A(教え子、大学の教育学部で歴史教育学を専攻)
:ゼミで高校の歴史教科書を調べる機会があっ たのですが、そのカラフルさに教授が驚いてい ました。これを生かさない手はないですよね。
B(先生):図説カラーのみの時代に比べると格 段の進化と思います。「教科書を」ではなく「教 科書で」教える手だてがまた一つ加わったとい う気がしています。今日、紹介するドイツ生ま れの北方ルネサンス画家ホルバインの作品も、 今後教科書に取り入れてほしい資料の一つです。
A:この絵画を世界史の「食材」として、「板前」 の教師はどう「調理」すればよいのでしょうか。
B:世界史教材としてこの絵画を扱う場合、アプ ローチとしては三つの方法が考えられます。一 つは作者ホルバインを取り巻く政治的・社会的・ 文化的背景からのものです。次に、描かれたダ ンツィヒ出身のハンザ商人ゲオルク=ギーゼが なぜロンドン商館員として滞在しているのか、 その経済的背景の追求です。さらにもう一つは 描かれた事物についての歴史的アプローチです。
A:では一つ目から。ホルバインはなぜイギリス で肖像画を多数描くようになったのでしょうか。
B:核心をついた質問です。彼の出身は南独アウ クスブルクですが、画家としての活動を始めた のは、スイスのバーゼルです。ここで彼の活躍 時期が16世紀前半であることに着目して下さい。 ルターらによる宗教改革の波がスイスにも押し 寄せて、画家の大きな収入源であった宗教画の 注文が激減し、ホルバインはこの町に見切りを つけて、イギリスに向かったわけです。幸い、 彼はバーゼルで知り合った高名なユマニストの エラスムスに気に入られ、イギリスのトマス= モアへの紹介状を書いてもらうことができまし た。彼の肖像画はさっそく評判になり、ホルバ インはモア邸に居候しながら宮廷関係者からの 注文を引き受けるようになりました。市民権保 持のため、一時バーゼルに帰省しますが、1532
年、再び渡英、失脚したトマス=モアに代わる パトロンを探す中、ロンドンのハンザ商館ステ ィルヤードのダンツィヒ商人ゲオルク=ギーゼ の注文を受けて描いた作品がこの肖像画です。 将来のパトロンとして、テューダー朝宮廷の注 意を引きたかったホルバインはこの絵画に自ら の技術の高さを示すため、ここぞといわんばか りのあらゆる高度技法を駆使しました。
A:ギーゼはダンツィヒ商人ということですが、 なぜロンドン商館員になっているのでしょうか。
B:私がこの作品をとりあげようと思った動機の 半分は実はそのことにあります。モデルがダン ツィヒ商人と知って、これは何かあるぞという 歴史教師魂がふるえたのです。ハンザ同盟自体 はすでに衰退期にあったのですが、16世紀の大 航海時代、西欧で価格革命が進行して穀物需要 が高まったため、東欧グーツヘルシャフトにお いて西欧の需要に答えるべくユンカーらによる 穀物生産が活発化したのです。収穫された穀物 は河川交通などでバルト海沿岸の港市に運ばれ、 海路でイングランドやネーデルラント、スペイ ンなどに輸出されたのです。バルト海沿岸港市 はこの交易で栄え、その筆頭格がヴィスラ河口 のダンツィヒでした。ギーゼが扱ったと思われ る商品の中に穀物類(他には船材の木材など) が多数あったことは十分想定されます。ギーゼ が今にも開けようとしている手紙類にはその辺 の情報が書き込まれていたのでしょうか。
A:画中にはモデルの職業を示す持物(アトリビ ュート)を含め様々な事物が描かれていますが、 歴史的にとくに注目したい“モノ”は何ですか。
B:個々の事物については左下のキャプションに 簡単な解説をしていますが、ここで取り上げた いのは、花瓶に生けられたカーネーションと絨 毯です。その解説もキャプションで行っていま すので、後で読んでみて下さい。
A:歴史的にモノを見る目があれば、何気なく描 かれているようにみえる絵画の事物も貴重な資 料になりうるということですね。今回も大変勉 強になりました。ありがとうございました。
(福岡県立小倉高等学校 今林常美)
画家を探り、モデルを追いかける
基 調 提 案
ヨーロッパ中心史観への回帰?
【桃木氏】まずどういうつもりで教科書を書い
たかというようなことについて、お話ししたい と思います。私は二つのことをいつも考えてい るのですが、一つは第1回でも申し上げました ように、やはり考えさせるような教科書にしよ うということです。それからもう一つが、グロー バル・ヒストリーの中にアジアをいかに正当に 位置づけるかという、川北先生もおっしゃって いた問題点です。川北先生の前では言いにくい ことでもあるのですが、現在、世界史教育の、 あるいは地理教育も含めて、憂慮すべき状況だ と思うのは、とくにA科目ですが、たとえば、 世界中を全部教えるのは無理だから、もう特定 の地域を選んで教えればいいみたいな形になっ たときに、やっぱり先生方が受けてきた教育が 反映して圧倒的にヨーロッパのほうが多く、む しろヨーロッパ中心主義が強化されているとい う危機感を私はもっています。
もう一つ、ヨーロッパ中心主義を強化するの が出版界であると思います。別の意味で歓迎す べき社会史であるとか、そういうものが普及し た結果、たとえばものを扱った『○○の世界史』 というような本がたくさん出ていますが、それ らの大部分は世界史といいながら、圧倒的に ヨーロッパ、アメリカのことだけ書いて、申し 訳程度にアジアが断片的に付け加えられている というようなものが大半なんですね。それが日 本の読者をとらえているというのはヨーロッパ 中心主義を強化した面もあるので、一つ危機感 をもっているわけです。しかしこういう動きを 「まずいまずい」とだけ言っても意味がありま せんので、それに対応できるような社会史を入 れる。それは従来からそういう気持ちがありま したし、教科書の中でも少しでもそういうのを 入れることができればと思っています。 それが一番大きな議論で、次に私に今日与え られたのは、海からの世界史という話ですね。 われわれの教科書は順番からいうと他社の後塵 を拝しましたが、海の歴史を扱う章を新設した わけですね。そのことにはいろんな意味があっ て、私が何を考えながらこの章を書いていたか 「世界史のしおり」4月号より、『新詳 世界史B』の特設ページ「一体化する世界」に関連した 三つのテーマについて、著者の先生方に生の声で語っていただいた「基調提案+鼎談」の連載を 始めました。本号では、三回目「海から見たユーラシア前近代史」をお届けいたします。 今回の基調提案は桃木至朗先生です。先生方の世界史教育への熱い思いが伝われば幸いです。
川北・桃木・杉山3氏と語るグローバル・ヒストリー 第3回
海から見たユーラシア前近代史
◆出席者
大阪大学名誉教授
川 北 稔
大阪大学教授桃 木 至 朗
駒澤大学専任講師杉 山 清 彦
◆司会・進行
ということを、いくつかお話したいと思います。
海を軸とした新しい歴史の見方
−中央ユーラシアとの類似−国別・農業中心の 歴史を相対化する
第一にこれは、海の章を新設し、またその章 に限らず、いろいろな箇所でも海から歴史を見 ようとすることは、杉山さんがおっしゃった中 央ユーラシアを中心にしていることと共通の意 味・役割がいくつかあると思います。そしてそ れを強調したのがこの教科書であると理解して ほしい。それは簡単にまとめると、二つあげら れると思うのですが、一つは従来の歴史の記述 を支配していたような国単位の歴史、もう一つ は農民中心の歴史といったものへのアンチテー ゼだと思います。そして松田壽男の名著『漠北 と南海』の中でも指摘されたように、港市国家 に代表される海の世界というものは、オアシス 国家に代表される中央ユーラシアの乾燥地帯の 世界というもの、あるいはそこで活動している さまざまな商業民はもちろんですし、もう一つ は遊牧民とかなり共通性をもっているというこ とです。で、そういう内陸のほうと海のほう両 方から従来の国単位の歴史、農民中心の歴史と いうものを相対化することができるということ です。
それからもう一つは、われわれの教科書だけ でなくて現行学習指導要領の大きなポイントは 文化圏論をやめたということですが、文化圏論 を地域世界に変えた。この中央ユーラシアとそ
して海の世界および、東南アジア史を私は書い ていますが、それらの地域世界は、従来も扱っ ていた教科書はありますが、厳密に文化圏論に 従うと、ありえないくくり方なんですね。中央 ユーラシアとか海のアジアとか東南アジアとか というのは単一の文化圏ではないんですから。 それができるようになった。それは現実の世界 の動き、学問の進歩などからして、そうしない としょうがない、文化圏論ではどうしようもな い世界があるのだということを読者、子どもた ちの目にもはっきり示すために、中央ユーラシ アと海のアジアおよび東南アジアというのは非 常に適した世界だ、というのが二つ目の役割だ と思います。
中央ユーラシアとの相違①−国や自然の枠をこ えたネットワークが重要な海域世界
一方、中央ユーラシア史と違った役割、違っ た特徴というのもあると思います。
その違いの第一というのは、海のアジアとい うのは、たぶん中央ユーラシアと比べると、軍 事力というものの意味が小さい世界だと思いま す。近代にならないと海の世界をまるごと支配 してしまうような勢力というのは成り立ちえな いんですね。モンゴル帝国がどこまで海の世界 を支配したかなどいろいろな議論はあります が、個々の現実の動きとしてやはり支配はでき ていないんだと思います。ポルトガルですら支 配できませんでした。マラッカがネットワーク の中心として、ハブとして栄えていたから、こ
こを占領すれば自分たちが香辛料貿易を握れる だろうと考えていた。ところが、周りのいろん な場所に多極化がおこって、マラッカ海峡だけ おさえても、スンダ海峡とかロンボク海峡とか いろんな海峡がある限り、そしてそこをイスラー ム勢力がおさえている限り、ポルトガルは独占 できない。そういう例がたくさんありますので、 軍事力の意義が中央ユーラシアに比べると小さ い世界だと思います。そしてそのことと関連し てもう一つの特徴が、中央ユーラシアのように 軍事力がものすごく大きいと、いろいろな地域 とかいろいろな民族を征服して帝国ができるん ですが、海の世界では帝国ができにくい一方で、 非国家的なネットワークというものの意味が非 常に大きくなります。古いものではフェニキア 人ネットワーク、あるいは並行する問題として ペルシア人は古来海洋民として海のネットワー クを駆使している。あれを陸のソグド人ネット ワークと区別して考えていいのかどうかという こと自体学界では問題になっていますが、ソグ ド人ともかなりつながるものとしてペルシア系 のインド洋ネットワークがありますし、それか らイスラームが誕生するとネットワークがイン ド洋からシナ海まで及んでくる。そして唐宋変 革以降には華人ネットワークができ、どんどん 広がっていく。あるいはもう少し強調したかっ たんですが、最近の学問の進展からいうと、タ ミル人ネットワークなどもある時期ずいぶんア ジア海域で重要な役割を果たしているように思 います。従来のインド史というのは、前近代史 では圧倒的に北インドしかない、ところが南イ ンドのチョーラ朝というのはすごい帝国で、イ ンド史の専門家が言っていることですがヴァル ダナ朝以降はムガル帝国まで統一国家や、中心 になる国家がないなんてぜんぜんうそっぱち で、ヴァルダナ朝がある時期インド世界で覇権 を握っていたようにいうんだったら、チョーラ 朝のように北インドが中心でない帝国を含めて インドの覇権を握った帝国はいくつかあるんだ ということを教えないと、おかしい。そういう
チョーラ朝などをもうちょっと強調しないとい けないし、倭寇ネットワークとかほかにもいろ いろあるわけですね。こうした国家を直接背負 わない、あるいは帝国と直結しないさまざまな ネットワークというものの意義が大きい。また そのことは、ネットワークというのはいわば、 自然の限界をこえて広がりますから、現代の華 人ネットワークを見ればわかるように地域世界 論ですら不十分なところがあるんですね。イス ラーム商業ネットワークにしても、唐代後半に は確実に南シナ海に広がってくる。ですから極 端な言い方では、南シナ海までインド洋とかイ スラーム世界に含めてしまうような歴史の教え 方というのもあるわけだし、でも逆に南宋の時 代には、南シナ海からベンガル湾を含む南イン ドまでの海は中国人のジャンクがおさえていた んだという記録もあります。ネットワークはこ うした地域世界の境界というものすらこえて広 がっていくということですね。海の世界を教え る場合には、ここを中央ユーラシアのソグド人 ネットワーク以上に強調しなければならないと 考えています。
中央ユーラシアとの相違②−世界の一体化をす すめた舞台としての海域世界
す。そしてそのことは、川北先生が最初におっ しゃったような現代につながる歴史というお話 ともつながるんですが、近世史というのがやは り非常に大事であると私は判断しています。古 代・中世の歴史のおもしろさというものは無視 してはおけないのですが、それにしても、明ら かに古代・中世の重要性というのと近世の重要 性というのでは段差がある。少し脱線しますが、 大学の授業でよく言うんですが、近現代が大事 なことはいうまでもない。ただし、近現代史と いうのは歴史学者でなくてもできる部分がかな り大きい。政治学者、経済学者、ジャーナリス トにもできる。それに対して、近世史というの はやっぱり専門の歴史学のトレーニングを受け ていなければできない。それと先ほどいったよ うな、古代・中世と比べても近世以降は非常に 重要だということを結びつけると、歴史教育が 生き残るための主戦場は近世史であろうという ことを私はよく言っています。
中国中心史観への批判としての
「中央ユーラシア史」
付随して、これは裏話のほうに近くなるので すが、中央ユーラシア史も、この海のアジア史 ないし海のユーラシア史も、従来の歴史観を批 判していくという役割は共通しているんです が、やっぱり批判の対象という点では違うなと いう感じがしています、とくに日本では。やは り杉山さんがおっしゃったように、アンチ○○ ではないというのは理解できるんですが、しか し、大きな流れとして中央ユーラシア史の日本 での力点はやはり中国中心史観の批判粉砕にあ るんだと思います。とりわけ京大中国学と中央 ユーラシア史との関係を私は学生時代から横で 見てましたし、京都には漢文史料を通じた中華 帝国の視点しか認めない、今でもそういう学者 さんがいる。あれはあれで中国の士大夫になり きるような学問をやっている。それはすごいな と感心するんですが、それで中国の士大夫にな りきるとどうなるかというと、やっぱり周りの
国々も民族も野蛮人にしか見えなくなってしま う。周辺民族の意義などをまったく理解しよう としないという風潮が現在の日本の学界内にま だありますので、それへの批判というのがどう しても中央ユーラシア史の場合表に出る、しか も現実の力関係が中国中心史観とは正反対だっ ただけにどうしてもそこを強調したくなるとい うのはよくわかります。
ヨーロッパ中心史観への批判としての 「海のアジア史」
ろ複雑な相互関係、作用・反作用の中で、最初 から決まっていた必然というコースではなく、 しかしやがてヨーロッパ優位につながる、その ことも示さなければならない。
しかも、その裏返しになりますが、そのヨー ロッパの優越によって、アジアはもう衰えてい くばかりなのではない。これは18 〜 19世紀の イメージの刷新ということになりますが、アジ ア交易圏論に示されるように、必ずしもヨー ロッパの思い通りにならない、そういう意外な 反応がたくさんおこっています。ヨーロッパ主 導の一体化の結果としてむしろアジアの工業化 が進展したりするといったこともおきます。植 民地というのは原料と食料の生産をさせられ て、工業製品を宗主国から輸入するんだという 普通に抱かれているイメージではぜんぜんとら えられない動きが実際におこっているわけで す。そういうあたりで、大きくいうと世界シス テムが前進し、ヨーロッパがアジアを支配して いくというような過程ですら、実際におこった ことはそんな単純なことではないというような のも2部1章、あるいはその後187ページあた りを書くときに強調したかったことです。 そういうようなヨーロッパ中心史観をくつが えすという大きな目的と関連しながら、2部1 章は実際には杉山さんと二人で書いていますか ら、両方協同しているわけですが、この近世に おいて、海のアジアではしばしば中華帝国とか 華人ネットワークの影響力をむしろ強調してい ます。そもそも東南アジア史を東アジア史と くっつけて一つの章にしたというのはそういう 意味です。そのようにとらえることが、ヨーロッ パに一方的に支配されているかわいそうな東南 アジアという一般的なイメージから東南アジア を救うことになります。それが理解できるよう に、2部1章では東アジアと東南アジアを近世 においてはくっつけたわけです。逆に、1部の 古代のところで、南アジア世界と東南アジア世 界は別々にしたわけですね。ということはもっ と平たくいうと、東南アジアはインドの付録と
して教えるという伝統的な文化圏論ですが、あ れは私は断固拒否します。ただ、それとは違う 意味で近世においては東アジアと東南アジアを くっつけて、あるいは海の世界もくっつけて取 り扱うのに意味があるというのが、私が考えて いることです。
ただこういうことをやりました結果、2部1 章はどうしても叙述が入り組んで書きにくく なっている点がありまして、東南アジア史の叙 述の一貫性を犠牲にしている点はあります。こ れは次回の課題だと思うんですが。
海を軸に日本史を世界史の中に位置づけてみる
完全になる、ひいては世界史が非常に形骸化し たものになってしまうんだということを私は考 えて書きました。そういう意味で、杉山さんが 64ページに書いてくださった、アジアにおける 「国風文化」の動きというところなんかを私と しては、先ほどの近世史とは少し別の問題です が、非常に重視しています。
海を軸とした歴史がもつ課題
今のが中央ユーラシア史とも相対的に違った 海のユーラシア史の独自性ということですが、 それでもやっぱりうまくいかない点があると 思っています。まだ課題が残っている点という ことになりますが、二つくらいあげてみたいと 思います。
それは、先ほど申したように、国家の役割が 小さい世界であるということは、やっぱり現場 からするとわかりにくいということです。それ も何度もしつこく言っているように、かなりの 部分は、国単位の歴史でなれているからわかり にくいと思うだけであって、最初から頭が白紙 の子どもだったら、こういうふうに教えればこ ういうふうに理解するんだというのが私の持論 ですが、それにしても国単位で歴史を教えると いうのは、わかりやすい方法であるのは事実で はあります。するとそれができない海の歴史の 場合、たしかにわかりにくい部分というのはあ るだろうなというふうに思います。
それをいわば少しでも、親しみ深くイメージ がわくようにするのが、「モノ」の話などを使う、 東南アジアだと香辛料や交易品の話なんかを効 果的に使うことであると考えています。 それから、わかりにくいということに関連し て、やはり第2回の杉山さんのお話と関係する ことですが、ヨーロッパ中心史観の裏返しとし ての「○○中心史観」ですね。インドのところ を見ると、海の世界はインドが中心に展開して いる、イスラームのところを見ると、ムスリム がいないと海域世界の成立はありえないという ような、それぞれがそういう書き方をするんで
るお墓の見つかり方なんか見ていると本当に、 隋唐帝国は漢民族のものではないですね。そう いうことも認められていますが、そういう参入 したり、利用する、私物化する、そしてしかし、 やっぱり抵抗するときもある。いろんなこと で、むしろ周辺の勢力の動きというのが、けっ こう歴史を動かしている。その一番極端な話と して、時代は現代になってしまいますが、周辺 を馬鹿にしているとアメリカにとってのベトナ ム戦争みたいなことがおこるんだよという話で すね。そこにつなげられるような周辺の視点と いうのも、示していくということを考えながら、 この海の章でも、イスラームネットワークとか、 中国人ネットワークだけという話だけではなく て、ヨーロッパや日本、あるいはアフリカ、日 本列島でも北方というようないろいろな地域の ことを書こうと思いました。
海と陸とを結ぶ歴史叙述の構想
それから、もう一つが、これも杉山さんのほ うとも同じことなのですが、農民の世界を無視 していいだろうか、読者が農民なんかどうでも いいんだと思ったら、それはすごく具合が悪い ということも、私はいつも考えています。今回 もそう考えました。そもそも、私の一番ベース にある東南アジア史を見たって、東南アジア史 が従来軽視されていたのが、けっこう大事なん だなぁと認知を受ける、市民権を受けるように なった重要な切り口というのは、一つは海の歴 史、貿易の歴史、港市国家の歴史だけれども、 もう一つは農業生態の歴史なんです。東南アジ アの生態史観の問題提起によって、たとえば、 中国の長江下流域の開発の歴史というのは、教 科書ではまだ訂正されていないこともあります が、まったく変わりました。農民の世界、また 場合によっては西アジアのほうにいけば、海が 砂漠と直接接していますし、中央ユーラシア的 な世界とは決して切り離せません。切り離して 海だけ見ているということでは駄目だという点 には配慮しました。たとえば、101ページを見
ていただくと、「10世紀から13世紀ごろまでの 北半球で、比較的温暖な気候が続き、主要農業 地域の経済が拡大し続けた」ということを入れ たのもこの観点です。その観点がないとモンゴ ル帝国に至るネットワークのゆるやかな広がり というのは説明できないと思います。日本列島 だと、鎌倉時代に、日本列島が海上貿易に完全 に取り込まれていくというのも、そのころの大 開発と無縁ではないんですね。
そういう農民の世界も決して無視できるもの ではない。そのことが大事になるのは近世の動 きですが、近世の後半で、杉山さんにおもに書 いていただいたのですが、やっぱり農民が中心 になってくるんですね。とくに近世後期です。 大航海時代の世界のいろいろな動き、17世紀の 危機は、学問的にいうと、この教科書のアジア のほうでは強調しすぎているんですが、わざと 17世紀の危機を強調しながら言いたかったこと は、とりわけ近世後期以降になると、やっぱり 貿易より農民が中心になるんだと。そのことを 否定してはいけないだろうということですね。 ですからアジアが大事だといっても、それは ヨーロッパ中心史観をまるごと否定して、ヨー ロッパが中心じゃないんだということにはなら ない、ということと同じ考え方です。かつての 歴史学で、なんでみんなあんなに農民、農民、 ということになってしまったかというと、やっ ぱりそういう世界ができたということですね。 ただそれは、最初からあったわけではなくて、 非常に近い過去に、歴史的に世界が結びついた 変動の結果としてそうなったということなんで すね。今回はこれまでの記述を踏まえながら、だ いたいこのようなことを伝えたかったわけです。
鼎 談
17世紀の危機を通して見る
近世史のもつ重要性
【桃木氏】本当は、グローバル・ヒストリーと
いう観点に立ったときには、前回の版の配列の ほうがいいと思っています。今回の版では2部 1章の扱う範囲も広く時間軸も長いですね。ど うしてもこうなってしまう。それはまぁ、別の 問題があって、縦と横の、どこを縦にしてどこ を横にするかという全体の問題がありますよ ね。ここだけでは決めるわけにはいかないこと ですから。
【川北氏】いずれにせよ、近世史というのが、
ある意味で、現代の世界に直結してくる形に なっている。現代の基本ができるということで す。ヨーロッパ史もそうで、その他の地域でも だいたいそうなのだろうと思いますね。
【司会】一つ質問があります。151ページの最後 辺りですか、「17世紀の危機の対応が20世紀末 までの各地域の運命に大きく作用する」という 記述がありますが、ここは、ちょっと読んでも わかりづらくて、この記述について補足のコメ ントをいただければと思うのですが。
【川北氏】そうですね。ここの文章自体は桃木
先生が書かれた部分ですが、でも意図はよくわ かりますよ。危機は、ヨーロッパだけでもなかっ たわけで、一定の広がりをもった地域でおこっ たと考えられています。この議論が出てきたこ ろには「世界システム」という考え方はなかっ たのですが、いまからいえば世界システムの内 部はもちろん、その外延部にも危機が広がった ということだと思います。東南アジアもそうし た影響の中にあったといえましょう。
【桃木氏】この議論の一番もとは、たとえば川
勝平太さんとか、海外ではアンソニー=リード がしている議論なんですね。そういう議論から のものなんですね。
【司会】ヨーロッパ史からいうと、大西洋経済 圏の成立で、日本だと「鎖国」による自給体制 の確立ということでしょうか。
【川北氏】まあ、そうでしょうね。
【桃木氏】151ページではもう少しスペースが
あったら、例を増やせばわかりやすくなるので すが。高校の先生向けの話とか、高校生向けの 模擬授業でもこのネタはしょっちゅう扱ってい るんです。事例にあげるのは、植民地になって 苦しむ地域です。インド洋世界、東南アジア群 島部なども17世紀の危機の結果そうなったと言 えます。これとセットになった議論なんですね。 それと東アジアはちょっと違います。非ヨー ロッパ世界をひとくくりにはできないというこ ともこの議論には含まれている。もう少し話を 広げようと思ったら、現代東アジアが経済成長 至上主義をとることができて、中東イスラーム 地域がそうはならない、そこで原理主義という ものに走らざるを得ない部分があることなんか も、17世紀以降の歴史が直接に絡んでくるので あって、逆にいうと、それ以前はあんまり関係 ないともいえるわけです。
【杉山氏】17世紀に大転換があり、しかもそれ
られていた。その結果、たとえば明清交替は、 王朝の腐敗や圧政に対し農民反乱がおこって倒 されるという陳勝・呉広の乱以来のイメージで 理解されたり、ひどいときは「明の滅ぶは万暦 に滅ぶ」、つまり万暦年間にバブル景気に酔っ て奢侈にふけるから天罰が下って倒れるのだ、 といった道徳論的な話で語られることさえあ り、それに代わる清の覇権は「異民族王朝の侵 入・支配」として、むき出しの武力によっての み語られる。そのようなイメージは今でも払拭 されていないのではないでしょうか。日本史で も、いうまでもなく戦国乱世から天下統一の過 程で体制・社会・文化などあらゆるものが一変 しましたが、それは日本の枠の中だけで語られ てきた。しかし、それぞれの変化の時期や原因・ 内容を見渡してみると共通性が見出される。そ れは何か、またなぜか、ということに関心が集 まってきた。東アジアの「17世紀の危機」とい う見方は、その一つです。
そのように、各国の枠内での内発的・単線的 変化というよりはむしろ、アジア規模・世界規 模の変動を背景とした同時代的現象として見て いこうというのが近年の趨勢といえると思いま す。すると、共通点だけでなく相違点も見えて くる。それが顕著に現れてくるのが、変化の後 の対応の段階、17世紀から18世紀にかけての時 期なんですね。つまり16世紀にものすごい国際 貿易ブームがあって、それが17世紀に入ると不 況になっていく。しかも政治不安が同時にある。 その中で国内を引き締めながら、経済の破綻を 避けて軟着陸させたい、そのときにどうしたら いいか。これに対する解答の模索です。 そのとき、日本や朝鮮のように、ある意味身 の丈にあった広さのところ、つまり当時の交通・ 通信技術でも政権がすみずみまで把握しようと 思えばできないこともないところでは、がっち りとした体制をつくってきめの細かい統治を行 い、その内部を経済的にも緊密に結びつけて国 民経済を準備していく。それが100年、200年続 く中で、近代、19世紀になって義務教育や徴兵
制がもたらされたときにスムーズに適応してい ける下地ができあがっていったわけです。これ に対し、面積が広く人口も多くてとても把握し きれない中国大陸では、明はそのコントロール に失敗して倒れるわけですが、これに代わった 清は、強力な政治指導力によって秩序を再建し、 税金を払ってくれて反乱さえしなければ、他は とくに干渉しないという方針を徹底して、成功 しました。そうして、清の統治下、漢人社会が どんどん膨張していく。
つまり、いずれもが「17世紀の危機」への対 応から出発して、しかもその対応の中身とその 後の展開に個性があり、そうしてできあがった 体制がそれぞれの19世紀の素地をつくった、そ ういう話です。そのような意味で、近世後期の 17 〜 18世紀という時代は、16 〜 17世紀の変動 の帰結という点でも、19世紀の出発点という点 でも決定的に重要だというわけです。ただ、ま だ一般に浸透した話ではありませんし、タテと ヨコが入り交じりますので、その記述だけを見 ると理解しにくいでしょうから、橋渡しは必要 だと思います。
【川北氏】ここだけ読むと確かにわかりにくい
でしょうか。
【杉山氏】確かに151ページの記述だけだと何を
さしているのかわからないかもしれませんが、 111 〜 115ページで、その具体的内容を関連箇 所ごとに書いていますので、それらをつなげて 読むと全部リンクするはずです。
【桃木氏】まぁ、伏線は引いてあるといえば手
家はうちは17世紀の危機など関係ないと言い、 東南アジア史の専門家は関係あると言ったとい うこともあり、さもここでそういう危機が全部 の地域であったかのように言ってしまってはい きすぎかもしれないけど、それでもわかりやす くいえば、ムガル帝国の衰退もオスマン帝国の 衰退も17世紀後半に始まるよね、というと理解 できる部分もあると思うのですが。ただそれも 単独で出てくるよりも、私の中では説明が十分 とは思わないのですが、14世紀の危機とセット になっているんですね。この二つの危機は。し かもどちらも日本も関係がかなりあるんだと。 やっぱりモンゴル帝国以降は、もうそういう連 動する一つの「世界」なんだと思います。
【川北氏】17世紀危機論争というのは、もとも
とはピューリタン革命をどのように理解するか という話だったのですけれど、いろんなところ から賛同を得て広がってしまったので、たとえ ばメキシコの銀生産の増減というところまで話 が広がったんですね。ただ、そこらあたりでヨー ロッパ側の議論はいったん止まってしまったの ですが、その後アジア史の研究でも取り上げら れるようになったのですね。非常におもしろい 見方だと思います。
【桃木氏】最近の貨幣史の研究を見ても、第1
回目に川北先生がおっしゃった19世紀末がグ ローバル化のピークだったという話と関連する けれども、16世紀のアジア各地に銀がいきなり わっと流れてきたというのも、やはりかなり暴 力的なグローバル化がもたらされたと考えられ ます。当時の経済システムも当時の人口から考 えると、人口比からしてかなりものすごい量の 銀が突然流れてきた。日本史の脇田晴子先生が 書かれている論文で、16世紀に日本の銀の輸出 が始まったとたんに日本の物価がどうなってい き、地場産業がどうなったという話の説明など を見ると、あれはプラザ合意と同じですね。い きなり為替レートが上がってしまってその結果
国内産業が壊滅する。ある意味そこからの、杉 山さんがおっしゃった日本と朝鮮の17世紀後半 以降の身の丈にあった関係を何とかつくる、中 国はまた別のコースをたどりますが、そういう 暴力的な世界からなんとか自分を守ろうとした 知恵だったと思うんですね。その動きのある部 分は、かつて考えられたような世界の進歩から の逃避でもあったと、そういう見方の部分は確 かにあるし、その結果アジア世界は近代化に乗 り遅れたんだと。そういう部分もあるとは思い ます。それを含めて、自分を守れなかった部分 もあった。そうした地域は世界システムに取り 込まれていく。しかし、その遅れてしまった部 分はあるにせよ、やっぱりそれは20世紀の半ば に歴史を見るか21世紀に歴史を見るかの違いで あって、現在の東アジアの現状から見れば、か なりうまくやった部分もあったとしなければお かしいと思います。
開放性と閉鎖性が両立していた
中央ユーラシア
【杉山氏】中央ユーラシア側からのコメントと
いうか、感想を。桃木先生のお話の中で指摘の ありました、東南アジア世界においては軍事力 の意味が小さいということ、これは決定的な違 いの一つだと思いますね。そういう観点から比 べてみたとき、中央ユーラシア世界の特徴は何 かと改めて考えてみると、騎馬軍団に象徴され るむき出しの軍事力だけではなく、軍事力をも つ支配集団の求心力・凝集力がもう一つの特色 といえると思います。
【桃木氏】それと比べると、たぶん海のアジア
というのはゼニの世界であると。
【杉山氏】そのとき注意しておきたいのは、最
語るとき、民族や国家をこえた開放性や寛容性、 オープンな側面を強調しているといえますが、 これが従来からいわれている遊牧軍隊の軍事力 の強大さやそれに支えられた強力な王権という 性格とどう整合的に説明できるか。あるいは多 元と共生が強調される反面、トルコ系やモンゴ ル系、イラン系などと分類・対比されることを どう理解するか。こういった諸点は、おそらく 先生方もわかりにくいと感じられていることで はないでしょうか。
私は、中央ユーラシア世界の政権─イコー ル遊牧民ではなく、オスマンや女真・満洲など 非遊牧系を含めた広義の意味で─の特色は、 明確な中心・原則をもちながら、同時に多様な ものを受け入れる広がりをもっている、そうい うある種の二面性として表現できると思ってい ます。近年強調される開放性や多元性は、この 両面のうちの後者の側面であり、この部分は東 南アジア世界・アジア海域世界とある意味共通 していると思います。ちょうど16 〜 17世紀の 後期倭寇について、日本人か中国人(漢人)か という民族的帰属をめぐる議論から、近年では そもそも民族的帰属をこえた混成海上勢力とし てとらえるべきだ、という論調に変化している ように、中央ユーラシア世界の諸勢力も、民族 的帰属を特定することなどナンセンスであるし 不可能であって、現実には、支配下に入れられ るだけでなく支配層にも誰でも参入できるとい う開放性、柔軟性がある、そう考えるべきです。 しかし同時に、だからこそかえって際立つ中央 ユーラシア世界のもう一つの特徴は、中核部分 の固さ、厳格さであるということができると思 います。固い中核をもったうえで、何でも取り 込む柔らかさを同時にもっているというわけで す。
これと比べると、日本は支配層も被支配層も、 また中央も地方も、高い一体性・均質性をもち、 かつその範囲がかなりはっきりしていると思い ます。もちろん、日本は一つではないし、時間 をかけて形づくられたものである、ということ
は近年強調されていますし、その通りではあり ますが、そうはいっても世界史的に見れば、や はり均質・有限といえると思います。とくに近 世ではそうだと思います。これに対し、中央ユー ラシア世界や東南アジア世界・海の世界は、隣 り合う世界との境目ははっきりしませんし、そ の内部も明確には分けにくい。そのような多様 性を特徴としているといえます。
しかし一方で中央ユーラシア世界は、多様性・ 開放性だけで説明できるわけではない。タマネ ギのように剥いていったら最後は何もないかと いうとそうではなく、最後に残る核というのが はっきりとある。たとえばサファヴィー朝やム ガル帝国は、その中核に共通してイスラーム化 したトルコ・モンゴル系遊牧勢力が存在します し、オスマン帝国でもオスマン王家とその奴隷 たち、清では満洲を中核とした八旗など、何ら かの核になる部分があって、そのうえでイラン 人やヒンドゥー教徒の書記・軍人、あるいは漢 人の科挙官僚などを数多く登用するわけです。 そういった固い核と、その一方での開放性・柔 軟性という両面性がある、そこが中央ユーラシ ア世界の特徴だろうと思うんですね。それを、 融通の利かない律令制下の国制のように思った ら中央ユーラシアの諸国家は理解できないで しょうし、だからといって誰でも参加できる ユートピアのように考えると、これもおかしい わけで、支配の特権を握る少数のエリートとい うのははっきりしています。むしろそのような コントラストとして理解すれば、なぜ開放性・ 多元性と求心性・集権性が並存できるのかが説 明できると思いますね。
【桃木氏】さっきの話を繰り返すと、現代アメ
【杉山氏】中央ユーラシア世界では、外来の者 でも支配層に参入することができるのは同じで すが、そのためにはもう一つの特徴、すなわち 固い中核に参入するための何らかのハードルを クリアしなければならないところが大きな違い だと思いますね。たとえば「モンゴル」に認定 されるとか、ムスリムになるとか、八旗に組織 されるとか、その政権の支配層に参加するため の条件を満たさなければならず、お雇い外国人 のごとく異分子のままポンと落下傘的に降りて くるというのはあまりない。そこのところに、 大きな違いがあるように思います。
【桃木氏】それは私がちょっと興味をもってい
る中央ユーラシア的な家族制度なんかは、東南 アジアなんかに比べるとカチッとしているんだ けども、家父長制だからといって全部男性が支 配しているかといったらそんなことなくて、皇 太后がものすごく力をもっているとか、王様も 奥さんの尻にしかれてけっこう弱々しいとか。
【杉山氏】そういう意味で、桃木先生のおっしゃ
る通り、軍事力の役割の大小、国家に直結する かどうか、といった点は両世界の相違点ですね。 それも、先に言いましたように、むき出しの武 力をもつ軍事集団という意味での固い中核の存 在だけでなく、そこに参入を認める開放性が同 時に存すること、そのような求心力のあり方が 特色と言えると思います。
たとえば「拓跋国家」もそうで、唐代におい ても北朝起源の鮮卑系の集団はお互いに婚姻を 結んだりして非常に緊密な結合をもっています が、一方で高麗人が中央アジアで唐の軍隊を率 いたり、阿倍仲麻呂がベトナム統治に派遣され たりというように、閉鎖性・開放性のどちらか 一方だけでは説明ができない。そのように、中 核に加わりうる基準・条件は国家・政権によっ ていろいろですが一定の通過儀礼を果たせば中 核になれる、という両面性です。それが海の世 界との対比によって見えてくるのはおもしろい
点です。
【桃木氏】海の世界ではそこが最初からルール
がないというか、ルールはあるだろうけど、社 会のしくみとかいうことになると、中心も外側 も全部が柔らかい。だから19世紀のボルネオ島 で、片方にサイードと呼ばれるムハンマドの子 孫の一人がスルタンになったポンティアナック 王国があり、そこから山をこえた反対側の海岸 ではイギリス人が王様になってホワイト・ラ ジャとよばれているサラワク王国ができるとい うような、外来の王様も平気な社会ができる。
近代以降に「周縁化」した 中央ユーラシア世界
【杉山氏】もう一点、桃木先生が指摘された二
点目の、近代に直接的につながるかどうかとい う点についてですが、確かにおっしゃる通り、 この点は大きな違いですね。中央ユーラシアは、 近世以前においては世界史を動かす主体だった と主張できても、近代以降はさすがにそういう ことは逆立ちしても言えない。
中央ユーラシア世界における近世と近代の構 図を端的にいうならば、「中央ユーラシアの周 縁化」ということができると思います。近世以 前であれば、もちろん中央ユーラシアだけが中 心だとはいいませんが、少なくとも中心の一つ であり、前回お話ししましたように中央ユーラ シアの側からその周縁の諸世界を説明すること はできたと思います。しかし、近世、とくに18 世紀を転換点として、中央ユーラシア世界はそ れぞれの地域から見た周縁に変わって、ロシア 帝国の棉花生産地や中国の辺境など、周りの地 域にとっての辺境へと像が逆転していく。主体 の一つだったものが、いずれの主体からみても 客体であるという存在に転落してしまうんです ね。言いかえれば、中央ユーラシアは古来辺境 だったのではなく、近代に入ってそうなったの です。
の問題であって、ウマの時代から蒸気船と鉄道 の時代、また弓矢の時代から火器の時代になる。 そういう技術上の革新によって構造的な逆転が おこった。もう一点は人口の問題。これも細か くいえばいろいろと難しい問題がありますが、 大づかみにいうと、人口が足かせから武器にな るという逆転です。生産力が低くインフラが未 発達な前近代では、人口は多すぎても少なすぎ てもいけなかった。少ないと労働力不足が生じ ますが、逆に多すぎると食わせてやらないとい けないから、為政者の責任問題が生じやすい。 中国王朝をゆるがす農民反乱はその典型です。 その点、遊牧民は少数精鋭で、生産労働は支配 下の定住民にやらせればいいわけですから、臨 機応変にいけた。ところが近代に入って、精鋭 でなくていいから一律に学校教育を受けて、工 場で生産に従事したり簡単な訓練で兵隊になる という時代がくると、人が少ないのは国力が低 いということになる。あるいは年に一シーズン だけ宿営する牧地は彼らにとって立派な縄張り ですが、近代国家の論理だとそれは無主の地と みなされて、他国に取られたり耕地にされたり してしまう。
つまり、それまでの強みだったものが、近代 に入って弱点になってしまうという構造的逆転 が生じた。それが18 〜 19世紀の劇的な変化で す。そうした状況下、身軽さが売りだった「少 数精鋭」の遊牧民が、「かわいそうな少数民族」 に転落していくわけです。そういうことを念頭 においていただかないと、武力にまさった前近 代においては腕っぷしにまかせて暴れこみ、そ の優位が失われた近代になるとただ強国の支配 下に入れられるしかない存在と思われ、いずれ にせよ昔から野蛮であったという話になってし まう。そうではなく、決して古来から「辺境」「未 開」だったのではなく18 〜 19世紀の劇的な変 化によってそれまでの利点がむしろ弱点に変 わっていく、そういうことを構造的に理解して もらいたいですね。
【桃木氏】それはもっとたぶん一般的な大事な
問題とつながっていくと思います。やっぱりな んだかんだ言っても、近現代に欧米中心の世界 ができあがったことは間違いない。だとすると 中央ユーラシアに限らず、なんで中国は駄目に なったかとか、なんでイスラームはあんなに栄 えていたのに近代化できなかったのとかね、そ ういう声が出てくる。それを放っておくと、何 かヨーロッパは最初からすごくて中国は最初か ら劣っていたんだという方向へ説明がいってし まいがちになる。そういう何か文明論みたいな ものとかにしてしまわずに、あくまで歴史の中 で理解するということはとても大事なことだと 思いますね。それはもしかしたら、二十数世紀 かにはまた逆転してしまうという可能性はある わけです。
近世における
中央ユーラシア諸国家の「在地化」
【杉山氏】それに関連してもう一点、桃木先生
れも中央ユーラシアに由来する特徴をもってお り、その力によって大帝国を築きました。しか し同時に、暴力的に直接支配を行うのではなく、 意志決定と軍事力を独占したうえで、支配下の 定住民を積極的に活用して共存するという方法 で統合と安定を実現しました。つまり、遊牧的・ 中央ユーラシア的中核集団と多数派の定住民社 会との双方に軸足をおき、絶妙なバランスを とったのです。
ところがやがて、人口の多寡は国力と直結す る、多数派の意志が尊重されねばならない、多 数派の住民と支配者の言語が違っているのは不 都合である、という時代に急速に変わっていく。 すると、支配者自身が国家の軸足を多数派定住 民側に移していき、それによって生き残りを図 るようになるわけです。中央ユーラシアの周縁 化という趨勢が抗いがたいものとなってくる と、せめて彼ら自身が生き残りを図るために、 外部の支配者として君臨していたものが、治下 の在地社会に根を下ろそうとしていくのです。 遊牧民や譜代の政治勢力からすると裏切りに映 りますが、匈奴や突厥のころと違い、もともと 両方に軸足をおいていたわけですから、為政者 からすると選んだ選択肢の変更にすぎない。 もっとも、うまくいくとは限らないので、その 結果は分岐しました。支配者自身はその座を 失ってもその出身母体が生き残れたのはオスマ ン帝国で、オスマン王家は放逐されましたがト ルコとして生き残った。他方、満洲人の清朝 は、19世紀後半になって「満漢一家」と言い出 して、漢人との連合によって切り抜けようと考 えましたが、漢人からも拒絶され、帝位を追わ れただけでなく故地満洲も漢人移民に埋め尽く されて飲み込まれてしまいました。
つまり近世ユーラシアの諸帝国は、中央ユー ラシア系の集団からすると自分たちが支配者だ と思えるし、治下の定住民社会からはそれまで の国家の系譜に位置づけて理解することもでき る、そういう両方の顔をもっていたといえると 思います。まったく異質なものによる一方的な
支配ではない。だからこそ、もくろみ通りには いかなかったにせよ支配者側は時代の推移の中 で多数派の定住民側にシフトし、何らかの形で 両者の特徴が引き継がれて近現代の形勢ができ あがった。漢人が主導権を握りながら、満洲人 が獲得した版図を引き継いだ現代中国は、その ようなねじれの好例といえるでしょう。 今までアジアの近代は旧来の専制帝国がヨー ロッパの侵略や民族運動・革命運動でひっくり 返されるというイメージがあったと思います が、実は在来支配層自身もスタンスが変わって いて、近世から近代への流れの中で対応を模索 していた。そういう意味では受身の対応ですし、 プラスの意味ではないですが、このように考え れば、アジアの近世・近代を、「落日の大帝国」 や「アジアの民族運動」とは異なる角度から広 くくくって考えることもできると思います。
【桃木氏】おっしゃるとおりだと思うし、いわ
ゆるナショナル・アイデンティティの問題とも 絡むけれども、私の言い方をすると、やっぱり 周辺から歴史を見るというのは、そういう歴史 も見ようということだと思うんですね。何か従 来の感覚だとそういう周辺に置かれたらもうあ とは滅びるだけだとか、さもなければ英雄的抵 抗とどっちかしかないみたいなものですから。 もうちょっといろんな対応があるんだというこ とですね。道義的にそれを認めるか認めないか は別として、歴史の大部分というのはそういう ものだったと思うんですけどね。世界の大部分 の歴史というのはそういう外部状況が迫ってく るものであって、自分たちが本当に主導してい くなんていうのはごく一部でしかないと思うん ですが。かつてはどの地域も同じ歴史をたどっ ていくんだということを強調することに意味が あった時代はあると思うんだけど、今は違うん だと思うんですね。
歴史のなかの「ネットワーク」を分析する
に主導した人たちというのがそんなにいるの か、だいたいは、みんな何かの状況に対応して いるので、やっぱり関係の問題ということに なってくると思うんですけどね。
ちょっと話が違うんですが、桃木さんがおっ しゃったことで非常におもしろいなと思うの が、海のアジアというのがあって、非国家的な ネットワークでつながっているという話です ね。ヨーロッパの歴史で考えると、ヨーロッパ も中世の世界にはそういうのがあったわけです よね。中世のヨーロッパ世界というのは、神聖 ローマ皇帝がいて、ローマ教皇がいて、全体を ある種の帝国的な形で支配している。ある意味 では中国と同じようなわけです。他方、ハンザ のネットワークのようなものもあります。ハン ザ同盟などは教科書的にはそんなにたくさん扱 えないので、どの教科書も、誤解を招きやすい 書き方になっていると思うんですけれども、あ れは、どこが中心だかわからない、まったく非 国家的なネットワークなのです。しかし、ヨー ロッパが世界システムの中核になっていくと、 帝国やネットワークが消滅して主権国家の形が 強く出てくる。神聖ローマ帝国やフラットな、 非国家間のネットワークであったハンザに代 わって、オランダという主権国家のヘゲモニー がしだいに姿を現してくる。ただし、主権国家 が成立してもなおプロテスタントのネットワー クとかいうような、宗教的なネットワークが実 際にはできていて、その研究が最近は進んでい ます。しかし、全体に、非国家的なネットワー クは、ヨーロッパで、近代になると弱くなりま すね。逆にアジアではそうしたネットワークが ずっと展開していてそれが大きな意味をもって いる、そうしたところがたいへんおもしろいと 思うんですね。ヨーロッパの歴史も、EU統合 にいたるようなずっと新しいところで引っ張っ ていくと主権国家がいくらか後退して、また同 じようなものが出てくる。だから主権国家の意 味合いがずっと下がってくるとNGO的なもの も出てくる。さまざまな現象が世界システム成
立以前の状況に帰っていくようなところがあ る。むろん昔のままじゃなくて換骨奪胎されて いくんですけれども。そういうような感じがし ますね。
【桃木氏】近代世界システム以前というか、近
代以前の状況が復活してきているのが戦争のや り方ですね。アメリカは軍事企業など国民軍 じゃないものがイラクと戦争しているわけで。 いろんな意味で多国籍の動きがあるし。
【杉山氏】今のはいかがでしょうか。桃木先生
がおっしゃった交易ネットワークの特色という のは、帝国の形成や国家の存在と別個に、少な くとも国家形成には直結せず、国家をバックに 行うわけではないというものですよね。ヨー ロッパの場合は、中世以来、王権にせよ主権国 家にせよ、国家体系が存在する一方での、それ に対する非国家的なネットワークということで はないでしょうか。
【川北氏】うーん…。
【杉山氏】そこらあたりは質的な違いがある…。
【川北氏】そうですね。ただハンザ商人の活動
なんかは、個人個人なんですね、だから国とい う枠はないんですね。
【桃木氏】アジアのネットワークというのも華
人ネットワークに典型的に見られるように、中 華帝国をバックに背負えないなら背負えない で、いくらでも活動するけれども、利用できる ときはとことん利用しますね。そういう二面性 はあるんですね。結果的に近世になると、華人 ネットワークと中華帝国というのははっきりわ かれてくる。
【杉山氏】中国社会内部もまさにそうですね。
国家の行政体系と、その下の、王朝が管理しき れないしするつもりもない巨大な民間社会から なるわけで、そこにはいわゆる秘密結社のネッ トワークが常にある。秘密結社というとあやし げな印象を与えますが、あれは要するに民間の 相互扶助ネットワークで、たんに社会不安が高 まったときに取り締まりの対象や反乱の主体に なることがあるからネガティブにとらえられる だけです。だから国家のセーフティネットに依 存できるような階層の連中は国家にぶらさが り、それが期待できない層は秘密結社のネット ワークに依存する。後者でも、成功すれば前者 に乗り換えるわけで、その点ではおっしゃる二 面性はありますね。
【桃木氏】まったく農民だって、国家がどうし
ようもなく搾取してきたら反乱をおこしたりす るだろうけど、うまく一族から官僚が出たりし たらやっぱりパーッとみんながすがって、わけ のわからない親戚が出てくるみたいになるわけ ですし。
【杉山氏】非国家的ネットワークというのも役
割や参加のあり方はいろいろで、最初から国家 と結びつかないというものもあれば、国家がダ メならこっちだというように二股かけられるよ うな場合もありますね。
多様な価値観の存在を認める歴史教育をめざす
【桃木氏】さきほどの杉山さんの民族の話じゃ
ないけど、二股かけるというのは、道徳的に子 どもにそんなこと教えていいかという問題はあ りますが、でも歴史上ではとても大事なことで す。それはいつも言っているんですが、日本の 中世史を理解しようと思ったら、二股かけるこ とを抜きでは理解できないですね。日本の将棋 というのは、世界で唯一の相手から取った駒を 使える将棋で、戦後「捕虜を使役するのはけし からん」といって進駐軍に問題にされたとかい う話を聞いた覚えがあります。その取った駒を
使えるルールは中世に成立しました。その背景 に、南北朝時代や、戦国末の真田家に見られる ような、家の存続のためには誰にでも仕える、 という世界があったわけですが、世界的にみて それは、日本だけが異常だったわけでもなんで もありません。
【杉山氏】その通りですね。そもそも、今われ
われが伝統的と思っている価値観やエートス (気質)は比較的新しい時期に特定の環境下で できたもので、その例でいえば、日本の近世の 武士道というのも、武人が支配を担いながらも 天下泰平が続くという状況下で形づくられた平 時の産物にすぎませんね。同じ武士の生き方で も、中世はまったく違っていた。歴史を学ぶと き、一つには、そういった時代や地域による価 値観の違いを学び取ってほしい。
しかし同時に、「所変われば品変わる」と片 づけてしまっては、個々の違いがなぜ生まれた かということに理解が及ばない。ある時代にそ の価値観がありえて、次の時代にはそうではな くなるのはなぜか、とかいうことを、その時々 の時代や地域の状況の中で理解してほしい。今 の例でいえば、なぜ中世と近世で武士の価値観 が変化したのか、その社会的背景は何か、といっ たことを歴史の流れの中で理解してほしい。多 様な価値観を因果関係の叙述の中で汲み取って もらいたいと思いますね。それがもう一つの希 望です。
そういったものは一回習っただけでは気づく のは難しいと思いますが、たとえば三年生に上 がって見直していくとき、人間社会にはいろい ろな価値観がありえるし、その中で当時の人々 がそのときそういう選択をしたのだということ を理解してほしい。この教科書はそういう叙述 がちりばめられていると思います。
【桃木氏】大げさにいうと、文化相対主義を思
る考え方を批判する意味ではとても有意義なこ とだったんですけれども、あれで終わってしま うと結局「他人は他人」で、だから自国では自 国に都合のよい歴史を教えればよいというよう な話にもなりかねないわけです。
【杉山氏】その点は最初に桃木先生がおっしゃっ
た通りで、周辺から歴史を見るというのは本当 に大事なことです。ただし、とかくこれは、少 数者の戦いや圧政に対する抵抗を褒めたたえた り、かわいそうだといって同情したりというこ とになりやすい。そうではなくて、構造的に理 解してほしいと思います。英雄的に戦わなくて もかまわないし、少数だからといってあわれで はないし、短絡的な価値判断からなるべく離れ て歴史的事実に接することを身につけてほし い。その際、周辺を周辺として尊重するという 意味でも、中央を照射するという点でも、周辺 から歴史を見ていくというのは大事だと思いま すね。
【桃木氏】そういうことを教えないと。もっと
もこれは、世界史だけの役割ではないと思いま すけれども、そういうことにナイーブなまま東 南アジアに行っているNGO、ODAの専門家や ビジネスマンが「したたかな」現地住民からひ どい目に遭わされて帰ってくるんですね。その 結果、悪感情を生むことになりかねない。だか らそうならないようにするために世界史の教育 というのも非常に重要な役割をもっているんだ と思うんですね。
【杉山氏】中央ユーラシアなど典型ですね。た
とえば遊牧民というと、学校の教室で学ぶとき は「文明国」ローマや漢に殴りこんでくる「野 蛮人」というマイナスのイメージになりやすい。 ところがテレビの紀行番組などを見ると、草原 のロマン、自由な遊牧の民、ということになる。 しかも実際に現地を旅行すると、ボラれたとか 不潔だとか、また嫌になって、評価が正反対に
振れてしまう。とくに現在は情報は手軽に手に 入るし現地にも気楽に行けますから、そういっ たことはたぶん続発していると思います。机上 の空想でも困りますが、個別の経験だけからの 判断でも適正とはいえない。そういったとき、 歴史的背景にさかのぼり、時間の推移の中で理 解してもらえればと思います。
【桃木氏】私は地域研究の教師も兼ねてまして、
そのときに学生にいつも言っていたのは日本の 地域研究というのは初級と中級しかなくて、上 級がまだ生まれてきていない。初級というのは 日本の視点、先進国の視点まるだしで、東南ア ジアなど最初から後進地域と馬鹿にしている、 そういう段階。次の中級というのがその逆で、 なんでも相手のいうとおりにする。君らはその もう一段上をいってもらわなくては困る。そう 言っていました。それは世界史教育でも同じこ とだと思いますね。
【司会】まだまだお話もあるかと思いますけれ ども、三回にわたるお話を通してこれからの世 界史像を考えるうえでのヒントというか、引き 出しがたくさん出てきたと思います。とりあえ ず時間になりましたので、これで終了とさせて いただきます。
【桃木氏】最後にもう一言だけ。今日の話でト
リビアの話をもう少ししたかったなと。やっぱ り歴史はおもしろいものでなきゃいかんと。な んだかんだいってもトリビアは欠かせません ね。高校の先生にもよく要求されます。実際、 上手な授業をされる高校の先生はたいがいとて もおもしろいアイデアをもっていらっしゃる。 だからこういう一国史のためのトリビアじゃな いグローバル・ヒストリーのためのトリビアを 探すことは大事だなと思いますね。