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世界史芸術鑑定団 7
A(教え子。大学の教育学部で歴史教育学を専攻): 最近はどういう勉強をなさっているんですか。 B(先生):ライフワークにしている【世界史教育 における文化史・生活史教材の研究】の一環と して、絵画教材をいかに世界史授業で活用する かという、今はやりの「絵画史料研究」を少し ずつかじらせてもらっているよ。絵画の場合「史 料批判」が難しいけどね。
A:でも面白そうですね。それで今、取り組んで いる絵画は何ですか。
B:では、昔を思い出して、私の拙い授業をあえ て受けてもらうことにしようか。
A:図版資料の大好きな先生らしいですね。よろ しくお願いします。
B:ここに、ある画家が有名な歴史上の人物を描 いた2枚の油彩肖像画があるけど、誰だかわか るかな。もちろん、同一人物だよ(左頁参照)。 A:同一人物ですか。右上の髭のある人物は見た
ことがないけれど、左下の方は…。確か図説に 載っていましたよね…。わかりました。あの宗 教改革で知られるルターですね。しかし、右上 の人物も本当にルターなんですか。
B:よいことに気がついてくれたね。自分の勉強 もこの肖像画をめぐってのものなんだ。制作年 に注目してほしい。制作年が不正確な場合、こ ういう形で記載するのは絵画作品ではよく行わ れることなんだ。ちなみに左下の肖像画は制作 年不明で、そっくりの絵がイギリスのブリスト ル美術館にもあり、こちらは546年作となって いて、この年はルターの没年にあたるから、ル ターの業績を顕彰してクラーナハが描いたのか もしれない。右上の肖像画について、多くの研 究者は52年末にデッサンが描かれて、翌22年 にその下絵をもとに油彩画や版画が制作された と考えているようだ。57年にルターが「95か 条の論題」を発表してローマ教会と対立し、や
がて52年4月にはヴォルムス帝国議会で即位 間もない神聖ローマ皇帝カール5世から帝国追 放処分に処せられたことはまだ覚えているよね。 A:ええ、その後、ルターを支持するザクセン選
帝侯フリードリッヒの企てた「偽装誘拐」によ ってヴァルトブルク城とかいう山城に1年近く 保護され、新約聖書のドイツ語訳に励んだとい うところは、先生があの特製プリントによって ドラマティックに取り上げられ、先生も少しは しゃいでいらっしゃったことを覚えています。 B:よく覚えていてくれたね。実はその後、ルタ ーは表面上は「殺された」ということになって いて、ルター自身も一般の人々の前では姿を見 せることができなかったんだ。それで、中世盛 期の歌合戦の伝統もあるこの城で、ザクセン侯 のやっかいになる一騎士という設定で彼はここ で暮らすことになるんだ。ただ、ヴィッテンベ ルクの改革が急進派に牛耳られ、混乱状態に陥 っているのを知って、彼は52年2月にこの町 に密かに帰ってきていたらしい。このことを事 前に連絡を取り合って知っていた、親友にして 宮廷画家でもあったクラーナハが面会した際に デッサンし、正式にヴィッテンベルクに帰還し た522年3月以降に油彩肖像画として完成した のが、この作品なんだ。
A:じゃあ、もともとルターはどういう格好をし ていたのですか。
B:ルターはエルフルト大学在学中の神秘体験か ら厳しい修行で知られるアウグスティヌス会修 道士となって以来、修道会服姿に頭は、あのU. エーコ原作の映画『薔薇の名前』でおなじみの、 真ん中がツルツルで外側に土手のように髪を残 した、いわゆる“修道士カット”の剃髪で過ご していたんだ。524年以後のルターは市民の 「宗教改革家」としての服装に変わっていく。
とくに532年登場の、「ベレー帽」を被り特徴 のある黒衣を着た画像は、左下の肖像画ととも に広く一般に普及していったと考えられるね。 A:興味深い話を本当にありがとうございました。
(福岡県立小倉高等学校 今林常美)