Title
伊平屋島の念仏歌謡について
Author(s)
屋嘉, 宗克
Citation
沖大論叢 = OKIDAI RONSO, 5(1): 105-110
Issue Date
1964-08-01
URL
http://hdl.handle.net/20.500.12001/10806
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}九六二年九月十二日より八日間、伊平屋島の学術調査の探訪をおこなったが、地理的条件に恵まれず中央との文化交流が 疎遠がちのため、沖縄本島においては消減しようとしているものが、僻地としての地理的隔離によって殆んど、原型のま h 保 存されているのが多く、研究資料となるべきものが数多く埋蔵されている。念仏歌謡についても、沖縄本島や伊平屋島でさえ 継承されずに、まさに.洩誠にひんしている一つであろう。 念仏歌謡は﹁継子念仏﹂・﹁親の御恩念仏﹂・﹁仲順流れ﹂の三つがあり、特に、 幸信(歌﹀・石川忠男(三味線伴奏﹀の両氏の協力を得て、テープ・レコーダーに集録する ζ と が 出 来 た 。 ﹁'桃子念仏﹂については、同名区の西江 い ま こ h で 、 ー寸 継 子念仏﹂・﹁親の御恩念仏﹂の二つについて歌調を紹介すると、 継 子 念 仏 なみあみだぶとき みだぶとき 五つぬとちにははむどて ( やl
い ) 七つになたくとうむわりて ︿ た し が ﹀ みぐりしも しまじまくにぐに わがうゃにる人 ついんをらん一
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五うりからよいよい ちょんざぬうふすめ まじまてうふすめ ぬがよあてなしぬ わがよゆしむしゃ 五つぬとしに 七つになたぐと しまじまくにぐに わがうゃにる人 たんでうふすめ わがうやまどにや ( 七 夕 ﹀ 七 月 七 日 な か ぬ と か ぐそぬ a七じょん く ら ぐ い た も せ に ひぎりのすでし にじりぬすでから ぬがよあんまよ ぬがよかなし子
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六 むどるみち はいいちゃて むぬよたぬま わんゆしむ びちゃあらん ははむどて うびんゲち ( た し が ) みぐりども ちゆいをらん わうやみしり うがまらん ひらちめん ちりためて うしかくち ちゆみうがで うまにめる うまにちよるわぬんあんまと ぬがしかなし子 くぬどるちちぐが ままうやびれぬ たんであんまと やしるなかぐに しぢさちをいが うちゃとのはちばち はべるになてち あけじゅになてち うりるあんまが あ!なむあみだぷとち ︿ ら V ちゆみちなし ( ね ﹀ あにいゆが ははとめて なやびらん ( ら ) ちゆみちなち なてをとて なてくれば ( よ ) まちてくれ うきとゅん うきとゅん こ う ζ うになゆる ζ の念仏歌謡は、長者の大主前(阿弥陀如来のこと﹀ みだぼとち 父 親 御 の の 御 御 恩 恩 や 親 や 深 e爪 山 し り 高 も " 御 さ の 恩 念 仏 母御の御恩や海深さ -子・死んだ母と三名が登場し、戯曲化したものである。
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八 山の高さやさとららん 海の深さやさとららん 経一や父御が股の上に、扇の風しあふがりて 夜や母御の懐に、十重さび八重さび 衣が中替ゆる毎に子寝して 濡れとる方にや母が寝て 全腰濡れれば胸ぬ上に うり程親に思はれて 親の御恩や今知らん 十ゆい二十んなてをてん 我が教方拝まって 夜ざちが明ればしぢに立ち 日もとに下りば辻にまち まっかにまつりばまちちらん あさぢの山ん押し別けて あさぢの山まで行て見れば 一しぢむいたや墓じるし 野原のちかゃに宿とやい 昨 由 民 の 夜 中 に 夢 拝 でかなし我親のいめんでい うづでてさぐりば親話し 父呼び母呼で声すれば 声するものや山彦の 響きよる方に寄てみれば 二度胸に聞かさりて うり程浅し事のある うれからもとに戻て来 父御が手近さと取ひ尋ぢ 母御が年並取並て うりんち涙ややしまらん 涙や袖さに押ぬぐて うりから親の後ともる ζ の念仏歌謡は、対句法によって表現され、親の御思というものがいかなるものか、どうしなければならないか、という意 を含んでいる。伊平屋島においては、洗骨焼香の場合と三十三年忌の終り焼香が済んだ自に、 仏に申しのべ、乙れは仏に対する孝道と称しいままでも遺存されている。凡そ百年程前までは旧七月の孟蘭盆に三名ぐらいの ﹁継子念仏﹂・﹁親の御恩﹂を ︿西江幸治氏談) 沖縄のお盆祭と七月エイサ l の行事とは密接な関係があり、念仏歌謡も仏教音楽からの影響をうけ、仏教音楽が宗教的儀式 的性格から娯楽的方面へ推移するとともに民芸化するに到ったと考察できるのである。 グループで各戸を廻って、念仏を行っていたが現在では廃止されている。
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九一 一