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平成29年度前期火曜3講時「イギリス文化論」シラバス xapaga

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Academic year: 2018

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(1)Bunsai. 文彩 第3号. 熊本県立大学文学部 2007.3 月.

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(15) 〈小特集・シェイクスピア万華鏡〉. 第3回文学部フォーラムを終えて 三 木 悦 三(文学部長)  去る12月1 6日(土) 、文学部フォーラム 『シェイクスピア万華鏡――様々な角度か らシェイクスピア作品をみる』が16番教室 で開催された。一昨年の『人文知の未来』 、 そして、昨年の『古今和歌集一千百年熊本 フォーラム』に続く、文学部としては第3 回目の公開フォーラムである。  法人化初年度、総入場者数1 40余名を数 える盛況の中、プログラムは午後1時に米 澤和彦学長の開会の挨拶で始まり、フォー ラム基調講演として大谷大学助教授芦津か −1−. 講演風景・芦津氏.

(16) おり氏が「日本の『ハムレット』受容――その多様な変貌」の演題で、特に『ハム レット』に焦点を当てながら、江戸末期から今日に至るまでのわが国におけるシェ イクスピア受容の実態とその変遷について小1時間にわたって講演された。女史に よれば、日本の『ハムレット』受容は5期に分けることができる由で、まず、 『ハ ムレット』がわが国に紹介される第1期、本邦初出のシェイクスピアは「シャーケ スピール」の名前で当時の文献に現れるとのこと、そして、明治維新を経て『ハム レット』が翻訳されると、これが明治の文学界を席巻する。 「永ろうべきや逝くべき や」――この問いが近代精神の模索を象徴するかのように発せられることになる。 『ハムレット』受容はまもなく演劇界にも及び、その翻案が世に出るのが第2の受 容期、仮名垣魯文作の『葉武列士倭錦絵』 (1 88 6年)ではハムレットは葉叢村丸と いう武士に仕立てられ、ストーリーも武士社会の仇討ち物に改作される。(この作 品は、しかし、翻訳から1 00年後、平成の世に至って初めて上演された由。 )その後、 大正から昭和期にかけての第3期は『ハムレット』が日本の文士たちに静かに受容 されていった時期に当たるとのことで、なるほど、志賀直哉の『クローディアスの 日記』 、小林秀雄の『オフィーリア遺文』 、太宰治の『新ハムレット』等々、いずれ もわたしたちにも親しみのある作家連がシェイクスピアを読み、触発されて作品を 創作するのである。やがて、太平洋戦争の勃発、そして、敗戦。いわゆる戦後日本 の『ハムレット』事情を芦津女史は第4期「みんなの『ハムレット』 」と命名される。 いまや『ハムレット』は急速に大衆化してゆく。この時期には英文学者の福田恒存、 ややあって小田島雄志、の翻訳など忘れがたい。文学作品としては大岡昇平の『ハ ムレット日記』が刊行されている。演劇界では蜷川幸雄演出の『ハムレット』が海 外でも高い評価を得たことはわたしたちの記憶に新しい。また、黒澤明監督の映画 『悪い奴ほどよく眠る』が『ハムレット』を下敷きにしているとの指摘など興味深 く拝聴した。そして、最後に第5期、1 9 8 0年代以降の「国際化した『ハムレット』 」 の受容期であるが、これは多くを記すまでもないであろう。――かくして、今日、 『ハムレット』はあたかも人類の遺産として共有され、さまざまな文芸創作のテンプ レイトを提供するに至っている。講演を終えるに際して芦津氏は「英米人か否かを 問わず、様々な学問的・文化的・歴史的背景をもつ人々が、過去・現在にわたって 見出してきた千万億のシェイクスピア像の織りなす総体こそが、フォーラムのタイ トルの「シェイクスピア万華鏡」であると言うこともできるだろう」と総括された。 長い人間の歴史と文化の伝播に思いを馳せるとき、シェイクスピアの作品がどのよ −2−.

(17) うにわが国において受容され、そして、定着したか― これは諸文化の未来を展望するひとつの視角を与えて くれるように思われる。  続けて、文学部総合文化・教職部門の難波美和子助 教授による「シェイクスピアを観光する」と題された 映像の紹介が行なわれた。シェイクスピア生誕の地ス トラットフォード・アポン・エイボン(      .    )の風景を始め、グローブ座(    .  )、 シェイクスピア作品ゆかりの土地等々―最新の映像に 懇切な解説が添えられた。  英語英米文学科の清水啓子助教授は「認知言語学か. 難波氏. ら見たシェイクスピア」の演題で、まず認知言語学と その方法を導入的に概述した後、シェイクスピアの 『マクベス』に見られるメタファー(隠喩)表現につ いて認知言語学的な観点からコメントを加えられた。 女史によれば、 『マクベス』には「人間は植物」(つま り、人間が植物に見立てられている) 、さらに「国家は 人間」 「人生は舞台」等々、実にゆたかなメタファーが 盛り込まれているとのこと、 「思えば長いこと生きて きたものだ、おれの人生は黄ばんだ枯葉となって風に 散るのを待っている」 (第5幕第3場)「人生は歩き回 る影法師、あわれな役者、舞台の出のあいだだけ大威. 清水氏. 張りでわめき散らすが、幕が下りれば沈黙の闇。たか が白痴の語る一場の物語だ」 (第5幕第5場) 。メタファーは観客の想像を飛躍せし め、物語にポリフォニー的な彩りを与える。思うに、それは新しい理解に到達する ための方便であるとともに、聴衆を説き伏せるレトリックでもあろう。「偉大な作 家は、平凡な言語使用者が使っている基本的メタファー構造を新しい組み合わせで 応用し、同じ一つの対象を説明するにも様々なメタファーを重ね合わせ、対象の複 雑な構造を多面的に描写する」と述べて清水氏は発表を締めくくられた。  同じく英語英米文学科の坂井隆講師は、シェイクスピア作品の視覚化という見地 から『ロミオとジュリエット』の3つの上映・上演作品―フランコ・ゼッフィレリ −3−.

(18) (19 6 8年)、バズ・ラーマン(1 9 96年) 、そして、蜷川幸 雄(20 05年)―を取り上げ、原作が監督や演出家によっ てどのように解釈され、どのような手法で造形化され ているか、この点を仮面舞踏会のシーンを比較対照し ながら吟味にかけられた。原作のト書きの乏しさ―こ れを情報量の多寡という面からマクルーハンは「冷た いメディア」と呼んでいるとのこと―が却って視覚化 に際しては豊かに想像力を駆使する土壌を与え、作品 の造形化に無限の可能性を拓くものとなっていること が解き明かされた。  以上、4人の講師による発表の後、水尾文子助教授. 坂井氏. (英語英米文学科)の司会でフロアとのQ&Aが行なわれた。時間の都合から、 フォーラムにふさわしい討議に発展するまでに至らなかったのはまことに残念で あったが、総じて、熱気を肌に感じさせる全体の進行で、それぞれの発表に迫力が あり、終了予定時刻を大幅に超過することとなった。この日午前に行なわれた英語 英米文学会年次総会の出席者もファーラムに多数合流し、また、他大学からの参加 者に加えて、高校生の姿も見受けられた。こうして4時間半余に及ぶ第3回文学部 フォーラムも閉会した。. シンポジウム・左より水尾(司会) ・芦津・難波・清水・坂井の各氏. −4−.

(19)  番外として、フォーラム終了後、英語英米文学科1年生による恒例のシェイクス ピア劇『恋のから騒ぎ    .   

(20) .   』が1 1番教室にて上演された。1 年生にとっては1 1月の大学祭に続く再演であったが、なかなかの熱演で、3 0名近い 観客の拍手喝采を浴びて、この方も盛況のうちに幕となった。終日、まさにシェイ クスピアづくしであり、久しぶりに「終わりよければすべてよし   ’                 」の感慨を催す一日であった。. 『恋のから騒ぎ』カーテン・コール.  構想から1年余り、長く辛抱の要る道のりだったが、所期した以上のフォーラム を実現することができたように思う。中心となって企画・準備を進めて頂いた徳永 教授を始めとする英語英米文学科の各先生、会場設営等で世話になった学科の学生 ならびに院生の諸君、そして、隅々の段取りを遺漏なく取り仕切ってくれた工藤助 手、各位の労をねぎらいたい。. −5−.

(21) ●特別寄稿. 日本の『ハムレット』受容―その多様な変貌 芦 津 かおり(大谷大学助教授)  「シェイクスピア」―その名と存在は、いまや日本人の日常に違和感なく溶け込ん でいると言ってよかろう。書店には彼の作品の翻訳や研究書が立ち並び、 『リア王』 に題を借りた日本小説さえ目に留まる。テレビでも、『空騒ぎ』をもじった人気バ ラエティ番組が、シェイクスピアの肖像と司会者の顔を舞台セットに並べて据えて いる。先日ふと目にしたクイズ番組も、シェイクスピアにまつわる問題を出してい た。こうした現象は、必ずしもシェイクスピア作品が日本人に広く読まれ、深く理 解されていることを意味するわけではないにせよ、少なくとも彼の存在が、現代日 本の日常や大衆文化に入り込んでいることを示している。  しかしながら、翻って2 0 0年前の日本では、シェイクスピアの名を知る者も、まし てや悲劇『ハムレット』を知る者も誰一人としていなかった。実際、日本で初めて 「シャーケスピール」の名前が聞かれたのは1 8 41年のことである。それから1 50年あ まりの間に何が起こり、いかにしてシェイクスピアが現在のような日常的存在に なってきたのかを、 『ハムレット』に話を絞って辿ってみたい。説明の便宜上、以下 では日本の『ハムレット』受容をおおよその時代順に五期にわけ、それぞれの時期 1 の簡単な説明と代表的な受容例を紹介してゆくことにする。. 第一期  『ハムレット』登場 1 8 41年∼1 9 0 0年  江戸末期の1 8 4 1年以降、何冊かの書物が「シャーケスピール」に言及したことは あったが、日本で本格的なシェイクスピア受容が始まる契機となったのは1 868年の 明治維新であった。当時の日本は、それまで追随してきた中国に見切りをつける一 方、圧倒的な文明力を見せつける西洋に対して好奇心と危機感を募らせる。そして 急激な西洋化=近代化政策を推し進めていった結果、膨大な量の西洋思想、技術、 制度を吸収することに成功したわけだが、シェイクスピア文学も、この大きな近代 化政策の流れのなかで「西洋」の文物の一つとして日本に入ってきた。以下の話の 大事なポイントにもなるのだが、この「近代化」という独特の時代要請のもとに形 −6−.

(22) 作られた日本人のシェイクスピア観こそが、その後の日本のシェイクスピア受容の 性質を長く支配することになっていく。つまり、日本人にとってシェイクスピアと は、常に西洋化=近代化の問題と切っても切れぬ宿命的関係を持つものとなり、日 本が一応の近代化を遂げた昭和期以降も、日本人の意識のなかでは、依然として近 代と関連づけて捉えられ続ける。  悲劇『ハムレット』の主たる受容領域は、文学界と演劇界ということになるが、 まず同悲劇の受け入れに「成功」したのは文学界であった。1 8 82年に外山正一とそ の仲間らが『新体詩抄』において、ハムレットの第四独白訳を発表するやいなや、 当時の若い文学者達、特に前衛的感覚をもつ純文学の作家達は深い感銘を受けた。 「生か死か」と思い悩む王子が心の内を滔々と語りだすこの独白こそ、彼らが憧れ る「西洋思想」や「近代人の内面」をもっとも劇的に表すものと感じられたからだ。 熱烈な『ハムレット』ブームが巻き起こるなか、文学者達は悲劇『ハムレット』の 翻訳に挑戦し始めるが、その中には、後に日本演劇革新に貢献することになる若き 坪内逍遥や、日本浪漫派文学の先駆者・森鴎外も含まれた。  この『ハムレット』熱は、1 89 0年代、1 9 00年代も冷めることなく文学者の想像力 をかきたて続け、北村透谷、島崎藤村や岩野泡鳴らが、同悲劇に強く影響を受けた 作品を生み出していった。当時の文学者達の『ハムレット』への陶酔ぶりを伝える 好例としてよく引き合いに出されるのは、旧制一高生・藤村操の投身自殺(1 9 0 3) である。彼はハムレットの台詞を引用した厭世的な書き置きのなかで、この世を 「不可解」と嘆き、日光の華厳の滝に身を投げた。この事件は社会に大きな波紋を投 げかけ、後追い自殺をする者さえ出たという。  このように悲劇『ハムレット』は、2 0世紀初頭までには明治の文学者の心を捕ら え、日本文学にも影響を与え始めていた。この時期の受容は、作品の主人公に心を 重ねあわせて深く共感するという、ごく典型的な文学受容の形態を取ったが、人々 の関心が主人公の第四独白に集中したことが最大の特徴だといえよう。 第二期 演劇界の『ハムレット』 18 8 6年∼1 9 1 8年   明治の欧化政策は演劇界にも流れ込まないわけではなかったが、演劇という分野 は純文学と異なり、観客に支えられてはじめて成り立つ芸能で、大衆の感覚と離れ ては存在できない。だから、いくら政府が演劇西洋化を唱えようとも、江戸的感性 を引きずる庶民には、得体の知れぬ西洋芝居をおいそれと受け入れることはできな −7−.

(23) かった。1 8 7 0年代に何度か『ハムレット』舞台化が試みられたがいずれも失敗に終 わっている。ようやく1 8 8 6年に、初の翻案戯曲という形で『ハムレット』は日本演 劇界に入り込み、それ以降、徐々に浸透していくわけだが、その様子は上述の文学 畑での受容のあり方とはずいぶん異なるものであった。  その差を端的に表す例として、ここでは日本初の『ハムレット』翻案戯曲『葉武 列土倭錦絵』に注目してみたい。作者は江戸時代から活躍していた戯作者の仮名垣 魯文。彼は1 8 86年に、歌舞伎脚本形式の同翻案を「東京絵入新聞」に連載した。明 治文学者が原作の西洋性や近代性にもっとも魅力を感じ、それを採り入れようとし たのとは対照的に、仮 名垣の翻案は、登場人 物名や時代・舞台設定 を徹底的に日本化した ばかりか、原作の物語 を江戸封建制の倫理的 文脈に置きかえてしま う。例えば、シェイク スピアのハムレットは、 クローデイアスの奸計 により、決闘中に図ら ずも殺されてしまうの に対し、葉叢丸は叔父 への復讐を果たした後、 自ら殺人の罪を贖うた めに覚悟のうえで自害 する。つまり、キリス ト教の文脈では絶対の タブーとされる自殺が、 仮名垣翻案では主人公 の死に方としてあえて 選ばれ、しかもその切 腹行為が作品最後に. 『葉武列土倭錦絵』の挿絵の木版画. −8−.

(24) 「もののふの写真鏡」 と称えられて終わるのである。この例の他にも仮名垣翻案では、 原作の出来事やアクションがことごとく江戸の儒教道徳の枠組に押し込められてし まう。  さらにハムレットの独白の処理にも、文学と演劇の受容形態の大きな差が窺える。 明治の文学者達が、ハムレットの独白(特に第四独白)に「西洋近代」を感じて魅 了されたのに対し、仮名垣は翻案化に際して、ハムレットの独白をすべてカットし てしまったのである。歌舞伎にも「独り台詞」は存在するが、その殆どは自然描写 や状況説明の機能を負うもので、ハムレットの独白のように、人間心理や思考の混 沌を表出するものではない。そのため仮名垣は、自分の知る歌舞伎型の独り台詞と は性質を異にする独白の扱いに困り、すべて割愛してしまったと推測される。しか し、これをさらに突き詰めて考えれば、結局のところ仮名垣は、際物作家として、 文学界で話題になっていた『ハムレット』にいち早く目をつけ翻案化したものの、 ハムレット独白に表されるような近代的人間像に深い関心を抱いていたわけではな かったのではないか。  こうして日本初の『ハムレット』翻案が演劇界から産声を上げはしたが、当時こ の作品が上演されることはなかった。とはいえ演劇界での『ハムレット』受容が止 まってしまったわけではなく、第二期の間に徐々に脱歌舞伎化し、とりわけ1 9 03年 の川上音二郎による公演と1 9 11年の坪内逍遥による文芸協会公演を経て、いかにも 「西洋劇」らしく上演されるようになっていく。仮名垣が全面的にカットしたハム レットの独白も、漸次的に受け入れられ、1 9 1 1年の坪内の舞台ではようやく堂々と 演じられるようになったという。 第三期 書斎の『ハムレット』 1 90 5年∼1 9 4 5年   第三期は、シェイクスピア受容にとって「不遇の時代」と考えられがちである。 というのも、まず大正時代には、イプセン、チェーホフ、ゴーリキのように社会性 や問題性を前面に打ち出す近代劇や前衛劇がもてはやされ始め、シェイクスピアは むしろ「古臭い」ものとして魅力を失ってしまったのだ。さらに昭和初期に入ると、 日本は軍国主義へと傾斜して排外的な意識を高めていく。思想統制や検閲が厳しさ を増す中、日本の政治や社会に批判的な新劇運動やプロレタリア文学は厳重な取り 締まりを受けた。シェイクスピアも、 「敵国の言葉」による「敵国の文学」として白 眼視され、太平洋戦争勃発後は舞台から追放されることになる。こうした事情から −9−.

(25) 『ハムレット』上演数は大正時代から減少の一途をたどり、太平洋戦争勃発後は、 『ハムレット』のみならずシェイクスピア上演がすべて消えてしまった。しかし、 だからといって日本における『ハムレット』受容が止まってしまったわけではなく、 むしろ水面下、つまり研究者や作家の「書斎」へともぐり込み、そこで研究や翻訳、 文学作品として結実していった。ここでは研究や翻訳についての説明は割愛するが、 強調しておきたいのは、この時期のシェイクスピア研究や翻訳の進展には目を見張 るものがあり、それなくしては、戦後の爆発的シェイクスピアブームはありえな かったということである。  第三期のとりわけ興味深い例は、創作文学に見出される。志賀直哉は、前出の坪 内逍遥の舞台を鑑賞し、それに触発された短編「クローディアスの日記」を1 9 12年 に発表した。彼は英米の『ハムレット』批評を意に介すことなく、小説家としての 感性と、舞台からうけた実感―創作動機として「土肥春曙のハムレットが如何にも 軽薄なのに反感を持ち、却って東儀鉄笛のクローディアスに好意を持った」ことと、 「幽霊の言葉以外クローディアスが兄王を殺したといふ証拠は客観的には一つも存 在していない」ことを挙げる―のみを頼りとして、『ハムレット』劇を「無罪のク ローディアス」の視点から日記形式に綴り直した。  志賀の受容においてまず注目すべきは、彼が盲目的崇拝の態度を取らず、むしろ 一作家として『ハムレット』に対峙し、自分なりに書き換えてやろうという大胆不 敵な姿勢で翻案化に臨んでいる点である。そして実のところ、そんな彼の姿勢こそ が、英米批評を先取りする独自の見解へと志賀を導いた。たしかにクローディアス を無罪と判断した点で、志賀は原作を読み誤ってはいる。しかしながら、主人公を 否定的に捉える彼の見解や、劇中劇の場面に関する彼の判断は、実は英米の批評家 達が数十年の後に唱えはじめる批評の流れを先取りするものとして、 『ハムレット』 批評史上きわめて高い価値を有するものである。  一方、太宰治も原作をかなり自由に書き換えた『新ハムレット』 (19 4 1)を発表 している。作者自身が「私の過去の生活感情を、すっかり整理して書き残して置き たい気持ちがありました。その意味では、私小説かも知れません」と述べているよ うに、この作品には太宰自身の過去の体験や人生観、さらに彼が長年にわたって追 及していた愛とエゴイズムの問題、若者と大人の対立のモチーフなどが書き込まれ ている。さらに本作の価値は、当時の日本社会批判―小説のクローディアスに「近 代悪」を描こうとしたと太宰は述べている―や戦争批判という点にも見出される。 − 10 −.

(26) 志賀や太宰の翻案は、日本文学における『ハムレット』受容が、かなり成熟したも のとなってきたことを窺わせてくれよう。 第四期 みんなの『ハムレット』 19 4 6年∼1 9 80年代半ば   戦後の国家再建が進むにつれ、太平洋戦争以来ぴたりと止んでいたシェイクスピ ア上演も徐々に始まり、シェイクスピアへの関心も復活していく。しかし戦後の シェイクスピア人気の起爆剤となったのは、なんといっても19 55年の福田恒存翻 訳・演出による『ハムレット』公演であった。福田は戦後日本のあり方、特に日本 「近代」のあり方に問題を見出し、それを解く鍵を本公演に求めた。彼は『ハムレッ ト』劇を共同体の儀式、ハムレットをその儀式の司祭かつ生贄と見立てることによ り、日本人の共同体への帰属意識を深め、彼らの自我の確立を助けようとしたので ある。この上演は一大センセーションを巻き起こし、一時は「時代遅れ」とされた シェイクスピアを、ふたたび劇場最前線へと呼び戻した。    次にシェイクスピア大衆化に大きく貢献したのは、演出家・出口典雄と翻訳家・ 小田島雄志によるシェイクスピア全作品上演プロジェクト(1 9 75∼1 9 8 1)である。 このプロジェクト全体に共通する特徴は、日本人がそれまで囚われていた「本場の シェイクスピア」に対するコンプレックスからの解放という点にある。シェイクス ピア劇が実に自由かつ大胆に作り変えられている英国劇壇の現状を目の当たりにし た出口は、 「シェイクスピアはかくあるべし」という固定観念から開放され、革新的 な舞台を作ることに成功した。ジーンズ姿の役者のスピード感あふれる演技、最低 限の小道具や舞台装置、ロック音楽の使用など、若者の感性に訴えかける演出が特 徴であった。小田島雄志の翻訳もテンポがよく平明で、新鮮な言葉に満ちていたた め、若い世代から大きな支持をうけた。その最大の特徴は、シェイクスピアの言葉 遊びや駄洒落の大胆な意訳にある。小田島は原文の英語に引きずられることなく、 訳語がまず日本語として「生きている」ことを第一に心がけ、斬新な表現を次々と 編み出した。出口の革新的演出と小田島の新鮮な翻訳がうまく合体した本プロジェ クトは、娯楽性の高い偶像破壊的シェイクスピアを次々と生み出し、シェイクスピ アの大衆化に貢献したのである。  さらに忘れてはならないのは蜷川幸雄の公演。蜷川といえば、1 9 8 0年の『マクベ ス』公演で世界的名声を手に入れた演出家だが、彼の得意とする日本的演出は1 9 78 年の『ハムレット』の舞台にもふんだんに採り入れられていた。最大の見せ場とな − 11 −.

(27) る劇中劇の場面には、舞台装置として巨大な雛壇が用意され、役者達が雛人形の装 束で並ぶという奇抜な演出がなされた。蜷川によれば、仏壇や雛壇といった日本的 儀式にまつわる舞台装置は、「日本人の集合的記憶」を喚起するための仕掛けであ るという。さらに、音響にはバッハ、現代アメリカ音楽や日本の小室哲也など寄せ 集めの音楽を使用し、衣装にも頭陀袋や派手なビニール素材を使うことで独特の舞 台空間を作り上げ、人々の心をわしづかみにした。この蜷川の舞台もまた、古典的 『ハムレット』像をぶち壊し、彼に続く若い世代が、さらに自由で大胆な変形を 『ハムレット』に加えてゆくきっかけとなった。  第四期の異色の受容例としては、黒澤明の映画『悪い奴ほどよく眠る』(19 6 0) が挙げられる。これは高度成長期の日本を舞台にした社会派サスペンス映画で、土 地開発公団、建設会社と政治家の癒着による汚職事件が、個人の復讐劇と絡められ る内容である。原作と映画の類似は一目瞭然ではあるが、黒澤の究極の目的は、日 本版『ハムレット』を作ることではなく、むしろ当時の日本社会の糾弾にあったと 思われる。というのも、本映画が執拗に描きだすのは、当時の日本社会の矛盾した 二重の倫理規範―伝統的・封建的な倫理観が日本の政財界にまだまだ生き残る一方 で、明治以降、特に戦後に入ってきた西洋的・近代的な考え方がそこに驚くべき形 で共存している実態―であるからだ。そして、そうした二重の倫理規範こそが、日 本独特の汚職や不正の構造を生み出していると黒澤は告発する。今日の話の中で、 作家や演出家達が『ハムレット』をとおして日本近代のあり方を問うている例をい くつか紹介してきたが、この黒澤映画もまた、封建性と西洋近代が折り合いの悪い 形で共存する日本近代の問題を扱っていると言えるだろう。  文学の領域では、大岡昇平の翻案小説『ハムレット日記』(19 5 5)が興味深い。 タイトルどおり、ハムレットが書いた日記という形式で、彼の視点から劇の内容が 語り直される作品である。作者自身が認めるように、本作の最大の特徴は原作の徹 底的な政治化にあり、一般的には「心優しく優柔不断な王子」とされるハムレット をマキャベリ的な策術家として仕立て直している。例えば4幕4場でハムレットと フォーティンブラス軍が遭遇する短いシーン。上演では「重要でない」とカットさ れがちな同場面を大岡は、二人の政治家が腹を探りあう心理的駆け引きの場面へと 書き換える。またレアティーズも、父を失って憤る息子というよりは、民主主義代 表として王座を狙う一政治勢力として書き直される。大岡は『野火』や『レイテ戦 記』において、国家や政治、戦争などの大きな機構やからくりが、その中に生きる − 12 −.

(28) 個人の運命や人生、心理をどのように歪め、左右していくかという問題を追求した が、宮廷政治が主人公の心を支配し、蝕んでゆく過程を描く『ハムレット日記』に も、その主題は通底するように思われる。 第五期 国際的『ハムレット』 1 98 0年代半ば∼  日本の『ハムレット』受容の最終期の最大の特色は、前例を見ないほどの国際化 と多様化にあるが、ここでは上演を例にその一端を紹介したい。  出口典雄の演出が、 「本場のシェイクスピア」に対するコンプレックスから日本 人を解放したと上で述べたが、これは一時的現象であって、日本の演劇界には依然 として、英国劇団の上演を「正しい」モデルとして崇めたり、シェイクスピアの 「本物」のテキストを過度に敬い、それを書き換えることに罪悪感を感じたりする 傾向が強かった。ところが、これが1 9 80年代に入って変化しはじめる。特に『ハム レット』に関しては、1 9 8 0年代後半からスウェーデン、ポーランド、ソ連、中国な ど、英国以外の国の劇団が立て続けに来日し、原作の英語や文脈から開放された大 胆な演出によって、日本人を「本場」 「本物」コンプレックスから解き放ったばかり か、 「異文化が生み出すシェイクスピア」の利点や魅力に開眼させた。とりわけ『ハ ムレット』劇の政治的次元が、社会体制批判や政治批判に格好の素地を提供してい ることを、これらの舞台は有効に示してくれた。例えば1 9 88年のイングマール・ベ ルイマンの演出は、サングラスとレインコートを身にまとう反抗期の若者ハムレッ トの悲劇を通して、繁栄する社会の裏の腐敗や無秩序など、スウェーデン社会の抱 える問題に対する批判が表現された。同公演は日本にセンセーションを巻き起こし、 二年後の1 9 9 0年には実に十八の上演が行なわれるという空前の『ハムレット』ブー ムの引き金となった。  日本人が「本物」コンプレックスから開放されたことを裏付ける証拠として、こ の『ハムレット』ブームの十八の上演のうち、原作をそのままに演じたものが極め て少なく、逆に自由な翻案作品が目立ったことが挙げられる。例えば上杉祥三演 出・主演の『(暴君)ハムレット』は、日本の飛鳥時代に舞台を移し、 主人公ハムレットを「羽無劣人」 (飛ぶ羽の無い劣った人)に変身させた。扇田昭彦 によれば、この公演は言葉あそびや駄洒落をふんだんに盛り込み、原作をまさにブ ロークンな喜劇に変形して、当時の日本の羽の無い若者の喪失感、つまり「口ばか り達者で少しも飛べない」若者達の状況を照らし出したという。 − 13 −.

(29)  多様性を語る際に忘れてはならないのは、伝統芸能との融合という側面である。 8 0年代以降、能や歌舞伎、文楽などの伝統演劇と一般演劇との間に交流が見られ、 伝統演芸の手法や様式や役者が、積極的にシェイクスピア上演へ採り入れられ始め た。能の分野では、宗片邦義率いる英語能シェイクスピア研究会が、198 2年以来 『能ハムレット』の英語上演を繰り返している。宗片の能的な『ハムレット』解釈は、 ハムレットの第四独白の書き換えに端的に表わされる。オフィーリアの死の直後に ハムレットが、 “        . .    .               . ” (下線筆者)と変形 された第四独白を語ることで、主人公が生死の問題をすでに超越し、悟りの境地に 達したことが示唆されているという。  一方、歌舞伎界との融合においては、七代目市川染五郎主演の歌舞伎版『ハム レット』公演(1 9 91)が注目に値する。本公演は、先述の仮名垣魯文作『葉武列土 倭錦絵』(18 8 6)の初舞台化であったが、作者の趣向を十分に反映させ、歌舞伎の 様式や仕掛けが多く採り入れられた。例えば、染五郎によるオフィーリアとハム レットの一人二役。この歌舞伎の手法は、若い二人の運命の悲劇的類似性―いずれ も親への義務のために愛を犠牲にする―を効果的に示すことを可能にした。その反 面、一人二役のせいで恋人同士の会話は成立せず、例えば「尼寺へ行け」の場面が 生み出すような劇的緊張感も失われてしまった。染五郎による二役早代わりの見せ 場も設けられたが、これは二人の関係をかえって「表面的で無味乾燥なもの」に見 せたとの批判を受けた。物珍しさも手伝って公演はまずまずの好評であったが、 「文化的融合ではなく文化的離縁」だという手厳しい声も聞かれた。とはいえ、本公 演が、歌舞伎とシェイクスピアの融合に伴う様々な可能性ばかりか、困難や矛盾を も示す貴重な機会となったことは間違いない。  この上演からもすでに1 5年が過ぎ、その間にも、まさに万華鏡的とでも呼びうる 多種多様な『ハムレット』が日本のなかで生まれ続けているが、この辺りでいった ん話を止め、最後に、文学の異文化受容の研究がもちうる意義を提起して、この講 演のまとめとさせていただく。 まとめ 文学の異文化受容研究の意義  まずは、受容対象となる作品の理解を深めるという、文学研究本来の意義が挙げ られよう。異なる文化的背景をもつ受容者は往々にして、その独自の視点や感性ゆ えに、英米の研究者が見落としがちな見解にたどり着いたり、英米の文化的・思想 − 14 −.

(30) 的背景からは浮かび上がってこない側面に目を向けたりすることがある。ただしそ の際、 「異文化」性を強調しすぎることには注意が必要となる。というのも、それ はすなわち、英国をシェイクスピア研究の「中心」 、英米圏の解釈を「正統」と固 定化することに繋がるからだ。近年は、そうした英米中心の考え方に疑問が投げか けられ、文化圏や言語を越えたグローバルなシェイクスピア上演・解釈の正統性が 唱えられる傾向にある。つまり、過去数百年にわたり連綿と続いてきた英米主導の シェイクスピア批評も、日本など異文化圏からのアプローチも、本質的には同じレ ベルに位置づけられるべきものということになる。  さらに文学の異文化受容の研究は、受容する主体にも光をあて、その理解を深め ることを可能にする。例えば日本の『ハムレット』受容を辿ることは、日本独特の 受容形態を明らかにし、その要因となる日本(人)の様々な側面―文学や演劇の特 質、歴史、感性、倫理観など―に目を向けることに他ならない。日本に限らず、イ ギリスに植民地化されたインドや、熱烈なシェイクスピア崇拝国として知られるド イツなどの受容の歴史を紐解いてみると、それぞれの国の歴史・文化・国民性など があざやかに浮き彫りにされることであろう。  数百年にわたり悲劇『ハムレット』は、その目くるめく万華鏡的ヴィジョンや解 釈をもって受容者を魅了してきた。しかしながら、この『ハムレット』という万華 鏡は、それを覗き込む受容者をも同時にくっきりと写し出すわけであり、その意味 では双方向に機能するきわめて複雑な万華鏡だということもできるだろう。  1 本 講 演 は イ ン タ ー ネ ッ ト で 発 表 し た 拙 論“ ’          ”     .

(31)      . 

(32) .    . (      .

(33)  .  . 

(34)   

(35) 

(36)      

(37) 

(38) .     ) に基づく。詳細はそちらを参照されたい。. − 15 −.

(39) ●シェイクスピアと言語学. 認知言語学からみたシェイクスピア ― メタファー理論を中心にして ― 清 水 啓 子(英語学・言語学)  「ことばの綾(あや) 」というものがある。比喩(       .  .

(40) )とも言われる。 たとえば、シェイクスピアの『リア王』の有名なセリフに「人間生まれてくるとき に泣くのは、この阿呆どもの舞台に引き出されるのが悲しいからだ」というのがあ る。これは「人生」を「舞台」と見立てた表現であるが、こうした類の比喩表現は、 天才詩人や偉大な小説家たちだけの専売特許なのであろうか。一般市井の人々には、 才能ある作家の芸術作品を受身的に享受するだけの能力しかないのだろうか。  比喩表現が弁論術やレトリックの技術として重要であることは古来より認められ てきたところで、アリストテレスは『詩学』 、 『弁論術』の中で比喩表現を取り上げ ている。また芸術的表現の技術という観点からは、文体論などにおいて文学研究の 対象とされてきた。一般言語学においては意味論の中で扱われてはきたものの、2 0 世紀中盤からの、言語を科学的に数学的アルゴリズムとして分析し意味内容にあま り重きをおかずに文法理論を構築しようという学問的潮流に飲み込まれ、比喩表現 は言語学研究の主流からはずされる傾向にあった。しかし、1 98 0年代からアメリカ 西海岸を中心に展開し始めた「認知意味論」という言語学分野において、比喩研究 は大きな方向転換をする。  「認知意味論」あるいは「認知言語学」という枠組みで言語を分析しようとする 場合の、 「認知(      ) 」とは、人間がどのように外部世界を把握するかという 主体としての人間の働きを意味する。例えば、聴覚器官である耳が外界の物音を捉 えて「何かの音がした」と感じるのは「知覚」作用だが、それをさらに「あ、雨が 降り出したな」という情報として理解するのが「認知」であると言える。そして、 言語とは人間が環境世界をどのように把握しているかという「認知」の仕方を映し 出している、と考えるのが「認知言語学」の基本的姿勢である。  まず具体例として、以下のような言語表現を見てみよう。. − 16 −.

(41)    a.あの先生は鬼だ。 (メタファー)     b.お皿をたいらげる。 (メトニミー)     c.公園にお花見に行く。 (シネクドキ)  aでは、先生という人間を鬼という架空の生物として捉えて描写し、bでは 食べたのはお皿自体ではなく皿に盛られている料理であり、cでは花といえども チューリップやバラではなく桜の鑑賞に限定される。これら三種類の比喩表現はな んら文学的で深遠なメッセージを伝えているわけではなく、私たちが毎日話す語り 口にすぎない。つまり上記の例は、メタファーなどの比喩表現は文学的な修辞表現 のみの特殊な言語使用であり、従ってメタファーは自然言語を分析対象とする言語 学という学問の研究対象ではない、とする2 0世紀言語学の主流の考え方が誤ってい ることを明示している。認知言語学においては、メタファーとは人間の日常的な思 考様式であり、人間はメタファー的認知メカニズムなくしては機能不全となり、 日々の普段使いの言語表現もメタファーに基づいている、という考え方をする。  普段の言語表現ですらメタファー思考なくしては在りえないことを次の英語の例 でみてみよう。    a.              .

(42)      b.            .      c.            上の例はいずれも前置詞   を含んでいる。英語の前置詞は様々な意味を表わす ので英語を学習している者にとっては難しい文法事項の一つである。しかし、ある ひとつの前置詞が持ついろいろな意味はそれぞれお互いに無関係に存在するのでは ない。例えば、実はbとcの用法はメタファー思考に基づいているのである。ま ずaのように空間的な意味を表わす   が元来の用法であり、       .

(43)  と いう区切られた境界内に   がいるという空間関係を描写している。一方、b やcの  は、空間ではないが、ある特殊な心理的状態(   )、抽象的状態(       )の「中に」  が存在するという「イメージで捉える」ことによって、   のことを描写している。つまりbとcの   は物理的三次元空間でなないが 「ある状態空間のようなものの内部に在る」というイメージを表していると言える。. − 17 −.

(44)  これを図示すれば以下の〈図1〉のようになる。このように表わされる思考メカ ニズムを「概念メタファー」という。説明したい内容(心理状態や抽象的状態)を、 もっと身近で具体的経験の豊富な知識領域(空間)に照らし合わせて理解し言語化 する認知メカニズムであり、根源領域から目標領域へのマッピングという形を取る。 ここで重要なのは、根源領域(喩えるもの)とは、より具体的で身体的な直接経験 を伴う知識であり、目標領域(説明したい、理解したいもの)とは、より抽象的で 触ったり見たりできないような現象や概念であり、その捉えにくく分かりずらい目 標領域を何とかよりよく理解したい、伝えたいという欲求を満たすための手段が概 念メタファーと言える。bやcは、「状態(目標領域)は空間(根源領域)であ る」という概念メタファーで捉えることができる。概念メタファーとは言語表現自 体を指すのではなく、知識構造・思考パターンのことを指し、bやcのような具 体的言語表現を生み出す土台となっている。換言すれば、 「X(目標領域)をY(根 源領域)とみなす」という概念作用といえる。 図1 概念メタファー「状態は空間である」 根源領域. 目標領域. <空間      >. <状態    >. ▲. ▲ .    .  . .       . .      . . . 

(45). a.         .   

(46) .   . b   c.         . 

(47)     .   .  認知言語学のメタファー理論でよく例に挙げられるのは、 「時は金である(     ) 」という概念メタファーである。これは「時間」という抽象的概念領 域を「お金」という具体的経験に根ざした知識領域で把握するという人間の思考パ ターンである。具体的な言語表現には次のような例がある。    a.時間を浪費する。 (←お金を浪費する。 )     b.時間を節約する。 (←お金を節約する。 )     c.       .           . (←                 ). − 18 −.

(48)  しかし、お金の領域の知識すべてが時間の領域にあてはまる訳ではなく、例えば、 のようには言えない。    ??友達から時間を借りた。 (←友達からお金を借りた。 )  つまり以下〈図2〉のように、この場合の「時間はお金である」という概念メタ ファーにおいては、根源領域から目標領域へのマッピングは非常に部分的であり、 対応しない要素もある。実はどんな概念メタファーでも二つの領域間の対応関係は 部分的である。 図2 概念メタファー:「時間はお金である」 <お金 領域>. <時間 領域>. 人. ▲人. 買う物. ▲ 使う対象. 節約 渡す相手 貯める 借りる. × × ×. ▲ 節約 ▲ 渡す相手? ▲ 貯める? ▲ 借りる?.  以上で、日常の言語にメタファー思考が満ち溢れていることは確認できたが、で はシェイクスピアら天才作家の文学作品に使われている言語はどうなのだろうか。 結論を言えば、文学作品も日常言語もどちらも同じようなメタファー思考を基盤に している、というのが認知言語学の主張である。「詩人は基本的メタファーを新し いやり方で組み合わせて修飾し表現するが、用いているのは我々にも手の届く、同 じ基本的な概念メカニズムなのである」(    . 

(49).  19 8 9 :2 6 訳:筆者) 。 文学作品のメタファーと日常言語のメタファーは思考メカニズムという観点からす れば本質的な違いはなく、作家の独創性や創造性といえども人間に普遍的なメタ ファー思考から生み出されているのである。  シ ェ イ ク ス ピ ア 作 品 を 認 知 言 語 学 の メ タ フ ァ ー 理 論 か ら 分 析 し た 研 究 に    (19 95)がある。    は、シェークスピア4大悲劇の一つ『マクベ ス』においては「容器」と「道」のメタファーが主要な概念メタファーとして使わ れていると言い、その結果、 「容器」による三次元空間に加えて、 「道を進む=人生 を生きる」という概念メタファーにより時間的次元が重なり、作品に時空的広がり − 19 −.

(50) を持たせる効果が生じていると指摘する。  本稿では、    とは異なる概念メタファーを『マクベス』から抽出してみた い。人間を把握、描写するのに植物に喩える言い方がある。この場合「人間は植物 である(    

(51) )」という概念メタファーが基盤になっている。日 常的な言語表現では、以下のような例があげられる。    a.なかなか芽が出ない役者     b.考えがまだ青い(=未熟だ) 。     c.今が人生の花だ。     d.長年の苦労が実を結ぶ。  同様の概念メタファーに基づいた表現が『マクベス』にも多く見い出せる。    a. [バンクォー] (マクベス 1. 3)       もしもおまえたちに時がはぐくむ種子を見通し、       どの種子が育ち、どの種子が育たぬか言えるのもなら、       おれに言ってみろ              (小田島雄志訳)     b. [ダンカン] (マクベス 1. 4)       そなたという苗木をうえつけたわしだ、       りっぱに成長するように見守るぞ。      (小田島雄志訳)     c. [マルコム] (マクベス 4. 3)       このわたしだよ。わたしはようくわかっている、この身には、       悪徳という悪徳が揃って接ぎ木されているのだ。だからな、       それがいっせいに花開いたならば、黒一色のマクベスでさえも       雪のように純白に見えるであろう。       (大場建治訳)     d. [マルコム] (マクベス 5. 1)       マクベスは枝に熟しきってひと揺さぶりで落ちる。   (大場建治訳)     e. [マクベス] (マクベス 5. 3)       思えば長いこと生きてきたものだ、おれの人生は       黄ばんだ枯葉となって風に散るのを待っている。   (小田島雄志訳)  このように「人間は植物である」という概念メタファーがあちこちで使われてい るのだが、まるでそれを布石にするかのように、悲劇『マクベス』の重要なプロッ − 20 −.

(52) トが最後に巧みに仕組まれている。ついにイングランド軍に攻め寄せられてしまう 場面で、マクベスは次のように言う。     [マクベス] (マクベス 5. 5)      「恐れるな、バーナムの森が     ダンシネインにせめてこぬ限り」 、それがいま、ダンシネインに     向けて森が動いた。ようし武器を取れ、武器を、うって出るぞ。 (大場健治訳)   魔女の予言「バーナムの森がせめて来ない限り」とは、前述の「人間は植物であ る」とは逆の関係の概念メタファー「植物は人間である」に基づく発想である。例 えば、風にそよぐ葉の音を「木々がささやく」と表現したり、非常に古い木を「老 木」と言ったりする。「草花が狭い庭に身を寄せ合って咲いている」という表現に 何ら違和感はない。しかし人間を根源領域にして植物を目標領域にする概念メタ ファーにおいては、マッピングされない部分が多い。木々には足がないので移動は できない。したがって「森が攻めてくる」ことの実現可能性はゼロである。だから マクベスは高を括って攻め滅ぼされることはないと確信する。が、このありえるは ずのない「森が人間のように攻めてくる」という予言が皮肉にも実現してしまう (実際にはイングランド軍の兵隊たちが木の枝を頭につけてカモフラージュしてい るわけなのだが) 。この展開の面白さは、確かにプロットそのものの巧妙さ、意外さ にもあるのだが、さらに深読みすれば、それ以前にあちこちに散りばめられている 「人間は植物である」と、バーナムの森が動くという「植物は人間である」という 二種類の概念メタファーにおいて同じ二領域が逆方向にマッピング対応されている ことによって、概念や存在というものの不確実さが示唆されるのではないだろうか。 「人間」と「植物」という二つの知識フレームを概念メタファーにおいて双方向に 関連づけることによって生まれる、「人間」と「植物」の二領域が融合してしまい そうな奇妙な感覚は、『マクベス』の不吉な世界に似つかわしい。「人間は植物」 「植物は人間」という鏡像関係は、第1幕冒頭での「きれいはきたない、きたない はきれい」という魔女たちの言葉とも構造的に呼応する。  先に、芸術的文学表現と一般の人々が使う日常言語の二者において、メタファー 思考というメカニズム(仕組み)の点では本質的な違いはない、と述べた。しかし、 やはり天才の生み出した傑作と私たちの日々の言葉使いには歴然とした差異がある。 ではどこが異なるのか。この点について、    . 

(53) ( 19 8 9)は、日常的思 − 21 −.

(54) 考方法である基本メタファーを用いながらもそれらを詩的思考に応用する方法とし て、拡張(    )、精密化(       ) 、問いかけ(       )、組み合 わせ(     )の4つをあげている。その中で最も強力な詩的メタファー応用 は組み合わせであるという。「偉大な詩作品の豊かさと説得力は、ひとつには基本 的メタファーによる世界の把握が幾重にも重なりあっていること(     .         .     

(55).    .

(56).            )から来ている」 (同上.. 2 7)と 指摘する。その具体例を『マクベス』第2幕のマクベスの「眠り」を殺したという セリフに見ることができる。    [マクベス]   (マクベス 2. 2)      叫び声が聞こえた気がした、 「もう眠りはないぞ、      マクベスが眠りを殺したぞ」 、無心の眠り、     もつれた心労の糸玉を濃やかにほぐしてくれる眠り、     昼間の生への安らぎの死の床、つらい労役を終えた沐浴、     心の傷の軟膏、大自然の供する豪華な馳走     人生の饗宴の滋養の一皿             (大場建治訳)  ここでは描写テーマである「眠り」という目標領域に対して、いくつもの起点領 域(つまりは概念メタファー)を畳み掛けるように連ね、それらが一気に融合され て「眠り」のイメージが喚起されることにより、「眠り」に対する豊かで多面的、 複合的な概念把握が伝えられている。詩人の想像力は「眠り」をたった一つの起点 領域で捉えて済ませることなどできない。マクベスの「眠り」がどのような起点領 域を持つかは以下のように図示できる。 図3 マクベスの「眠り」に対する複合的な概念メタファー 心労の糸玉をほぐす 一日の終り=死. ②. ▲ ▲. ③. ご馳走、滋養. 眠り. ▲. 傷の薬. ▲. ▲. 仕事の後の沐浴. ①. ④ ⑤⑥ − 22 −.

(57)  最後に『マクベス』で最も有名な独白、マクベス夫人が自殺を図った後、イング ランド軍が攻めてくる直前に言うマクベスのセリフを概念メタファーという観点か ら見てみよう。     [マクベス] (マクベス 5. 5)      明日、明日、明日、      時は小きざみな足どりで一日一日を這うように、      時の記録の終の一語にたどり着く。      昨日という昨日は、阿呆のために、塵に返る死への道を      照らしてきたひと筋の光。 消えろ、消えろ、つかの間のともしび、      人生は歩き回る影法師、 あわれな役者、      舞台の出のあいだだけ大威張りでわめき散らすが、      幕が下りれば沈黙の闇。たかが白痴の語る      一場の物語だ、怒号と狂乱にあふれていても、      意味などなにひとつありはしない。         (大場建治訳)  ここでは、 「時」 「人生」 「命」などのテーマが様々な根源領域に基づいた概念メ タファーで複雑に語られる。まず①は「人の歩み→時」で、ゆっくりと這うように 進む人間として時間が擬人化して捉えられ、②の「終の一語」とは物語の最後、つ まりはマクベスの死であり、ここで「物語→人生」という概念メタファーが既に暗 示されている。次に③では、過去の時間は死への道のりを照らしてきた光であり、 「道→人生」と捉えられている。 「阿呆が塵に返る道」であるから、マクベスの成功 ままならぬ惨めな人生の終りが示唆される。④はマクベスで有名なフレーズのひと つで、 「蝋燭の火→命」という概念メタファーであるが、 「つかの間のともしび」は マクベスの命が短いこと、あるいは人間一般の命のはかなさを示す。ここで「蝋燭 の明るい光→命」とは言うものの、すぐにその後の⑤で、人生は光源のように輝か しく明るいものではなく、 「歩き回る影法師」にすぎないと言う。では人は一体何の 影で、人生を操っている存在は何かを問えば、その答えは次の⑥で「役者→生きて いる人」 「舞台→人生」 「物語→人生」という概念メタファーにより、人は物語の書 き手の意のままに動く役者にすぎず、人生とは「白痴の語る」つまらない意味のな い物語である、となる。物語を語っている愚か者とは実はシェイクスピア自身でも あり、その一方で劇作家シェイクスピアにとって「舞台→人生」という概念メタ − 23 −.

(58) ファーはもはやメタファーではなく、真実そのもの「舞台=人生」でもある。  以上のように、 『マクベス』の有名な独白には複数の概念メタファーが複雑に重層 的に絡み合っていて、それゆえ観衆/読者の頭の中には様々なイメージが次から次 に喚起され、その巧妙な豊かさに圧倒される。しかし繰り返して言うならば、こう した独創的な文学的芸術作品の発想の基盤にあるのは、すべての人間に本質的に備 わっているメタファー思考という認知の仕組みなのである。さらにメタファー思考 は芸術的創造のための技術であるのみならず、また発見的認識の方法でもある。電 流や原子構造など科学分野におけるモデル構築には、水の流れや太陽系の構造との アナロジーが重要な役割を果たしたが、アナロジーとは異なる二者間に人間が主体 的に類似性を認める思考方法であるという点でまさにメタファーでもある。  概念メタファーは人間のごく日常的な認知の営みであると主張する認知言語学は、 芸術的な文学作品の価値を日常言語のレベルに引きずり下ろしてしまおうという企 てではない。詩人が巧みに使っているメタファー思考は、一般の人々の無意識の思 考において基本的なものであり、人間に普遍的な認知メカニズムであることを確認 したいのだ。従って、文学作品の持つ普遍的価値が言葉の違いを超えて万人に理解 されうるのも、ひとつには、人間の自然言語および思考様式の、すべてではないに せよかなりの部分が、人間という生物の身体的・具体的経験に根ざした共通の概念 メタファーに基づいている故と考えられる。独創的な作家たちは基本的な概念メタ ファーを様々に重ね合わせて対象の複雑な多面性を描写する。また芸術的作品の解 読には、読者/鑑賞者の側でも自力で概念メタファーを再構築しなければならず、 みずからの想像力の力量を試される。この点で読者/鑑賞者による解釈は常に主体 的・能動的営みである。最後にメタファーに関する      ( 20 0 1: ) の言葉を引 用して終わりたい。  人間の思考、理解、推論、さらには人間の社会的、文化的、心理的実体の 創造においてメタファーは重要な役割を果たしている。したがってメタ ファーを理解することは、我々人間とは何者なのか、我々人間の生きている 世界はどんな世界なのか、という問いの核心を理解しようという試みなので ある。 . (訳:筆者). − 24 −.

(59) 主要参考文献:     . 

(60)    (1 9 9 5) “    .  

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(79)  .  .

(80) .  ( 1 9 8 9)       .  . 

(81)        .               . 

(82).     . 

(83).     

(84)    大場建治(2 0 04) 『マクベス』研究社(研究社シェイクスピア選集7) 小田島雄志(1 9 83) 『マクベス』白水社 瀬戸賢一(2 0 05) 『よくわかる比喩』研究社. − 25 −.

(85) ●シェイクスピアと映像. ――『ロミオとジュリエット』と映像 仮面舞踏会がはじまる 坂 井   隆(アメリカ文学)  『ロミオとジュリエット』の批評史はやや生彩に欠けるうらみがある一方で、その 作品の映像化は頻繁に行われている。エリザベス朝時代を忠実に再現する映画やテ レビドラマから、その作品にインスパイアーされて制作された、いわゆる亜種『ロ ミオとジュリエット』(例えば、『ウェスト・サイド物語』)まで多様である。本稿 では、3つの『ロミオとジュリエット』の映像作品――フランコ・ゼッフィレリ、 バズ・ラーマン、蜷川幸雄――を対象にしてその作品と映像性の関係を今日的視点 から考察する。特に今回は、ロミオとジュリエットが初めて出会う仮面舞踏会の場 面に焦点を絞る。原作にはその場面の設定についてのト書(    . .  .

(86)  )がほ とんどないのであるが、以上の監督や演出家はいかなる想像力を駆使して、いかに その仮面舞踏会を視覚化しているのであろうか。 1. 「冷たいメディア」としてのシェイクスピア  シェイクスピアが書いた原作戯曲(=上演する目的で書いた演劇の台本)を近現 代の戯曲と対比させると、ト書(=戯曲で登場人物の動き、場面の情況、照明・音 楽効果などの指定を台詞の間に書き入れたもの)の少なさに気づく。因みにト書を 通して劇作家が詳細な指定を行うことは近代劇から始まったとされている。ロミオ とジュリエットが出会う仮面舞踏会の場面にあたる第1幕第5場の冒頭には「楽士 たちが控えている。そこに、ナプキンをもった数人の給士登場」( “            .             . ” )というト書だけが付される。舞台設 定に関する情報が圧倒的に少ないことは明白である。  ここで注目したい点は、この情報量の少なさが逆に仮面舞踏会の場面の視覚化に 可能性と多様性を与える点である。各映画監督や演出家が自分達の想像力を通して シェイクスピアのト書を補完して、多様な舞踏会場面を創造する。換言すれば、仮 面舞踏会場面の視覚化(映像化)は映画監督や演出家の参与性の下で実現される。 現代メディア論の基礎を築いたマーシャル・マクルーハンに従えば、ト書に関して − 26 −.

(87) シェイクスピア作品は「冷たいメディア」といえる。 熱いメディアとは単一の感覚を「高精細度」 (     . . )で拡張す るメディアのことである。「高精細度」とはデータを十分に満たされた 状態のことだ。写真は視覚的に「高精細度」である。漫画が「低精細度」 (      .   )なのは、視覚情報があまり与えられていないからだ。 電話が冷たいメディア、すなわち「低精細度」の一つであるのは、耳に 与えられる情報量が乏しいからだ。さらに、話されることばが「低精細 度」の冷たいメディアであるのは、与えられる情報量が少なく、聞き手 がたくさん補わなければならないからだ。一方、熱いメディアは受容者 によって補充ないし補完されるところがあまりない。したがって、熱い メディアは受容者による参与性が低く、冷たいメディアは参与性あるい は補完性が高い。 (マクルーハン23)  シェイクスピア作品内のト書が与える情報量の乏しさ、そしてその乏しさを補完 する受容者(映画監督や演出家)の役割。この関係が、シェイクスピア作品を「冷 たいメディア」として措定する道を開く。 2.祝祭的スペクタクルとしての仮面舞踏会  ここで少し仮面舞踏会の視覚的効果を考えてみよう。仮面舞踏会という催し自体 が視覚化・映像化に馴染む装置といえる。舞踏会参加者の奇抜な仮装や豪華な舞台 セットが観客の視覚に直接的に訴える効果をもつ。シェイクスピアからは逸れるが、 この点を例証する映像をここで紹介したい。その映像とは、アンドリュー・ロイド =ウェバーが製作・脚本・作曲をつとめた映画『オペラ座の怪人』(20 04年)から の仮面舞踏会の場面である。この場面では、参加者が踊り、浮かれ騒ぐ祝祭的空間 が演出される。また、豪華な衣裳と舞台セットが観客の視覚に訴えるスペクタクル を提供する。この祝祭的スペクタクルが、仮面舞踏会を映像化(視覚化)する際、 重要な要素となる。そこで次にこの祝祭的スペクタクルが3つの『ロミオとジュリ エット』の仮面舞踏会場面においていかに実現されているのかを見てみる。. − 27 −.

(88) 3.フランコ・ゼッフィレリ(1 9 68)の場合  まずはフランコ・ゼッフィレリ監督の『ロミオとジュリエット』(1 96 8年)から 見ていく。この作品は、シェイクスピアの原作(または台詞)と彼が生きた時代状 況を比較的忠実に再現する。ゼッフィレリが呈示する仮面舞踏会場面で特徴的なの は、 「鈴の踊り」と劇中で呼ばれる輪舞である。原作には、踊りについての指定は なく、ただ、ジュリエットの父親の台詞と簡単なト書で以下のように語られる、ま たは説明されるだけである。                 .  

(89)   .       

(90)        . 

(91)            . 

(92).    .                   . . 

(93)   . 

参照

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