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第13回 インドの昆虫 「特技懇」誌のページ(特許庁技術懇話会 会員サイト)

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2011.11.17. no.263

特許技監

 

櫻井 孝

 インドに着任した当初のことは 20 年以上を経た今でも 鮮明に覚えている。自分は単身、1990 年 4 月 19 日(木)の 夕方にニューデリーの国際空港に降り立った。曜日まではっ きり覚えているのにはわけがある。木曜日に到着して、金 曜日に関係者への挨拶回りを一通り済ませれば、土日は休 みで、少しは荷ほどきなどして落ち着くことができるだろ うと考えたからだ。また、前任者の住んでいた住居は大家 さんの都合で引き継げないことがわかっていたから、早々 に自分の住む家を決めて、5 月 11 日までには前任者から引 継いだ家財道具一式を引っ越さねばならなかった。だから、 不動産業者を廻ったり、周辺の住宅事情を知るための時間 も欲しかったのだ。

 ところが、そんな目論見は到着早々すっかりはずれてし まった。

 なんと、その 4 月の末にわが国の首相がインドを公式訪 問することが決まっていて、その準備のため、自分が到着 した週の週末からインド大使館は全館休日返上で勤務態勢 を取ることが決まっていたのだ。そんなわけだから、初め て出勤した 20 日・金曜日も館員はみんな走り回って多忙 を極めており、ろくに着任の挨拶すらできない。わが国か らの首相訪印は 6 年ぶりとあって、みんなの力も入ってい た。挨拶回りどころか、自分もいきなり何がしかの仕事を 割り振られて、右も左もわからないままに準備作業の渦中 に引きずり込まれてしまった。

 おまけに、首相訪印の翌週には、ニューデリーでアジア 開発銀行の総会も開かれることになっていて、わが国から は蔵相が参加されることになっていたから、その対応も必 要だった。これだけ重要イベントが重なってしまうと、当 然の帰結として、自分の家探しを手伝ってくれるような人 はまったくいない。現地職員のサポートすらなかった。仕 方なく、早朝の出勤前の時間帯を利用して、1 人で口八丁 手八丁のインド人不動産屋たちを相手にいくつかの家を見 て廻り、無理を言うインド人大家とけんか腰で家賃の交渉 もして、なんとか期限までに住む家を決め、引っ越しを済 ませた。

 首相訪印、アジア開発銀行総会などのイベントが全て終 わってから勤務先で自分の着任歓迎会を開いてくれたが、 それまでに 1 ヵ月は経過していたと思う。当時の公使に、 なんかいつの間にか入り込んでいて、今さら新任と紹介さ

れるのはおかしな気がするなぁ、と大いに笑われたのを懐 かしく思い出す。

 さて、ニューデリーに着いた直後は、前任者の住んでい た地区にあるホテルに投宿した。到着した翌朝、初めて窓 から外を眺めた時、窓の外に広がる土漠のような赤茶けた 世界に、いよいよ地の果てに来たのか、と心細く感じたも のだ。今はもう宅地開発が進んだのかも知れないが、ホテ ルの窓はニューデリー南部の、当時はまだ開発途上の地区 に面していたから、空き地ばかりの荒涼とした景色が見え たのである。

 そのホテルで朝起きて耳に飛び込んできたのは、「ジー、 ジー」という蝉の声だった。もの悲しげなジー、ジーとい う声が、ときどき聞こえてくる。不安だらけの自分を、よ けいに心細くさせるような声だった。ホテルの部屋はたし か 10 階だったと思う。窓は開かないが、外を見回してみ

インドの昆虫

連載 13

【図1】1981年10月20日発行のインドの蝶の記念切手    Stichophthalma camadeva(ギボンズ#1019)

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たものの、ホテルの外壁に蝉の姿はない。不思議に思って 勤務先の同僚に、ニューデリーに蝉はいるのか? と聞い てみたら、蝉の声が聞こえましたか、いるかも知れません ね、との回答だった。

 でも、それはとんでもない答えだった。ニューデリーに 蝉なんていなかったのである。その理由は推測でしかない が、夏のニューデリーの気温が 50 度近くにもなることに 関係しているのではなかろうか。そんな暑さの中では、幼 虫が地面の下に何年も生きながらえることはできないので はないかと思える。

 では、いったいその「ジー、ジー」の正体は何だったのか。 何日か後になってようやくわかったのだが、それはインド 名物・オートリクシャーの警笛の音だったのである。わが 国では、まだ自分が子供の頃は車がよく警笛を鳴らしなが ら走り回っていたものだが、いつの間にか騒音防止の観点 から、車が警笛を鳴らすことはほとんどなくなってしまっ た。しかし、インドでは騒音防止などということは一切聞 かれなかった。むしろ車は警笛を鳴らすのがその役目のよ うに、ほとんど常時警笛を鳴らしながら走り回っている。 オートリクシャーも小さいながら負けじと警笛を鳴らす。 この警笛が普通の車とは異なり、ジー、ジーというような 情けない音なのだ。それをホテルの高いところで耳にした 自分は、蝉の声と聞き間違えてしまったというわけだ。わ かってしまえばなんということはないのだが、とんでもな い勘違いであった。

 さて、自分がインドに旅立つに際して不安だったこと、 心配だったことは数知れないが、そのひとつに、巨大な毛 虫、芋虫がいたらどうしよう、というのがあった。インド のことであるから、何があったっておかしくない。とにか く東京とは気候がまるで違うわけで、気温も高いのだから、 沖縄にいるヨナグニサンのように羽を広げたら 10 数セン

チというような巨大な蛾がいるかも知れず、そうなればそ の幼虫はさぞかし立派な芋虫であるに違いない。そんなの が庭の木にでもたくさんぶら下がっていたらどうしよう、 と勝手に心配していた。

 しかし、ニューデリーで 3 年を過ごしたものの、ついに 1 度も芋虫にも毛虫にもお目にかかることはなかった。こ れもおそらくは激しい気候が影響しているのかも知れな い。インドで出会った昆虫で確実に記憶しているのは、蚊 とハエと、ゴソゴソ這い回るあのどんな環境でも棲息でき る黒いヤツらだけである。インドの気候は、まともな昆虫 も暮らせないほどに過酷だということであろうか。  そんなわけだからか、インドの切手に昆虫はほとんど登 場しない。きれいな昆虫切手は切手愛好家に人気が高いか ら、どの国でも切手の図柄にはよく登場する。しかしイン ドではそうはいかないらしい。マラリヤ撲滅の観点から、 蚊が図柄に使われることはあったが、それは昆虫切手のマ ニアも敬遠しそうである。

 それでも、インドは広い。砂漠か ら森林地帯、ヒマラヤに連なる山岳 地帯まで、非常に変化に富んでいる。 だから、インド全土を見渡せば、そ れなりに昆虫もいるのであろう。自 分がインドに暮らした 1992 年までの 間に、たった 1 回だけ、4 種類の蝶の 切手が発行された。昆虫の中でも蝶 の切手は愛好家も多いから、たくさ ん出せばそれだけ外貨も稼げると思 うのだが、その後シリーズ化される こともなく、たった 1 回だけの発行で 終わってしまった。

 このきれいな蝶の幼虫がどんな姿を しているのかはあまり想像したくはな いが、過酷なインドの地にもこんな可 憐な昆虫が生きているのである。 【図5】 1955年1月26日(インド共和国記念日)に発行された第2次普通

切手シリーズのうちの1枚で、マラリヤ予防を訴えた切手(ギボ ンズ#361)

【図3】同Cyrestis achates

参照

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