力学系からカオスへ
坂元孝志
明治大学理工学部数学科
November 23, 2015
この原稿は,力学系のごく初歩的な事柄の解説として準備しました.目的は, 明治大学数学科の学生さんに力学系の雰囲気をすこしでも感じてもらうためです. そのため,本校において概ね1年次∼3年次春学期に配置された講義の内容を予 備知識として仮定しています.従って,多くの数学,数理科学系の学科において 数学を学ぶ方にも力学系の雰囲気を感じ取ってもらえるかもしれません.
本稿の内容のうち,特に後半の記号力学系とシフト写像に関する内容の大部 分は力学系の有名なテキスト [1, 2] を参考にして纏めました.
本稿では,次の離散力学系を考えます; 写像 f : [0, 1] → [0, 1] を
f (x) =
{ 2x, 0 ≤ x ≤ 1/2 2x − 1, 1/2 < x ≤ 1 とする.漸化式
xn+1= f (xn) を考える.fk を f の k 回作用:
fk= f ◦ f ◦ · · · ◦ f
| {z }
k
とする.このとき,任意の x ∈ [0, 1] と任意の n, k ∈ Z に対して f0(x) = x, fn+k(x) = fn(fk(x))
が成り立つ.よって,f は Z を時間,[0, 1] を相空間,f を時間発展のルールと する力学系を定める.
[0, 1] 上の点が,f の反復によってどのように動くかを考えます.このためには x ∈ [0, 1]の2進展開を考えると便利です;
x ∈ [0, 1]に対して,その2進展開を x = s0
2 + s1
22 + s2
23 + · · · + sk
2k+1 + · · · , sj= 0 or 1 とする.例えば,
• 3/4 = 1/2 + 1/22
• 1 = 1/2 + 1/22+ 1/23+ · · · =
∑∞ j=1
1 2j
• 1/2 = 1/22+ 1/23+ · · · =
∞
∑
j=2
1 2j などである.
さて,この x の2進展開が f によってどのようにうつされるのかを計算しま しょう;
• 0 ≤ x ≤ 1/2のとき,s0= 0とできる.よって
f (x) = 2x = s0+s1 2 +
s2
22 + · · · + sk
2k + · · ·
= s1 2 +
s2
22 + · · · + sk
2k + · · ·
• 1/2 < x ≤ 1のとき,s0= 1でなければならない.よって
f (x) = 2x − 1 = (−1) + s0+s1 2 +
s2
22 + · · · + sk
2k + · · ·
= s1 2 +
s2
22+ · · · + sk
2k + · · ·
従って,x ∈ [0, 1] に対して,その2進展開と f(x) の2進展開は f :( s0
2 + s1
22 + s2
23+ · · · + sk
2k+1 + · · · )
7→( s1 2 +
s2
22+ · · · + sk
2k + · · · )
のように対応している.
ここで,0 と 1 の片側無限列
s= (s0s1s2 · · · sk · · · ), sj = 0 or 1 と対応する2進展開
s0
2 + s1
22 + s2
23 + · · · + sk
2k+1+ · · · , sj = 0 or 1 を同一視します.さらに Σ を 0 と 1 の片側無限列の集合とします:
Σ = {s = (s0s1s2 · · · sk · · · ) | sj = 0 or 1}
すると,f : [0, 1] → [0, 1] は,Σ から Σ へのシフト写像と呼ばれる写像: σ : (s0s1s2 · · · sk · · · ) 7→ (s1s2 · · · sk · · · )
と対応します.
本稿の目的は,ここで定めた片側無限列へのシフト写像 σ の作用の反復がカ オス的であること,従って f がカオス的であること1を示すことです.その前 に,σ と f の対応関係を具体的な計算で体感してみましょう;
問題 x ∈ [0, 1] に f を7回反復させたとき,7回目の反復で初めてもとの元に 戻るような点 x ∈ [0, 1] を1つ求めよ.
解 σ をを7回反復させたとき,7回目の反復で初めてもとの元に戻るような Σ の点は,例えば
(0 0 1 0 0 0 0|0 0 1 0 0 0 0| · · · ) などである.これに対応する2進展開は,
1/23+ 1/210+ 1/217+ · · ·
である.これは初項が 1/8, 公比が 1/27 の等比数列の無限和である.従って,
1/23+ 1/210+ 1/217+ · · · = 1/2
3(1 − 1/27n) 1 − 1/27 →
16
127 (n → ∞) よって,x = 16/127. 実際,f で繰り返しうつすと
16/127 7→ 32/127 7→ 64/127 7→ 1/127 7→ 2/127 7→ 4/127 7→ 8/127 7→ 16/127. このような点を,f (または σ) の最小周期が 7 である周期点という.
次に,写像がカオス的であることを定義します. 定義 1 (カオス)
I を R の区間とする.f : I → I がカオス的であるとは,次の条件を満たすとき をいう;
• (周期点の稠密性)f の周期点は I で稠密である;
• (位相推移性)I の任意の2つの部分区間 U1, U2 に対して,fn(x) ∈ U2と なるような 点 x ∈ U1 と n > 0 が存在する;
1正確には,“Z を時間,[0, 1] を相空間,f を時間発展のルールとする力学系がカオス的である” こと
• (初期値鋭敏性)ある定数 β が存在して,任意の x ∈ I と x の周りの任 意の開区間 U に対して,ある y ∈ U とある n > 0 が存在して
|fn(x) − fn(y)| > β が成り立つ.
定義 2 (周期点)
ある n > 0 に対して,fn(x) = xとなる x を f の n 周期点という.
次に,σ : Σ → Σ がカオス的であることを示すために,Σ に距離を定めます. 定義 3
s= (s0s1 · · · ), t = (t0t1 · · · ) ∈ Σ に対して,その距離を
d(s, t) =
∑∞ j=0
|sj− tj| 2j で定める.
問題 d は 距離の公理を満たすことを示せ.
解 任意の s, t ∈ Σ に対して d(s, t) ≥ 0 であり,すべての j について sj = tj のときに限り d(s, t) = 0 である.また,逆も正しい.|sj− tj| = |tj− sj| より, d(s, t) = d(t, s). さらに,s, t, r ∈ Σ ならば,|rj− sj| + |sj− tj| ≥ |rj− tj|よ り,d(r, s) + d(s, t) ≥ d(r, t).
問題 s, t ∈ Σ とする.0 ≤ j ≤ n に対して,sj= tj ならば,d(s, t) ≤ 1/2n を 示せ.さらに,d(s, t) < 1/2n ならば 0 ≤ j ≤ n に対して,sj = tj が成り立つこ とを示せ.
解 0 ≤ j ≤ n に対して,sj= tj ならば
d(s, t) =
∞
∑
j=0
|sj− tj| 2j
=
∑n j=0
|sj− tj| 2j +
∞
∑
j=n+1
|sj− tj| 2j
=
∑∞ j=n+1
|sj− tj| 2j ≤
∑∞ j=n+1
1 2j =
1 2n.
次に,d(s, t) < 1/2n ならば 0 ≤ j ≤ n に対して,sj = tj が成り立つことを背理 法により示す.ある k (0 ≤ k ≤ n) について sk̸= tk ならば |sk− tk| = 1である から,
d(s, t) =
∑∞ j=0
|sj− tj| 2j ≥
1 2k ≥
1 2n
これは,矛盾である.
問題 σ : Σ → Σ は連続であることを示せ.
解 ϵ > 0 を任意にとる.1/2n< ϵとなる n を選ぶ. s= (s0s1s2 · · · ), t= (t0t1t2 · · · )
とする.δ = 1/2n+1とする.t ∈ Σ が d(s, t) < δ = 1/2n+1ならば 0 ≤ j ≤ n+1 に対して sj = tj である.従って,σ(s) と σ(t) の(0 番目から数えて)k 番目 の項は,k ≤ n に対して一致する:
σ(s) = (s1s2· · · sn+1sn+2sn+3· · · )
= (t1t2 · · · tn+1sn+2sn+3· · · ) σ(t) = ( t1
|{z}
0
t2
|{z}
1
· · · tn+1
|{z}
n
tn+2tn+3 · · · )
よって d(σ(s), σ(t)) ≤ 1/2n< ϵが成り立つ.
定理 1 写像 σ : Σ → Σ はカオス的である.従って,写像 f : [0, 1] → [0, 1] もカ オス的である.
証明
• (周期点の稠密性)任意の Σ の点
s= (s0s1s2 · · · )
に対して,それに収束する周期点の列を作る;tn ∈ Σを tn = (s0s1s2· · · sn| s0s1s2 · · · sn|s0s1s2· · · sn| · · · )
とする.{tn}は Σ 内の点列であって,tn の n 番目までの項が s と一致し ている.従って,
d(s, tn) ≤ 1/2n → 0 (n → ∞)
が成り立つ.よって,写像 σ の周期点は Σ の中で稠密である.
• (位相推移性)Σ の点 s∗
s∗= (0 1 | 0 0 0 1 1 0 1 1 | 0 0 0 0 0 1 0 1 0 0 1 1 · · · )
が σ の反復によって Σ 内どのように動くかを考える.s∗ は,その項にお いて,0 と 1 の順列の全てを並べたものである.従って, 任意の ϵ > 0 と 任意の s ∈ Σ に対して,ある自然数 n > 0 が存在して d(s, σn(s∗)) < ϵが 成り立つ.これは位相推移性が成り立つことを意味している.
• (初期値鋭敏性)
s= (s0s1s2 · · · ) とする.ˆsj を 「sj でない」 とする;
ˆ sj=
{ 0 sj = 1, 1 sj = 0. t= (s0s1 · · · snsˆn+1sˆn+2· · · ) とすると次が成り立つ;
(i) d(s, t) = 1/2n ;
(ii) d(σn+1(s), σn+1(t)) = 2.
これは,σ が初期値鋭敏性を持つことを示している.
最後に,本稿で考えた f は次のような問題のモデル(数理モデル)になっている ことを述べて終わりにします;
長さ1の線分に対して,次のような操作を考えます;
• (操作1)長さ 1 の線分を2倍に引き延ばす
• (操作2)引き伸ばしたものを中央で切断する
• (操作3)切断された2つの線分をの一つを平行移動してもう一方の線分 にぴったり重ねる
操作 1 から操作3を1回行うと,[0, 1] の点 x は f(x) にうつります.本稿で示 したことは,この操作の繰り返しがカオス的であるということです.そしてこの 操作は,“パン生地をこねる” 操作;
「生地を伸ばす」 → 「切断する」 → 「重ねる」 → 「生地を伸ばす」 → · · · という現実の問題の,最も単純な数理モデルです.
References
[1] M. W. Hirsch他, 著,桐木紳 他, 訳,「力学系入門 原著第2版 - 微分方程式か らカオスまで- 」共立出版,2007(原著:「Differential Equations, Dynamical systems, and an Introduction to Chaos (3rd Edition) 」 M. W. Hirsch, S.Smale, R. Devaney, Academic Press, 2012)
[2] R. Devaney(著),後藤憲一(訳),新訂版訳:國府寛司,石井豊,新居俊作, 木坂正史,「カオス力学系入門 第2版」,共立出版,2003