マクルーハンは、印刷術の発明による「グーテンベルク革命」と同じくらい大きな変化 が、電子技術によってもたらされつつあると述べた[1]。それから 30年経ち、インター ネットの活用が盛んな、まさに今が「第二グーテンベルク革命」の真っ只中であるという 主張が、多くの人々によって、いたるところでなされている。
グーテンベルクの「第一革命」によって失われた大きなもののひとつが、「ラテン語」で ある。書物が劇的に安くなったために、高尚なラテン語に替わって、土着言語の本が多数 流通するようになった。17世紀前半になると、学術書を除いてラテン語の書物はほとん ど姿を消した[2]。
ひるがえって現代、「第二革命」によって失われる大きなものは「子供時代」だという主 張がある。ニール・ポストマンによれば、グーテンベルク以降の書物の大衆化によって、
「書物を通じて知識を得る」社会的な仕組みが確立し、知識取得の準備期間=子供期が出 現したという[3]。しかし今、書物を通じて知識を取得するのではなく、他のメディアを 通じてより直接的に知識を得られるようになったため、子供期は消滅しつつあるのだとい う。あるいは、第二革命は、第一革命以前の「おとなと子供の分かれ目」のない時代への 逆行ともいえよう。
しかしながら、メディアの発展史を口述、筆記、活字、電子の4相が積み重なってきた 過程だと主張したウォルター・J・オング[4]、あるいはメディア環境を重層的だと形容し たエリザベスアイゼンステイン[5]を引き合いにだすまでもなく、「書物を通じて知識を得 る」ことが全く失われるとは考えにくく、むしろ、「書物を含むあらゆるメディアを通じ て知識を得る」時代に突入していると捉えるべきであろう。言い換えれば、子供からおと なへの階梯に、書物に加えて新しい通過儀礼を準備しているのが、今日のメディア教育を とりまく状況なのである。
ところで、「第一革命」の発見は、フランシス・ベーコン(Novum Organum)がおそら く最初であるが、グーテンベルクの発明から100年も後のことである。我々の「第二革 命」は、まだ先かもしれないし、もう終わっているかもしれない。
(参考文献は次葉に記載)
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参考文献
[1] マーシャル・マクルーハン(1962;1986)『グーテンベルクの銀河系―活字人間の形成』 森 常治, みすず書房
[2] 高宮利行 (1998) 『グーテンベルクの謎−−活字メディアの誕生とその後』 岩波書店
[3] ニール・ポストマン(1982;2001)『子どもはもういない−−教育と文化への警告』 小 柴一訳, 新樹社
[4] ウォルター・J・オング (1982;1991)『声の文化と文字の文化』 桜井直文・林正寛・ 糟谷啓介訳, 藤原書店
[5] エリザベス・アイゼンステイン (1983;1987)『印刷革命』 別宮貞徳訳, みすず書房
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