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高校生のための核読本(後編) ・わかりやすい解説や参考資料 さよなら原発!世田谷の会 高校生のための核読本2

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(1)

高校生のための

核読本

私たちのための

核読本

(後半)

「平和教育のためのু引き書」

編集委員会

の許可のもとに公開します

(2)

⊂∃] 3-6 非核三原則

占コ

Ej本には非核三原則かあるので核戦争には巻き込まれないと言う人かいますガ、 本当でしょうか?

非核三原則とは?

核兵器を「つくらず」 「持たず」 「持ち込ませず」のことで、 1968年に当時の佐藤首相が言い出 して以来、政府の守るべき政策(国是)として広められてきたものである。単純に考えれば日本 には核兵器が存在せず、他国に脅威を与えないのだから日本は核攻撃の目標にはならず安全だ、

という事になる。

核兵器がなくても核基地./

すでに学んだように現代の核攻撃システムはI CBM、 SLBM、爆撃機、巡航ミサイルなど の兵器と、それを裏側から支えて動かすC3Ⅰシステムの二つの体系から成り立っている。日本は 表向きは「核兵器」は置かれていないが、アメリカ軍の指揮・統制・通信・情報システムには大 変深くかかわっている。

例えば、潜行中の原子力潜水艦に超長波を使っで情報と命令を送り出す愛知県の依佐美通信所、よさみ

「核のパトロール」を行うB52に対して指示を与えるための東京の横田基地や沖縄の嘉手納基地かでな

(ジアイアント・トークステーション)、ソ連の潜水艦を追跡するP3Cから電波を受取る神奈川 の上瀬谷受信所、神奈川の横須賀港に常駐する第七艦隊の旗艦ブルーリッジ・-などである。かみせや

万一核戦争になった時、まっさきに攻撃を受けるのかこれらの基地、施設である。例えばワシ ントンにあるアメリカ国防情報センターの1984年1月の報告書にもこう述べられている。

「日本には多数の米核兵器支援施設がある。 -これらを含む米軍の基地や港は、米ソ戦争が始 まればソ連の主要な核攻撃の目標になることは疑いを入れない。 -東京・大阪を中心に人口が集 中しているため、日本は限定核攻撃を受けても全面的な破壊を受ける可能性が他の諸国よりも大

きい。」

うそになってきた「持ち込ませず」

1981年ライシャワー元駐日大便が「核兵器を積んだ軍艦や飛行機が日本の領海を通過したり、 一時的に立ち寄ったりすることを、アメリカ側は核兵器の『持ち込み』だとは思っていないし、 そのことは亡くなった大平首相にも話してある。」と発言して話題をよんだ。アメリカの原潜や空 母ミッドウェーなどが核兵器を積んだまま入港していることは十分考えられる。なぜならこれら は通常積んだまま行動しており、日本に入るときだけどこかの海上に核兵器を置いてくることは 考えられないからだ。

日本政府は「持ち込み」がある場合にはアメリカ側から事前通告があるはずで、その通告が無 いのだから「持ち込まれていない」といっている。しかし本当に非核三原則を守るつもりならア

52 第3章 核戦争へのシナリオ

(3)

メリカに質問をすべきであり、それが出来ないのは故意に隠しているとしか考えられないo

日本から核攻撃?

したがって、現実的には日本の基地からアメリカ軍の核攻撃が行われることも十分予想される。 1985年青森県の三沢基地に配備されたF16戦闘機は、対地核ミサイル搭載の戦闘機であり、実 戦時の行動半径は900-1000km (平常時は3900-4200km)と長く、ソ連のウラジオストックの基地 を核攻撃できる能力を持っている。空対空戦闘機F15の「楯」に守られながら、対地核攻撃機F 16はまさに「槍」の役割を担っている。

参考文献

「トマホークとは?」 「世界」編集部編 岩波ブックレット

(4)

F二戸] 3-7 シーレーン防衛 I

シーレーン防衛という言葉をよく聞きますか、どういうことを言うのでしようか?

船のよく通る道∼シーレーン

日本語では航路帯と言われているように、海の中にも比較的多くの船が通る道のような場所が ある。例えばペルシャ湾から原油を運んでくるタンカーは、インド洋からマラッカ海峡を経て、 ベトナム沖、東シナ海を進み、日本へ到着する。アメリカへも-ワイの沖合のほぼ同じような所

を通って貨物船が往復する。

それを防衛するとは?

シーレーン防衛という言葉が一躍有名になったのは、 1981年の鈴木首相のアメリカ訪問時で、 記者会見の席上、彼は1000カイリにわたるシ-レーン防衛を公約し話題となった。その後、日米 安全保障事務レベル会議に正式に提案され、日米合同でシーレーン防衛の共同研究にあたること になった。その目標は「日本が武力攻撃された場合の海上交通の安全を図る」とされている。海 外からの輸入にたよる日本ではいかにも重要な政策のように思えるが、なぜアメリカの圧力で決

まったのだろうかつ実はその裏には別の目的がひそんでいるのである0

実は対ソビエト潜水艦作戦

相手から発見されることの少ない原子力潜水艦はいまや核戦略の要である(P35参照)。それ の積む核ミサイルは技術開発でしだいに射程が伸び、ソ連の場合、いまや1万km離れたオホーツ

ク海からアメリカの大部分を狙えるようになった。また「海の忍者」とよばれる潜水艦は、太平 洋で活動するアメリカ第七艦隊にと

っても大きな脅威といえる。これを 封じ込めたり、発見して追尾するに は膨大な装備と費用がかかることに

なる。

そこでその一部を日本に屑がわr) させようというのが、実はアメリカ の要求するシ-レーン防衛なのであ る。そのため日本はこの数年間にP 3 C (対潜哨戒機)を100機、十数隻 の護衛・駆逐艦、大量の対潜-リコ ブターを購入する計画である。いず れも日本が単独で使っても意味のな

1000カイリ防衛の水域(「シーレーン海の防衛線」より)

いものであり、緊密な演習を繰り返してアメリカ軍と共同行動をとることになる。

54 第3章 核戦争へのシナリオ

(5)

日本列島のもつ意味

地図をながめるとよくわかるが、ソ連の海軍にとって日本列島は実にいやな存在である。極東 最大の基地ウラジオストックは日本海の中にあり、太平洋に出るには宗谷・津軽・対馬の海峡の うちどれかを通過しなくてはならない。もしそこをソ連の潜水艦が通るとしたら、アメリカが日 本に期待するのは通常の監視・探索とともに有事の際の封鎖であろう0 1983年の中曽根首相の「日 本列島は不沈空母」や「三海峡封鎖」発言はまだ記憶に新しいことである。

つまり日本はアメリカにとって、ソ連を封じ込めるのにきわめて好都合な地理的条件をかねそ なえている国ということになる。しかも最近の経済発展でフトコロ具合もよろしい。それにくら べてアメリカは貿易赤字で財政状況は苦しく、はるかとおくの日本周辺にまで出かけるのは大変 である。そこで、 「日本が軍備を拡大してソ連を封じ込めてくれ」という約束がシーレーン防衛と いうことになる。

シーレーン防衛の危険性

よく考えてみると日本のシーレーンが攻撃されたり、逆に日本が海峡封鎖を行う時はきわめて 条件が限られている。それはアメリカとソ連が直接戦う時だけ(第三次世界大戦-核戦争)であ

ろう。もしこのまま自衛隊の増強が進み、ますますアメリカの下請け部隊化していくと、その時、 日本列島は不沈ではあっても核攻撃で完全に破壊されることはまちがいない。そういう点でシー レーン防衛をかくれみのにしたアメリカ軍との共同行動は、日本にとってきわめて危険な事であ

る。

ソビェト海軍主要基地と三海峡(「シーレーン海の防衛線」より) 参考文献

「シーレーン 海の防衛線」 NHK取材班 日本放送出版協会

(6)

第4章核兵器の廃絶

⊂二∃] 4-1核兵器の廃絶  D

核兵器をなくすことはできるでしょうか?

技術的には何の支障もない核兵器の廃絶

核兵器を廃絶することは、全人類の死活にかかわる重要で緊急な課題となっています。しかし

「核兵器をなくすことは、本当に可能なのだろうか」という疑問をよく耳にします。この問題は、 技術的な面と政治的な面との二つの側面から考えなければなりませんが、まず技術的な側面から は何の支障もなく、簡単に実現できると多くの科学者は考えています。

放射性物質の量は

現在世界には、約5万発程度の核兵器が存在するといわれています。核兵器の爆発力の源は、 ウラン235やプルトニウム239という放射性物質ですC

ところで、 1個の核兵器におけるプルトニ ウム239の臨界量(核爆発を起すのに必要な核 物質の最小量)は、約2キログラム程度とい われ、その量は、世界中の核弾頭を全部集め ても100トン程度にすぎません。プルトニウム は密度が高いので仮に1ヶ所に集めたとして

も5立方メートル程度にすぎません。 一方、もう1つの核兵器用核物質であるウ ラン235は、いくつかのデータにもとづいて計 算しますと、約1000トンになるといわれてい

ます。

核物質の臨界量 (単位キ。クラム)

56 第4章 核兵器の廃絶

世界の核兵器貯蔵量(核兵器の弾頭数)

米国 ノ 中国 度885イギリス 俘xヌb 1952 鼎 モ 6 408 -1008

1955 S モ# 340 1410 -2360

1960 3sR モ# 2220 1 ビ 5783 -22408

1965 33モ3 4681 27 鼎# 26468 -36930

1967 Sss モ3# 6343 湯 60 鼎s32661 -38891

1970 s モ# 7870 鉄B 110 -134 鼎c 35494 -36908

1975 11370 3 330 鉄C 40570 ∼31802 Ss ∼332 凵`610 CCcCB

1980 c 15170 都3 625 田 43125 ∼30523 蔦 Scs ∼740 720 Cs

1982 c 15670 涛# 720 田C 43950 ∼31200 #S ∼942 凵`1700 S鉄c"

(7)

放射性物質の管理

次に、核弾頭からとり出した放射性物質をどう管理するかの問題があります。

まず、 1000トン程度存在するウラン235の処分ですが、これは割合簡単です。というのはウラン 235はもともと天然に存在する元素であり、これを天然ウランで薄めると天然ウランに近い状態(核 爆発を起こさない状態)にもどしてやることができます。

最大の問題は、 100トン程度存在するプルトニウムです。というのはプルトニウムは、純粋に人 工の元素であり、ウランのように天然にもどすというわけにはいきません。さらに元素はきわめ て強い毒性を持っていて、これが体内に入ると、この元素から放射されるα線が生体に局所的な 損傷を与え、ガンを誘発するからです。

しかしプルトニウムの管理も次の三つの面から行えば可能だといわれています。すなわち、 ① 臨界管理②計量管理③安全管理です。臨界管理とは、核物質が臨界量を超えると核爆発を起こす ので、一定量以上が1ヶ所に集まることのないよう管理することです。

次に計量管理ですが、これは、せっかく核兵器から取出したプルトニウムが再び核兵器に使わ れたり、盗み出されたりすることのないよう、在庫量を厳重にチェックすることです。

第三の安全管理は、プルトニウムが環境を汚染したり、人体に入ったりしないよう管理するこ とです。

軍事用核物質の平和利用 核弾頭からとり出した核物質 を安全な形で保管することには だれも異論はないと思いますが、 このような管理を継続して行う 上で次のようなふたつの対立す

る主張がみられます。

ひとつは、半減期が2万4000 年というきわめて寿命の長いプ ルトニウムを消滅するまで保管 することはきわめてむずかしい

ので、積極的にプルトニウムの消滅処理(原子炉で燃やすなどして)を行うべきだという主張が あります。

もうひとつは、せっかく製造した濃縮ウランやプルトニウムを使わないでおくのは経済的に大 きな損夫であるという主張です。

どちらの主張にも一理あると思いますが、濃縮ウランはともかく、きわめて毒性の強いプルト ニウム1,軽水炉などで燃やすことは慎重に考えなければならない問題でしょうo Lかし、核兵 器に転用できる物質を永久に保有しておくというのはあまり良い方法ではないので、プルトニウ

ムを安全に取り扱う技術が十分に開発された段階でなんらかの処分を行うことが必要でしょうo

(8)

政治的にも核兵器の廃絶は可能

核兵器廃絶の国際的合意は夢のような話か

この問題を考える上で大切なことは、すべての軍備を全廃することと核兵器を廃絶することを はっきり区別して考えることです.

通常兵器によるあらゆる軍備を完全になくすことは、今のところ困難であり、残念ながら将来 の課題ということになるでしょう。

しかし、こと核兵器となると事情はまったくちかいます。資本主義国・社会主義国のどちらも認 めている近代国際法は、毒ガス・細菌兵器や核兵器のような大量殺r)く、大量破壊をもたらす非人 道的で残虐な兵器とその使用を違法とみなしています。1946年1月の国連総会決議第1号にも「原 子兵器および大量破壊に応用できるその他のすべての主要兵器を各国の軍備から廃絶すること」

と明記されています。日本でも、 1963年12月の東京地裁判決は、アメリカの原爆投下を国際法違 反であるとの判決をくだしています。

そして、今日、国際政治という現実の場でも、核兵器廃絶をめぐって新しい局面が生まれよう としています。

1985年1月、米ソ外相会議の共同声明は、はじめて「核兵器の完全廃絶」を交渉の目標として 位置づけました。そして、 1986年1月、今世紀末(1999年)までにという期限をきって、核兵器 の廃絶を実現しようという具体的プログラムが、核保有大国のソ連共産党書記長ゴロパテョフに よって提案されました。同年1月末、アテネで開かれた「地中海と世界の平和」国際会議が採択 した「地中海宣言」も「アメリカおよびそのほかの核兵器保有国が、ソ連の平和提案によって規 定された(核兵器廃絶という)崇高な目標を受けいれるように世論を動員するすべての努力が緊 急に必要とされている」と訴えています。

このような新しい動きは、核兵器廃絶の課題が現実の国際政治の日程にのぼったことを示して います。もちろん事態は一直線に進んでいるわけではありません。ゴロパテョフ提案にたいする レーガン大統領の回答は、核兵器の廃絶にあれこれの前提条件をつけ、その現実を遠い将来に先 おくりするものでした。

核兵器廃絶の政治的合意を実現するためには、世界の諸国民の運動と世論をもっともっとつよ める必要があるでしょう。

核兵器の「凍結」の問題

核兵器の廃絶がすぐに無理なら、核兵器をこれ以上ふやさない措置、つまり「凍結」が必要な のではないかという意見があります。

しかし、核「凍結」には、二つの問題があります。

一つは、凍結する時点が問題になります。つまり当事国は自国が相手国にたいし不利にならな い状況のもとで凍結しようとするでしょう。どの時点で凍結するのが自国に有利か不利かを判断 する科学的な尺度はないので際限のない論争に入ってしまい、その結論がでるまでには相変わら ずの核軍拡競争が進行します。

二つ目の問題は、かりに凍結したとしても、核の現状、広島型原爆の100万発分以上の威力をも

58 第4章 核兵器の廃絶

(9)

つといわれる核兵器はそのまま残るということです。

核凍結後も私たちは依然として核戦争の脅威のもとにおかれることになるのです。

核兵器廃絶の具体的措置

核兵器を廃絶する具体的な措置としてどんなものがあるのか、なかなかイメージがわかないと 思いますが、基本的に次の二点が考えられます。

第-の基本点は、核保有国(当面、米ソ)が、核兵器廃絶について明確に期限をきって、 「いつ までに」達成するかということを政治的に合意することです。これがないと、段階的削減措置や 部分的措置の問題、検証の手段などの議論が先行し、まとまりません。

第二点は、この政治的合意をもとに核兵器の全面禁止・廃絶の国際協定を結ぶということです。 この段取りがきちんときまれば、核兵器の他国-の配備禁止や、使用禁止・実験禁止などの部分的 措置も生きてくるでしょう。

このような展望のもとに、世界の反核勢力の運動をもりあげていくことが大切です。

新たな軍縮交渉の目標に「核兵器の完全廃絶」をおくと合意した、 1985年l月7日の米ソ外相会談

参考文献

「非核の政府への道」畑田重夫・田沼 肇 学習の友社

「核兵器廃絶と核物質の管理」舘野 淳「前衛」 1985年8月号

(10)

[∃] 4-2 世界の反核運動 占コ

世界の反核運動はどうなっているのでしょうか?

「日本原水協」の発足

世界的な規模でくりひろげられた最初の反核運動は「ストックホルム・アピール」の署名運動で した。これは、 1950年3月朝鮮戦争を契機として世界平和会議が「原子兵器の絶対禁止」を全世 界に訴えたものですo このアピールには、 1950年末までに世界で5億人もの人々が署名し、日本 でも645万人もの署名が集まりました。

日本では、 1954年3月1日にアメリカが行なったビキニ水爆実験を契機として、同年8月「原 水爆禁止署名運動全国協議会」が結成されました。 1955年8月には、最初の「原水爆禁止世界大 会」が日本で開催されました。その後「核戦争阻止」 「核兵器全面禁止」 「被爆者援護」という三 つの基本目標をもつ「原水爆禁止日本協議会(日本原水協)」が発足し、今日にいたるまで日本の 反核運動をリードしてきましたo

中性子爆弾の生産をやめさせた署名運動

1970年代に入って、アメリカのカーター大統領が中性子爆弾の生産を発表しましたが、オラン ダを中心としてその生産、配備に反対する運動がおこりました。 1977年オランダでは「中性子爆 弾阻止、核軍拡競争阻止協同グループ(SNB)」が結成され、 100万人を越える請願署名を集め ました。また、翌1978年3月には、アムステルダムで中性子爆弾阻止のための平和デモが行なわ れましたが、これには5万人を越える多数の人々が参加しました。

この運動はイギリスにも波及し、1978年に25万人もの請願署名が集まりました。このような阻止 運動の高まりの中で、カーター大統領は1978年4月に中性子爆弾の生産中止を決定したのです。 そしてその直後の同年5月から6月にかけて、第1回の「国連軍縮特別総会」がニューヨークで 開催されました。この「特別稔会」は、 「軍備による安全保障」から「軍縮による安全保障」への 発想の転換を示した「最終文書」の採択には成功しましたが、その後、この文書はなんらかの具 体的成果を生みだすまでにはいたっていません。

世界にひろがる反核のうねり

1980年代になると、反核運動は欧米を中心として全世界に大きくひろがりました。その理由と して次の二つがあげられます。第一は、 NATOが「ソ連との交渉がまとまらない時は、アメリ カのトマホークと中距離核ミサイルのパーンングⅠⅠをNATO5ヶ国に配備する」と決めたこと です。そして、その配備の期間は1983年末というものでした。第二は1980年大統領に就任したレ ーガンが、限定核戦争構想にもとづく戦域核戦略を展開したことです。

このような情勢のもとで、世界の反核運動はNATO加盟5ヶ国のオランダ・イギリス・西ドイ ツ・イタリア・ベルギーを中心にして大きな高まりを見せました。世界の各地でくりひろげられた

60 第4章 核兵器の廃絶

(11)

反核抗議デモ・集会には、それぞれ10万人から40万人という多くの人々が参加しました。

マンチェスター市から全世界へー「非核都市宣言」運動

1980年11月イギリスのマンチェスター市が「非核自治体宣言」をしましたが、この運動は、イ ギリス全土から全世界へとひろがっていきました。これは、さまざまな国の自治体が「非核化す る」という宣言を出すことによって、世界中に非核地域をひろげようという反核運動でした。

日本では、 1982年の等2回「国連軍縮総会」にむけて、地方自治体の「非核都市宣言」運動が すすめられました。 「ヒロシマ・ナガサキ・アピール」署名運動を背景に、 1985年には1年間で500 近くの地方自治体が宣言を行ないました。現在では(1987年1月)、 1、 100の地方自治体で「非核 都市宣言」を決議していますが、住民の数でいえばこれは日本の全人口の半数を越えていること

になります。

茨城県でも、 28市町村がこの「非核都市宣言」を決議しているので、同じように県人口の過半 数に達していることになりますo

核兵器をしめだした「神戸方式」

この神戸方式というのは、 「核兵器を積んでいないという、その国の大使館が発行する証明書が なければ、どの国の艦船であっても神戸港には入れない」というものです.神戸港には、 1975年4 月から現在にいたるまで、核兵器を積載しているうたがいのある艦船は、一隻も入港していません。

この神戸方式は、ニュージーランドの非核政策にも大きな影響を与えました。 1984年7月の総 選挙で勝利した労働党は、 「核兵器積載艦及び原子力艦の寄港拒否、ニュージーランド非核地帯宣 言、南太平洋非核地帯構想の推進」という非核政策を実行にうつしています。

日本の原水禁運動の発展

80年代に入ると、核戦争の脅減がつよまr)、 「非核都市宣言」運動の高まりや、 84年のトマホー ク巡航ミサイルの配備反対運動の盛り上りなど、日本の原水禁運動は大きく前進しました。

こうした原水禁運動の発展にたいして、 「核兵器廃絶はすぐには無理で、当面は核抑止による平 和維持が必要だ」と主張して運動の目標を変質させるような動きがつよまっています。

しかし、私たちは、新たな高揚 を示している。世界各国の反核運 動と「核兵器廃絶」の1点で大き

く手を結んで、反核の巨大な流れ をつくりだし、運動を大きく発展 させなければなりません。

参考文献

「軍縮」 杉江栄一 新日本新書

核巡航ミサイル配備反対の婦人のデモ

(オランダ: 1983年)

「世界の反核運動」 佐藤昌一郎 新日本出版社

「ドキュメント1945-1985 核兵器のない世界を」 日本原水協

(12)

F司4-3核廃絶と高校生 E]

核兵器をなくすために、何かできるのでしようか?

高校生の8割以上は反核

1985年の3月におこなった「高校生の平和意識調査」 (茨高教組)の結果によると、 「世界各国 で核兵器廃絶の運動が起きているが、あなたはそれを支持するか?」という間に対して、 80.4% の高校生が「支持する」と答えています(「支持しない」は12,0%)。被爆国日本の高校生にふさ わしく、強い平和志向が多くの高校生たちのなかにみられるわけです。

しかし、 「どのような形で具体的に支持しますか?」という問に対しては「人に働きかけたり、 みんなといっしょにやることはできないが、自分なりにできることをやりたい」という答えが第 -位となっています(47.4%)o 高校生の多くは、 「核兵器には反対だが、積極的な行動にまでは なかなかふみきれない」という意識をもっているようです。

そこで、今高校生にとって何ができ何ができないかを具体的に考えてみることにしましょう。

日本をはじめとして、世界各国で 核兵器廃絶の運動が起きています が、あなたはどう思いますか。

(支持する方に)どのような形で支持されますか。 ィ、夏の原水禁世界大会や署名行動

などにも直接参加したい ロ、校内の生徒会・文化祭・クラス

活動のなかで、何かとりくんでみ たい

-、広島や長崎の高校生と交流を深 めたい

二、人に働きかけたり、みんなとい っしょにやることはできないが、 自分なりにできることをやりたい ホ、その他

できること-みんなで学ぶこと

今すぐ明日からでもできることは、核問題について学び、考え、みんなで話し合い、認識を深 め合うことです。学ぶことを使命としている高校生にとって一番大切なことだと言えるでしょう。 何を学ぶかについては、まさにこの「核読本」がその答を出しているのです。

高校生にすぐできる行動は?

①ヒロシマ修学旅行

茨城県では多くの高校生が修学旅行のなかで、広島を訪れていますD これを活用して、たくさ んの取り組みをおこなうことが可能です。たとえば事前学習として、テンフィート運動による一 連の原爆映画や「はだしのゲン」などの上映活動など、現地では平和公園の見学、被爆体験を聞

く会、広島の高校生との交流会など、旅行後のまとめとして、文集づくりやスライドづくり、広

62 第4章 核兵器の廃絶

(13)

島の被爆者や高校生との文通を組織的におこなうことなど、多彩な行動が考えられます。また大 切なことは、以上のような行動を生徒会などを中心とする高校生の自主活動として行うことです。

②広島県高校生平和ゼミナールとの交流

高校生の自主的平和活動が確実に育っているのは、ほかならぬ広島の地です。高校のわくをこ えて集まった高校生の組織「広島県高校生平和ゼミナール」が一年を通じて平和を考え、学ぶと いう立場で自主的な活動をおこなっています。

活動内容を紹介すると、 1学期には「8・6全国高校生のつどい」準備のための諸活動、 2学期 には「平和文化祭典」の開催、 3学期には2日間にわたる「平和ゼミナール」の開催など、生徒 たちはエネルギーあふれる取り組みをしています。

この平和ゼミの運動は1981年8月に長崎でおこなわれた「8 ・ 9全国高校生のつどい」のなかで 長崎の高校生に引き継がれ、さらに埼玉、長野、神奈川の高校生の間にも広まりつつあります。 茨城県でも12回にわたって「高校生のつどい」が開かれていますが、この平和ゼミとの交流が期 待されます。

③文化祭などでできること

とかく「お祭りさわざ」になりがちな文化祭のなかで、核問題はかっこうの研究テーマでは ないでしょうかQ H・R単位で「原爆展」を開いたり、社研部で「核戦争の危機」を訴えたり、図 書委員会で「反核・平和の本」展示コーナーを設置したり、スライド上映会、詩・短歌朗読会など できることはいくらでもあります。

㊨ 「非核学校・クラス宣言」

以上のようないくつかの取り組みの集大成として、 「非核・平和学校(クラス)宣言」の決議を おこない、広く内外にアピールするようなことも考えられます。

「原爆犠牲ヒロシマの碑」前で学習する高校生

(14)

第5章茨城の原子力関係施設

511茨城の原子力関係施設

茨城県にはなぜ多くの原子力関係施設かあるのでしょうか?

なぜ茨城に原子力施設が多くあるのか

原子力関係施設を建設する場所としては、一般に次の3つの条件を満たす必要がある。

① 人口密度が低く、近くに大都市がないこと。

② 冷却用の水が豊富にあることC (わが国では海水)

③ 地方自治体や住民の反対が少ないこと。

わが国では人口密度が高いので、上記の①の条件を満たす場所は無人島ならともかく、ほとん どないと言える。また無人島では交通・送電の困難さや敷地面積の狭さ等の別の問題が生じる。 したがって上記の条件のうち② ・ ③を満たす場所が選ばれ、条件①は軽視される傾向がある。東 海村や大洗町もこういうことから選ばれたのであろう。

また原子力関係施設を1度建設すれば、 2つめからは地方自治体や住民との間に大きなトラブ ルなしに建設ができることや、土地の取得・道路建設に要する費用i)少なくてすむという理由か

ら、これらの施設が集中する傾向がある。

茨城に多くの原子力施設があるのは、こうした理由からである。

本県の原子力施設の問題点

① 原子力の先進県(?)

わが国の原子力開発において、本県は研究・開発の役割をになっている。前述のように多種の 施設が数多くあるが、いわゆる普通の商業用原子力発電炉は東海1号炉と2号炉だけであり、他 は燃料や材料の開発に関する施設や高速増殖炉・核融合炉・再処理工場などのように新しい分野 の施設である。例えば高速増殖炉の場合をみてみると、日本で最初に大洗町に建設され、研究や 試運転を行ない、現在は福井県で第二の高速増殖炉を建設準備中である。

これら原子力の最先端の施設を手ばなしで歓迎してよいものだろうか。研究や開発というもの は失敗や事故がつきものだが、原子力の分野ではとりかえしのつかない事故が生じる可能性があ

る(P.68参照)ことを、我々は十分に考える必要がある。

64 第5章 茨城の原子力関係施設

(15)

② 人口密集地の中にある

東海村や大洗町を中心にして、半径20km以内の市町村の人口は次のとおりであるo

市町村名 Xフク 日立市 傲)68 常陸大田市 H 那珂町

人口 9iノ ツ 20万5千人 iテI y ツ 3万6千人 iテ) y ツ 4万人 iテY y ツ 市町村名 ネ、9 「 鉾田町 Y I*ツ 旭村 ル 「 瓜連町

人U 5ネ s y ツ 2万8千人 iテ y ツ 1万1千人 iノ ツ 7千人

0  0 2  1

0 1

炉からの 距馳(km)

100  200   300  400

発電炉熱出力(万KW) アメリカの発電炉の排除 地域境界と低人口地帯境界 比較のため日本の発電炉の敷地境界ま での距離(安全審査報告書による)を書 いた。縦軸は対数目盛

(「原子力発電」より)

∼rt,ー

㌔ ′

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し.、l  \ (

了LyJ \

ヾー-t'-∼

千号と/T'鳶永- >( アメリカの基準を東海 みると上の円になる。

2号炉にあてはめてノ止Jl

上図はアメ))カにおける原子力発電炉の立地基準をあらわしている。 「排除地域」とは、事故後1 2時間の滞留の間に全身に25レム以上の照射、あるいは甲状腺に300レム以上の照射を受ける可能 性のある場所であり、住民がいてはならないとされている。また「低人口地帯」とは、無限の時 間ずっと居続けるとして、前述の線量を受ける可能性がある場所である。さらに低人口地帯の境 界までの距離の1.3倍以内に人口密集地があってほならないとしている。図から明らかなように、 わが国の発電炉はアメリカの基準に合格していない。また左の図における点線は炉からの距雛が 20kmであることを示しているが、上述の水戸をはじめとする各市町村はこの「低人口地帯境界」 内にあることもわかる。夏期には大洗を中心にして多くのレクリエーション客が集まることも考 えると、本県でもし事故が起きたとき被害を受ける人口はかなり多くなるであろう。

参考文献

「原子力発電」武谷三男 岩波新書

(16)

⊂司 5-2 原子力発電のしくみ

原子力発電のしくみはどうなっているのでしょうか?

原子力発電と原爆の違い

原子炉も原爆も同じ燃料を使用し、核分裂反応によってエネルギーをとりだす。したがって本 質的には同じもので、ただ違うところは原爆が急激な反応であるのにたいして、原子炉の場合は 反応をコントロールし、一定の速度に保っていることである.いいかえれば原爆をゆっくりと少 しずつ持続的に爆発させているのが原子炉ということである。

原爆ではひじょうに短時間のうちに大部分の燃料を核分裂させる必要があるため、ウランを燃 料とするときには高濃縮にしないといけない。なぜなら低濃縮ウランで原爆をつくると、少量の ウランの核分裂によって生じた熱で、残りの多量のウランが分裂する前に蒸発し、四散してしま うからである。 (なお、原子炉では冷却材を用い、燃料の蒸発を防いでいる)また原爆で高濃縮ウ ランを使用すれば、不純物である核分裂しないウラン238が少ないから、軽い原爆ができ、ミサイ ルや航空機に横むのにも好都合である。

原子炉では連鎖反応をコントロールするため次 の3つの物質が重要な役割を果たす。

①減速材・.・軽水、重水、黒鉛、ベリリウムなどo 中性子のスピードが遅いほど連鎖反応が起こ りやすくなるので、中性子を減速し連鎖反応の 効率を良くするために用いる。

②制御棒-カドミウム、ホウ素など。

中性子を吸収しやすい物質の棒で、連鎖反応 の進行をおさえるために用いる。この棒の出し 入れで反応をコントロールする。

原子炉と原子爆弾の違い

ウラン235 (はば100%)  原子dt弾

③冷却材-軽水、重水、炭酸ガスなど。

連鎖反応で発生した熟を外部に取りだし、核燃料を冷却するために用いる。

上記の3つの物質の組み合わせによって種々の原子炉があるが、わが国の原子力発電では、減 速材と冷却材に軽水を使用した軽水炉が中心である。

火力発電所と原子力発電所

火力発電所では石油や石炭、天燃ガスなど化石燃料の燃焼反応のさい発生する熟エネルギーで 高温・高圧の蒸気を発生させ、蒸気タービンをまわして発電機を動かしている。

原子力発電所では火力発電のボイラーの代りに原子炉を使用している。したがって設備の中心 は原子炉である。前述のようにわが国の原子力発電所では大部分が原子炉として軽水炉を使用し

ている。

66 第5章 茨城の原子力関係施設

(17)

燃料としては2-3%の低濃縮ウランを使用し、減速材・冷却材ともに軽水(通常の水)が使 用されている。軽水炉ではウランの核分裂反応により発生する熱を冷却材である水に伝え、水蒸 気を発生させ、蒸気タービンを回して発電している。冷却水を燃料棒の間に高速で流し、発生熱

を運んでいる。

軽水炉には水蒸気を発生させるしかたの違いによって加圧水型(PWR)と沸騰水型(BWR) とがあり、東海村では沸騰水型が運転されている(東海2号炉という)o

格納容器 格納容器

pwR 発電炉の構造図 BW R 発電炉の構造図

「原子力発電」より 軽水炉の特徴と問題点

軽水炉では、減速材と冷却材が同じ水であるため、構造が簡単になり、他の原子炉に比べて同 じ出力ならば体積が非常に小さくてすむo (つまり出力密度は大きい)したがって原子炉に要する 建物・敷地等が少なくてすむわけで、それだけ建設費が安くなる。また構造がかんたんなことや 軽水は手軽に入手できるので、保守費や運転経費も少なくてすむ。さらには2-3%の低濃縮ウ ランですむので、燃料を得やすい。

しかし軽水炉は、同時に多くの問題点をもっている。

①軽水炉は他の原子炉にくらべて、単位体積あたりの出力密度が桁違いに大きいが、このことは、 まさに裏目にでれば大事故が起こりやすいということを意味している。また軽水炉では高温・高 圧の水が減速材・冷却材になっているため、この一次冷却材の水がなくなったときは、他の原子 炉のように熱容量の大きい黒鉛や重水がないことから、温度の急上昇が起こりやすいと考えられ

ている。

②故障が多く運転実績が悪い。わが国では、原子力発電所の全国的な設備利用率が40%代になる こともあり、また運転開始後年月の経過にともなって故障が多くなっている。

③熱効率は約32%で、石油火力発電所の場合にくらべて約1.25倍のエネルギーを必要とする。し たがって同じ電力を発生するのに火力発電所よりも多くの熱を温排水として海に放出することに なる。

参考文献

「原子力発電」武谷三男 岩波新書

「原子力」小野 周 文新社

(18)

F二戸] 513原発の事故  D

原子力発電所ははたして安全に運転できるのでしょうか?

スリーマイル島原発事故

1979年3月28日午前4時、アメリカのスリーマイル島原子力発電所2号炉で、炉心溶融にいた る大事故がおこった。

この事故は、いくつかの装置に生じた故障と、運転員の判断ミスとが重なって起きたとされて いる。原子炉内はいわゆる空炊き状態となって、燃料棒が露出した。これにより過熱状態となっ た燃料棒は大規模に破損し、炉心の70%は溶融してしまった。

格納容器内では大規模な放射能汚染が生じたが、事故による直接の死者はなかったと言われる。 70%溶融という深刻な炉心損傷の割に被害が小さかったのは、大変幸運であった。

チェルノブイリ原発事故

1986年4月26日深夜、ソ連ウクライナ共 和国の首都キエフ市の北方約130kmにあるチ ェルノブイリ原子力発電所4号炉(出力100 万kW)で大事故が起こったo 燃料棒は過熱 状態となって破裂し、水蒸気爆発を招いた。

さらに水蒸気と燃料被覆管の反応で水素が 発生、水素爆発を起こした。この二つの爆 発で、原子炉建屋は破壊され、タービン室 の火災と炉心の黒鉛火災に発展した。 27日 には、発電所から半径10km以内の住民が避 難を開始し、 5月4日までに半径30km以内 の92,000人が避難する事態となった。

これらを通じて炉心から放出された放射 能は3億キュリーと推定されている。この 放射能は1000km以上離れたスウェーデンで 通常の100倍に達し、地球の反対側の日本で も、千葉県に降った雨から摂取制限を越え

る1 2あたり13,000ピコキュリーのヨウ素

131が検出された。事故による被害は死者が 31名、重傷者が203名と伝えられ、その他脱 毛した人が多数出たと言われている。

68 第5章 茨城の原子力関係施設

大爆発を起こしたチェルノブイリ 原子力発電所の4号炉

(「チェルノブイリの放射能」より)

(19)

ラスムッセン報告

一原発事故の起こる確立 1974年、アメリカの原子力委員会は、い わゆるラスムッセン報告を公表し、その中 で「死亡者の出るような大事故(炉心溶融 事故)は、原子炉1基あたり2万年に1回 の確率でしか起こらない。それは隈石が人 に当たって死ぬ確率より低い。」と述べてい

る。

仮にこの報告が正しいとして「2万年に 1回」という確率を考えてみよう。

原子炉1基あたり「2万年に1回」であ っても、原子炉が400基になれば、 2万年÷ 400基-50年、つまり「50年に1回」は、と てつもない大事故が起こることになる。(覗 在世界中の原子炉の数は約350基である。) そして、原子炉が4000基になれば「5年に 1回」はこの最も恐ろしい事故が起こってな んら不思議でないのである。 (西暦2000年に は全世界の原子炉の数は4000基を越えると 言われている。)そしてそのような原発事故 が起こればその影響は全世界に及ぶので、

目の前の原発が事故を起こす確率が仮に「 2 万年に1回」であったとしても、私達の安 全は全く保障されているとは言えないので ある。

ヨーロッパのセシウム137汚染地図 (提供:理科学研究所 岡野真治)

参考文献

「原子力発電とはなにか」緑の会編集 野草社

「プルトニウムの恐怖」高木仁三郎 岩波新書

「原発事故はなぜ起こるのか」高木仁三郎 科学朝日1986年10月号

「もし日本で炉心が溶触したら」水戸 巌 科学朝日1986年10月号

「チェルノ7サイ1)の放射能」赤木 昭夫 岩波ブックレット

「廃炉に向けて」綿貫 礼子 新評論

(20)

F=邑 5-4 想定一束海原発事故 [ロ

もし東海原発で大事故か起こったら、その被害はどの位になるのでしょうか?

大事故が起きた場合の住民が受ける被害

東海2号炉は沸騰水型110万kWという世界最大クラスの原発で、もし大事故(炉心溶融事故)が あれば、水戸・勝田・日立など人口の多い都市を20km以内にかかえるために、チェルノブイリを はるかに越える被害が出ることは確実であろう。

原子炉が炉心溶融した場合、住民の受ける被害は放射能を帯びたチリやガスからなる放射能雲 による被曝である。それは、次の三つに分けられる

a.放射能雲からの直接照射

放射能雲が上空を通過する短い時間に大量の照射を受けるもの。 b.内部被曝

放射能雲からの降下物を吸入し、その一部が身体にとどまr)内部から長期にわたって照射 を受けるもの。

C.放射能雲から地上に沈着した放射性物質から受ける被曝

事故にともなって放出された放射性物質が土壌に沈着し、その汚染された土壌で栽培され た農作物を食べることによって被曝するもの。

被害想定の一例

これらを合わせた被害がどの程度になるのか科学者が推定した結果の一例を見てみよう。 (日立市の人数は、日立方向へ風が吹いた場合の値)

仮 想 辛 故 亶ル ク 東海村3,600人 傚8 づ ツ 水戸市9,000人(日立市52,000人) 急性患者 ネ、9 」 ナ、 ツ 勝田市15,000人 Xフク rテ ツゥzxC テ ツ

;a.義過革恐望貢

東海2号炉東海5km以内勝田lOkm水戸.日立20km以内

数 午 徳 に は ? 儁9Jル ク(25年以内) ,600人 iノ テ iノ ツ (廃嘘) 傚8c メ 水戸市3.400-(日立市3,400- 晩発性患者 忠G JR勝田市3.2万人 Xフク 9iノ ツゥzx 9iノ ツ

を放よ住い禰被 猛毒遮零厳等鳩土筆賃等

(以上の数値・図は芝浦工大の水戸巌教授によるもので、事故の規模は炉心溶融事故中の最大 級のものを想定している。また、気象条件は、大気の安定度が普通で、風向きが水戸・東京方向、 風速は秒速1メートルであったとしている)。

70 第5章 茨城の原子力関係施設

(21)

原子力災害応急対策計画

万一事故が起こった場合の対策はどうなっているのだろう。茨城県防災会議の「原子力災害応 急対策計画」によれば、避難・退避は放射線レベルに応じて、 「屋内退避」イコンクリート屋内退 避」 ・ 「避難」の3段階に分けられている。

①5-10レム--I r屋内退避」

②10レム以上--- 「コンクリート屋内退避」 ・ 「避難」

「屋内退避」

・建物の持つ遮蔽効果及び気密性により防護を図るもの。

「コンクリート屋内退避」

・放射線防護効果が高いコンクリート構造の建屋内に退避するもの0

・原則として住民が短時間で退避できる範囲にある公的な施設を選定して行う。

・退避は原則として住民各自の行動により、携行品は最小限に留め自家用車等を使用し

ないC

「避難」・住民を区域外の所定の施設に市町村及び県の職員、警察官等の誘導の下に収容するも

の。

・避難は予め定められた集合場所から市町村長が配車する車両により行う。

・自動車輸送による避難が困難な場合、状況により自衛隊に対し、 -リコブタ-の派通 を要請する。

・避難者の集合場所への移動は各自徒歩によるものとし自家用車は使用しない。

・本部長(県知事)は警察本部長に対し、一般車両の通行を禁止又は制限するよう求め

る。

要するに、 「放射線レベルが10レム以下の時には家の中にいなさい。 10レム以上の時には決めら れたコンクリートの建物または公的な建物の中に歩いて逃げ込みなさい。必要な時には市町村長 が車を配車するから、それに乗り込みなさいo 自家用車はいっさい使ってはいけませんo使おう

としても道路は警察官が封鎖しているから無理ですよ。」と言う内容である。

炉心溶融事故が起こった場合、 20km以内の住民が受ける放射線は数百レムに及ぶことが予想さ れているというのに、 「コンクリートの建物に徒歩で退避せよ」というのは、あまりにお粗末と言 わざるを得ない。例えば放射能雲が水戸まで広がるのにかかる時間は、風速1メートル毎秒のご く弱い風だったとしても4時間位である。市町村長が配車する車で何10万人もの住民が避難でき るのだろうか。住民参加の避難訓練が1度も行われていないことを考え合わせれば、まず不可能 だろうo このような避難計画では、一皮大事故が起こればソ連のチェルノブイ))の被害を大きく 上回ることは間違いない。私達に出来るのは事故のないことをひたすら祈ることだけであろうか。

参考文献

水戸巌氏の講演資料

「もし日本で炉心が溶触したら」水戸 巌 科学朝日1986年10月号

「原子力災害応急対策計画(昭和55年12月修正)」茨城県防災会議

(22)

⊂=白5-5放射性廃物  D

原子力発電は事故さえなければ安全なのでしょうか?

クリプトン85

原子力発電所は毎日海や空に放射性物質を流している。またそれが認められている。それは、

「そうしても安全だから」ではなく、 「そうしなければ運転できないから」という理由からである。 大気中に放出される放射性物質は不活性ガスが主である。例えば茨城県の東海2号炉では、 1 年間の放射性ガスの放出管理目標値は25,000キュI)-までとされている。また、海へは、温排水 を通じてコバルト60やマンガン54などが放出される。これらは、炉内のさびが放射性物質化され たものである。もちろん、あるレベル以上の水は処理されるが、低レベルのものは水で薄めるこ とによって、濃度規制値以下として放出してしまうのである。

1キュリーの放射性物質(ラジウムの場合1 g)を体につけていると、人はわずか3分で死ん でしまう。したがって原子力発電は大規模な事故がなければ安全などと考えるのは誤りであるこ

とがわかるo

特に問題なのはクリプトン85という放射性物質である。これは不活性ガスの一つで他の物質と 反応しないので捕集することが難しく、生成されたものの大部分が、結局は大気中に放出されて

しまう。

「大気中に放出されても、半減期が約10年だから、自然に崩壊して無くなるのでは?」と思う人 もいるかも知れない。原子力発電所の運転を続けると崩壊していく速さを上回る速さで放出され るので、大気中のクリプトン85の濃度は増大し、地球規模で汚染が進む。クリプトン85の半減期 はプルトニウムの24,000年などに較べればまだ短いほうである。それであっても、大変な勢いで 蓄積されているのである。今原子力発電をやめても、この汚染がもとに戻るまでに数百年を要す

るだろう。

倉庫に積まれた放射性「廃棄物」福島第l原発で

72 第5章 茨城の原子力関係施設

クリプトン警濃度(諾誓川.)

5        0        5

(23)

放射性廃物

すでに述べたように、半減期が10年であっても、放射性物質は原子力発電を続けるかぎり、ど んどん蓄積されてしまう。原子炉内に「死の灰」としてたまっているセシウム137 (半減期30年) やストロンチウム90 (半減期27・7年)は、なおさらである。原子炉を正常に動かすためにはこれ

らの灰を炉内から取り除かなければならない。しかし、セシウムやストロンチウムはそれぞれカ リウムやカルシウムと化学的な性質が似ているので生体に取り込まれやすいこともあr)、決して 環境に棄てることはできない。これらのものをよく「放射性廃棄物」と言うが、決して「棄て」 てはならないものなので「放射性廃物」と呼ぶべきである。

日本にある原発で作られる放射性廃物の量は1年間に、低レベルのものが2002のドラムカンに 5 - 7万本、高レベルのものが約400本と言われ、現在までに40万本以上の廃物が各原子力発電所 の敷地内に保管されているoまた、 1990年にはイギリスやフランスに再処理を委託していた使用 済み核燃料から出た高レベル廃物のガラス固化体(容量180E)6000本が送り返されて来る0 -万、 現在原研の動力試験炉の解体が行われているが、 1990年代には、耐用年数が来た商業用原子炉の 解体に伴って、低レベル廃物が大量に生ずることになっている。これらの「放射性廃物」は、一 度作りだした以上、崩壊熟と放射線を出さなくなるまで冷却・保存していかなければならない。 人間はこれらの物質を放射線を出さない物に変える手段(消滅処理)を持たないからである。冷 却・保存する期間は、 1000年といわれるo今から1000年前といえば、神聖ローマ帝国とか、平将 門の時代であるoこのように、気の遠くなるような歴史の長さにわたって「廃物」を管理してい

く労力とエネルギーを考えた場合、原子力発電ははたして有効な方法と言えるだろうかo

参考文献

「原子力発電とはなにか」緑の会編集 野草社

「原子力発電」武谷三男 岩波新書

「地球をまわる放射能」市川富士男・館野淳 大月書店

(24)

二 5-6 原発労働者の被曝

原発ジプシーということばを知っていますか?

原発や再処理工場で働く労働者には、その電力企業の正社員と、請負会社(元請け、下請け、 孫請けなど)の労働者とがあり、後者の下請け労働者が全体の約90%を占め、しかも下請け労働 者の稔被曝線量は全体の約94%にものぼっています。つまり、原発労働者といっても、電力会社 正社員はそのごく一部にすぎず、大部分は下請け労働者で彼らが放射線被曝もほとんど一手に引

き受けているのです。

この下請け労働者のなかでも末端に位置し、複数の原発を点々と渡り歩いているのがいわゆる

「原発ジプシー」です。原発で働いたことのあるルポライター堀江邦夫氏の同名の著作からこの 名は生まれました。

下請け労働者の被曝の実態

彼らの多くは、満足な教育も受けぬまま、むしろ放射線の恐ろしさへの無知をいいことに、危 険区域での作業に従事させられています。本人たちは、その携帯が義務づけられている「被曝手 帳」さえ渡されず、健康診断の結果すら知らされていないケースもあります。

また、原発労働者は、 放射能の海の中で作業

し、体の中に放射能のほ こりを吸いこんでいます。 この体の中に入った放射 能による被曝(「内部被 曝」)は、外からの被曝よ

りもはるかに多く、しか も危険度も高いのです。 なぜならいったん体内に 入った人工放射能は、生 体内に蓄積され、濃縮さ れ、放射線で周囲の細胞

を照射しっづけるからです。

全面マスクを着用する原発労働者 (「原発ジプシー」より)

一方、原発の運転には定期的な点検や修理が必要です。事故が起きたときにも、原因の究明と 修理が行なわれます。この危険な作業をするのも多くが下請け労働者ですが、一人ひとりの労働 者が許容量以上の被曝を受けないためには、一つの作業を"人海戦術〝的に非常に多くの人数で 行なわなければなりません。

74 第5章 茨城の原子力関係施設

(25)

あいまいな「許容量」 (T 6 5 Dと呼ばれる推定値)

「原発で働く人にも、周辺の人びとに対しても、放射線の許容基準というものが法律で定められ ていて、それがきちメと守られているから原発は安全だ」という論議が、よくみられます。

なるほど、国際放射線防護委月会(ICRP)は、 1958年に「職業として放射線をあつかう人 は一年間に5レム、一般の人はその10分の1の0.5レムを最大許容量としてみとめる」という勧告 を出しています。 (奇妙なことに、日本の法律では「3ケ月につき3レムをこえてはならない」と 定められています。)しかし、そもそもICRPは、どのような根拠にもとずいて「年間5レム」

という許容基準をきめ,+=のでしょうか.実はI CRP勧告そのものが1つの仮定の上に成り立っ ているのです。その仮定とは「もしT65Dと呼ばれる推定値が正しければ--」というもので す。

T65D (Tentative65Dose-1965年につくられた暫定値の意味)とは、米オークリッジ国立 研究所が広島・長崎原爆投下後の「放射線量」について、こういうふうに推定されるとした暫定 的な計算値のことです。広島と長崎の原爆については、投下時の放射線量がいまもって明らかで

なく、推定値にたよるほかありません。一方、白血病やガンなどの痛ましい被爆者の発病率につ いても追跡調査が行われてきました。原爆投下時に浴びた放射線の量が明らかになれば、それら 発病率のデータとつきあわせることによって「人間はどれくらいの放射線を浴びると、どんな被 害を蒙るか」もわかることになります。

このT65Dのデータにもとずいて導きだされたのが「年間5レム」という許容基準だったので す。ところが、アメリカの科学雑誌「サイエンス」 81年5月22日号は、 T65Dのデータには根本 的な誤りがあり、従来の推定値より実際の放射線量は少なかったのではないか、逆にいえば、放 射線の危険性は、これまでの推定より高くなるのではないかと、米科学者の研究データをもとに 指摘する記事をのせています。その後、日米の科学者で「線量再評価委員会」が組織され、これ

まで3回、合同作業会議が開かれていますがいまだに結論は出ていません。

放射線に「しきい値」は在存しない

そもそも現在では、放射線に、ここまでなら安全、これからは危険という被曝線量の境目、 「し きい値」なるものは存在しないと考えられるようになっています。つまり、その後の研究の結果、 晩発性障害としてのガンや白血病、遺伝障害などの発生する割合が、被曝線量に比例することが 明らかになり、いくら弱い放射線でも有害であると考えられるようになったのです。したがって、

「許容量」とは、それ以下なら「安全」だという量ではなく、 「利益」と「危険」のバランス上、 がまんできる限度を示す「がまん量」にすぎないのです。

参考文献

「原発-の警鐘」内橋克人 許談社文庫

「原発ジプシー」堀江邦夫 講談社文庫

(26)

F二召] 5-7 再処理工場 占コ

棄海相に再処理工場というものかありますガ、何をするところなのでしょうか?

再処理工場

使用済み核燃料と再処理工場

発電炉内の燃料は、ウラン235が全部核分裂しおわるまで炉内にとどめておくわけにはいかない。

「死の灰」がたまってくるにつれて中性子の吸収が大きくなるし、燃料棒の被覆もいたんでくるか らである。したがって、今の発電炉ではウラン235が三分の二ほど消費されたところで新しい燃料 と交換している。このため使用済み核燃料にはウラン235が残っており、またウラン238は中性子 を吸収してプルトニウムとなっている。この二つを回収し、 「死の灰」を処理するために再処理工 場が必要なのである。

核燃料サイクル

原子力発電をおこなうためには多くの過程がある。ウラン鉱の採掘・精錬・加工、原発での使 用、使用済み核燃料の再処理、放射性廃物の貯蔵と処理・処分などである。この一連の流れのこ

とを「核燃料サイクル」という。 右図は軽水炉における核燃 料サイクルを示したものであ る。ウラン資源にも限度があ るので使用済み核燃料からウ ランとプルトニウムを回収す る目的である再処理工場は、 これらのサイクルの要となる。

核燃料サイクル(軽水炉)

(ウラン235の割合を多くする〕

再処理工場       (「原発はなぜこわいか」より)

再処理工場は一種の化学工業プラントであり、多くの工程からなっているが、要約すると次の ようになる。

①燃料棒の被覆管を除去する。

②燃料を硝酸などで溶解する。

③溶媒抽出によりウラン、プルトニウムなどと核分裂生成物とを分離する。

④プルトニウムやウランを回収する。

ここで扱う物質は強い放射能をおびているので、運転はすべて厚いコンク1)-トの壁を-だて ての遠隔操作でおこなう。

76 第5章 茨城の原子力関係施設

(27)

世界の現状

現在、アメリカ、フランス、イギリス、西ドイツ、日本に商業用の再処理工場がある。しかし 再処理工場はきわめて事故が起こりやすいため、操業中といえるのはフランスとイギリスだけで あるが、運転実績は悪い。

アメリカでは化学爆発事故やプルトニウムの臨 界事故(核爆発寸前)、放射能漏れなどが続発し現 在では兵器用を除き動いていない。また西ドイツ でも実験プラントがタンクの穴あき事故を起こし たまま、ほとんど運転されていない。

イギリスではウインズケールに世界一の規模の 工場が建設されたが、そのうちの一つは1973年に 原因不明の爆発をおこし、現在も運転されていな

い。

フランスにはラ・ア-グに再処理工場があり、 その技術は世界一といわれているが、 1980年の火 災停電事故の後、翌81年にも火災事故が起こり、 住民の抗議もあって十分には運転されていない。 ここには世界各国から使用済み核燃料が送られて

くるが、運転実績は悪い。右の図は計画量と実際 に処理した量を比べたものであるが、相当の開き

フランス〔ラ・アーグ再処理工場)の累積処理量

(「東京に原発を」より) がある。

いずれにせよ、再処理工場はきわめて危険な工

場であり、もし爆発事故が起こった場合の被害は原爆や原子力発電の比ではないn 場合によって は、半径数千キロメートルが致死領域という説もあるくらいである。

日本の現状

東海村には年間210トンの使用済み核燃料を 処理できる再処理工場が建設されている。し かしこの工場は本格運転にはいった1981年の 1月からわずか20日後には、事故の続発のた め全面停止を余儀なくされた。その3か月後 に運転を再開したものの、やはり事故が続き 操業-停止を繰り返している。そのため日本 は、現在もフランスやイギリスに大量の再処 理を委託している。

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気化ウラン…

ソ連向け蛍

モン・ルイ号事件

1984年8月25日ベルギー沖のドー バ-海峡で核物質450tを頼んだ貨 物船がフェリーと衝突沈没した。 核物質輸送の安全性が問われる事 故であった。

■・/・■.I.卜心JT PTJJ肥員

(28)

再処理工場の問題点

ウラン資源を有効に利用するためには再処理工場が必要になってくるわけだが、ここに数多く の問題点がある。

大量の、しかも強い放射能をもった(高レベル)放射性廃物を扱うこと

再処理工場には原子力発電で生じた放射性廃物がすべて集まるわけだから、その量は莫大なも のになる。重大な問題は、 「再処理」といっても放射能は消えるわけではなく、そっくりそのまま 残るということである。これらの「廃物」はすててはならない物であるから、厳重に管理・貯蔵

しなければならない。特に高レベルの廃物は崩壊熟を生ずるので、たえず冷却をし続けなければ ならず、しかも腐蝕性も強いので貯蔵はきわめて困難である。

放射能放出の危険が大きい

再処理工場はたいへん多くの工程から なり、数多くの配管がある。また腐蝕性 の液体(硝酸等)が多いため、年月とと もに配管や継目の腐蝕で放射能をもった 液が漏れるようになることが多い。

さらにこのような事故がなくても、再 処理工場は核燃料サイクル中もっとも放 射能放出が多いところである。右の図は 東海村の再処理工場が本格的操業を開始

した時のことを想定したものである。

貯赴   水冷しながら 貯* 永久V】吐 貯ラ■

[再処理工場は原発一年分の放射能を一日で放出する】

これを原子力発電所と比べてみよう。東

海第二原発の放射能放出の年間管理目標は、希ガス(クリプトンなど)が5万キュリー、液体が 1キュリーである。 (P.72参照)ところが再処理工場は希ガス一日8000キュリー、液体0.7キュ

東海村再処理工場 78 第5章 茨城の原子力関係施設

(29)

リ-と桁違いに大きい。つまり再処理工場は原発 一年分の放射能をたった数日で放出するのでる。

爆発寸前の事故がしばしば起こる

ウランやプルトニウムは-か所に多量に集まる と臨界量(P.56参照)に達して核爆発を起こす 危険性がある。特にプルトニウムは臨界量が小さ いため、ちょっとしたミスでも大事故につながり やすい。再処理工場内で核燃料の溶液が臨界量に なる臨界事故は、世界中でかなり多い。多くは溶 液の誤送や逆流などでタンク内に臨界量以上の核 燃料が集められてしまった事故である。 (東海村で もプルトニウムの誤送事故があった)いずれの事 故においても大きな核爆発にいたらなかったのは 幸いであったが、核爆発に直結してしまうこの種 の事故は重大な意味をもつ。なぜなら再処理工場 は大量の核燃料を扱うので、もし大爆発を起こし たらその被害は普通の原爆にくらべものにならな いくらい大きなものになるからである。右の新聞 報道は最近アメリカで起こった事故の例である。

以上のことから、再処理工場による原子力エネ ルギー問題の解決はできていないと言ったほうが

よい。

【ワシントン十日=共同】米 ワシントン州リッチランドにあ る米政府の朽処別施設で先月 末'核爆発の旭胎に発展しかね ない作琴ミスがめり、エネルギ ー苗が操深作止を巾Uたことが

十日明らかになった。 この施敵は'同市所管のハン フォード朽処刑純鮎で、核兵甜 用プルトニウムを生姥してい る。耶故が起きたのは九月二十 九日C再処刑工場でウランと分

離されたプルトl亭ム淡海を貯 蔵タンクに送り込む際、作葦日 のミスにより既にプルトニウム 溶接で洞たされているタンクに 流し込んでしまった。 プルトニウムは二足の沸雌

以上になると臨卯と呼ばれる核 分裂反応が自然に続く状態にな る。放揖しておけば核爆発の危 険が生じるため'プルトl石ム を扱う沌殻ではプルトニウムが 1定の澄以上にならないよう 厳しい蛮印が定められている。 エネルギー省によると、安全 誠準を超すプルトニウムがタン クに送り込まれたが、作業員が 途中で気が付き作始を中止した ため大群には至らなかった。 しかし、との市政は'五腰階 ある危険琴ワンクの四(最悪は 五)。運晦停止期間は、運転を 歪されているロックウェル・ ハンフォード・オペレーション ズ社が'市政防止対流を同省に 提出するまで続くとみられる。

(「朝日新聞」 1986年10月12日付)

参考文献

「プルトニウムの恐怖」高木仁三郎 岩波新書

「原子力発電」武谷三男 岩波新書

「原発はなぜこわいか」小野周監修 高文研

「東京に原発を」広瀬 隆 集英社文庫

核爆発寸前の事故

米のプルト

ニウム工場

参照

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