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帝国書院 | 高校の先生のページ 高等学校 世界史のしおり 2004年 1月号

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Academic year: 2018

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− 4 − − 5 −− 5 −  生徒たちにとってアフリカの歴史や文化は、決 して身近ではない。したがって特別に1∼2時間 をさいて「アフリカ史」を学習することは、十分 に意義があると思う(本誌の2000年6月号の上田 隆之氏の「『アフリカの文化と前近代の歴史』の 授業について」は、異文化理解の視点からアフリ カ社会を取り上げていて、非常に参考になる)。  しかし普段の授業に、アフリカの話題を意識的 に組み込んでいくことも必要ではないだろうか。 拙稿は、筆者の日常の授業のなかでの「アフリカ 史」を紹介するものである。

 古代ローマ史を扱うときに、筆者は「アフリカ は何処かな?」と生徒に問いかけることがある。 そして「今さら何を質問するのだ」という顔をし ている生徒たちに『最新世界史図説 タペスト リー』(以下「タペストリー」)のp.60 「ローマ 帝国の拡大」の地図を見せる。カルタゴを中心と した地域が属州アフリカであったことに気づかせ て(語源はラテン語のaprica=sunny)、時代とと もにアフリカと呼ばれる範囲が南方に拡大された ことを指摘する(ついでに、属州アシアの位置も 示す)。西洋を中心とした世界史像を乗り越える ことが主張されて久しいし、様々な授業実践も行 われている。しかしそれにもかかわらず、“西洋人” の命名した地名(アフリカやアジアなど)を使用 せざるを得ないというジレンマを知っておくこと は重要であろう。

 またアフリカという一つの地名で安易に、あの 広大で多様な大陸を括り、各地域の独自性を無視 することがないよう、生徒に注意をうながすのは 大切である。「タペストリー」p.119の「特集アフ

リカの歴史」では、ザンベジ・リンポポ川、コン ゴ川、ニジェ−ル川、ナイル川といった大河の流 域世界を重視して地域区分をしている。アフリカ 大陸では、気候や地形のため陸上での移動が困難 な場合でも、河川によって人やモノ・情報が運ば れてきた。アフリカは、決して閉鎖的な社会では ない。地図を利用しながら、この点も生徒には確 認させたい。

 以下、紙数の都合もあり、大航海時代までのナ イル川流域とアフリカ東海岸について記しておく。

 ヘロドトスは「エジプトはナイルの賜」と言っ たが、ナイル川流域で栄えた国は、エジプトだけ ではない。ナイル川上流の第三瀑布から南の地域 には、古くからエジプトと関わりのあった黒人王 国が存在していた(導入として、図1のピラミッ ドのある場所を生徒に予想させることもある)。

 エジプト人からクシュと呼ばれたこの国は下流 地域に勢力を伸ばし、紀元前8世紀に、ついにエ ジプトを支配した。しかし彼らが開いた第25王朝 は、アッシリアに侵略されて滅亡する。その後、 クシュ人は第五瀑布の南方のメロエに拠点を遷し、 エジプトの宗教や文字・建築様式などを積極的に 受け入れて独自の文化を形成した。紀元4世紀に アクスムに滅ぼされるまで王国は存続した。  青ナイル川上流は、エチオピアである。ヘブラ

大航海時代までのアフリカ

大阪教育大学教育学部附属高等学校天王寺校舎 笹 川 裕 史

は じ め に

ア フ リ カ と は ど こ か

ナ イ ル 川 流 域

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− 6 − − 7 − − 6 −

イ王国を説明するときに、余裕があれば「シバの 女王」を紹介する。この伝説は、当時のエチオピ アとアラビアそしてパレスチナ社会の活発な交流 を示している。

 伝説ではなく、歴史上初めてエチオピア高原に 成立した国はアクスム王国である。南アラビアか ら移住してきたセム系の人々が紀元前後に建国し た。アクスムは、しばしばアラビア半島への進出 をはかった。紅海を軸とする地中海世界への貿易 ルートを確保するためであった。4世紀にキリス ト教を受け入れたのも、ローマのキリスト教国教 化と関連があったといわれている。「プレスター =ジョンの国」と関連して、中世ヨーロッパ史で もエチオピアには言及しておきたい。なお8世紀 以降はイスラーム化が進み、現在では、ムスリム とキリスト教徒の割合はほぼ同じである。  エチオピアでは、イエスの生誕年をめぐる解釈 の相違から、グレゴリウス暦とは異なる暦が用い られている(西暦2002年9月11日が、エチオピア 暦1995年1月1日)。かつてエチオピア出身のマ ラソン選手の生年が西暦表示と誤解され「アフリ カでは、役所の書類が正確でないから、選手の生 まれた年が実年齢とズレるのですかね」とアナウ ンサーが説明した。このような異文化“誤解”が 生じないようにしたいものである。

 インド洋に面したアフリカ東海岸地方では、か なり古い時代から季節風を利用して、アラビアや ペルシア・インドとの交易が行われてきた。紀元 1∼2世紀頃に著された『エリュトゥラー海案内 記』には、その様子が記されている。

 4∼5世紀には東南アジアからマライ系の人々 が渡来し、イネやココヤシ、バナナなどを伝えて いる。とくにバナナは、コンゴ川流域の熱帯雨林 帯の重要な食物となり、この地域の人口を急増さ せたことは強調しておきたい。

 イスラームの勃興後、アラブ人がアフリカ東海 岸部に来航し居住を始めた。ダウ船(「タペスト リー」p.113)を用いると、アラビアまで(3000

∼4000km)3∼4週間で航海できたという。現 地のアフリカ人との混血も生じ、マリンディやキ ルワなどの港町が発展した。イブン=バットゥー タの旅行路を「14世紀ころの世界(「タペストリー」 p.26)」で確認させながら、彼がキルワを「世界 でいちばん美しい整然と造られた町の一つ」と記 し、この地域でスワヒリ語が話されていると述べ たことには触れるようにしている(なおキルワの 繁栄は、内陸のジンバブエの金の交易の支配と深 く関わっていた)。

 鄭和の南海遠征の導入として、図2のキリンが アフリカのどの地域からもたらされたものか生徒

に尋ねてみる。東アフリカと答えられる者は意外 と少ない。「野生の王国」アフリカには、サハラ 砂漠の他なら、どこにでもキリンやゾウがいると 思っている生徒が多いからである。

 中国では、アフリカからの象牙や乳香が珍重さ れ、アフリカでは、陶磁器や銅銭が大いに喜ばれ た。大ジンバブエ遺跡からは、宋・元・明代の陶 磁器の破片が出土している。

 大航海時代までのアフリカに関しても、無文字 社会や“部族”国家といった言葉にとらわれて、「停 滞した社会」という負のイメージを抱く生徒は少 なくない。それだけに、アフリカの各地で多様な 歴史が展開していたこと、外部との交流が活発で あったことは、ぜひ伝えたい点である。

 今後も、アフリカへの視点を失わずに、日常の 授業のなかでの工夫を続けていきたい。

ア フ リ カ 東 海 岸 地 方

図 2 明に献上されたキリン 「タペストリー」p.94

参照

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