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欧州における創業支援の新動向 : オランダにおける「起業教育」を例に

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欧州における創業支援の新動向

~オランダにおける「起業教育」を例に~

堀   潔

目   次 はじめに 1.オランダにおける起業政策(entrepreneurship policy)の 10 年 2.なぜ「起業教育」が重要なのか 3.オランダにおける「起業教育」の取り組み 4.Voortijdig schoolverlaten(早期離学者)   ~オランダにおける深刻な若年者問題~ おわりに~オランダでの経験と我が国への示唆~

はじめに

 我が国において、1999 年の中小企業基本法改正以来の我が国の中小企業政策の中心テーマのひ とつは、「創業支援」であった。そして、経済的・社会的背景は大いに異なるが、欧州においても 創業支援策は過去 10 年以上の間、我が国のそれと似たような政策手段をとりながら展開されてき た。しかし、我が国と欧州との創業支援策を比較してみるとき、我が国ではほとんど政策的に関心 が向けられず、欧州でかなり先行していると思われる局面がある。そのうちのひとつが「起業教育 (entrepreneurship education)」に関する政策である。  本稿では、欧州連合のメンバーであるオランダの起業教育に関する近年の動向を振り返りなが ら、我が国の創業支援策、ひいては地域経済活性化への示唆を得たいと考える。主要な論点は以 下のとおりである。 ◦まず、オランダが最近 10 年間に行ってきた創業支援策の歴史を概観する。オランダにおける創 業支援策は、近年では、「起業家精神を身につけるための教育」や「教育と労働市場との接続」 に政策課題の重点を移しつつあるが、その背景に「国際競争力強化の必要性」と「移民問題・ 都市問題の深刻化への対応の必要性」があることを指摘する。 ◦次に、オランダでの起業教育について、どのような考えから何が行われてきたかを概説する。定 期的に調査研究が行われ、問題点の整理とその解決手段の検討、およびその実践が繰り返され ていること、政府、企業社会、教育界の三者の連携が多様な形で進行していることが指摘される。 ◦この関連で、近年のオランダにおける若年者の「早期離学(voortijdig schoolverlaten)」問題に ついてとりあげる。2004 年には、学生の 8 人に 1 人が中等教育をやめてしまうほどの深刻な状

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1 2008 年には自営業者比率は 11.5%に増加し、創業した人の数は 10 万人を超えた。自己雇用者(self-employed entrepreneurs)の数は、40 万人を超えている(Ministry of Economic Affairs(2009))。

況であったのだが、学校をやめてしまう若者の特徴を明らかにすると同時に、学校のみならず 企業社会や地方政府が協力して問題解決に当たっている状況が紹介される。 ◦本稿の終わりに、オランダでの実践から我が国が学ぶことのできることとして、①教育の目的を 明確に定めていること、②すべての関係者が協力して問題解決に当たっていること、③オラン ダが多民族社会であるが故に問題の所在が非常に複雑になっていること、の 3 点が指摘される。

1.オランダにおける起業政策(entrepreneurship policy)の 10 年

 オランダ経済省は 2009 年 1 月に、それまでオランダ政府が 10 年間実施してきた起業政策 (entrepreneurship policy)の軌跡を振り返るリポートを発表した(Ministry of Economic Affairs (2009))。その序文で、Maria van der Hoeven 経済大臣は以下のように述べている。「起業家精 神(entrepreneurship)はオランダ経済が高い水準の繁栄を維持するための基礎である。起業家 は高い生産性と雇用、経済成長を生み出す人々である。とくに、革新的な起業家精神(innovative entrepreneurship)より持続可能な社会の建設に寄与しうるであろうし、福祉や教育への負担増、 社会不安や自然環境破壊など諸問題の解決に寄与するものである」。  オランダ政府は、主として以下の 5 つの政策課題にとりくんできた。①高成長企業を増やすこと、 ②起業家の行政的負担(税金など)を減らすこと、③できるだけ多くの自営業者が雇用者になれ るようにすること、④職業教育や高等教育と労働市場との接続を改善すること、⑤起業家に対す るさまざまな障害をとり除くこと。より具体的には、各種規制の緩和、減税、政府による債務保証、 技術開発や新製品開発のための産学連携、異業種交流、ビジネスエンジェルによる投資に対する 優遇措置、研究開発投資への補助金、中小企業が大学等の保有する休眠特許を購入しやすくする 制度の創出、などが行われた。これら諸政策措置は「起業家精神が発揮されるための最高の環境 を確立することが成功する起業家や革新的な起業家を数多く輩出するための最良の道である」と いう考えの下に行われてきたものであり、それなりに成果を挙げた1。そして、オランダの起業政 策はその先にある「起業家精神を身につけるための教育」や「教育と労働市場との接続」に政策 課題の重点を移しつつある。

2.なぜ「起業教育」が重要なのか

 では、なぜ「起業家精神を身につけるための教育」や「教育と労働市場との接続」がいわゆる 創業支援政策と関連するのか。最近 20 年ほどのオランダの経済・社会の動向を振り返るとき、筆 者は以下の 2 つの視点でその重要性を理解しようと思う。第 1 に、グローバリゼーションに対応す るために自国の国際競争力を強化する必要がある、という視点、そしてもうひとつは、多民族社会・ オランダの抱える移民問題・都市問題の深刻化への対応、という視点である。

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2 もちろん、以上の問題状況はオランダに固有のものではない。とりわけ、2000 年 3 月の欧州理事会で採択された EU の経済・社会政策に関する包括的な 10 ヵ年の戦略である「成長と雇用のためのリスボン戦略」の影響を強く 受けている。 (1)グローバリゼーションと国際競争力強化の視点  教育を通じて起業家精神(起業家的なものの考え方)を普及させようというアイディアは、1990 年代後半からのいわゆるグローバリゼーションの流れと、同時期に急速に進歩・普及し始めた情 報通信技術の発展と時期を同じくする。

 Audretsch and Thurik(2001)は、近年の世界的な経済環境の変化を「管理経済(managed economy)」から「起業家経済(entrepreneurial economy)」への移行、と呼んだ。経済のグロー バリゼーションが進行するなかで、①アジアや中・東欧地域に膨大な低コストの熟練労働力が出 現しており、さらに② ME(= Microelectronics:マイクロエレクトロニクス)と ICT(情報通信 技術)が発展したことによって、日常的な標準化された経済活動の多くが高賃金地域から低賃金 地域にシフトしている。こうした状況の下で高い賃金が維持されるためには、標準化されていない 知識に基づいた(knowledge-based)経済活動が必要である。標準化されていない知識は移転さ れにくいからである。こうした知識ベースの経済活動の多くは以前に誰も挑戦したことのない、従っ てリスクの大きなものであるが、その反面、成功者には大きなリターンや名声・自信などがもたら されるであろう。不確実性と変化の時代には、「起業家(entrepreneur)」が経済の主たるプレーヤー のひとつとなると考えられたのである。  「起業家」の定義について詳細な議論をしている余裕はないが、上述したように、既存企業の経 営者にも、新製品開発や新市場創造を成功させるために、リスクを背負いながらも新しいことにチャ レンジする前向きのマインド、すなわち創業者と同様の " 起業家精神 " が必要である。グローバリ ゼーションと IT 革命がもたらす労働力の流動化によって、各国の労働市場や雇用慣行、そして就 業前の教育現場におけるさまざまな「常識」が覆される一方、起業家であれ一般従業員であれ、 " 専門性 " に加えて、組織や社会の中での自分の役割を責任を持って果たすという " プロフェッショ ナリズム(professionalism:「専門家気質」「プロ意識」)" が求められているのである。したがって、 ここに専門性とプロフェッショナリズムの育成を主眼とする職業教育あるいは「起業教育」が社会 的に求められることとなり、そのための教育界と実業界との連携が重要な政策課題として浮かび 上がることとなるのである2 (2)多民族社会の到来と移民問題・都市問題の深刻化  なぜオランダ政府が「起業教育」を重要視するのか。そのもうひとつの理由は、オランダに暮 らす人々がそれぞれ自らの経済的自立のために自らの働き場所を創り出すことがこの国の社会秩序 の維持や経済の健全な発展のために必要不可欠だと考えられているからである。  歴史的に見ても、オランダには多くの外国人が暮らしているのだが、とくに 1990 年代半ばから、 それ以前よりもいっそう多民族化の傾向を強めていく。現在、オランダの総人口は約 1600 万人で、

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そのうち約 8 割が「オランダ人(autochtonen)」、2 割弱が「外国人(allochtonen)」である(図表 1)。 最近 11 年間(1996 ~ 2006)でオランダの総人口は 5%ほどしか増加していないが、オランダの総 人口に含まれる外国人の人口はこの 11 年で 26%も増加した。とくに欧米や日本以外の地域出身の 非欧米人(niet-westers allochtonen)の伸びは大きく、国別で見れば、トルコやモロッコといった イスラム諸国や中国出身の人々が増えている。また、注目すべきは、他の国で生まれてオランダに 移り住んだ「第一世代」の外国人よりも、オランダで生まれた「第二世代」外国人の伸びが著しい。 最近 10 年間での第二世代非欧米人は約 65%増加している(図表 2)。  パートタイム労働の増加で雇用機会が拡大し失業率が低下したことで、「ポルダーモデル」は世 界から注目を集めることになる。たしかに、「ポルダーモデル」が注目を集めた 2000 年前後にはオ ランダの失業率は 2%程度であり、多くの人々が職業と所得を得て、オランダは好景気に沸いてい た。ただ、この時期の好景気はユーロ安による対米・対アジア輸出が好調であったことによる部分 が大きく、2001 年 9 月のアメリカ同時多発テロ以降ドル安・ユーロ高傾向が進むと、オランダを 含む欧州経済は景気後退局面を迎えることになる。  景気後退局面において、オランダ人と外国人、なかでも非欧米人との経済格差が広がる傾向に ある。例えば、CBS によれば、2005 年のオランダの失業率は 6.5%であるが、オランダ人の失業 率は 5%程度であるのに対して非欧米人は 16%、なかでも 15 ~ 24 歳の非欧米人に限れば 26%に ものぼる。また、大都市では、同じ民族の人々が特定の地域に固まって居住する傾向が見られ、 異なる国籍のグループの間の溝は年々深まっているという。近年、欧州各地で頻発するイスラム系 住民によるデモや暴動、およびこれに起因するさまざまな社会不安の背景には、こうした人種間の 経済状況の格差がある。上述の早期離学者の属性のひとつに非欧米系が多いことがあげられてい ること、および、「両親とも働いてない」「少なくとも一方の親が(病気などの理由で)社会保障給 付を受けている」など経済的・社会的に不利なバックグラウンドを持った若年者が多いことなどは、 こうした国内における人種間の経済格差と無関係ではない。  オランダのみならず欧州では、少数民族や経済的に不利な立場にある人々、長期失業者などが 社会にもたらす様々な問題を克服するための手段として「起業文化」の創生が考えられていた。 その意味では、自らビジネスを立ち上げ、経済的に自立することを目指した起業教育・職業教育を はじめとする起業政策は都市政策と密接に絡んでもいる(Storey(1994))。民族差別や社会不安 をなくす手段としても、「教育」には大きな期待が寄せられているのである。

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図表 1 オランダの人口推移(単位:1000 人) 出身国・地域 2001 2002 2003 2004 2005 2006 総人口 15,987 16,105 16,193 16,258 16,306 16,334 オランダ人 13,117 13,140 13,154 13,170 13,183 13,187 外国人 2,870 2,965 3,039 3,088 3,123 3,148 第一世代 1,489 1,547 1,586 1,603 1,607 1,604 欧米諸国・地域 560 575 581 582 582 584 非欧米諸国・地域 929 972 1,005 1,021 1,024 1,020 モロッコ 156 160 163 166 168 169 オランダ領アンティルス 77 82 84 84 82 80 スリナム 185 186 187 188 188 187 トルコ 182 186 190 194 196 196 中国 22 25 27 29 31 31 第二世代 1,381 1,418 1,453 1,485 1,516 1,543 欧米諸国・地域 827 831 835 838 841 843 非欧米諸国・地域 555 587 618 647 675 700 モロッコ 117 125 132 140 147 155 オランダ領アンティルス 40 43 45 47 48 50 スリナム 124 129 133 137 141 144 トルコ 138 145 151 157 163 169 中国 10 11 12 12 13 14

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図表 2 オランダの人口推移(1996 年= 100) 出身国・地域 2001 2002 2003 2004 2005 2006 総人口 103.2 103.9 104.5 104.9 105.2 105.4 オランダ人 100.9 101.1 101.2 101.3 101.4 101.5 外国人 114.9 118.7 121.6 123.6 125.0 126.0 第一世代 116.0 120.5 123.5 124.8 125.1 124.9 欧米諸国・地域 107.2 110.1 111.3 111.3 111.4 111.8 非欧米諸国・地域 121.9 127.6 131.9 134.1 134.5 133.9 モロッコ 110.7 113.5 116.2 118.4 119.8 119.9 オランダ領アンティルス 137.7 147.3 151.2 150.6 147.5 143.5 スリナム 103.1 103.9 104.5 104.9 105.1 104.6 トルコ 108.6 111.2 113.7 116.2 117.0 117.0 中国 137.3 154.6 170.4 184.6 194.1 195.7 第二世代 113.7 116.7 119.6 122.3 124.8 127.1 欧米諸国・地域 102.7 103.3 103.7 104.1 104.5 104.8 非欧米諸国・地域 135.4 143.2 150.9 158.0 164.7 170.9 モロッコ 138.5 147.3 156.2 165.4 174.4 183.1 オランダ領アンティルス 129.8 137.5 144.8 150.6 155.5 159.9 スリナム 122.4 127.2 131.6 135.5 139.2 142.5 トルコ 132.4 138.8 145.0 150.9 156.5 161.7 中国 137.9 146.6 154.8 162.8 171.8 179.4

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3.オランダにおける「起業教育」の取り組み

3  一般的に、教育のなかで起業家精神に注意が払われるようになれば、より多くの若者たちが起 業家になりたいと思うようになるだろう。したがって、なるべく早い時期から機会をとらえて「起 業家」という生き方があることや起業家的なマインドを何らかの形で教えることできれば、いずれ 創業は増えていくと考えられる。そのためオランダでは、初等教育のなかに「起業教育」をとりい れる試みがさまざま行われてきた。

 Van der Kuip(1988)は、起業家的な資質の育成には初等教育の果たす役割が重要であること を明らかにした。文献調査に基づいて、初等教育において教えられるべき「起業家的な資質」は 以下のようなものであることが示された。達成感、自主性、創造性、独創性、リスクを引き受ける 覚悟、問題発見能力、目標設定能力、自信、理性、我慢。このような特性は基本的に経験によっ て得られるものである。この考えを受けて、1990 年代後半には、オランダの初等・中等教育の現 場でさまざまなとりくみがおこなわれた。例えば、中等職業学校(middelbaar beroepsonderwijs) において生徒たちがグループに分かれ、企業を立ち上げて半年間運営する「ミニ企業(mini-enterprises)」のとりくみが始められたし、大学等の高等教育機関へ進学する生徒たちが通う(VWO や HAVO)では「スタディ・ハウス(Studiehuis)」と呼ばれる、生徒が興味をもった題材につい て自分で調べ考察していくような内容の教育によって生徒たちに独立心と責任感を教え込む試み もスタートした。  これらのとりくみが若者たちの起業家的資質の育成にどれほど寄与したかは検証されていない。 教育効果は計測しにくいので拙速な評価は避けるべきではあろうが、これらのとりくみの実行過程 において、生徒たちに自主性や独創性を教えるにはあまりにも設備や制度が不備であることが問 題とされた。2007 年には初等・中等教育における起業教育の現状についての研究が発表され、学 校において起業家精神育成をいっそう進めていく上において「知識を持った熱心な先生」と「適 切な教材」の 2 つが重要な要素である、と報告された(Jose Bal et al (2007))。  1990 年代初頭より、オランダでは、教育プログラム策定において産業界・経済界の意向をでき るだけとりいれるしくみがつくられてはいたが、初等教育から高等教育までを包括的に視野に入 れての教育プログラムづくりと実践が、今世紀に入ってかなり大規模に進められている。経済省・ 教育省農業環境省の 3 省が共同で 2000 年に開始したプロジェクト“Leren Ondernemen(起業家 に学ぼう)”4はその典型で、2007 年からは起業教育に積極的な学校に対して補助金を拠出したり、 全国 6 地域にそれぞれ複数の高等教育機関の連合体としての“Centers of Entrepreneurship”を 立ち上げたりしている。

3 この節の記述は、基本的に Ministry of Economic Affairs(2009)に依拠している。 4 http://www.onderwijsonderneemt.nl/

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4.Voortijdig schoolverlaten(早期離学者)~オランダにおける深刻な若年者問題~

(1)Voortijdig schoolverlaten(早期離学)  オランダではパートタイム労働者が非常に多く、そもそも労働の流動性が高いという特徴がある。 オランダは「ポルダーモデル」と呼ばれる独特な雇用制度改革で有名である。とくに 1996 年の労 働時間差差別を禁止する法律の導入によって、フルタイム労働とパートタイム労働が社会保障や 昇進・昇給などの面で平等になり、人々は多様な働き方の選択をすることが可能になった。労働 形態の選択の自由を得たことによって、人々は労働時間を含めた全体の生活時間設計をかなり自 由にできるようになった(長坂寿久(2000)、堀潔(2001))。法律により、労働時間の差によって 社会保障や昇進・昇給などの労働条件面で差別されないことから、学校を卒業してからしばらく の間はパートタイム労働者として数社で就業経験をした後に適職を見つけよう、という若者も珍し くない。我が国においてはせっかく就職してもすぐ辞めてしまう若者の「早期離職」が大きな問題 になっているが、オランダにおいて「離職」よりもむしろ深刻なのは、労働市場への参入に先立っ て労働能力を形成する教育の場からの若年者たちの離脱、いわば「離学」である。

 オランダ教育文化科学省(Ministerie van Onderwijs, Cultuur en Wetenschap: OCW)のウェ ブサイトによれば、23 歳以下の卒業証書(diploma)も就業資格(startkwalificatie:後述)も修 得せずに学校教育を離れてしまった若年者のことを早期離学者(voortijdig schoolverlaters)と呼 んでいる。OCW のウェブサイト5によれば、オランダでは毎年何千人もの若年者が卒業前に学校 を離れており、学校を卒業する前にドロップアウトしてしまった学生の数は 2002 年には 70,000 人 ほどいたが、各種の対策が功を奏して 2005 年には 57,000 人まで減少した6。OCW では、2010 年 には 35,000 人まで減少させる政策目標を設定し、各種の取組に努力している7。早期離学の理由 は多岐にわたるだろうが、何になりたいか明確なイメージを持てない学生は勉強してもわからない ことが多くなったり学習意欲が低下したりしてしまうケースや、心理的・社会的に適応できない若 年者が学校を離れてしまうケースを OCW は指摘する。 (2)早期離学者の属性

 オランダ中央統計局(Centraal Bureau voor de Statistiek: CBS)から毎年発表されている “Jaarboek onderwijs in cijfers(数字で見るオランダの教育)”の 2007 年版は、前年版までの報告 内容に「早期離学」の 1 章を加え、その状況を報告している(CBS(2007))。このなかでは、注 目すべき点の一つは、早期離学者に共通して見られる属性を明示していることである。 5 http://www.minocw.nl/vsv/322/。 6 CBS(2007)によれば、2005 年には、15 ~ 22 歳の若年者(約 150 万人)のうち 22%(346,000 人)は学校に行っ ていないが、そのうち 52%は就業資格を持っているので、残り 167,000 人が早期離学者ということになる、という。 また、学校に行っている人のうち 35%は就業資格に相当する学歴を持っているので、残りの人々の中からも早期 離学者が生まれる可能性もないとはいえない。 7 教育省のイニシアティブで、具体的な早期離学の状況や、政府が行うさまざまな対策の現状を紹介する特別サイ ト“Voortijdig schoolverlaten”が開設されている(http://www.voortijdigschoolverlaten.nl/)。

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 2004 年には、学生の 8 人に 1 人が中等教育(voortgezet onderwijs)をやめてしまい、就業資 格も得られず、働きもしないでいるのだが、そのような早期離学者には、以下のような特徴が見ら れる。 ① 多くの学生が VMBO(中等職業準備学校)からドロップアウトする。VMBO は 3 種類ある オランダの中等教育機関のなかで学力的には最もレベルの低い学校である。 ② 非欧米系外国人(niet-westers allochtonen)の学生がドロップアウトしやすい。 ③ 大都市において早期離学がより発生しやすい。 ④ 家族の状況と早期離学の間にそれなりの関係がある。  図表 3 は早期離学者(2004 年)とそうでない人の属性を比較したものである。これを見ると、「両 親とも働いてない」「少なくとも一方の親が(病気などの理由で)社会保障給付を受けている」とか「両 親と一緒に住んでいない」など、家庭に何らかの問題を抱えている場合には、早期離学者の発生 する可能性が高くなることがわかる。さらに、早期離学の結果として、早期離学者が犯罪とかか わりを持ちやすい現実も報告されている。 図表 3 早期離学者(2004 年)とそうでない人の属性比較 (出所)CBS(2007)p.139 (3)早期離学と就業との関係  学校に行かなくなってしまった若年者は、労働市場においてもいいチャンスには恵まれにくい。 労働市場では、就業資格を持ってない若年者ほど成功していないし、就業資格を持った同年代の 人々に比べて失業しやすい傾向にある。就業資格を持っていてもはや学校に行っていない若年者 のうち 80%が週 12 時間以上の仕事に就いているのに対し、就業資格を持っていない者は 60%し か就業していない。また、就業資格を持っていない若年者の 20%が失業しているのに対して、就 業資格を持っている人のうち失業しているのは 11%だから、就業資格を持っていないことで失業

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の可能性が倍増することを示している。さらに、就業資格があればフルタイムで働くことができる 可能性は高くなるが、就業資格のない人はパートタイムや待機労働力(invalkracht)とならざる を得ない可能性が高くなる。   (4)早期離学者に対する近年の政策的対応  近年、オランダ政府はこの早期離学者対策にいっそう真剣に取り組みはじめている。2003 年に 議会で「若者失業対策アクションプラン」が採択されたことを受け、社会労働省(Ministerie van Sociale Zaken en Werkgelegenheid: SZW)と教育省(OCW)は業界団体と共同で、現内閣の任 期中に若年者のために 40000 人の雇用を生み出すことや、若年失業者のための支援窓口を作るこ となどを始めた8。また、2006 年 6 月 30 日の OCW のプレス発表9によれば、内閣は、23 歳まで の若年者が教育を受けずに脱落していく状況を阻止するための包括的な対策を採る。彼らは学ぶ か、働くか、あるいはその両方を選択しなければならない。この対策のために内閣が議会に提出し た法案によれば、早期離学者は 18 歳までに資格を取って働き始めるのか、でなければ補習の義務 教育を受けるのか、そのどちらかを選択するよう求めている。さらに同法案は各地方自治体(市レ ベル)に対して報告義務を定め、就業資格を持たない 18 ~ 23 歳の若年者に対して、学習労働義 務を課すよう求めている。各自治体は義務を課す自由を持ち、働くことを拒否した若年者には、第 一段階で最高 340 ユーロの罰金を課すことができる。もし彼らが拒否し続ければ、罰金は 2250 ユー ロまであがることになる。  こうした状況をみると、オランダ政府がこの早期離学者問題を相当に重要視し、一刻も早い問 題解決を模索していることがよくわかる。

おわりに~オランダでの経験と我が国への示唆~

(1)オランダ企業社会の“教育”への期待  「ポルダーモデル」と呼ばれる独自の雇用制度改革の結果、オランダではパートタイム雇用が大 幅に増加し、非常に流動性の高い労働市場が実現した、といわれる。しかしその一方でさまざま な問題点も指摘されている。例えば、①パートタイム労働が増加しているのはサービス業や行政 サービス部門などでの単純労働や低賃金労働の部分が中心であり、雇用増加は女性やマイノリティ の部分にとどまっているという指摘や、②依然として手厚い社会保障制度の下で非労働力化する 「インアクティビティ(労働不可能者)」のなかに事実上失業者と解釈できるような人々が多く含ま れているのではないかという指摘、③労働市場流動化の負の側面として人々の勤労倫理が低下し、 会社への愛着心がなくなり会社内での器物損壊や放火、窃盗が増えているという指摘、④パート タイム労働やフレキシブル労働といった継続性に欠ける勤務形態のなかで、労働者の「熟練技能」 8 このプロジェクトの広報のための特別サイト“Taskforce Jeugdwerkloosheid”が設置され、各種情報提供やイ ベント告知などが行われている。http://www.jeugdwerkloosheid.nl/ 9 http://www.minocw.nl/persberichten/11997

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や経験の蓄積に基づく「問題発見能力」がうまく育成されない、という問題などが提起されている(西 澤隆(2000))。

 現に、オランダでは熟練技能者の確保難が大きな問題となっているし、オランダ経済省の調査 (Ministry of Economic Affairs (1999) )では、オランダの高成長中小企業の多くがパートタイム 雇用よりもフルタイム雇用を増加させる傾向にある、と報告されている。流動性の高まったオラン ダの労働市場でいま求められている労働力は、近年増加してきた労働力とは異なる質のものとなっ てきているのである。前述のとおり、急速に進展する技術革新、経済のグローバル化、そして人々 の価値観の多様化に対応した employability を高めるために、オランダ企業社会は次第に「教育」 への期待を高めつつある10 (2)“startkwalificatie(就業資格)”の導入~教育と職業との関係~  企業社会が教育に期待するのは結構なことだとしても、「どういう教育が必要なのか」とか「何 のために勉強するのか」などを議論し始めるとなかなか結論が出ないようにも思える。この点につ いて、オランダでは 1990 年代初頭に「就業資格(startkwalificatie)」というしくみが考えられた。 これは、VWO または HAVO 卒業、または MBO の 2 年次終了の教育水準を意味しているのだが、 前述したように、この資格があるかないかで就業機会に恵まれるかどうかが少なからず左右され る。  このしくみは働いて所得を得て社会のなかで自立するための道筋を明確にするために導入され たものだが、この背景には、教育と労働との関係についての、以下のようなオランダ人らしい合理 的な考えがある。すなわち、学校教育は社会的な自立を達成するための通過手段であり、現代社 会は教育を受けることによってはじめて社会で労働の場、つまり経済的な自立の手段を獲得するこ とができると考えられる。だとすれば、学校教育を終えた時点で就労するためのひととおりの知識 を身につけているべきであり、そのような教育が学校において行われるべきである、という考え方 である。この考えに基づいて、オランダでは、(中等教育においては)就業するための教育を終え ることを社会的合意とし、そのための証明を行い、証明の取れないもののために補習を行うシステ ムを決めたのである。  1993 年には OCW の通達に基づき、地域ごとに RMC11と称する早期離学者対策の機関が設置 され、地域ごとに早期離学者の登録と、職業体験や教育への復帰を支援するさまざまな体制が整 備された。また、1996 年に「就業促進法」や「教育地帯対策に関する自治体の役割に関する法律」 が定められ、この問題に対する地方自治体の法的責任が明確にされた。  学校からの早期離学を防ぎ、就業するに足る能力を保証するために、「この資格がないと就業で きない」という制度を考えたわけだが、実際には無資格者を労働市場から排除するための制度で 10 このような観点から、オランダでは学校教育のなかで就業体験を行わせる「インターンシップ」が盛んに行われて いる。オランダにおけるインターンシップの状況とその背景については、堀潔(2005)あるいは堀潔(2006)を参照。 11 “Regionaal Meld- en Coördinatiepunt”の略。「地域登録・紹介センター」の意。

(12)

はなく、職業訓練や補習教育を通じて就業資格の獲得と労働市場への円滑な参入を促進する方向 で制度の整備が進められている12。また、産業界もこの制度整備を支援すべく、インターンシップ 研修生の受け入れなどで積極的に協力している13  このように「何のために教育を行うのか」を明確にしている点は注目に値する。オランダでは、 就業資格制度の導入にあたって、「就業するに足る教育」を終えた人が就業すべきであることを明 確にし、そのために必要な教育は何かを検討して教育制度に反映させている14。我が国においては、 いまだに「教育」と「(金銭を得るための)職業」とを関連付けて考えることをよしとしない雰囲 気もあることと比較すれば、オランダの試みはかなり思い切った実験と思われるが、教育改革のひ とつの方向として今後とも興味深く動向を見ていきたい。 (3)「多民族化社会」への準備を  今回の調査研究の過程で収集できた資料の限りにおいて、オランダでは、早期離学や失業といっ た不幸な状況に陥り苦悩する若年者とそうでない若年者とを分ける要因が、多様な経済・社会的 格差によってもたらされていることが確認できた。オランダにおける若年層の早期離学・就業問題 は、主に都市住民の間でのさまざまな意味での格差の存在に起因しており、その背後には民族や 宗教の違う人々相互間の不信感が見え隠れする。このこと自体、現在の我が国における若年層の 就業問題に何らかの政策的示唆を与えるものではない。しかし、中長期的には、我が国もおそらく 直面しなければならないであろうさまざまな問題への準備のために、オランダの経験は非常に役に 立つものと考えられる。  とくに外国人に関する問題は、そう遠くない将来、我が国においても深刻な社会問題となるだろ う。現在、多くの外国人が派遣労働力や研修生などの形をとって我が国で働いており、いくつか の地域では言葉も通じず生活習慣や価値観の違う外国人とどう付き合っていくかが非常に大きな 問題となっているところもある。まだ大きくとりあげられてはいないが、外国人の多く住む地域で は、小学校や中学校に日本語のわからない外国人の子どもが転入してきて、環境に適応できずに 学校に出てこなくなるケースも少なくないと聞く。まさに「早期離学」のような事態は我が国にとっ て「遠いどこかの国の問題」ではないように思われる。 補論:オランダの教育制度について  図表 4 は、オランダの教育制度をまとめたものである。オランダでは 5 歳から 17 歳までの 12 年 間が義務教育で、最初の 8 年間を「基礎教育(basisonderwijs)」という。これを終了すると 3 種 12 現実には、就業資格がないからといって就職できないということはない。

13 中小企業経営者団体である MKB-Nederland のプレスリリースによれば MKB-Nederland は、BVE-Raad(中等 職業教育審議会)と職業教育に関するナレッジセンターである Colo と協力して、今後 4 年間でさらに 10000 人 分の研修機会を学生や求職者のために用意することを表明している。http://www.mkb.nl/Nieuws/287.5086 14 詳しくは、太田和敬・見原礼子(2006)を参照。

(13)

類の中等教育学校があり、子どもたちは 12 歳(8 年生)になると、その先の進路に合わせてどの 学校に行くかを選択しなければならない。もちろん途中での進路変更も認められてはいるものの、 多くの場合、12 歳での進路決定がその後のキャリアを大きく決定づけるので、8 年生での進路決 定は子どもたちのみならず親にとっても一大事である。8 年生では CITO と呼ばれる全国規模の学 力テストがあり、この結果と教師からのアドバイスによって親子が自ら進路を選択する。  ちなみに、3 種類の中等教育学校のうち、VWO は大学進学を前提としたいわばエリートコースで、 HAVO には高等職業教育大学(HBO)への進学を前提とした学生が通う。人にはそれぞれ才能や 志向などに適した進路というものがあるだろうから、どの学校が「いい学校」とは言えないのだが、 大雑把な傾向として、勉強のよくできる子どもは VWO に行くし、できない子どもは VMBO に行 く傾向がある。  本稿での重要なキーワードとなった就業資格(startkwalificatie)は中等教育終了時レベルの学 力を称する資格で、具体的には VWO または HAVO 卒業、または MBO の 2 年次終了の水準を表す。

(14)

【参考文献】

1. Centraal Bureau voor de Statistiek(2007)“Jaarboek onderwijs in cijfer”

2. Jose Bal et al (2007), Ondernemerschap in het primair en voorgezet onderwijs, EIM, Zoetermeer. 3. 堀潔(2001)「オランダにおける起業家教育」『中小公庫マンスリー』7 月号 4. 堀潔(2005)「『起業教育のための産学連携』の必要性―オランダの起業教育事例に学ぶ―」, 三井逸友編著(2005)『地域インキュベーションと産業集積・企業間連携―起業家形成と地域 イノベーションシステムの国際比較―』御茶の水書房,第 1 章所収 5. 堀潔(2006)「オランダにおける大学インターンシップ制度」,桜美林大学産業研究所『大学イ ンターンシップ制度の国際比較研究』報告書,第 3 章所収

6. Ministry of Economic Affairs(1999), High Growth Companies in the Netherlands

7. Ministry of Economic Affairs(2009), Ten years entrepreneurship policy: a global overview

8. 長坂寿久(2000)『オランダモデル』日本経済新聞社

9. 西澤隆(2000)「岐路に立つオランダのポルダーモデル」『知的資産創造』(野村総合研究所)1 月号 .

10. 太田和敬・見原礼子(2006)『オランダ 寛容の国の改革と模索』子どもの未来社

11. Storey, David J. (1994), Understanding the Small Business Sector, International Thomson Business Press(邦訳:忽那憲治・安田武彦・高橋徳行訳『アントレプレナーシップ入門』有斐閣) 12. Van der Kuip, Isobel(1988), Early development of entrepreneurial qualities; the role of

図表 1 オランダの人口推移(単位:1000 人) 出身国・地域 2001 2002 2003 2004 2005 2006 総人口 15,987 16,105 16,193 16,258 16,306 16,334 オランダ人 13,117 13,140 13,154 13,170 13,183 13,187 外国人 2,870 2,965 3,039 3,088 3,123 3,148 第一世代 1,489 1,547 1,586 1,603 1,607 1,604 欧米諸国・地域 560 575 58
図表 2 オランダの人口推移(1996 年= 100) 出身国・地域 2001 2002 2003 2004 2005 2006 総人口 103.2 103.9 104.5 104.9 105.2 105.4 オランダ人 100.9 101.1 101.2 101.3 101.4 101.5 外国人 114.9 118.7 121.6 123.6 125.0 126.0 第一世代 116.0 120.5 123.5 124.8 125.1 124.9 欧米諸国・地域 107.2 110.1 111.3 11
図表 4 オランダの教育制度

参照

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