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「東南アジア史」の危機と新しい挑戦
東南アジア史の確立と危機
東南アジア(地域)研究全体が1970年代以降に急成長するなかで、20世紀末には歴史学 界でも、東南アジア史が市民権を獲得した(研究史については、『岩波講座東南アジア史別 巻』2003年、拙著『歴史世界としての東南アジア』山川出版社〈世界史リブレット〉1996
年、などを参照されたい)。帝国書院版『新編高等世界史B 新訂版』(以下では「教科書」
と略称)にかなり詳しい東南アジア史の記述を盛り込むことができたのも、その成果であ る。ただしその多くは、東南アジア域外の研究者による成果だったが、90年代には、豪・ 米で研究し「想像の共同体」としての国民国家形成に、近代的領域観念と地理学が果たし た役割を論じて脚光を浴びたタイ人トンチャイ=ウィニッチャクン(石井米雄訳『地図が つくったタイ 国民国家誕生の歴史』明石書店、2003年)や、ジェンダー論、カルチュラ ル・スタディーズの旗手である在米ベトナム人トリン=T.ミンハなど、世界の論壇に知ら れる東南アジア出身の研究者・知識人も登場した。
こうした東南アジア(地域)研究は、インド研究や中国研究から自立するために、他地 域と共通する普遍的理論の構築でなく、東南アジアだけがもつ(しかも、一見ひどく多様 な東南アジアの全域に共通する)独自性を明らかにすることに力をいれてきた。とりわけ、 圧倒的に見える外来文明や外部からの政治・経済的影響のもとでしたたかに発揮されつづ けた、東南アジアの自律性を描き出すことが重視された。
だが現在、個性・自律性追求型の東南アジア(地域)研究は、むずかしい立場に立たさ れている。東南アジアの個性を明らかにするために提出された諸理論を中国、インドや日 本、西欧など他の地域の研究者が応用しはじめたことは、東南アジアが中華世界、インド 世界のような文明圏であれば、その普遍性を自慢する材料になる。だが、東南アジアの地 域世界としての独自性は、基層文化や歴史のリズム、外力への対応のパターンを共有する 点にあり、単一の文明にあるのではない。その東南アジアでできた理論やモデルが中国や インドに応用しうる、つまり中国やインドが東南アジアと共通性をもつということは、中 国やインドの多様性を明らかにし、中国やインドを一枚岩で一方的に周辺に影響を与える 「中心」と見るような「中華思想」や「大インド主義」を「脱構築」する助けになる一方で、 「東南アジア」というくくり方そのものの必要性を弱めかねないのだ。やはり東南アジア
は「多様な中華世界」「多元的インド洋世界」などの「周辺」でよいのではないか? こ
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うした問いを前にして、東南アジアという単位での研究は容易でなくなっている。
そこで現在、多くの「東南アジア史研究者」が、「ひとまとまりの東南アジアの個性の 研究」とはちがった、他地域にまたがる研究を行い、それを通じて、東南アジアを理解す ることの意義を、再定義しようとしている(地域というものをどうとらえるかについては、 古田元夫「地域区分論」『岩波講座世界歴史1』1998年を参照)。
その代表的な学者に、アメリカのリーバーマンがいる。海域世界を中心に近世東南アジ アの全体史を描こうとしてきたアンソニー・リード(『大航海時代の東南アジアI・II』 法政大学出版局、2002年、は翻訳の誤りが多く要注意)に対し、その論敵として活躍して きたリーバーマンは、リードが説くような海上交易の決定的重要性、それにもとづく15∼ 17世紀東南アジアの一体性と「17世紀の危機」によるその解体、その解体に由来する植民 地化や現代の国家統合の困難、などの図式が東南アジア大陸部には当てはまらないと論じ てきた。大陸部近世のビルマ、タイ、ベトナム3国では、近代国民国家を準備するような 統合が、日本、西欧諸国(とくにフランス)、ロシアなどと並行して、14世紀後半から19 世紀初頭にかけてゆるやかに進んだ、というのがリーバーマンの仮説である(「教科書」 第3部第3章は、これを意識しながら書いた)。2部作の第1卷が出版されたばかりの『奇 妙な並行性』(Victor Lieberman, Strange Parallels, Southeast Asia in Global Context, c.800-1830, vol.1, Cambridge University Press, 2003)は、この大規模な比較史論を、それぞれの地域 で近世国家の前提となる古典国家のかたちが形成された8∼9世紀にまで遡って展開した、 構想雄大な作品である。
こうした東南アジアを中心とする比較史は、アジアの位置づけが焦点になっている今日 の世界システムとグローバル・ヒストリーの研究に対して、これまでのアジア重視論(多 くは、ヨーロッパ中心史観に○○中心史観を対置するもの)とはひとあじちがったインパ クトを与えることが期待される。「根っからの周辺」で、しかも世界システムへの反撃と してのベトナム戦争、世界システムを利用したシンガポールの躍進など、ときとして世界 史を大きく動かす東南アジアは、なまじっかの自地域中心主義では対抗できない規模でグ ローバル化が進みつつある現代に、他地域よりむしろ有利な立場にあるかもしれないのだ。
これまでグローバル・ヒストリー論争で東南アジア というと、独立した政治主体としては、島嶼部のマラ ッカのような港市と、それらの(琉球王国と同じ)ネ ットワークの接点としての役割ばかり注目されてきた ように思われるが、「アンコールワットの東南アジア」 「アメリカを負かした農民ゲリラの東南アジア」は、
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本を特殊な例外として?)伝統的帝国でない国民国家形成に失敗したことが、アジアが近 代化に失敗した原因ととらえられてきたのだが、わりあい典型的な中規模国民国家が成立 した東南アジア大陸部に着目したリーバーマン説は、日本特殊論を避けつつヨーロッパ中 心史観でないグローバル・ヒストリーを考える、ひとつの道筋を示している(ロシアを比 較の対象にした点に問題があるが)。
日本で研究する私自身は、東南アジアをひとまとめに論じ、しかも「東南アジア解体論」 につながらない分野があると考えている。それは日本史の見直しである。日本史や日本文 化論に見られる、欧米だけと比較して「日本は特殊だ」と考える悪習は、ずいぶん是正さ れたが、アジアのなかに日本を位置づけるといっても、そのアジアはまだ、朝鮮半島と中 国だけである場合がほとんどだ。ところが、東南アジアにも意外なほど共通性があり、こ れと比較することで理解が進むような事項がいろいろある。二つ例をあげよう(「教科書」 p.94 ∼ 96で、これに関連する記述を行った)。
第一は、東南アジアから南中国、日本列島にかけての、基層文化の共通性に関連する。 この共通性への着目が、すでに劇的な研究の発展につながっている例には、70年代末以降 の日本女性史がある。東南アジアの伝統的なジェンダー・家族形態(リードの『大航海時 代の東南アジア』にも、かなり詳しい記述がある)で は、王は男性が多いが、家族制度では父系・母系のど ちらも(ひいては「家系」「血統」そのものが)決定 的な力をもたず[母系制というのは誤解で、むしろ「双 系制」]、したがって個人主義的な選択に委ねられる部 分がかなり大きい、女性も財産権や決定権をもち性別 分業は強くない、夫婦・家族の結びつきは流動的で離 婚・再婚は珍しくない、子どもは結婚すると新居を構 え自立する(末っ子のみ結婚後も同居して老親を扶養 する場合も多いが)ので家族形態は単婚小家族(=核 家族)が主である。
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ものだが、前提に中世以来の夫婦間の強い結びつき[鎌倉幕府樹立は源頼朝と北条政子の 共同事業]や、単婚小家族による農工商等の経営単位を示す「屋号」などがあった)や一 族外からの養子が可能な日本の家制度は、非常に特殊である。しかし単婚小家族単位の経 営、一族外の養子などは、東南アジアから見れば当たり前である。
第二は、まだあまり具体的に研究されていないこれからの課題なのだが、日本・朝鮮半 島と東南アジアが共有する、大文明の周辺という位置に由来する特徴である。日本人の多 くは「神仏習合など宗教的ないい加減さは日本の特殊性」と思い込んでいる。「自分で発 明せずに人まねばかりしている」「しかし外来文明を巧みに摂取して独自の文化を作り上 げた」なども日本だけの特徴と思われがちだ。そもそもユーラシアの東半分は宗教的多元 主義の世界で、中国でもインドでも習合は普通だし、外来文明を選択的に取り入れたり変 型するのは世界共通のことだが、なかでも東南アジアを見ることで、上のような日本特殊 論の愚劣さがはっきりする(『岩波講座東南アジア史』第1巻、第2巻、2001年、など参照)。
ラーマーヤナやマハーバーラタを、インド文字を改造 したジャワ語文字で表記しジャワ語の韻律におきか えるところから出発して、独自の発展をとげた「カカ ウィン文学」や、それを題材とした舞踊、影絵芝居、ガ ムラン音楽(それを今日でもムスリムたちが上演す
る!)。「敬虔な仏教徒」ビルマ人が拝むヒンドゥー系・
モン族系などさまざまな神々(ナット)。仏法の保護 者であることを最大の正当化原理としながら、自分を ラーマーヤナの主人公の化身とするバンコク朝の王 たち(ラーマ何世のラーマはラーマーヤナのラーマ王 子から取った)。外来・土着の「なんでもあり状態」 から創り出された「独自の民族文化」は、日本だけにあるのではない。
現在、日本史や朝鮮史で注目されているテーマに、それぞれ中華帝国への対抗意識を燃 やし、独自の「小中華帝国」ないし「華夷秩序」を作ろうとした、という問題がある。ほ とんどの東南アジア国家が、インド世界、中華世界、イスラーム世界などそれぞれの宗教・ 文明世界のなかで「本家に負けない」大国・文明国であることを主張した。ただ、大国・ 文明国の基準は基本的に外部にある。対等性を主張しても、「中心」の側に届くような別 の普遍性を発信することは稀である。よく言えば外来の文明や技術を巧みに取り入れ改造 して自分を高めるが、悪く言えば外部の文明に過剰同化したり、これに反発するあまり独 善的なナショナリズムに居直る。すべての背後に、コンプレックスがある。
これらの問題で日本史や朝鮮史と東南アジア史の共通点や差異を比較することは、単に 学術的に興味深いだけではない。リーバーマンの項でも述べたように、現代のグローバル 化に対して、「周辺の視点」を学ぶ必要性が強まっている。つねに自己を中心・強者だけ と比較し、コンプレックスに揺れながら自分の進む道を選んできた日本にとっても、ほか の「周辺」を見ながら、自分自身を見つめなおすことは有益であろう。