かごしま近代化産業遺産パートナーシップ会議
反射炉の上部、人物は実物でなくイメージ 旧集成館(反射炉跡) A C C E S S M A P
旧集成館機械工場・旧集成館(反射炉跡 ※仙巌園内)
●問合せ先
JR 鹿児島中央駅からカゴシマシティビュー・ まち巡りバスで約 30 分、「仙巌園前」下車すぐ 尚古集成館 099-247-1511 仙巌園 099-247-1551 鹿児島市吉野町 9698-1・同市吉野町 9700-1
旧鹿児島紡績所技師館(異人館)
●問合せ先
JR 鹿児島中央駅からカゴシマシティビュー・ まち巡りバスで約 30 分、「仙巌園前」下車、徒歩約 2 分 異人館 099-247-3401
寺山炭窯跡
●問合せ先
JR 鹿児島中央駅から南国交通バス(宮之浦団地線)で約 35 分、 「三州原学園前」下車、徒歩約 20 分
鹿児島市教育委員会文化財課 099-227-1940
関吉の疎水溝
●問合せ先
JR 鹿児島中央駅から南国交通バス(伊敷団地線、緑ヶ丘団地線、 本城線)で約 30 分、「関吉の疎水溝入口」下車、徒歩約 8 分 鹿児島市教育委員会文化財課 099-227-1940
●アクセス
●アクセス
●アクセス
●アクセス
●所 在 地
鹿児島市吉野町 9685-15
●所 在 地
鹿児島市吉野町 10710-68
●所 在 地
鹿児島市下田町 1263 先
●所 在 地
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「
集成館
」
製鉄・製鋼、造船、石炭産業
世界遺産
[ 発 行 2016 年 8 月 ]
(事務局)鹿児島市世界遺産推進室かごしま近代化産業遺産パートナーシップ会議 〒892-8677 鹿児島市山下町 11 番 1 号
TEL.099-216-1504
※アクセスや入館料など詳細は、各問合せ先にてご確認ください。 鹿児島エリアの遺産情報 配信中 わかりやすい
解説つき動画や アクセス情報
鹿児島市 HPリンク
反射炉図
オランダの技術書の翻訳版を参考にして 反射炉の建造が行われた
集成館事業が はじまる
明治 5 年の磯地区の様子
【尚古集成館蔵】
日本の近代化
はじまりの 地
かごしま
―
。
1851
日本で初めての 洋式紡績工場が完成
Heritage of Industrial Modernization in Kagoshima
英国へ留学生を派遣 西洋に技術を学ぶ
1865
1867
摩藩英国留学生
【尚古集成館蔵】 【尚古集成館蔵】招聘されたイギリス人技師たち 【尚古集成館蔵】摩藩主・島津斉彬
幕末の鎖国下で、
日本の近代化を思い描いていた薩摩藩主・島津斉彬。 やがて西洋の技術と薩摩藩在来の技術を融合させ、 自分たちの力で近代工場群を造り上げました。 今日、世界をリードする技術大国となった 日本のモノづくり文化は、
先人たちの壮大なビジョンと
たゆまぬ努力の上に築かれていったのです―。 幕末の鎖国下で、
日本の近代化を思い描いていた薩摩藩主・島津斉彬。 やがて西洋の技術と薩摩藩在来の技術を融合させ、 自分たちの力で近代工場群を造り上げました。 今日、世界をリードする技術大国となった 日本のモノづくり文化は、
先人たちの壮大なビジョンと
たゆまぬ努力の上に築かれていったのです―。 幕末の鎖国下で、
日本の近代化を思い描いていた薩摩藩主・島津斉彬。 やがて西洋の技術と薩摩藩在来の技術を融合させ、 自分たちの力で近代工場群を造り上げました。 今日、世界をリードする技術大国となった 日本のモノづくり文化は、
先人たちの壮大なビジョンと
たゆまぬ努力の上に築かれていったのです―。
しょうへい
ほんやく
(慶応元年) (慶応 3 年) (嘉永 4 年)
鹿児島紡績所技師館 (異人館) 集成館機械工場
(現・尚古集成館 本館) 鹿児島紡績所
桜 島 錦 江 湾
0 1000 2000m
牟礼岡小
日豊本線
川上町 上花棚
吉野町 帯迫中央
吉野支所 入口 下田三文字
九州新幹線
寺山 公園 寺山ふれあい公園 吉野東中 下田公園
緑丘中
伊敷中央公園
鹿児島東高
島津家墓地
鹿児島市役所
城山公園
鹿児島中央駅
竜ケ水駅
鹿児島駅
鹿児島 IC 鹿児島西 IC
薩摩吉田 IC
鹿児島北 IC かごしま 健康の森 公園
吉野公園
旧集成館(反射炉跡等)
寺山炭窯跡
関吉の疎水溝
旧集成館機械工場
(現・尚古集成館 本館)
旧鹿児島紡績所技師館(異人館)
祇園之洲公園
鹿児島港
鹿児島新港
九
州
自
動
車
道
甲
突
川 仙
巌
園
P
0 100 200m
0 100 200m
25
下田 下田
鹿児島 下田郵便局
手之平橋 ニッセイギャラリー
とうおんかん
稲音館
がんどうばし
厳洞橋がんどう
厳洞ファーム
寺山ふれあい公園 水源地 南州翁開墾地
遺跡碑
関吉の疎水溝
「吉野疎水」関吉取水口
寺山炭窯跡
〒
小鷹神社 霊園
疎 水 溝
220
220
215
至
三
州
原
学
園
前
バ
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停
至
寺
山
公
園
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208 209
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関吉の疎水溝入口 関吉の疎水溝
入口
反射炉は鉄を熔かして大砲を造るためのもの。現在は、 1857 年に建設され、 摩在来の石組み技術で精密に造 られた2号炉の下部構造が残っている。建材の耐火レ ンガは熱に強い 摩焼の陶土を使って造られている。
※鹿児島市の構成資産は、「旧集成館(旧集成館機械工場、旧鹿児島紡績所技師館を含む)」、 「寺山炭窯跡」、「関吉の疎水溝」の 3 つです。
反射炉の土台。中央の穴 は通気のための開口部 鉄製 150 ポンド砲(復元)
世界に目を向け富 国強兵・殖産興業 を唱えた名君
1865年に完成した、日本に現存する近代工場として最 も古い建物。「ストーンホーム」と呼ばれる洋風建築だ が、一部には日本建築の様式も見られる。洋式機械や蒸 気機関を用い船舶装備用の部品等を製造していた。
集成館の工場で必要な動力(水力)を得 るために築かれた水路の取水口跡。こ こから約 7km に渡って導水。磯地区に も集成館への水路跡が残っている。
1858 年、反射炉などの燃料として用い る白炭(火力の強い木炭)を製造するた めに建設された。集成館に近く白炭に 適した木材が多いため寺山に造られた と言われる。
1867年に日本で初めて設置された洋式紡績工場であ る鹿児島紡績所で技術指導にあたった英国人技師の 宿舎として建築された。日本の洋風建築のうち、現存 する2階建住居としては最も初期のもの。
先駆的な近代化プロジェクト
集成館事業を支えた動力と燃料
日本の近代工業発祥の地
現存する日本で最も古い洋式工場
稀少な幕末洋風建築
集成館の動力水車に
水を供給
集成館で使用する
燃料を製造
しゅう せい かん
せき よし そ すい こう てら やま すみ がま あと
集成館事業
旧集成館
(反射炉跡等)
関吉の疎水溝
寺山炭窯跡
旧集成館機械工場
(現・尚古集成館 本館)
旧鹿児島紡績所技師館
(異人館)
1851(嘉永 4)年、薩摩藩の藩主となった島津斉彬は、 仙巌園敷地の竹林を切り開いて反射炉の建設をはじめました。 そして、その周辺に熔鉱炉やガラス工場、蒸気機関の研究所などの 施設をつくり、これらの工場群を「集成館」と名づけました。
集成館事業は、1858(安政 5)年の斉彬の急死により一時縮小されますが、 1863(文久 3)年の薩英戦争でさらなる近代化の必要性を感じた薩摩藩は、 イギリスとの間で、留学生の派遣や技術者の招聘を行い、
積極的な技術の導入を進めました。また、日本初の洋式紡績工場を 稼働させるなど、様々な分野で、日本の近代化に大きく貢献しました。
日本は、幕末における西洋技術の導入以来、 西洋以外の地域で初めて、かつ、極めて短期間のうちに 飛躍的な発展を遂げました。
2015 年、鹿児島の集成館をはじめとする、 日本の産業化に貢献した資産が
「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」として、 世界文化遺産に登録されました。
「明治日本の産業革命遺産」は、上記を含む計 23 の資産で構成されています。
※1 非公開施設です。敷地内への立入りはできません。写真提供:新日鐵住金㈱八幡製鐵所 ※2 写真提供:三菱重工業㈱長崎造船所
※1
※2
ヒ
ス
ト
リ
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長崎造船所第三船渠(長崎市)
長崎造船所第三船渠(長崎市) 端島炭坑(長崎市)
恵美須ケ鼻造船所跡(萩市)
恵美須ケ鼻造船所跡(萩市)
三池炭鉱宮原坑(大牟田市)
三池炭鉱宮原坑(大牟田市)
韮山反射炉(伊豆の国市)
韮山反射炉(伊豆の国市) 八幡製鐵所遠賀川水源地ポンプ室(中間市)八幡製鐵所遠賀川水源地ポンプ室(中間市)
1 2
和洋折衷で作られた内 部の屋根組
亀腹石と呼ばれる和式 の建築部位
1 1
2
1
2 2
ドアノブは の取手と同じ 位の高さにつけられている。 建築当初をイメージした 館内
1 2 1
2
島津 斉彬しまづ
せんがんえん はんしゃろ
ようこうろ じょうききかん
さつえい
しょうへい
ごだい ともあつ わようせっちゅう
ふすま かめばらいし
いしかわ かくたろう なりあきら
摩藩英国留学生 の派遣を進言し近 代化を推進
蘭学を学び反射炉 や鹿児島紡績所建 設を担当
五代 友厚
「明治日本の産業革命遺産」に含まれる 鹿児島市の構成資産
集成館とそれを支えた 動力・燃料 〈イメージ図〉
きゅう しゅう せい かん きゅう しゅう せい かん き かい こう じょう
きゅう か ご しま ぼう せき じょ ぎ し かん
石河 確太郎
集成館の様子『薩州見取絵図』より 【武雄鍋島家資料 武雄市蔵】
反
射
炉
熔
鉱
炉
水
路
世界遺産
8 県 11市 23 構成資産
幕末の鎖国下で、
日本の近代化を思い描いていた薩摩藩主・島津斉彬。 やがて外国の優れた技術に学び、
自分たちの力で反射炉を造り上げました。 今日、世界をリードする技術立国となった 日本のモノづくりは、
鹿児島から、壮大なビジョンと
たゆまぬ努力の上に築かれていったのです―。
幕末の鎖国下で、
日本の近代化を思い描いていた薩摩藩主・島津斉彬。 やがて外国の優れた技術に学び、
自分たちの力で反射炉を造り上げました。 今日、世界をリードする技術立国となった 日本のモノづくりは、
鹿児島から、壮大なビジョンと
たゆまぬ努力の上に築かれていったのです―。
幕末の鎖国下で、
日本の近代化を思い描いていた薩摩藩主・島津斉彬。 やがて外国の優れた技術に学び、
自分たちの力で反射炉を造り上げました。 今日、世界をリードする技術立国となった 日本のモノづくりは、
鹿児島から、壮大なビジョンと
たゆまぬ努力の上に築かれていったのです―。
日本で初めての
本格的洋式紡績工場が完成 英国へ留学生を派遣
西洋に技術を学ぶ
イギリス人技師たち 摩藩英国留学生
鹿児島の 主な動き
国内の 主な動き
1851
ペリー艦隊浦賀に来る
1853
明治政府誕生1868
富岡製糸場完成1872
1857
英戦争1863
1867
英国へ留学生派遣
集成館機械工場完成 集成館事業はじまる
反射炉建造に着手 鹿児島紡績所完成鹿児島紡績所技師館完成
1865
生麦事件
1862
寺山炭窯 完成 反射炉 (2号炉)完成
1852
関吉から集成館へ 給水開始
1858
西南戦争1877
関吉の疎水溝 寺山炭窯
水路
反射炉 鹿児島紡績所技師館
(異人館)
集成館機械工場
鹿児島紡績所
水車と 熔鉱炉 火力の強い 白炭を製造
白炭を用い 大砲を製造 水車を回し
風を送る 動力水車に
水を供給
崖の落差を 利用して水に勢いを
つけ水車の動力に 蒸気機関の