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William Wordsworthの memoryに関する一考察

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Academic year: 2021

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(1)William WOrdswOrth の memory に関す る一 考察 添. 透. 田. I. William WOrdswOrthの 作品の多 くは memoryと imaginationに よる rec_ ollectiOnと restOrationを. 主題 に してい るとい えよう。そ こに描かれてい る. 世界は例 えば子供達の心 と経験その ものではな くて,“ The child is father of the Man"の 内容 を知 ってお り,知 ってい るが故 に過去 の経験 の中か ら ,. 過去 と現在 を混合す る一つ の 宙sionを もた らす ことので きる大人 の詩人 の 想像力によって理想化 された経験 なのである。Wordswotthの mindに つい て次 のような詩行がある。. A tranquillizing spirit presses now. On my cOrporeal frame:so wide appears The vacancy between me and thOse days, Which yet have such self_presence in my nlind, That, sOmetimes,when l think Of it, I seem Two cOnsciOusnesses, conscious of myself l). And Of sOme Other Being。. 1)Eo de SehncOurt, ed。 , Stephen Gill,cOr。 ,Tん ι P″ Jπ グι οr Gttω ″ ん げ α Pοαむ ルfグ ηグ (Text of 1805)(Oxford Un市 ersity Press, 1970), II, 27-33。 以 下 η物 P″ Jα ごι,H,27-33と 略 す 。.

(2) 92. William Wordsworthの memoryに 関する一考察. 上記 詩行 は mindに つ い ての Wordsworthの 考 え を簡潔 に述 べ て い る とい え るが ,詩 人 は ここで 自分 の心 の 中 に imaginationに よって肯定 されて い る現 在 と少年時代 につ い ての二 つの意識 の あ るこ とを認 めて い るこ とが理 解 で き る。時 の経過 と個 人性 の 変化 を認 めてお り,丁 度 Kantの よ うに時間 を しっ ヽ の 中 に位置 づ けて はい るが ,彼 の場合 はあ くまで も時 間 は彼 の支配 か りと′ と 下 にあ り,主 役 とはな って い な い。. Wordsworthは 宙sualな. sense‐ impressionを. 通 して得 た もの を memOry. To a Highland Girl"の 中で memOryに つ い の 中 に貯 えた のだが ,例 えば “ て次 の よ うに述 べ て い る。. In spots like these lt ls We prlze 2). Our Memory, feel that she hath eyes:. Lomond湖 へ 降 りる途 中 の 山道 で Wordsworthが 1803年 に出会 った少女 は. ,. い わば一種 の女性美 の典型 であ った ともい われて い るが ,詩 人 の この少女 の 美 に対 す る感受性 が尋常 一様 の もので ない ことを悟 り得 る。 そ の ことは後年 ¨.and now, の 彼 の 言 葉 か ら も明 瞭 で あ る。 彼 は1843年 Io Fenwickに “ approaching on the close of my 73rd year, I have a mOst vivid remenl¨ 3). brance of her and the beautiful obieCtS With which she was surrounded。. ''. とい った。 これ は73歳 の 老 翁 が 40年 前 に 見 た一 少 女 の 美 しさ を鮮 明 に記憶 し impas… ていたことを示すが,そ れはこの少女が Walter H.Paterの い う “. an im_ 説している“ JOned contemphd』 "の 対 ,Wordsworthも 力 象であり passion'd sighi"に 他な らなかったからであろう。 このように Wordsworth. 2)“ To a Highland Girl",66-67.. 3)E.de Selincourt&H.Darbishire,ed.,7耽. ι ι ι Jε α. scプ. JJグ. απ. `Pο "brた 以 下"朽P7Z ο″ん (Oxford:At the Clarendon Press,1946),HI,p.444。. “ 444と 略す。 あη(Macmllan,1910),p.60。 ″″ 4)Walter Pater,4″ ″ε 5)Cfo P″ ルε οLyrづ J Bα J″ ム `ι “ .. r`お ‐. "ら IH,p..

(3) 添. 田. 93. 透. の memoryの 対 象 は歓 び,永 遠性 ,普 遍性 ,崇 高性 を伴 って い る こ とが 多 い。 同 じく老猟大係 につい ての詩. Sグ. ποηLθ ιにつ い て も詩人 は I.Fenwick. I have, after an interval of 45 years, the ilnage of the old man as に “ 6). fresh before my eyes as if l had seen hiln yesterday.". と述 べ てその rnenl‐. oryの 力強 さを示 して い る。. Wordsworthは あ る光 景 を作 詩 の対 象 とす る場 合 ,そ の 光 景 を memOry の 中で考 え,今 浮か び出たその光景 と,そ れ につ い ての過去 の経験 とを比 較 し,つ い には彼 の脳 裏 にその 光景 につ い てのあ る imageを 焼 き付 け,や が てその imageが 詩 の持 つ 鮮 やか さを得 るまでその内容 を考 えた ので あ った。 そ の場合 sense impressionの もた らす残像 は心 に残 るが 事実 の残像 は存在 し得 な いの で あ る。. Wordsworthの memoryの 中 で最 も重要 な もの は 宙sionaryで mysticalな 7). spots of time"で ある。 これは詩人 Wordsworthを 育 てた 経験 ともいえる “. 大 きな要素 の一つである諸 々の感情及 び意識 を生み出 した神秘的経験 であっ て,原 経験 に湖 りある特定 の 日時や季節,事 件 を記 されることか ら始 まるこ とが 多 い。memoryの 中の原経験が,脳 裏 に再 現す る場合 は,imagination によって変容 されてい るが,同 時 に “ spots of timざ 'と なったそのような経 験 は imaginationの 栄養 源 と もな って い るのであ る。 この こ とにつ い て. James Scogginsは 次 のようにい っている。. .¨. the poet carries from each incident one of those ``spots of tilne". that remain to feed the. ilnagination when the neeting moments of. 8). VlSlOn haVe passed。. 6)P7ワ ス IV,pp.412-13. 7)7耽 ιPrcJπ ごら XI,258. 8)Jarrles scoggins, Iπ 4gグ ηα′ οη グ Press,1966),p.117.. &屁. 2η. り (Lincoln:University of Nebraska.

(4) 94. William Wordsworthの memoryに 関する一考察. なお ,以 下 の 詩行 は imaginationに よる memOryの 内容 の 変容 を如 実 に示 し て い る。. Of these and other kindred nOtices l cannot say what portion is in truth The naked reconection of that tilne,. And what may rather have been can'd to life 9). By after_Ineditation。. 一 般 的 に は 1799年 以 後 ,こ の Wordswo貢. hの 詩 心 の 支 え に な っ て い た. spots of timざ 'を 彼 が意識 す るこ とは次 第 に希 にな り,汎 神 論的人 生 観 に “. 安住 し得 な くな って い くとい われて い るが ,た だ これ に対 して は Edith C. Bathoの よ うに Wordsworthの 偉 大 な時期 は1797か ら1815年 迄続 くとい う 意見 もあ る。. Wordsworthの memoryに は “tenacious"の 形容 語が つ くほ ど強 い もの だ が ,彼 の 詩 の 理 論 と実践 とに 関係 が あ る こ とはす ぐ理 解 で きる。彼 の場 合 ん qル ル πω ffο 鯉「(1835)の よ うな秀 れ んιDθ αι οη ″ροη ι Ettθ ηクο″ 亜 り猛 グ た即興 的作 品 もあ るが ,他 の即 興詩 は総行 数 151行 にす ぎず ,即 興的 に書 く とい うの は Wordsworthの 方法 で はなか った。 J.Co Smithは Wordsworth θにあ る よ うに対 象 を即座 に詩 にす ることはせず が Pにたε. (出. 来ず),例 えば. 弟 Johnの 難船 の 時 の よ うに,そ の悲 しみ を詩 にす るこ とを試 みた に も拘 わ らず 出来 なか った のだ と し詩人 の次 の言葉 を引用 して い る。. I began to give vent to my feelings in a poem;but l was over■ owed by my subiect,and could not proceed.I composed much,but it is an 10st except a few lines, as it came frOm me in such a torrent that I. 9)7■. `Pr`′. αグら III,644-48。. ,.

(5) 添. 田. 透. was unable tO remember it。. memoryへ の沈潜が な され なか った もの は詩 にはな らない ことが伺 える。 また WordswOrthは Walter Scottが 鉛筆 とノ ー トを持 って戸外 に行 き. ,. 自然 の魅力 の 目録 を作 り,そ の 日録 を作 品 に して い る と責 めた こ とが あ る。. Wordsworthは 見 た もの を heartの 中 に入 れてお き,後 に memoryに 質問す べ きだ とい うの だ。 そ うす れば accidentalな ものが 消 え去 り,memOryに 残 る ものは そ の場面 の idealで essentialな 真実 のみで あ る とい うので あ る。 こ ιの 定義 に従 い 実践 した経験 か らの総括 で あ ろ う。 Words‐ れ は あ の P筏 ルε. worth自 身 は対 象 か ら受 けた sense impressionを 一旦無意識 のいわ ば深 い 井戸 に沈 ませ ,あ る時 間 の経 過 を経 て memOryに 問 い か け,あ る連 想 に よ って再 び表 面 に浮 か び上が らせ るので あ る。 そ こに は imaginationに よる transformatiOnが 行 なわれて い るこ とは当然 で あ る。 今 imaginationと. memOryの 関係 を説 くにあ た って Poems Of the lmag‐. inationの 範 疇 に入 って い る “ To the Cuck00". ResolutiOn and lnde¨ と “. pendencざ 'を 対 象 に と りあげ てみ よ う。WOrdsworthは この範疇 に入 る51の 詩 にお い て全 般 的 に生 命 の永遠 なる要素 を解説す ることと,誰 にで も理解 さ れ る言語 を使 う ことに成功 した とい え よ う し,さ らには この一 連 の詩 の テ ー マ は死 と悲 しみの変形 を伴 って一 時的 なる もの と永遠 なる もの との融合 で あ るこ とが理解 され る。. To the Cuck00"は 1802年 3月 23日 ∼26日 に作 られた詩であるが さて “. ,. My heart leaps uゴ ち さらに数 日遅れて執筆が開始 され 同年 3月 26日 には “. ,. My heart leaps up"の ―部 を epigraphに した “ “ Immortality Ode"(お よび 2じ ιP″ Jπ ル. の第 Iと 第Ⅱ巻)と い う作詩上の連続は,明 らかに彼の幼年時代. か ら青年時代 にか けての 自然 に対する神秘的感覚 の喪失 についての彼 の意識 が,青 年期か ら壮年期時代へ と個人的同一性 についての完全なる調和 に対す 10)Jo Co Smith,4 Sι πの りβ ωοπん (London,01市 "br`ぉ 17.. er&BOyd LTD,1944),p..

(6) 96. William Wordsworthの memoryに 関する一考察. る信念 よ りも重 きを置 き始 めた こ とを示 して い る とい え よ う。 この作 品 を一 口で い えば cuckOoを 神 秘 の 象徴 として しか把握 で きな い大人 となった今. ,. cuckooを 神 秘 そ の もの と把握 し得 た子供 時代 を懐 しむ詩 ,換 言す れ ば詩 が 表 わ し得 ない真実 の世界 を求 めた作 品 の一つ と考 える こ とがで きる。 肉体 を 伴 わ な い cuck00の 声 は現世 的 な時や場所 の所属物 とはな らない。詩人 が聴 い て い る 日に見 えな い鳥 の声 を,子 供時代 に聴 い たの と同 じもので あ る とい うこ とを認 め るこ とは immortalityの intimationで あ る。子供 の 頃 の経験 が 持 つ 意 味 は memOryの 中 で 回復 で きる。 そ して 回復 した もの と共 に子供 時 代 の 中 に埋 め られて い た power Of wonderが や って来 る。特 に彼 の場合. ,. memoryと imaginationに よ りもた らされ る もの は何 も失 われて い な い とい って も過言 で はな い。 さらに詩 に沿 って述 べ てみれば,無 意識 の 中 に強 く印 g01den timざ 'に 聞 い た cuckooの 声 が ,32歳 の 象 づ け られ た少 年 時代即 “. Wordswo■hの 耳 に響 い た cuckooの 声 を契機 に甦 え り,そ こか ら神性 の啓 gOlden time"を 再 び生 じる ことがで き,そ の結果彼 が 示 とす る少 年時代即 “ 歩 む大地が非物 質的 な幻想 の場 とな って再 び現 われ る とす るのであ る。 そ し an unsubstantial,faery place"こ そ,cuckOoの よ うな mem_ て この よ うな “ nt hOme for Thee!" Oryと imaginationの 世界 の 鳥が棲 むのにふ さわ しい所 “. primary imaginationは 混乱 した種 々の sensationsを と断定す るので あ る。。 一 つ の unitに 溶 合 し,poetic facultyで あ る secondary imaginationは. memoryに 固定 されて い た オ リジナ ル な経験 を豊 か に して,memoryの 一 部 とな って い た経験 を詩 へ と昇化 さす ので あ る。 ResolutiOn and lndependence"を 次に “. 通 して詩人 の原体験 と作 品 の 関係. ,. そ してそ こにお け る memoryと imaginationの 役害Jに つ いて さらに述 べ て行 きた い。 この作 品 は Wordsworthの 詩 の 中心 的 テ ーマ の一 つ で あ る天 国 と 人間界 の対照 と融合 をよ く表 わ して い る人生詩であ る。 そ こには信仰 と忍耐 に よって人 は外 的環境 か ら免 れ うる とい う詩人 の 強 い信念 が見受 け られ,家 11)“ To the Cuckoo'',31.. 12)Iわ Jご 。 ,32..

(7) 添. 田. 透. の な い蛭 と りは神 の加護 の もとで安全 で あ り,地 上 的希望 を持 って い るため に不安 で あ る地上 的詩人 を辱 め る。. Wordsworth達 が蛭 と りの老人 と出会 った の は1800年 9月. 26日 だが ,こ の. 詩 は1802年 5月 3日 に書 き始 め られ , 7月 4日 に完成 して い る。J.Co Smith は Dorothyの 日記 にあ る現 実 の 出来事 と作 品 を比較 して い るが ,事 実 多 く の細 か い 内容 は消 されて い る一方で ,こ の作 品 に とって典型 的 で基 本 的 な真. body extreme old age",“sable orbs",非 常 な苦痛 の圧迫 に よる “ 実であ る “ bent double",Scotland地 方 の “ stately speech"は 確 か に保存 されて い る。 そ して時 間,場 所 ,環 境 とい った背景 は完全 に変 え られて い るこ とに気付 く。 例 えば Smithに よれ ば,作 品 で は老 人 と出会 った1800年 9月 26日 に Words…. worthは 意気消沈 の状態 にあ った と詩 にはあ るが ,そ の よ うに想像す る理 由 が な く,ア ヘ ンの習慣 に悩 む Coleridgeと の 関係 もあ り,作 詩 中 の1802年. 5. 月 には dejectedの 状態 で あ った とす る。 だ とす れば Coleridgeの 失意 の状態 に影響 されて帰宅 した Wordsworthは inationを. ,memoryの 中 の元気 な 自分 を imag‐ 通 して現 実 とオ ーバ ー ラ ップ させ ,逆 境 ,不 幸 の 中 で の lrmness. の象徴 と して ,老 い た蛭 と りの姿 を描 い たの だ と考 え られ る。Wordsworth は 自己 の visionary powerと い お うか imaginationを 刺激す るよ うな setting の 中 に,こ の老 人 を設 定す る迄 は作詩が行 なえなか った ので あ る。memOry の 中 に 固定 されて い た経験 が ,imaginationの 不必要 な もの を取 り除 くとい う選択 と transformatiOnを 経 て ,詩 的真実 と して詩 中 の存在 となるのであ る。. Stepping Westward" 次 に imaginationの 働 きが強 い 作 品 の一 つ で あ る “ What,you are stepping を見 て い こ う。 この作 品 は動機 的直接経験 で あ る “. westwardl"と ぃ ぅ挨拶 が ,Wordsworthに い か な る内面 的経験 を与 えたか を,さ らにはその一時的な挨拶 が詩心 を永遠 へ と広 げ て い くそ の顕現 の過程 を述 べ た もので あ る。 1803年 9月 11日 に い わば直接経 験 と して詩 人 の心 の琴 線 に触 れ た挨拶 が 13)Jo Co Smith,pp。 18-20。 14)“ Stepping Westward'', 1..

(8) 98. William WOrdsworthの memoryに 関する一考察. memoryの 中か ら呼 び戻 され た ときは,そ の環境 を背 景 と して WordswOrth の心 の 中で,悲 観 的表現 か ら楽観 的表現 へ とい わば 自己説得 的 な発展 へ と進 んだ詩的情緒 を呼 び起 こ したが , この情緒 と輻湊す るのが そ の イ メ ー ジを中 ヽと して,そ の 2年 後 の1805年 2月 2日 に起 こ った弟 Johnの 死 とい う悲 し ′ 亡 い事件 に よって人 間的 自我 の 世界 を含 む よ うにな り,死 の もた らす哲学 的 自 我主義 とい う思考原理 の破壊 のため,人 間 の 中 に よ り大 きな愛 を認識す る と い う心 的展 開 で あ る。 そ して この新 しい 内的世界 を詩人 は 4カ 月後 の1805年 6月 3日 に “ Stepping Westward"と い う詩 の世界 の 中で展 開 したのであ っ. ResolutiOn and lndependence"に 見受 け られた天国 と人 間界 た。 ここに も “ の対照 と融 合 とい う関係 が ,種 々変化 に富 んだ含畜 の あ る底流 を成 して い る こ とに気付 く。 この 詩 の特 質 は, 日常 の挨拶 が. memOryに 貯 え られ るほ ど. 強 く sense impressionの 対 象 とな り,や が て imaginationに ゆだね られ る に至 った過程 とその結果 にあ る。 以 上 は短 篇 を中心 に述 べ て 来 た が ,次 に Lyrグ ε αJ Bα J滋 ごsを 代 表 す る. Tintem Abbey"と “. Pο θ πs,グ η. ■υοttJzπ ω を代 表 す る “ ImmOrtality. Ode"に お ける memOryに つ い て少 し述 べ てみた い。 Tintern Abbey"に お い ての memoryは ,確 立 された imaginationと 相 互 “ 作用 しなが ら,過 ぎて い く瞬 間につ い ての 印象 と合体 し,そ の 印象 を広 げ る のみ な らず ,時 間 の継続 の 中 に,過 去 と現在 とを一 種 の不 同 の 中 の類似 と し て融合 す る力 とい え よ う。“ The picture of the mind revives again."は 正 に 上 記 の現在 の 中 に過 去 を蘇生 させ る この memoryの 力 を述 べ て い るが ,こ こか ら “ Tintem Abbey"に お け る memOryの 機 能 は「再構成」 の要素 の強 い もので あ るこ とを知 る こ とがで きる。換言 す れ ば “ Tintern Abbey"に お い て は WOrdswOrthに とって 眼前 の風 景 に付 随す る過 去 の感情 と,そ の風 景 に対 して抱 い て い た過去 の 宙sionは ,現 在 を認識す る とい う行為 の 中で. ,. 全体 の一 部 と して, さらには生産す る力 と して絶対必要 な もの と して mem¨. 15)“ Tintern Abbey",61..

(9) 添. 田. 透. ImmOrtality Ode"に お け oryに よって取 り戻 されてい るとい えよう。一方 “ The things which l have seen l now can see no more."と る“. い う表現 は. ,. Tintern Abbey"の 立場か らすれば,詩 人 と自然 との関係 が途切れた ことを “ 意味す る ともい えようし,一 般的 memOryか ら見れば,memoryの 失敗 と いお うか,過 去 との結 びつ きを回復する力 を欠いてい る状態 を示す もの とい. Tintern Abbey"の ImmOrtality Ode"で の memoryは “ えよう。 となれば “ 中で示 した再構成 の役割 を呆た してい るとはい えず,詩 人に喪失感 を意識 さ す機能 として役立 つのみ とい うことになる。普通 の memoryは mortalな 現 世的過去 についての知識 を再構成で きるが,“ Immortality Ode"の 場合 は導 入 された前生説 にお ける誕生 とい う永遠 と有限 との分離 によって,memOry は我 々の前生の状態 を明確 に知覚 で きない。 この場合 は S.Mo Sperryも い wild eyeぎ 'の 光 の 中 うように,“ Tintern Abbey"の 風景 とか Dorothyの “. に Wordsworthが 発見 したような過去 を再構成で きない し,む しろ決 して 復活 されない過去 の存在 を暗示 ,公 表す るといお うか,あ る意味では証明す るために働 くもの となる。 ここに二 つ の過去 につい ての二つの memoryの. Tintem Abbeプ 存在 とい う意識 がでて くる。即 ち “. に見 られるような家庭. 的な養 い母である自然 と過 ご した生活や経験 であって,時 間の中に埋 まって い るが,間 隔を経 て蘇生 し,回 復す る現世的な過去,並 びにそれについての. memoryと. ,“ ImmOrtality. Ode"に 見 られるような永遠なるものに包含 され. た一つの時であ り,誕 生の時 に作 られた永遠 と現世 の間の切れ 日のために知 覚 で きず,た だ死 に向か う過程 で我 々か ら遠の くぼんや りとした もの として 感 じられる先験的な過去,並 びにそれに関係す る memoryで ある。 ただこ の後者 の memoryは 現在 と,忘 れ られた過去 との間の子供時代 とい う中間 的過去 を把握 してお り,詩 人 はこの memoryに よって,か つ て は永遠 の状 態 を呼び戻す ことがで きたとい う経験 を記憶 してお り,そ の経験 を回想する 16)“ Immortality Ode",9.. 17)S.Mo Sperry,“ Frorn η η″. `r22. the Function of MemOry,'' rhθ. 4わ ら. `γ. グ 。ηs(9ごι:Wordsworth to the rη ι%α ι Cグ π′ ら I,No。 2(1970),p.43。. κ グsω ο″ん. "ら. J′. and.

(10) 100. William WOrdsworthの memoryに 関する一考察. こ とがで きるので あ る。そ してそ の結果 ,memOryは 過去 よ り生 きる喜 び を 得 て ,精 神 的危機 を回避す る役割 を果 たす ので あ る。人間 の永遠 の過去 との 結 びつ きの 強 い一 種 の想像 的 ,通 知即 ち予告 的色彩 の あ る役割 が強 い mem¨ oryと い えよ う。 二 つ の詩 にお い て,WordswOrthは 自然 の栄光 を失 うか. ,. そ の恐 れ を抱 い た とき,彼 は栄 光 に 肖る初期 の 自我 につ い ての memoryの 働 きに よって 慰 め られ た こ とは事 実 で あ る。 ただそ れ は memOryの 中 に把 握 された場面 と,そ の場面 につ い ての詩人の新鮮 な印 象 が合 体 した ときに可 能 で あ る とい え よ う。. Ⅱ. 心 理学 で は memOryと は 最 も広 い 意味 で は学 習 と呼 ばれ る概 念 にほぼ近 いが ,狭 い意味 で は,あ る期 間保持 された過去 の経験 を,既 知感情 を伴 って 再現す る過程 ,そ の 内容 , また はその機能 をい う。論理 的 には第 1に そ の経 験 が生 体 に記録 されて い なけれ ば memOryは 起 こ らな い。 この経験 の 記録 を記銘 といい,記 銘 された経験 が想起 され るため には,生 体 の 中 になん らか の形 でそれが貯蔵 されて い なけれ ばな らず ,そ れ を記憶痕跡 と呼 ぶ。第 2に 記銘 された記憶痕跡 は想起 され る時点 まで存 在 して い る必 要が あ り,こ れ を 保持 とい う。第 3に 元 の経験 が必 要 に応 じて想起 され,再 現 され るこ とに よ って ,生 体 に とっての memoryの 適応 的 な意義 が達成 され る。 想起 は必 要 な経験 の呼 び戻 しであ るので , これ は検索 とも呼 ばれてい る。 この よ うに記 銘 ,保 持 ,検 索 は memOryの 働 く過程 を構 成 す る三 つ の 時 間的 な様 態 で あ 「は保持期 間中 の記憶痕跡 の変化 だ けで な く,検 索 の失敗 によって も り,忘 去 起 る, と説明 されて い る。 科学 的心理学 の範疇 で は解釈 し難 いの が Words¨. worthの memoryで は あ るが ,い ま彼 の態 度 に敢 えて心 理学 用 語 を充 当 し てみ る と,「 過去 に経験 した事物 を熟知感 を もって認知す る」 とい う「再認」. 18)添 田透「Wo Wordsworth,レ πο″αJJり 文学研究』,23号 (1987),参 照。. 0グ. `へ. の一つの接近」「甲南女子大学英.

(11) 添. 田. 101. 透. とい う言葉 が ふ さわ しく,特 に手掛 か りが悪 くて もそれ を再現 出来 ,そ の像 は刺激 が消去 後 わ ず か しか持続 しな い 「残像」 で はな く,「 直観像」 が あ て は まる。本来 これ は11歳 ∼12歳 頃迄 の年少児 に現 われやす いが ,素 質 に よっ て 強 く左右 され ,希 には成人後 も非常 に強 い直観像 が保持 され,超 人的記憶 力 と誤 られ る こ とが あ る とい われて い る。 これ を memOryの 種類 か ら見 れ ば,Henri Bergsonの 著名 な類別 に よる と,imageか ら成 る純粋記憶 で あ る 表象 的記憶 に属す る とい え よ う。 また どの よ うな種類 の記憶心像 が再生 され やす い か とい う問題 は個 人差が あ るが ,Wordsworthの 場合 は視覚型 ,聴 覚 型 と もい われ る言語心像 型 とい う言語 的記号 と して の imageを 思 い 浮 か べ る こ とが 出来 る し,時 には事物心像 型 とい う具体 的 な事物 の imageを 思 い 浮 かべ るこ ともあ る。Wordsworthの 場合 ,追 憶 が行 なわれ るのであ るが. ,. 通常 この心 的行動 はほぼ 1歳 半 ∼ 2歳 頃迄湖 ることが出来 る とい われて い る ものの,極 く希 で あ り,ま た非常 に強 い情緒 的経験 に限 られ る とい うのが科 学 的範疇 にお け る追憶 なのだが ,“ ImmOrtality Odざ 'に お け る memOryの 特 質 とは関係 があ るよ うに も思 われ る。 一 方 ChristOpher Salves2は Wordsworthの て,. memoryの 根本的機 能 とし. i)感 覚 に よる受容 の力 を再生 し,補 い,拡 げ る力 であ り,時 間的連続. につ いての殆 ん ど肉体 的感覚 を もた らす力 , 五)詩 的 自我 を絶 えず構成 した り,再 構成す る過程 にお け る中心 的機能 ,面 )現 在 の知覚 の 中で ,生 き生 き とした本質的要素 と して,過 去 を再 び経験 した い とい う詩人 の要求 に答 える 中心 的機能 , とい う解釈 を与 えて い る。 いづ れ の場合 も,結 局 は過去 の あ る 時 間 の 中か ら現在 に影響 を与 える「何 か」 を体験 す るための機能 で あ り,あ らゆ る疎外感 か らの避難 のため に使用 され る機 能 とい え よ う。 さらに は時 間. ,. 予言能力 の消失 ,衰 退 な どに対 す る防備 的機 能 で あ り,こ の思想が発展 す れ. 19)梅 本尭夫・大山正編著 『心理学へ の招待. :こ ころの科学 を知 る』 (サ イエ ンス社. ,. 1992)及 び『国民百科辞典』 (平 凡社 ,1965),2.参 照。 ″ んむ ι rグSω ο ποη f4駒 πの げ νι ηグsε″ 20)Christopher Salvesen,Tん `cプ `Lα "ら Pο ι ι ッ (University of Nebraska Press,1965),p。 167..

(12) 102 │ゴ. William WOrdswOrthの. memoryに. 関 す る 一 考 察. HarOld B100mの い う「時な らぬ死 に対す る防備」 であるとい うことに. な る。 これ迄 memOryと imaginationの 関係 につ い て は触 れて来 たが. ,. imaginationの 力が衰 えるとい うことは,過 去 のある時間の内倶1か ら,あ る godlike hours"を 選び出 し,再 集成 し,過 ぎ去 った原体験 を現在 に蘇 らせ “. ,. 詩人の喪失感 を償 う充実 した内的世界 をもたらす力が衰えることを意味 し ,. そ うなれ ば memOryの 機能 で ある過去 を現在 にお いて再構成 し充実 させ る 力 も低下することを意味する。 さて Wordsworthの memoryの 対象 の殆 ん どの ものは,結 局 は pleasur_ ableな もので あった とい う意見 があ る。確 かに彼が詩人 として幸福 な人間. であ り,痛 ましい ものよ り楽 しさをもたらす もの を,そ して詩の栄養 となる もの を memOryの 対象 としたために,彼 の memoryは 彼 にとって幸福 の変 らない源であ り,喜 びを高め,悲 しい時 の WOrdsworthを 元気づ ける genu_ ine imagesに 満た された もので あった とい う意見 も,確 かに彼 の memory の資質の一端 を示す もの といえよう。 詩 は見え隠れする対象に対する詩人の我の活動 の結果,心 に印 された記憶 心象 とその再生 とい う詩人の内面的経験 を人 々に経験 させ る芸術 であるとす るな らば,memOryは Wordsworthが 詩人 と して生 き続 けるため に欠 くこ とので きない切実な機能であった ことは確かであろう。. 21)Harold B100m,Pο η αηグ RCPreSSゴ ο″ (Yale UoP.,1967),p.80。 `′ 22)7■ Jπ グら IH,192.. `P″.

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