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帝国書院 | 高校の先生のページ 高等学校 世界史のしおり 2007年 4月号

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Academic year: 2018

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(1)

− − − −  高校の地歴・公民科各科目ひいては中学校社会

科についてもいえることであるが、その内容が生 徒に魅力あるものとしてうつらないような気がし てならない。その原因はいろいろあるが次の2点 から考えて見たい。

1 大学での研究のエッセンスを中等教育の場に  持ち込もうとする場合、研究と教育の場におけ  る授業の立脚点の違いに気づかれていないこと。 2 現代的諸課題を授業で取り上げる方法論の開  拓がいまだ不十分な結果、課題意識が第二次世  界大戦直後のそれから抜け出せていないこと。

 話を単純化するために、筆者の専門領域である 高校世界史を例にとって論ずるが、問題の本質は 高校政経などの他の科目、あるいは中学校社会科 においても同じであり、世界史を例に書かれてい る内容はそちらにおいても十分応用できるもので ある。

1  大学と中等教育における歴史叙述の立脚点 の違い

 中等教育の教科書の内容は究極的には大学等で の学問の最新成果を取り入れ、それを発達段階に 応じてやさしく噛み砕いて語っていく方式が取ら れている。当然、授業の進め方もそれを踏襲した ものになるわけだが、その際、源流たる大学での 研究に携わる者と、下流たる中・高での授業を受 ける者の意識の相違を充分わきまえておかないと 中・高での授業はうまくいかない。それは、それ ぞれの領域での知的関心のある・なしの問題であ る。

 大学の研究室で歴史研究に携わる方々は、いわ ば最初から歴史が好きでそれに興味・関心を持つ

方々である。そこでは、なぜ歴史を学ばねばなら ないか、歴史を学ぶことが何の役に立つのかは、 当面の差し迫った問いにはならない。好きなこと に没頭するとき、人はそれをしなければならない 理由を普通問わぬものである。しかし、高校にお ける歴史教育の場は違う。歴史に対し初めから無 条件に興味・関心を持つ生徒は恐らく5%に満た ないであろう。相手が興味・関心を持たないこと を教えようとするとき、教師は必ずなぜこれを学 ばねばならないかを表明しなければならない。歴 史を学ぶことはなぜ必要か、それは何の役に立つ のかを生徒の生活実感にできるだけ即した形で、 プラグマティックに語る必要に迫られている。こ の種のプラグマティズムの必要性こそ研究の場と 教育の場の大きな違いである。研究と教育は歴史 に向き合う者の態度として異なる立脚点に立つも のであり、だから課題意識とそれから出発する歴 史叙述も当然根本的に違うはずである。

 従来からの専門的歴史学の最先端の成果をやさ しく解説するという形は、専門的な学者の問いか け方=その課題意識をそのまま歴史教育の場に持 ち込み、何となくそれが普遍的なものであると思 い込んで教えることとなり、教育の場におけるプ ラグマティックな歴史に対する問いかけ方の必要 性とは乖離しやすい。

2  第二次世界大戦直後の課題意識からの脱却

 かつて第二次世界大戦が終わったとき、人びと には、軍部ファシズムというものがなぜ現れ、日 本の民主主義はなぜ簡単に崩れてしまったのか、 それを究明し二度とこのような過ちを繰り返さな いようにしなければならない、という考え方が時 代思想の底流にあった。これらをベースとして学 校教育においても歴史学習の内容と方法論が作ら

今後の世界史(地歴・公民、社会科)教育のあり方について

(2)

− − − − れてきた。世界史は民主主義の生成を軸として、 古代から現代に至る歴史プロセスを大河のような 流れとして語ること、その形態は、政治・経済・ 社会史の発展段階論的体系的知識の注入であった。  歴史の授業が時間切れで第二次世界大戦までし か語られないことが多かった理由は、全体主義の 台頭の理由とそれに対する民主主義勢力の勝利を 語れば目的は達したという無意識の思いこみの所 産ではなかったか。このような課題意識に依って 立ってきたからこそ、戦後史をどう語るかの方法 論開発がなおざりにされてきたのではなかったか。  第二次世界大戦が終わってから半世紀以上たっ た今、われわれの主たる課題意識は当時と同じで あろうはずはなく、確かにあらかたの歴史担当教 員は60年前のような課題意識はとうに克服してい ると思ってはいる。しかし、地球温暖化や地域紛 争などのグローバルな課題、ソ連の崩壊と冷戦後 の世界、イスラーム原理主義などの今日的課題に 関する歴史教育の方法論開発がいまだ全く不十分 であるが故に、実際の授業の内容・方法論の基軸 はつまるところ、第二次世界大戦終了時の課題意 識の枠組みをいまだ超えることができていないの が現実ではないか。

3  新しい歴史教育の方法論への一試案

 先に述べた歴史教育の場におけるプラグマティ ズムの必要性の観点に立つとき、歴史教育は課題 意識=問いかけの仕方を、学問の最先端の紹介で も、60年前の課題でもない、もっと我々の身近な 生活実感に立脚したものに再構築しなければなら ない。

 このようなことを踏まえてこれからの歴史の授 業はどうあらねばならないか。言うは易く行うは 難しであるが、一つの試論として以下のようなア プローチの仕方を提示してみたい。

① 歴史との対話の仕方を例示する授業 ② 歴史との対話の素材を提供する授業

 ①については、あるテーマを設定して実際に歴 史に問いかける作業をする。これに授業時数の 1/4程度を確保する。

 たとえば、

  人々はどのように環境を壊し、あるいは保 全してきたのか

  今日なぜ多くの地域で内戦が起き、人びと は殺し合っているのか

  「民主主義」は、果たして世界で同じよう に実現されてきたのか

a、b、cともに扱い方は非常に難しいが以下の ような形は不可能であろうか。

aについて

 古代メソポタミアにおける森(レバノン杉)の 伐採をギルガメシュ神話を例に、ローマ時代にお ける森林破壊を公衆浴場等で消費される大量の木 材などを例に、18〜19世紀のアメリカの森の減少 を木造軍艦の建造などを例に、中国の清時代の森 の消滅を出稼ぎ労働者に食べさせるトウモロコシ 栽培などを例に扱い、環境破壊が決して近現代に のみ起こる現象ではないことを理解させる。また、 16世紀に始まるロンドンの大気汚染、19世紀パリ の都市改造を例に、都市における劣悪環境がどの ように起こるか、都市再生のために何が必要かを 探る。

参考文献

「森と文明」(ジョン=パ−リン:晶文社1994)、「森と緑の 中国史」(上田 信:岩波書店1999)、「技術発達史とエネル ギ・環境汚染の歴史」(門脇重道:山海堂1990)、「パリの 聖月曜日」(喜安 朗:平凡社1982)、「フランス第二帝政下 のパリ都市改造」(松井道昭:日本経済評論社1997)など

bについて

 地域紛争を欧米の植民地主義の負の遺産の観点 のみからではなく、部族社会、宗教・宗派、市民 社会の未成熟等の観点からも扱う。

 たとえば部族間抗争の視点からイスラーム世界 を見てみる。ヒジュラなどを例にイスラーム教が 部族間抗争の調停に一定の役割を果たしたこと、 「聖戦」概念とベドウィンの略奪習慣の関係など

に目を向けさせる。

(3)

− − − − しつつサウジアラビアを建国したイブン=サウー

ドの姿にもっと説明の時間を割く。

 あるいは、第二次世界大戦後のザイール(コン ゴ)やリベリア、シェラレオネの内戦を取り上げ、 部族間抗争に絡む、日本人には理解しがたい戦争 の動機と悲惨が世界にたくさんあることを取り上 げる。

参考文献

「イスラームのロジック」(中田 考:講談社選書メチエ 229 2001)、「砂漠の豹イブン・サウド」(ブノア=メシャ ン:筑摩書房ノンフィクション全集13 1974)、「データベ ース戦争の研究Ⅰ、Ⅱ」(三野正洋,深川孝行,波津博明: 光人社1999)、 「戦争を知るための平和学入門」(高柳先男: 筑摩書房2000)など

cについて

 民主主義を世界史上西ヨーロッパ型文明の国の 特殊な政治形態と捉える視点から扱う。

 権力の恣意的行使を抑制するいかなる手段を持 つかを、古代ローマにおける皇帝暗殺の例、元老 院が皇帝選出機関として機能したことなどを挙げ て、たどってみる。

 また、中世ヨーロッパでは封建諸侯の割拠の上 に、王権を制限することが身分制議会としてシス テム化されていくが、中国では民衆蜂起に乗った 地方政治勢力による権力奪取が繰り返されてきた こと、その構図は近代中国史においても変わらな いことを示す。そのために、まず、中国史を民衆 反乱と王朝交代に絞って概観する。また、「文化 大革命」などを例に中国の民主主義制度と権力闘 争の関係を概観する。

参考文献

「ローマ人の物語 Ⅶ」(塩野七生:新潮社1998)、「毛沢東 秘録」(産経新聞「毛沢東秘録」取材班1999)など

 ②については自分の生きるうえで歴史に問いか ける必要が生じたときに、それに役立ちそうな素 材を知識として提供していく。これに授業時数の 3/4程度を確保する。

 その際、その素材は、1話完結方式の叙述とし、 素材相互を体系的に関連づけることは、原則とし てあえて求めない。いわば事象研究の積み上げと

しての歴史である。

 ②の素材の提供の基準は「今」、「ここ」、「私」、 そして「異文化理解」である。

 「今」とは、現代の問題と密接な関係を持つ歴 史知識(ex. パレスチナやアラブ、バルカンや旧 ソビエト内少数民族に関するそれなど)、

 「ここ」とは、日本と関係の深い歴史知識(ex. フィリピン、オーストラリア、アメリカ西海岸地 域・ペルー等、環太平洋地域のそれなど)、  「私」とは、自ら意識されるされないにかかわ らず自分のものの考え方に大きく影響を与えてい る伝統的な発想に関わる歴史知識(ex.輪廻とか 儒教思想、近代西洋合理主義など)である。  「異文化理解」とは、国際化時代の我々にとって、 世界各地域の人々の多様な風土と生活様式(宗教 など)と関連させていろいろなことが考えられる 素材を取り上げる。(ex. ヨーロッパ人にとって の北欧神話やローランの歌など、インド・東南ア ジア人にとってのマハーバーラタ、ラーマーヤナ など)

 これらを基準として、それに合わない知識は大 胆に精選する。

参照

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