鸞
酒 あ 日 本
中 の 小 学 生 を 虜 に し た 、
の 超 有 名 ゲ ー ム の 震 源 地 は
田 に あ っ た !
エ ス ・ エ ー 。 エ ス 株 式 会 社
酒 田 エ ス ・ エ ー ・ エ ス 株 式 会 社
もはや子供のみならず、大人の娯楽としてもすっかり定着したビ デオゲ︰ム。古くは﹃スペ︰スインベ︰ダー﹄や﹃フアミリーコン ピュi夕﹄のブームがあり、現在ではスマートフオンに主戦場を移 して進化を続けている。山形の地にも、そのゲームの世界で一大 旋風を巻き起こしてきた会社があるのだ。果たしてそこは梁山 泊か⋮⋮。
ゲ ー ム 夜 明 け 前 は
ハ ー ド 屋 稼 業
エス・エー・エス株式会社は東 京都台束区にあるシステム開発を
手掛ける会社。そしてその子会社 である酒田エス・エー・エス株式
会社は、その名の通り山形県酒田
市を拠点としている。こちらでは
主にアミューズメント系のソフト
開発を中心に行っているそうだ。
両社の社長を務める渡部宏一氏
●プロフィール
わたべ こういち氏…1召和17年 神奈川県生まれ。県立神奈川エ 業高校電子工業科卒業大手メーカーに就職。2年 後に退職 その後東京都都立大学に入学するも2年で中退。再び就職した が28歳 の時に独立起業する。昭和46年シグマ電子株式会社 設立。昭和57年株式会社システムテクノロジーを母体としてエ ス エー エス株式会社に改組。
代 表 取 締役
渡 部 宏 ― 氏
40
今 に生 きる庄 内武士 の 一分
は、もともとハードウェアの技術 者として設計・開発業務に従事し
2 8歳の時に独立して会社をたちあ
げたという。
時は高度成長の真っ只中。船出
にはふさわしいタイミングだつた
のだろヽつ。
﹁どうしても自分の力を試して みたくて。思い立ったらやらずに はいられない性分なんでしょうね。 不安がないと言えばうそになり
ますが、案外楽観視していました。
というのも工業高校時代の同級生 が皆、京浜地区の大手メーカーで
働いていたので、その人脈を頼れ
ば何とかなると﹂
そして本当に何とかなつてし まつた。いや今日まで続く会社の
礎を作ったのだから、正しい判断、
タイミングのいい決断だったのは
間違いないだろう。
﹁特注の測定器なんかを作って納
めていましてね。幸い一度つなが
りができれば、またご指名で仕事
をいただくことができたんですよ﹂ 現在のようなパーソナルコン
ピュータのな
い時代。電子
回路の設計
などで大変重 宝がられて会 社は少しずつ 大きくなって
いった。
﹁今ではソ
フト開発が多
いですが、昔
はハード開発 が中心でし
た。もっとも
その頃はソフ トとハードは
別会社でやっ ていたのですが、これからはハー
ドとソフトが一体になってモノづ くりをする時代だと一緒になつた
のが、現在のエス・エー・エスと
いうわけです。ソフトのシステム
テクノロジー株式会社とハードの シグマ電子株式会社の両社のアル
フアベット頭文字をとって、Sア
ンドSが社名の由来です﹂ もともと二つの会社とも東京に
あったのだが、ソフト会社の社長
が酒田市の出身だった。
﹁時はバブル経済の前、中小企
業のソフト会社が東京でもまだ多 くはなかつたコンピュータ開発の 人材を採用するのは難しかったん です。それなら酒田で人材を育て ようと思い採用したら優秀な人が 集まってくれました。それならいっ
そ酒田に拠点を置こうと昭和6 0年
に会社を作りました﹂ 今に続くゲーム開発は酒田
から始まった。大都市圏で
は雨後の筍のように乱立し
たゲームソフト会社だが、東
北のそれも山形ともなればた
ぶんまだ珍しかったのだろう。
地元のゲーム好きには垂涎の
会社となつたに違いない。そんな
夢の会社に、梅木部長は入社して、 今日まで開発一筋だ。
﹁会社としては600もの条件を
開発して来たと思います。難しそ
うな案件でもお客さんにはすぐに
出来ないとは言わずに、まずチャ
レンジしてみるのが社風でしたね﹂
バブル崩壊後は、どんな大企業
も外注を控えて内製化に力を入
れた。出費を抑え、社員を遊ばせ
ないための当然の措置だ。エス・
ユー・エスは電話やフアックスな ど通信機器の開発をやってきたが、 ばったり仕事がなくなってしまっ た。そこで産業用ソフトに代わっ てゲームソフト開発を本格的に始
めたのがきっかけだった。
時はファミコンの全盛期。今と 違ってミリオンセラーも数多く輩
出された、まさにゲーム黄金時代
「SAS100J 自社設 計の32ビ ットブ ロセッサーとOSを 積んだs AS初のコン ピュター システム。発 売 当初 の1980 年では画期的なシステムであった。
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と言っても過言ではな
い。ちなみに、酒田エス・
エー・エスができた昭
和6 0年は、世界的大ヒッ
トとなり、今日にいた
るも続編が作られてい
るあの﹃スーパーマリ オブラザーズ﹄が発売
された年でもあった。
﹁ゲームメーカーからの受諾案件 としてゲームソフトを取り扱って きました。大がかりな業務用ソフ トなどは現地に赴いて開発やテス トを行わないといけませんが、ゲー ムソフトなら社内で開発から納品 まで可能で設備投資もさほどかか りません。だからこそ大消費地と の距離があってもハンデにならな
かった。むしろ、固定費を軽減で
きる分、地方のほうが有利だった かもしれませんね﹂ 事実、ゲームメーカーは全国各 地に点在していた。どこも地方の
ハンデとは無縁だった。
数 々 の ヒ ツ ト ゲ ー ム を
担 当 す る 開 発 会 社 に !
親会社エス・エー・エスの設立
当初は、まだフアミコンの発売前。
「
げんじじんがビンコでワァァロ ショッビングセ ンターで大 人気の自社で企 画 開発 した最新 のアーケード向けケーム.
いわばゲーム紀元前という時期
だった。それが昭和5 8年を境に劇
的な変化を遂げている。
﹁やっばリフrヽヽコンの大ヒッ トがこの業界には革命的でしたね。 わが社もゲームソフトを始めて約
3 0年。フアミコンソフトから始め
たわけですが、今や会社の大きな 柱になつています﹂
制作を開始した当初は、まだソ
フト開発と言っても、 一般にはな かなか理解されない時代だったが、
東京から遠い酒旧の地でも、全国
に発売されるコンテンツを制作で きることには非常にワクワクした
そうだ。
その後も大手メーカーの開発を
担当し、200以上のコンテンツ
開発に関わってきた。その中には 社会現象にまでなったおばけソフ
ト﹃甲虫王者ムシキング﹄や﹃オシャ レ魔女ラブandベリー﹄も含ま
れている。
今から約1 0年前の小学生で﹃ム
シキング﹄や﹃ラブベリ﹄を知ら
ない子はいなかつた。
ゲームのみならず、様々なジヤ ンルで展開されたこの2大タイト ルはエス・エー・エスとしてもエポッ クとなつたに違いない。 だが、どんな時代にも進化や変 化の波は必ずやって来る。ゲーム 業界もまた転換期を迎えているの
だ。
﹁これまで、いいお客様といい仕 事が出来たことは、あるいは幸運 だったのかもしれません。しかし これからが、さらに会社を飛躍さ せられるかの
試金石です。
ゲーム機の
ハードウェ
アはますま 工■局スペッ ク化してソ フトのグラ
フィック
品質の要
求も上が
り、リア
ルな物理 演算も処理が出来るようになりま
した。ゲームによつては映画制作 するようなスタッフで開発する場 合もあり、ハリウッド化している とも言えるかもしれません。大メー カーでは大作を制作して世界に向 けて販売していくことが大きな戦
略でもあります。でもこれは冒険
が難しく勢いヒット作の続編が幅 を利かせるともいえます。今や世
「リアルアクエリアム」 曰社が開発 したバーチャル水 槽 システム。液 品 画面の中をデジタル熱 帯魚が泳蕎 わる( 全10シーン)
つ乙
′仕
今 に生 きる庄内武士の一分
ヽネ
界で売れるゲームを開発するため
に、大きな投資でリスクをとって
まで積極的なのは、大手の海外メー カーなのかもしれません﹂
そして、日本市場でもスマート
フオンの普及があらゆる娯楽のパ
イを食い荒らしている。自動車や
タバコ離れもスマホが遠因という
考え方もなされる昨今、最大の被
害者はゲーム機ハードメーカーと
も言われている。
﹁ですが、日本には数々のソフト
開発で得た積み重ねのノウハウや、
世界に誇れる発想力がある。そこ
でうちのような中小の開発会社が
生き残るためには、どうすればい
いのか。まず中小の会社でも大手 に負けない長所は必ず持っている
はずです。一社では無理でも各社
の強みを持ち寄り連合すれば、ま
だまだ世界で競争力のある製品を 生み出すことが出来るのではない かと。大手が手を出せないような ポジショニングで素早く勝負する。 今もそういうところにチャンスが あるはずなんです。今や物を作る 技術ならどこの国でも持っていま す。肝心なのは、これを開発した ら人々に喜んでもらえるという信 念を持って怖がらずに行動するこ と。海外の安い人件費や巨大な労 働力といったものと正面切って対決 する必要はないんです。むしろそ
れを受け入れて利用する側に回る
べきかと。うちでもすでにアジア
やヨーロッパの会社の協力を得なが ら新ビジネスを模索しています﹂ 実際、エス・エー・エスではプ ログラム開発だけの仕事ではな
く、プランナーやデザイナーを揃
え、ゲームを自社で企画して納品
ができる体制を整え、SASプラ
ンドの開発も可能なほどに力を付
けている。すでに自社で企画して
開発したタイトルがヒツトしてい
るのだ。
﹁これからも会社のコアコンピタ ンスである技術力をさらに高めて、
お客様に喜んでいただける開発が
できる企業であり続けたい。受話
中心の体制から、新しい製品の提
案ができる企業へ変貌中です。お
かげさまで、発信型の会社という
認知をメーカーさんからも受けつ つありますね﹂
混沌としているゲーム業界だが、
この世界、宝の山は必ずどこかに
隠れている。最近で言えば、ガン
ホーの躍進などはその典型だろう。
では、エス・エー・エスは何を目
指して進んで行くのだろうか。
﹁我が社はゲームに限定してモ ノづくりをしているわけではあり ません。広くエンターテインメン トの仕事をしているという気概で
製品作りに取り組んでいます。歴
史学者ホイジンガの﹃ホモ・ルー デンス﹄で遊戯が人間活動の本質
だというように、人々に楽しみを
提供するという考え方はこれから も変わらない。時代の流れや変化 には柔軟に対応して地に足を付け ながらモノづくりを続けていきた い。さらに産業用ソフトにもゲー ム開発で培ったわかりやすいユー ザーインターフエースや操作画面
を応用できる新たな可能性もある のではないかと。また酒田ならで
はの事業として、地元の産業と密
接に結び付いた企業とコラボをし ながら新しいビジネスも模索した い。他にも﹃教育分野﹄や﹃癒し﹄、 あるいは﹃リハビリ﹄のように世 の中に役立つ製品づくりにも興味 があります。行く道は無限に広がっ ています﹂
ここに3 4年もの長きに渡ってエ
ス・エー・エスの存続ができた理
由の一端を垣間見た気がする。
変化するニーズに的確に対応し、
どんなお客様のオーダーに対して も応えていけるだけの技術力や企 画力を日々磨いてきた企業姿勢は、 この﹃水もの﹄の世界を必ずや泳
ぎ切っていくことだろう。そして
また、時代のメガヒットを生み出
すに違いない。 ■
●エス エー エス株 式会 社
〒110- 0016東京都 台東 区 台東1- 1- 14 ANTEX24ビ
' レ
2F TEL 03- 3836- 0655
ht t p′ / www s as ■ okyo c o, p/
0酒ロエス エー エス株 式 会社
〒998- 0828
山形 県酒 田市 あきは町654- 1 TEL 0234- 23- 1750
ht t p: / / s as ‐ s akat a COi p/
43 2θ 14 Apr ″