(地域コミュニティ論)
現代のコミュニティ
⇒1970年代の反省から ・コミュニティ重視 ・生活者目線
1980年代のコミュニティ
⇒1995年 阪神淡路大震災の発生
大きな打撃を受ける一方で、従来からコミュニティ づくりをおこなってきた神戸市 真野地区などは迅速 な災害対応が出来た。
同年 : NPO法の成立
1990年代のコミュニティ
2000年代のコミュニティ
For example…
・神戸市 真野地区、丸山地区 ・東京都 世田谷区
・神奈川県 横浜市 …etc
⇒「
協働」
の発想の展開へ!市民
行政
企業
③事例プレゼン
―
下北沢地域、浅草地域―
世田谷区 下北沢地域
南口商店街、北口商店街の発足
下北沢が町として発展したのは、1927年小田急線、1933年京王線の2鉄道が相次いで下北沢駅で開業した為である。当初は、 交通利便性から住宅としての価値が高く、地盤の安定していた北口を中心に、住宅街、近隣商店街を下北沢は発展させてきた。 このような環境が変わったのは、戦後に入り、ほとんど戦災を受けなかった下北沢が、闇市による発展を遂げてからである。北 口の駅とほぼ直結するように作られていた闇市は、そのまま商人が居つき、商店街となった。
また一方で、沼地で利用価値の低かった南口においても、闇市の発展と、東大や明大学生向けの下宿、学生をターゲットにし た遊技場、飲食店の登場により、学生街として発展していった。
このような経緯の中で、1960年頃から、学生たちが多く立ち寄り、来街者の顔となった南口と、近隣向け商店が多く、来街者を 呼びよせなかった北口との差が圭著になり始める。
このような経緯に、さらに1980年、南口での飲食事業に成功した本多一夫氏が本多劇場を設立する。実際に劇場の規模としては 中規模ではあるものの、若者の集まる街という環境が功を奏し、下北沢南口は、「演劇・音楽の街」として印象付けられる事とな る。こうして1980年以後、南口は繁華街としての性格を強くし、全国規模チェーンの参入や、地権者のテナント事業者への店舗賃 貸が増加することとなった。これは現在では、さらなる集客力に繋がる一方で、街としての個性喪失や、商店街加入率の低下にも つながり、南口商店街におけるコミュニティ活動の展開のし難さにもつながっている。
一方で北口は、1942年に成立した補助54号線計画による建築規制や、南口への来街者の集中から、第企業の参入や開発過度に来 街者へ対応をすることがなく、かつてからの住宅街としての街並みを維持してきた。商店街内においても、南口に比べ、近隣住民 向けの店舗が多く存在している。北口では地縁組織やコミュニティ活動の場が維持されており、商店街加入率も高く、祭りやイベ ントを通じた独自の取り組みも多く為されているが、一方で、南口に比べ、知名度や収益の点で劣っている部分もある。
同じ駅前の商店街でありながら、このように街並みやコミュニティの差異が拡大したことには、1-1項で説明したような、それぞ れの商店街の基本的な成立経緯もさることながら、小田急線の線路、及び『開かずの踏切』により、街が南北に分断されている状 況が背景にある。街の南北における協力活動を、線路が阻害してきたと言え、この分断状況は街の課題の一つともなっている。