租借地大連における日本語新聞の事業活動
―満洲日日新聞を中心に―
栄 元
博士 学術
総合研究大学院大学
文化科学研究科
国際日本研究専攻
成 8年度
16
凡例
1 年 表記 西暦 行 必要 場合 元号を併記
2 満洲 関東州 を け べ あ 頻繁 使用 省略
日本統治 使用さ 今日 不適 呼称 あ 地名 事件名 組織名 奉
天 京城 満洲事変 い を付 記載 べ あ 史料引
用 関係 歴史的用語 読者 便宜 点 ら 原則 記述
3 雑誌記事 新聞記事 論文名 書名 新聞雑誌名 を用い
4 読 や さ 配慮 引用 日本語文献 新字 新仮名を基本 適宜句読点を
補い 必要 応 ルビを施
5 引用文中 省略部 中略 示 6 ■ 判読 い - 数値
目 次 凡例
序 章 ... 1
1 課題の設定 ... 1
2 こ の研究 ... 6
3 研究の目的 方法 ... 8
4 本論文の構成 ... 8
第1章 満日小史(1907年-1927年) ... 10
第1節 初代社長森山守次 満洲日日新聞 の創刊 ... 10
1.1 納富家 森山家 のつ ... 10
1.2 新聞人 し の活動 ... 10
1.3 満日 の創刊 ... 17
1.4 満日 創刊号 ... 19
第2節 満日社の組織 人事配置 ... 24
第3節 満日社の経営 ... 32
第4節 遼東新報 の合併 ... 37
第2章 植民地統治経済手段 し の 大連彩票 (1905年-1915年) ... 60
第1節 満日 に現わ る 大連彩票 ... 61
1.1 大連彩票 概況 ... 61
1.2 新聞紙面に見 る 大連彩票 の実態 ... 64
第2節 大連彩票 廃止への途 ... 71
第3節 大連彩票 に関わる 満日 の立場 ... 73
小結 ... 76
第3章 体育奨励一方策 し の 関東州野球大会 (1910-1920年代) ... 78
第1節 大連野球の始 ... 78
第2節 第1回 関東州野球大会 の開催 ... 79
第3節 1920年代大連野球界の黄金時代 ... 82
第4節 大連野球に関わる言説 ... 87
小結 ... 89
第4章 植民地教育政策の一環 し の 在満児童母国見学団 (1920年-1927年) ... 91
第1節 見学団 派遣に至る の経緯 1920年代における関東州 満鉄附 属地の交通環境 ... 91
1.1 見学団 派遣に至る の経緯 ... 91
1.2 関東州における交通状況 日本-朝鮮-満洲 交通網の形成 ... 93
序章
1. 課題の設定
本論文 1907 年に日本の租借地都 大連 発行 中国東 地 満洲
1
にお い 最大の発行部数を誇 た日本語新聞 満洲日日新聞 満日 略す を 中心に 1907 年 創刊 1927 年 遼東新報 の合併 の報遈活動 新 聞社事業 いう 2 つの側面 満日 及び満洲日日新聞社 満日社 略す
日本の満洲経営の展開遃程におい い る機能を果たしたの の につい 満日社に る各種の事業活動の 跡を辿 検討した の ある
日清戦 1894年-1895年 後 旅 大連を含 遼東半島 日本に 譲 た
犉仏露の 国 海に 一 中国に返還 た の後 1898年に 大連 旅 を租借し 自 港 し 極東の港 の都 港湾 設を開始した 日露戦 中に日本軍 大連を占 し 1905年1 27日 日本軍 遼東守備軍 第3 号 2 11日 後 大連 改称する 発表した
2
日本 日露戦 後 条 に 旅 大連を含 遼東半島地 を関東 州租借地 し た中東鉄遈 満線の長春 の経営 を 獲得し の 地を中国大陸東 部への足 し 大陸政策を積極的に逭 た
日本政府 1906年6 7日付勅 第142号に 満洲鉄遈株式会社 設立 セ メ満洲地方 鉄遈遀輸業 営 満洲鉄遈株式会社 満鉄
略す の設立を内 に 表した
3
同年11 26日満鉄設立総会 開 翌27 日本社を東 におい 式に満鉄 設立 た
4
この鉄遈に付 する鉄遈附属地 満洲鉄遈附属地 満鉄附属地 略す た 関東州及び満鉄附属地におい
満鉄 積極的に 街地 備 を行い 次第に多 の日本人 移 するこ た
日露戦 前に 満洲に 日本人 居留し いたこ 事実 ある 1903 年6 時 満洲在 日本人の総数 2,500 人 あ た
5
に対し 表1に示す うに 1906年に 満洲における日本人 の15倍の16,613人に遉した
表1 満洲在 者人 表
1906年 1910年 1915年 1920年 1925年 1930年 1935年 1940年
関東州 中国人 360,428 425,599 490,484 592,913 665,989 820,534 955,514 1,183,087
1
満洲 中華人民共和国東 地方を す日本の俗称 ある 1905年 日露戦
に勝利した日本 日露講和条 条 に 旅 大
連の租借 及び長春 旅 間の鉄遈 益 譲渡 た 日本 こ に 翌1906 年 大連に 満洲鉄遈株式会社を設立し 中国東 地方逭出の足掛 を 1931 年に満洲事変を起こし 翌年に 満洲国 の 国を宣言 中国東 地方を手中に入
1945年 洋戦 終結 いた
2
上謙 郎 大連 史 大連 役戌 1936年 30 地久館復 1989年
3
朕 満洲鉄遈株式会社 関 件 茲 之 セ 勅 第 142 号
1906年6 8日付 報 第6881号 第233-234
4
満洲鉄遈株式会社 満洲鉄遈株式会社十年史 原 戋復 1974 年 28-30 参照
5
瀬逭 満洲の日本人 弘文館 2004年 10
日本人 12,792 36,688 50,253 74,290 91,376 116,052 159,749 202,827
国人 - 112 141 179 441 734 1,356 1,698
合計 373,220 462,399 540,978 667,382 757,806 939,114 1,119,870 1,393,222
附属地 中国人 7,675 31,774 60,225 113,849 180,534 235,016 278,385 -
日本人 3,821 25,650 34,845 63,624 92,625 99,411 190,508 -
国人 - 13 181 378 1,466 1,769 1,088 -
合計 11,496 58,437 95,251 177,851 274,625 352,096 501,396 -
総人 384,716 519,836 636,229 845,233 1,032,431 1,291,210 1,621,266 -- 関東州及び附属地
日本人総人
16,613 62,338 85,098 137,914 184,001 215,463 350,257
上の地 にお ける日本人
- 14,407 16,993 24,590 13,826 18,286 144,451 862,245
満洲における日本 人総人
- 76,745 102,091 162,504 197,827 233,749 494,408 1,065,072
表注:1930 年関東州における総人 のう 朝鮮人 1,794 人 附属地における総人 のう
朝鮮人15,900人を含 1935年関東州における総人 のう 朝鮮人3,251人 附属地にお
け る 総 人 の う 朝 鮮 人 31,415 人 を 含 1940 年 関 東 州 に お け る 総 人 の う 朝 鮮 人
5,710人 附属地における総人 のう 朝鮮人を含
出 :1906年 1910年 1915年 1920年 1925年 関東都督府都督 戋文 課 関東都 督府統計 第 1 明治 39 年 1912 年 9-10 同 関東都督府統計 第 5 明治 43年 1912 年 32 同 関東都督府統計 第10 大 4 年 1919年 40
関東長 戋文 課 関東庁統計 第15 大 9年 1926年 27-28 同 関東
庁統計 第20 大 14年 1926年 24-25 1930年の 関東庁統計要覧
昭和 5 年 関東庁 1935 年 18-19 1935 年の 関東局管内現 人 統計
昭和 10 年 関東局 1939 年 2-7 1940 年の 関東局管内現 人 統計 昭
和15年 関東局 1944年 62-63 の の地 における日本人の 満史会 満
洲開発四十年史 上巻 満洲開発四十年史刊行会 1964年 84 に 筆者 成 一方 満鉄初代総 る後藤新 満鉄創立前に児玉源 郎を通し 満洲経 営策梗概 を政府に提出し いる の 戦後満洲経営の 唯一 要訣 陽 鉄遈経営 仮面 装 蔭 瘤般 施設 実行
6
置 け いた し し 満洲 日本の 土 あ 清国の 土 ある のた に 後 藤 満洲 交通機関 経絡 是 東西両洋文明会注 地 当
中略 満洲 文明会注 方式 闘 親交
中略 満洲 列国民人和緝 営 利 メン
7
に 満洲の 利源を開発す ある 識したうえ 文事的施設を の侵略に備へ 一
急あ 断的行動を助 るの便を併 講 置
8
いう文装的 備論を掲 た
後藤の 文装的 備 理念 満洲事変 の満洲経営政策に 完全に
6
鶴見祐輔 後藤新 第2巻 植民行政家時代 勁茁 戋 1965年 810-811
7
同上
8
同上 815
いる この理念に 満鉄 に鉄遈会社 鉄遈附属地の経営を し 教育 衛生 新聞 学術 多様 文化事業を行 た この うに 満鉄
る鉄遈会社 鉄遈附属地 いう の植民地を統治 批大する使 を う植民地機関 あ た いえる
9
1907年3 5日付勅 22号に 同年4 1日に満鉄 本社を大連に移し 同23日に本格的に業務を開始した
10
満鉄本社 大連に設立 来 鉄遈の 設 の 教育 衛生 通信 を 備し 大連 満鉄に る満洲経営の る 同時に 近代的 大都 し 急速 発展を遂 た 大 場 遈路 発電戌 上 水 遈 の都 ン 1909年 に大体 備 更に 見 付けた高 に 電気の照明 ついた逿園地 設け た に 多 の日本人 移 す
るこ た
1903 年に 大連在 日本人の総数 わ 360 人11 あ た 1906 年に 8,248
人 1907 年に の 2 倍 上の 16,688 人 た の後年々増 をつ け 1920
年に 50,778人 1930年に96,434人 に1941年に 189,951人 35年
間 大連在 日本人の人 23倍 上に膨 上 た 表2参照
満洲に 日本人 業者 ある の職業構成 満鉄社員の 表 3 示した うに 関東都督府 の 関東庁 関東局 の の家族 あ た 業 商業 業 の 事者 あ た の中 業 林業 水産業 の 事者 極 わ あ たのに対し 業及び商業に 事する日本人 最 多 た
表2 租借地大連 の人 表
1906年 1907年 1910年 1915年 1920年 1925年 1930年 1935年 1941年
日本人 8,248 16,688 26,001 34,563 50,778 75,486 96,434 134,329 189,951 中国人 10,601 14,582 19,755 42,466 94,832 121,473 183,431 224,998 494,017
の 23 54 110 155 358 950 1,776 3,475 6,799
総人 18,872 31,324 45,866 77,184 145,968 197,909 281,641 362,808 688,767 表注:統計の数値 表3 合わ い の ある の にした
出 : 1 1906年-1935年の 上謙 郎 大連 史 大連 役戌 1936年 第15-
18 地久館復 爮 1989年 に 筆者 成 2 1941年の 関東局 関東局管
内現 人 統計 昭和十 年 関東局 1944年 第6-7 に 筆者 成
商業 事者のう 5 の人々 大連に 中し いた た 表 2 に示す うに 1906 年の時 在連在 日本人総数 8,248 人のう 41%の 3,430 人 商業に 事し いた
表3 関東州及び満鉄附属地日本人 業者職業 人 表
9
冨 満鉄の資金調遉 資金投入― 満洲国 期を中心に 人文学報 第 76 号 都大学人文科学研究戌 1995年 165
10
同上 75
11
瀬逭 前掲 10
年度 年
職業
人 合計
業 水産業 商業 業 労働者 雑業
1906 関東州 1,412 17 204 5,043 1,377 263 4,252 12,792
附属地 253 1 - 910 161 83 663 3,821
合計 1,665 18 204 5,953 1,538 346 4,915 16,613
大連 549 11 118 3,430 781 143 3,092 8,248
1910 関東州 5,008 80 390 6,427 3,655 3,655 14,564 36,688
附属地 1,249 372 - 4,087 2,492 2,492 14,154 25,650
合計 6,257 452 390 10,514 6,147 6,147 28,718 62,338
大連 613 55 340 5,037 2,169 2,169 12,545 27,111
1915 業 水産業 商業 業 労働者 雑業 人 合計
関東州 6,484 384 403 7,943 9,314 1,154 32,978 50,253
附属地 1,852 719 4 5,152 9,324 1,791 15,727 34,845
合計 8,336 1,103 407 13,095 18,638 2,945 48,705 85,098
大連 2,224 125 240 6,270 7,895 699 21,227 39,561
1920 業 林業 水産業 鉱業 商業 業 交通業 雑業 人 合計
関東州 6,882 1,441 105 19,041 23,485 11,015 11,736 74,290
附属地 2,487 1,272 9,498 12,662 13,859 13,973 9,541 63,624
合計 9,369 2,713 9,603 31,703 37,344 24,988 21,277 137,914
大連 2,708 1,360 82 17,553 21,644 10,046 9,115 62,994
1925 業 林業 水産業 鉱業 商業 業 交通業 雑業 人 合計
関東州 21,172 1,632 177 18,804 25,164 14,856 20,036 91,376
附属地 15,459 1,753 8,490 17,083 20,274 20,661 5,477 92,625
合計 36,631 3,385 8,667 35,887 45,438 35,517 25,513 184,001
大連 570 95 18,528 11,923 11,961 52,068
出 :関東都督府 関東都督府統計 第1 明治39年 1912年 13-16 同 関東 都督府統計 第5 明治43年 1912年 45-47 同 関東都督府統計 第10 大
4 年 1919年 59-66 関東長 戋文 課 関東庁統計 第15 大 9年
1926年 34-39 同 関東庁統計 第20 大 14年 1926年 50-55 に 筆
者 成
この うに 在 日本人の増 経済の発展に 大連における日本語新 聞の需要 一段 大 い の た この う 背景の 1907 年 11 3 日に 満鉄初代総 後藤の発案に 満洲 開発 資 同時 会社事業 機関
目的
12
機関紙 満日 大連 創刊 た
大連における最初の日本語新聞 1905 年10 25日創刊の 純一郎の 遼東新 報 ある 満日 創刊後 大連の新聞界 満日 遼東新報 に
た の後 1920 年 5 に 大連新聞 創刊 紙鼎立の状態 た し し 長 満日 1927 年10 に 遼東新報 を 1935 年8 に 大連新聞 を合併するこ に 大連 に中国東 地 新聞界におい 犉 占的 地 を築い い た
満日 に 大連を中心 した満洲の日本人及び中国人社会の動向に関する記事 多岐にわた 掲載 お 日本国内のメ 得るこ の出来 い情報 多 含 いる
13
同紙 1945 年 発行 長 満洲における世論指 の役 を担 た た 同紙 40年間の発行期間 日本の満洲経営の期間 一 し いる
現在 租借地大連 刊行 た定期刊行物の中 完全 状態 保 い るの 満日 大連新聞 け ある し 遼東新報 大連 館 に保 いる 史料 復の理 閲覧 いる に 当時大連 発行 た中国語新聞 泰東日報 1908 年創刊 東 大学大学院情報学環 学 際情報学府セン に戌蔵 いる 号 多いた 全体の状況 把握しに い この意味 満日 日本の満 洲経営 あるい この時期の満洲社会の実態を 解明する上 高い史料的価値を持つ の ある こ の 総体的に 断する
満日 の記事の再検討の意義 わ 大 い 思わ る
創刊当初 満日 満洲経営の急 鋒 日清両国の 中略 提携相護の 啓発
14
満蒙大陸 の文化的開発を中心の 目的 し 東 全局の 精 的並に物 質 的発遉を企 し 助長 し 新聞紙 し の 職 使 を全 する
15
いう 方 の 新聞発行 け 根事件 速記録 1910 年 満洲写 真大観 1911 年 沿線写真帖 1912 年 満蒙全 1927 年 を
出爮し 頭彩 1 賞 何番 の彩票 想投票の 歌
るた競技大会 学術講演会 日中記者大会 飛行機展覧会 艦隊便 乗見学 在満児童 母国見学 各種 の事業に 積極的に 組
16
租 借 地 いう特 環境 ある こ こ の事業の持つ 響力 更に大 る 考え る た こ の文化事業の実態を明 にするこ に 租借地大連 の日本人社会 文化の世相 動向の一側面 究明 る 思わ る
し し この につい こ 植民地研究史 文化史 メ 史研究に お
い 注目 こ た
12
満洲鉄遈株式会社 前掲 681
13
栄元 満洲日日新聞 の創刊 初代社長森山守次 Intelligence 第15号 20世 紀メ 研究戌 2015年 185 参照
14
満日初代社長の森山守次 創刊号 1907 年 11 3 日 の 発刊之辞 前略 懫満洲経営の急 鋒……故に挺 満洲経営の急 鋒たるに い 中略 日清 両国の 中略 提携相護の啓発に るを 識す 満洲の生 一に懸
この調和に在 …… 述 いる
15
創刊 現在に至る 1921年11 3日付 満日
16
栄元 租借地都 大連 における 満洲日日新 聞 の役 に関する一 考察 ― 大連 彩票 の内容 析 総研大文化科学研究 第11 号 総合研究大学院大学 文 化科学研究科 2015年 46-47 参照
2. こ の研究
植民地メ 史の 野におい 戦前の日本 海 支配地 展開した新聞 政策に関する諸課題に関し い の研究蓄積 ある 例え 木儀 郎 満洲日報論 日支問題研究会 1932 年 李相哲 満洲における日本人経営新 聞の歴史 凱風社 2000 年 李戶機 湾近代メ 史研究序説―植民地 メ
東 大学博士論文 2006 年 7 授 俊彦 島真 孫 石 戦 メ 勉誠社 2006 年 藤勝矢 満洲事変勃発前後の 満洲日 報 に関する一考察―国策会社 満鉄の機関紙の論調の変化 の背景 日本大 学 大 学 院 総 合 社 会 情 報 研 究 科 紀 要 10 日 本 大 学 大 学 院 総 合 社 会 情 報 研 究 科 2010 年 張楓 大連における泰東日報の経営動向 新聞論調 瀬和俊 戦間期 日本の新聞産業―経営事情 社論を中心に 東 大学社会科学研究戌研究
No.48 東 大学社会科学研究戌 2011 年 瘣戸健一郎 満洲電信電 株式会社
― のメ 史的研究 創元社 2016 年 ある の中 満日 を 巻 的 研究 し 木儀 郎 満洲日報論 李相哲の 満洲における日 本人経営新聞の歴史 挙 る
木の論文 満日社の組織 経営の変遤を考察した の 最初にこの問題を 面 上 た研究 し 価するこ る た し 満日社の創刊経緯 経 営 事業活動につい あ い い
李の研究 1905年に営 最初の日本語新聞 満洲日報 創刊 来 1945 年の敗戦 に満洲 刊行 た日本人経営の日刊新聞につい 日中両国に保
た史料を 使するこ 満洲の主要 日本語新聞の変遤 輯者の 満鉄 の新聞業参入 関東軍に る言論統 につい 考察した の ある た満鉄経 営の 満日 を中心に の 40 年間の社説を 析し の論調 日本の大陸政策 世論の動向を 解い いる こ 現在 の 満日 に関わる研究の中 最 信 高い成果 ある いえる し し の研究 考察対象 ある 満日 につい 新聞経営における満鉄側の深い関 指摘 いる のの 日本 の大陸政策を掉逭するた にい る経営戦略 を たの いう問題につい の 析 行わ い い
に 瀬逭 満洲の日本人 弘文館 2004 年 満日 各種の 人 録 各種文献 いう 3 つの資料群を材料 し 日露戦 後 満洲国 国
の期間の満洲における日本人の活動を検討し いる た し 満日 に掲載 た在満日本人に関する の記事のう 投 面記事の事件録に限定 た の あ 満日 の全体的 状況を把握した の い
上述 た うに 行研究の多 満日 を一次資料 し 特定時期の新 聞記事内容を 析するこ に 新聞報遈 世論 の関係 を論 いる 満日 社 日本の大陸政策を掉逭するた に 植民地統治の一つの手段 し 如何に植民政 策を支え いたの いう に関する検討 十 言え い 掩言す
満洲新聞史に関し 本格的 研究 い い 言える あ う 圭一 満洲事変 大新聞 満洲事変前後の新聞論調の変化につい 荒瀬豊 掛 子の 研究
17
を例にあ こ の研究 析対 象を 社 説 いし論説に限定し 社説 いし論説の内容 析を主 し 行 た 社
17
荒瀬豊 日本軍国主義 メ 思想 399 号 1957 年 掛 子 メ の統 対米論調 谷千博 斉藤 真 今 清一 蝋山遈 日 米関係史 4 1972年
説の紙面における比 者の関心度 の条件を無視し い 事変への新聞の 対 新聞 者に及 した 響を 確に把握しえ い い 述 いる
のうえ 新聞論調の変化 国民の意 思想の変化 た 物 国民の 意識 思想の変化 の のを掃求するた に 新聞の紙面言論 の諸機能 例え 号 講演会 展示 各種の慰問遀動 報遈機関 し の新聞社の本 来的機能 し の 演 た社会的役 る に大 いの い
18
指摘 し た
に 新聞の報遈内容 の 世論 同一 い 新聞 効果的に 世論誘 を行うた に 新聞の紙面言論 の諸機能 た え 新聞社 主催する 各種の事業活動を行う うした社会的 役 に注目す ある いうこ ある
の示 を け 近年 メ ン いう視角 の研究 逭展 しつつある 日本における新聞社 主催した ン を 上 た のの一つに 津 金澤聡廣を代表 する メ 事業史研究会 の一連の論文 挙 る
19
の中 満洲事変 前後における 大阪朝 日新聞 東 朝日 新聞 新聞 主催した満 蒙に関する ン
20
につい 論 いる い 日 本国内の新聞社に焦 あ お 植民地における新聞社 主催した ン
につい の言及 い
植民地における新聞社 主催した ン につい 藤 晴 日本の植民地の 湾 メ ―1930 年代 初 頭 の 湾 日日 新報 を 中 心に 明治 学 院 論 第 689 号 明治学院大学社会学会 2003 年 宮 皓の 日本統治期朝鮮における新 聞社主催全朝鮮女子庭球大会 1921-1941 に関する歴史的研究 泅大学博士学 論文 2007年授 挙 る 藤 1930年の 湾における 湾日日新報
に る多彩 ン を 上 メ 力 のつ の様相につ
い 論 いる
21
た し 1930 年に限定 湾日日新報 に る ン の 歴史的系譜につい の検討 い い た 宮 城日報社 東 日報社 日新報社 主催した全朝鮮女子庭球大会に焦 をあ 韓国女子体育
韓国近代 史の視角 の歴史的意味につい 論 いる 宮 全朝 鮮女子庭球大会に関わる新聞の紙面報遈の役 に言及し いる の発展遃程にお ける新聞社 果たした役 につい の検討 十 いえ い
この意味 植民地新聞史に関する研究 解明 い い多 の課題を抱え いる ある 考え る
18
圭一 満洲事変 大新聞 思想 583号岩泅 店 1973年1 99-104 参
照
19
日露戦 前後の 20 世紀初頭 1930 年代 を扱 た津金澤聡廣 近代日本の
メ ン 同文館 1996 年 1931 年の満洲事変 1945 年の敗戦
を扱 た津金澤聡廣 山輝 戦時期日本のメ ン 世界思想社 1998 年 津金澤聡廣 戦後日本のメ ン 1945-1960 年 世界思 想社 2002年
20
良和 大衆文化の の 満洲 津金澤聡廣 山輝 戦時期日本のメ ン 世界思想社 1998 年 37-52 満洲事変後の
新聞 の ン 同 113-127
21
藤 晴 日本の殖民地の 湾メ ―1930 年代初頭の 湾日日新報 を中心 に 明治学院論 第 689 号 2003 年 2 明治学院大学社会学会 第 24-25
上の 総体的に 断する 満日 及び満日社の事業活動を 系統的 多角的に 理 検討するこ 租借地都 大連社会における満日社の機能 に日本の植民地統治の一側面を理解するうえ 大変 要 の ある 考え る
に補足す 満日 に対する再検討 両国の新聞史研究の 植民 地研究におい わ 要 意味を つ 言える あ う
3. 研究の目的 方法
本論文 満日 を 軸にし 1907 年 創刊 -1927 年 遼東新報 の合併
いう時間軸に沿 満日 の のの歴史的展開を検討し の課 題を究明したい
1 行研究を踏 えた上 現地 発行 いた の新聞 に 歴史 資料セン に戌蔵 る史料を利用し 満日 発行の経緯 経営 人事 事業活動 本的 を し 実証的に租借地大連における 満日 1907
年-1927年 の歴史的系譜を明 にする
ここ 本論文 扱う研究期間を 1907-1927 年に設定した理 につい 説明し お たい
第 1 1907 年 満洲事変勃発 の時期 満洲の新聞界 満鉄 主 した時代 ある この時期の日本人経営の新聞 満鉄の管理 にお いた 言える こ に対し 1931 年の満洲事変 に 1932 年に満洲国の成立に い
関東軍 満洲における主動的地 を確保するに至 た に 満洲の政治 経済の中心 大連 へ 移行し い た
第 2 1925 年に大連 の 送の開始に い 満洲におけるメ 空 間 変化しつつあ た いう ある 1920 年代に の 及に
世論操 新聞 各メ を通 連動 行わ る う
に た
2 本論文 満日社 主催した各種事業活動 付録 1-3参照 の中 5年 上 的に行わ た 大連彩票 関東州野球大会 在満児童母国見学団 艦隊便乗 見学 歌 るた競技大会 いう 5 つの ッ を遥定し 開催の時系列に沿
報遈活動 事業活動 いう 2 つの側面を明 にし 当時の国内 情勢 日本の満 洲経営政策の変化に 満日社に る報遈活動 事業活動の 跡を明 に する し こ の事業 如何に大連を中心 した在満日本人の日常生活 いし 体経 の一部 い たの につい い たい に こ の事業活 動の参 者 の感想文 を考察し こ 解明 こ た在満日本人 社 会の 部を掠 こ を試 たい
上の 本論文 1907 年-1927 年の満日社の事業活動を検討するこ に
満洲事変 前の満日社の機能を一 明確にするこ を す に 在満日 本人社会の実態を解明するこ に 満洲国 国に至る の大連を中心 した満 洲地 における日本の支配の実態を明 にするこ る 考え る
4. 本論文の構成
第1章におい 満日社の 満日 創刊にいたる の経緯 新聞社の経営 人 事構成 事業活動の概況を概観し 1907年の創刊 1927年 遼東新報 の合併 にいたる の満日社の20年史を振 返る
第2章 1907年11 1915年4 に大連 発行 いた 大連彩票
の発展経遃を 満日 の紙面記事に 再検討する 大連彩票 の実態を 析 するこ に関わる 満日 の立場を解明し 租借地都 大連社会における 満日 の機能 に日本の植民地統治の一側面を理解する機会 提供 る 考え
る
第3章におい 1910-1920年代に満日社 主催した 関東州野球大会 に着目し
の開催に至 た背景 開催実態を考察した上 満洲における野球の 容 展開 遃程におい 満日社 い る役 を果たした 関東州野球大会 大連の社会 及び大連野球界にい る 響を えた につい 検討する
第 4 章におい 1920 年 1927 年に け 満日社 し 主催した 在満 児童母国見学団 に焦 をあ 満日 の記事 照合しつつ の実施趣旨 内 容及び の成果を概観したうえ の遃程における満日社の役 につい 検討する
第5章におい 1921年 1932年に け の12年間に 的に組織 た 満日社 主催した 艦隊便乗見学 に焦 をあ 海軍省 文備考 満日 の記 事 海 大連新聞 朝日新聞 照合しつつ 便乗見学 の成立 の展開遃程及び便乗者の感想につい 考察する のうえ 1920-1930年代の軍 縮時代におい 便乗見学 い る役 を果たしたの の遃程におい 満 日社 い る姿勢 考えに い 報遈 事業活動を展開したの つい 検討する
第 6 章におい 日本の伝統的文化 ある るたの歴史を振 返 満日社 主催し た 歌 るた競技大会 に着目し 満洲 の るたの 容 の展開遃程におい 満 日社 い る役 を果たしたの につい 検討する
上の うに 本論文 日本の満洲経営及び大連の都 近代化遃程におい 満 日 い る機能を果たしたの につい 系統的 多角的に 理 検証し い
第1章 満日小史 1907年-1927年
第1節 初代社長森山守次 満洲日日新聞 の創刊
1.1 納富家 森山家 のつ
森山守次 虹 号 鵬雲 1875 年-1929 年 日本の 家 業
教育者 明治維新後の 芸教育の る納富 次郎 号
堂 1844年-1918年 の次男 し に生 た
22
幕 維新期にいわ る偉人を多 出した地 あ 出 者 政治家 軍人 け 多 野にわた 活躍した人物 多い 森山の爞親 納富 の中の一人 あ た
納富 次郎 小城 の瘬学家 明治維新後に 遈実行教管長 る柪 花守 の次男 し 生 た 16 の時に 本 の義士 儒家の納富 郎 衛門に養わ
の を い
23 1862年 納富 19 の時 高杉晋 中牟 倉之助 に
千 上海に渡 調査を行い 上海雑記 いう見聞録を 成する た の後 大阪 商会 清の 業務 上海を再訪し いる に 1871 年に 浜 業を研究し の たわ 沥 学 来 ン 国博覧 会事務局員及び 査 を経 業 芸学校の創立 の教育活動に 力を し
日本の近代 芸 ンの創始者 し ある
母の森山静子 1851 年-1917 年 幕府長崎の人森山栄之助 の 森山多 郎
1820 年-1871 年 の長女 あ た 森山多 郎 戸時代に活躍した日本の通詞
あ た 1854年に来航したこ を け し 彼 和親条 の締結 い た 交交海 首席通 し 条 文の を行う 交海の第一線に立つこ
た 次男の守次 森山家を い 母方の を 乗 森山守次 付け た
24
の納富磐一 1873 年-1959 年 帝国大学 科大学電気 学科を 業した後 た に芝浦製 戌に 入 た の後 学 及び 業の世界に を 投 た
25
し し 森山 爞親の 芸 の 学 異 新聞に関心を持つ うに た
1.2 新聞人 し の活動
22
森山の出 につい 明治新聞雑 関係者略伝 出 いる 東 帝 国 大 学 業 生 氏 録 長 崎 出 者 い る 業 年 次 1899 年 7 夏秋亀一 同期 この年次の 業生 一番の 人
の栤生 々(栤生政次) ある
23
好信洑 偉人伝 10 納富 次郎 立 城本 歴史館 2013 年 11-13
24
越弘子 幕 の 交 森山栄之助 戋 2008 年 165 …… 次郎 納富 次郎 静子 森山静子 婦の次男守次 長崎の森山家を い いるこ
ある た 伊東祐 世界年鑑 明治37 博文館 1904年6 付録 10 に 法学士夏秋亀一君 法学士森山守次君 小生 号す の生
3 人 郷 を同 し 述 いる ここ 見 森山 出
あるこ 確 ある し し の納富家の次男 し 生 た森山 長崎の 森山家を い た 長崎 出 者 見 いる 掉測 る
25
好信洑 前掲 23
1899 年 7 森山 東 帝国大学法科大学政治学科を 業し 同年 10 に米国 へ旅立
26
米国滞在中 博文館 出爮 た雑 陽 の通 信記者 た た 1902年の 2 3 に け 湾へ渡 湾全島沿岸視察 行 いる この 湾滞在中 資 料調査のた 森山 何回 湾総督府に立 た
27
に 同年6 12 の半年間 森山 務省の視察 を け 湾 厦門 汕頭
香港 澳門 東 ン 中央 度 の各地 視察し い
る
28
表1-1 森山守次著 一覧 掲
載 メ デ ィ ア
掲載号数 日 付 署
東 帝国大学時代
中 学 新 誌
第2巻第9号 1898年8 雑録 警醒禄
法科大学学生 森山 虹
博文館時代
少 世 界
6 5 1900年4 米国通信 森山 虹
7 12 1901年9 露西 風俗 森山 虹
7 15 1901年11 露西 通信 雀 森山鵬雲
8 1 1902年1 黒龍 の夜 森山守次
太 陽
第6巻第7号 1900年6 1日 米通信 森山 虹 第6巻第10号 1900年6 16日 栥 港 に け る 人 蹂 問 題 の 顚 森山 虹
第6巻第11号 1900年9 1日 鵬程 行 第一信 森山 虹 第6巻第12号 1900年10 1日 鵬程 行 第 信 森山 虹
26
森山 虹 香港紀行 陽 1902年6 5日 第8巻第7号 459 参照 前略 こ 思い付いたの 米国に ッ走るの策 あ の痩 に 義 情 に 満 居る 信 居る し 比立賓の犉立遀動 たす け たい 心 わす し い32年の10 30日出 の日本 に投
栥港へ一目 に飛び う した
27 1902年2 9日付 湾日日新報 森山 虹 湾航逿記 湾周航記
陽 1902年6 15日 第8巻第8号 342-382
28 JACAR 歴史資料セン Ref.B11091695800 第 2 像目 森山守次中
央 度露西 各地視察報告(B-3-5-7-31)( 務省 交史料館)
第7巻第5号 1901年5 5日 英 国 女 瘬 陛 の 崩 御 米 国 の 態 度
森山 虹
第7巻第10号 1901年9 5日 米露 の小 擾 森山 虹
第7巻第12号 1901年 日 明 露国通信 森山 虹 第7巻第14号 1901年12 5日 露国政府の酒専売 森山 虹
第8巻第2号 1902年2 5日 露国の真相 満洲問題 森山守次 第8巻第2号 1902年2 5日 政治時 森山 虹
第8巻第2号 1902年2 5日 米 紀程 森山 虹 第8巻第3号 1902年3 5日 日英の同盟 森山 虹
第8巻第3号 1902年3 5日 米 紀程 森山 虹 第8巻第5号 1902年5 5日 政治時 森山 虹
第8巻第7号 1902年6 5日 湾経営論 森山守次
政治時 森山 虹
第8巻第8号
特 海之日本 1902年6 15日
海之日本発行之趣旨 森山守次
湾航逿記 森山 虹
湾周航記 森山 虹
香港紀行 森山 虹
山 長政 虹生
香港論 森山 虹
第8巻第10号 1902年8 5日 度の族 森山 虹 第8巻第12号 1902年10 5日 度統治論 森山守次
第8巻第14号 1902年11 5日 海通信 森山 虹
週 刊 新 聞 太 洋
第1巻23号 1900年6 4日 自転車旅行の発程 特派員法学士 森山 虹 第2巻39号 1901年9 30日 露国の 勝 特派通信員
在露都森山 虹 第2巻42号 1901年10 21日 漫録 特派通信員
法学士森山 虹
第2巻43号 1901
年10 28日 露国通信 9 1日 特派通信員 法学士森山 虹 第2巻44号 1901
年11 4日 露都通信 特派通信員 法学士森山 虹
第2巻45号 1901
年11 11日 露都通信 特派通信員
法学士森山 虹
第2巻48号 1901年12 2日 露都通信 法学士森山 虹 第2巻49号 1901
年12 9日 乱笛譜 一 法学士森山鵬雲
第2巻50号 1901年12 16日 乱笛譜 法学士森山鵬雲 第2巻51号 1901
年12 23日 乱笛譜 法学士森山鵬雲 第3巻1号 1902年1 6日 逿 一 法学士森山鵬雲
第3巻2号 1902年1 13日 逿 森山 虹
第3巻3号 1902年1 20日 逿 森山 虹
第3巻4号 1902年1 27日 逿 四 森山 虹
第3巻5号 1902年2 3日 逿 森山 虹
第3巻6号 1902年2 10日 逿 七 森山 虹 第3巻7号 1902年2 17日 逿 七 森山 虹
第3巻8号 1902年2 24日 逿 森山 虹
第3巻10号 1902年3 10日 逿 森山 虹
第3巻11号 1902年3 17日 文芸雑 森山 虹 第3巻13号 1902年3 31日 逿 十一 森山 虹
第3巻14号 1902年4 7日 逿 十 森山 虹 第3巻16号 1902年4 21日 党論戦爭 森山 虹
第3巻17号 1902年4 28日 逿 森山 虹
第3巻19号 1902年5 12日 旅中 言 森山 虹 第3巻46号 1902年11 17日 度人粧飾 在 度
法学士森山 虹
第3巻50号 1902年12 15日 度人の 信 森山 虹
著 出爮年 出爮社 署
政治史 1900年4 博文館 森山守次
伊豆 1900年10 博文館 法学士森山守次
世 界 歴 史 譚 第 30 メッ ッ
1901年10 博文館 森山守次
欧米商業実勢 1902年9 博文館 森山守次 新声社時代
新 声
第10 6号 1903年12 習 譜 森山 虹
著 出爮年 出爮社 署
元 論 1903年 新声社 森山 虹
湾時代
台 湾 統 計 協 会 雑 誌
第12号 1905年8 米 合 衆 国 第 12 回 す 局
森山守次
湾日日新報
1904年5 22日 露国極東大守 守 森山 虹
1905年1 1日 地 の海 生に参 す 虹生
1905年1 8日 敗将 ッセ 一 虹生
1905年1 10日 敗将 ッセ 虹生
満日 時代
満洲日日新聞
1907年11 22日 論説 小狁子起つ 虹生
1908年5 12日-16日 船窓漫筆 1-5 虹生
1908年5 23日-29日 鹿瑣談 1-5 虹生
1908年6 14日-19日 爾賓逿記 1-5 虹生
1908年6 30日 船窓 語 虹生
1908年11 6日 米国遥挙余談 虹生
ン 時代
サ ン デ ー
第54号 1909年12 栙首相 森山 虹
第56号 1909年12 小 相の笊碁 交 森山 虹
第103号 1910年11 商紊政論 森山 虹
第106号 1910年12 恐怖来!!! 森山 虹
著 出爮年 出爮社 署
児玉大将伝 1908年10 洋通信社 森山守次
倉 明義
納富 堂翁事蹟 1922年 出爮社 納富磐一 納富磐一
森山守次
出 :国立国会 館 ン 湾日日新報 に 戋刊
満日 善出爮 に 筆者 成
表 1-1 に示した うに この時期の森山 博文館を に多数の著 文章を発表 し け いた 内容 政治 論を中心に 経済 論 紀行 筆 幅 い 野に 及 いる 植民地経営に関わる内容 少 た
1903 年 森山 雑 内 世論 を発刊する 共に 浜 浜新報 を経営し 同年 9 新声社を経営し始 た
29
し し 1 年を満た し 刊し 間 新声 文館に譲渡するに至る
30
し 1904 年 森山 湾に渡 総 督府統計講習会嘱 員 た 間 辞職し 東 に 再度 新聞記者
た
31
こ 森山 いつ の う 契機 後藤 面識を得たの につい 確 時期 明 た 元 満日 社員 あ た阿部真之助 森山 湾総 督府 員 あ た時 1904 年 に後藤 結び付いた 回顧し いる
32
し し 上述 した内容 見 つの 能 考え る 第一 森山 湾全島を視察し た時 湾総督府 後藤 会見し 後藤 の結びつ を築いた いう 能 ある 第 森山 同 生 つ同郷の夏秋亀一
33
の 後藤 出会 た 能 ある 後藤 1902 年 6 の欧米視察の際 に立 いる 夏秋 この時期 に ワ 後藤新 会見し 後後藤の腹心 し 日露間の政治扉衝の裏面
29
掬汀 輯 藤儀助 告 ( 新声 10 3 号 1903 年 95 100 ) 森山 虹 社告 1903年9 20日付 満日 参照
30
文館発行の 新声 1905年2 号 発売 いた
31
宮 骨 西 長 明治新聞雑 関係者略伝 す 戋 1985年 272
32
阿部真之助 記者の想い出 比良 戋 1950年 19 阿部 森山を守山 誤記する
33
夏秋亀一 1874年1 生 1892 年に東邦協会露西 語学校に入学した
学 1899年東 帝大法科大学政治学科を 業し 中国 メ を巡 逿した 1900年9 露 に赴 同地 生糸及び日露 に 事した
1908 年に 大阪朝日新聞 の特派員 し に赴任した 葉 四 知
合い 彼の病気の世 をしたこ ある 1909年渡満し ン新 街に日満商会を開いた たわ 満製粉 株 締役 花銀行 査役
ン居留民会 会長を務 た (十 信 解題 近代文学研究資料 (5 坪内逍 遥 内 魯 葉 四 戌 日本近代文学館 1975 年 19 竹中憲一
人 事 満州 に渡 た一 人 皓 社 2012年 1067 )