引き上げさせる。 クレオパトラの死の報告は虚構であったが,その虚構によって,アント ニーは,自分にとって最も大切なものを知り,ひいては自分自身というも

のをついに把握するのではないか。悲しむ衛兵達にアントニーは,言う。

Nay,goodmyfellows,donotpleasesharpfate Tograceitwithyoursorrows・Bidthatwelcome Whichcomestopunishus,andwepunishit, Seemingtobearitlightly. (IV・xiv.135-138) グロスター伯は,自らの虚構の死を経験したことで,一つの悟りに達する

ように思える。アントニーの自己認識への最終的な引金をひくのは,クレ

オパトラの虚構の死なのではないか。『リア王」においては,グロスター

伯が,一度,倒れることによって精神的な高みへ上がることを,エドガー

の,ドーヴァーの崖の美しい描写と,グロスター伯の動作が示唆していた。 ここでは,観客は,アントニーが剣の上に倒れるのを見,それを発見した

衛兵が,"Thestarisfallen."(IV.xiv、106)と言うのを聞き,次には,

彼が,クレオパトラー"easternstar"(V.ii.307)−のいる廟へ,

徐々に引き上げられてゆくのを見る。観客はそれを見ることで,揺れてい

る振子がついに静止したこと,つまり,アントニーとクレオパトラとの恋 が最終的に何らかの積極的な価値を獲得しつつあることを感じとるのでは

ないだろうか。雲のように混沌として捕え所のなかったアントニーの実体

は,ここに至って一つのくっきりした形を獲得する。その印象は,さらに,

クレオパトラが,アントニーを引き上げたその廟の中で,「ローマ人の流

儀に従い」("afterthehighRomanfashion")(IV.xiv、105-106)

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5 8 シ ェ イ ク ス ピ ア 劇 に お け る 二 つ の 転 倒 の 意 味 に つ い て 名誉ある死を遂げることで強められる。6)アントニーは,衛兵達に, Ihavedonemyworkill,friends.O,makeanend OfwhatIhavebegun. (1V.xiv.105-106) と頼んだが,アントニーが始めた仕事一自己規定一が,"peerless" loversとして相補的なアイデンティティを持つクレオパトラに受け継が れ完遂されるのだということを,二人が廟の窓の所で出会うありさまを見 ることで,観客は感じとるのではないだろうか。 グロスター伯は,倒れることで−いわば虚構の死を経験することで− 再び起き上がり,忍耐強く生きてゆく覚悟をかためる。一方,アントニー は,クレオパトラの虚構の死によって,自己のアイデンティティを把握し, そしてまた,瀕死のアントニーに会うことによって,クレオパトラは彼が 発見したこと−二人にとって,お互いがそれぞれの存在理由なのだとい うこと−を受け継ぎ,それを表現する行為を遂行する勇気を得る。グロ スター伯はこの世に耐える覚‘悟をかため,アントニーとクレオパトラはこ の世を捨てる覚悟をする。方向は確かに逆なのだが,人物達が,自分にとっ て,何か非常に大切なものを悟る−あるいは混沌とした自らの生に何か 形を,自己規定を与えると言ってもよいだろう−上で,虚構あるいは演 技というものがきっかけとなる点は共通している。これは,あるいは,シェ イクスピアの,演技や虚構の力への信頼を物語るものかもしれない。そし 6)粉本であるプルタークにおいては,"thetombeormonument"にアン トニーを引き上げるのは同じなのだが,クレオパトラは悲しみのあまり病にか かり,回復し,そしてシーザーの許可を得てアントニーの葬られた"tombe" に墓参し,そこで死ぬことになっている。シェイクスピアにおいては,物事が より迅速にされている感がある。GeoffreyBullough,Na〃α抑eα凡d DramaticSourcesofS加ノzespeare(London:RoutledgeandKegan Paul,1964),pp.309-316.

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川 本 真 由 子 5 9 て,人物達がその‘悟りを確立する経緯が,人物達が倒れて,また起き上が る と い う 一 ア ン ト ニ ー は 起 き 上 る の で な く 吊 り 上 げ ら れ る の だ が − 舞台上の身体的な感覚によって表現されるという手法もまた,共通してい る。両場面とも,人間の肉体のみじめさと同時に,肉体を超える精神の高 みとでもいったものを,観客に印象づけるのではないか。グロスター伯は, 世俗的な観点からすれば,運命の車の最下部にいるが,エドガーの演技と, 自らの虚構の死によって,世界劇場の一役者として,不平を言わずに行き 抜く決意をする。アントニーも,同じく,世俗的な面では戦いに負け,権 力を失って,どん底の状態にいるが,クレオパトラの死の虚報によって, ついに自分自身を把握する。アントニーとは何者であるか。劇の冒頭から の長い探索の旅が,ここで,アントニーにとっても,観客にとっても終る ように思われる。演劇の醍醐味の一つは,おそらく,実人生では定着の困 難な,はっきりしたアイデンティティの感覚が,人物達と共に劇のアクショ ンを経験してゆくうちに,そして人物達に対する数々の解釈を楽しんだ後 に,ついに与えられるからであろう。「アントニーとクレオパトラ」は, 現実におけるように,人物についての複数の解釈を我々に経験させる,ま さにその点で,人生と虚構との深い類似を我々に示唆しているとも言える。 何故なら,我々が現実だと考えているものも,我々なりの世界の一解釈に すぎず,我々はその時々の自分の実体だと考えるものに従って役を演じて いる,世界劇場の役者にすぎないかもしれないからだ。終幕,アントニー の実体に関する,絶えざる認識の揺れを経験した後だからこそ,観客は快 い満足感と共にクレオパトラに耳を傾ける。彼女の夢想一一つの虚構一 の中で,そして観客の想像力の中で,アントニーはもはや不透明ではない。 Hisfacewasastheheavens,andthereinstuck Asunandmoon,whichkepttheircourseandlighted ThelittleOo'th'earth. Hislegsbestridtheocean;hisrearedarm

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60 シ ェ イ ク ス ピ ア 劇 に お け る 二 つ の 転 倒 の 意 味 に つ い て

Crestedtheworld;hisvoicewaspropertied Asallthetunedspheres,andthattofriends...

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