− − − − 世界一おしゃれといわれる日本の若者
日本の若者たちに化粧が広がったのは199年の 「女子高生ブーム」以後のことである。今日では 女性用だけでなく、男性や子供用化粧品まで店頭 に並ぶようになった。この結果、日本の若者は世 界一おしゃれともいわれるようになった。 1920・30年代は、化粧の歴史の最大の変革期で あった。それまではどこでも支配身分あるいは裕 福な人々にしかできなかった化粧が大衆に広ま り、髪型や服装なども含めて、新たなモードが瞬 く間に世界に広がる時代となったのである。これ にはアメリカを先頭に大衆社会が展開したこと、 また経済活動がグローバル化したことが関与して いる。たとえばアメリカでリップスティックが登 場したのは191年であるが、5年間で全世界に広 がった。どの家庭でも化粧台の前に大量生産され たコンパクト類や各種のクリーム、香水瓶などが 並ぶようになった。ネイルエナメル、パーマネン トが一般化したのもこのころである。また、それ までは化粧美の標準は成熟した中年の大人に置か れていたが、これ以後は20歳前の若者へと移行し、 身体も痩身が美しいとされるようになった。現代 日本の化粧の動向も、この動きの延長なのである。
化粧の起源
化粧には、文化人類学的な諸事例が示すように、 集団間の区別、性差、身分差等を示す社会的機能 がある。しかし古く遡るほど、自然に対する防御、 とりわけ呪術と結びついていく。たとえば後期旧 石器時代のマドレーヌ期(12,000〜17,000年前) の岩壁画に赤色を塗った人物像があり、これは狩 猟の成功を祈る呪術と関係しているとされてい る。縄文人・弥生人の「赤化粧」も、邪悪な霊を 排除する呪術と結びついていたといわれる。
西洋の化粧
西洋の化粧の源流となったのはエジプト人であ
る。彼らのアイメーク は孔雀石の緑の粉末や 硫化アンチモンなどか ら作った黒いコールを 目の縁やまつげに塗っ たもので、これは、野
球選手が目の下に塗る墨と同様に強い太陽光線か ら目を守る意味があったし、虫害による眼病から目 を保護する意味もあった。また彼らは口紅を塗り、 木の棒をロットにして泥でパーマをかけた。 こうした風習はギリシア、ローマにも伝えられ、 ローマでは金髪に染めた髪をカールすることが流 行したし、マニュキア、ペディキュアも行われて いた。他方、鉛白は前4世紀にギリシアのテオフ ラストスが発明して以後広まったとされる。白塗 り化粧で最も有名なのはエリザベス1世で、半イ ンチ(1.3㎝)もの厚化粧をしていた。
日本人と化粧
日本の「白化粧」は、中国の化粧が源流となっ た。唐代は中国的化粧が完成した時代で、ふくよ かな女性が美人の条件とされ、白塗りし濃い紅を 頬に塗り、眉間には紅で花か鈿でん、眉には美人の代名 詞ともなった「蛾が眉び」を描いた。日本書紀には渡 来僧の観成が初めておしろいを作って持統天皇に 献上したとあり、高松塚古墳の壁画や「鳥毛立女 屛風」等に見られるように、日本の宮廷もこの唐 の化粧やファッションをそのまま取り入れた。 遣唐使の廃止後、宮廷貴族は、「源氏物語絵巻」 などで描かれているように、結髪をやめて垂髪に かわった。男女ともにおしろいを塗り、頬の紅を 薄くし、眉を抜いて上方に黛でまゆをつくり、鉄 漿(おはぐろ)をつけるようになった。
この化粧は貴族では明治初期まで維持された。 他方、それは武士に広まり、江戸時代には町人に も広まった。江戸時代の女性は結婚と同時にお歯 黒をつけ、出産すると眉を剃った。ベニバナから 作る最高級の紅は「紅一匁、金一匁」といわれる ほど高価だった。海外ではまだ化粧は支配身分の みが行っていたから、日本は世界で最も早く大衆 に化粧が広がった国として明治を迎えている。
化 粧
埼玉大学教授 岡崎勝世