• 検索結果がありません。

平成24年度第3回議事録(平成24年9月26日) 文化財審議会 議事録|浦安市公式サイト

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2018

シェア "平成24年度第3回議事録(平成24年9月26日) 文化財審議会 議事録|浦安市公式サイト"

Copied!
7
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

平成 24 年度第3回浦安市文化財審議会議事録(議事要旨)

1 開催日時 平成 24 年9 月 26 日(水) 午前 10時~12時 2 開催場所 郷土博物館 視聴覚室

3 出 席 者

(委 員)平野委員長、平野(敏)副委員長、杉山委員、丸山(光)委員、丸山 (純)委員、吉田委員

(事務局)黒田教育長、加藤生涯学習部次長、飯塚館長、斎藤主幹、島村、林(記)、

(傍聴人)なし 4 議 事

(1) 「博物館まつり」の開催結果報告について

(2) 史跡表示板(「富士塚」3ケ所と「町役場跡」)について(検討) (3) 「ふるさと浦安作品展」の視察と意見聴取

(4) その他

・「浦安市生涯学習推進計画骨子(案)」について(報告) 5 会議経過

会議に先立ち、平野委員長、黒田教育長の挨拶があり、議事に入った。

(1)「博物館まつり」の開催結果報告について 配布資料をもとに事務局より説明した。 主な質疑・応答については、下記のとおり。

(委 員) 多くの来館者があったとのことだが、夏は図書館利用者も多いので、 駐車場がいっぱいになってしまったのではないか?

(事務局) 駐車場に関しての苦情などは、特になかった。

(委 員) 子どもたちが自主的に動けるように仕掛けていくということはとても 大変だったことと思う。大学でも、コラボレーション力や企画力、イベ ント を つく っ てい く 力な ど を重 視 して プ ログ ラ ムを つ くっ て やっ てい るが、それを子どもたち対象にやっているということになる。子どもた ちにとっては、大変貴重な体験で、将来この体験が絶対に生きてくるだ ろう。

(委 員) 大学生の就活にも、直接つながってくることだと思う。二十歳を過ぎ ても、こういうことを一度もやってこない子は多くいる。初めて会った 人と話もできないような状態で大学を卒業するようなこともあり、就職 活動で非常に苦労をしている状態である。そういう意味でも、子どもの うちからこういう体験をする機会を与えるというのは、非常に良いこと だ。もう少し、スタッフの数が増えるといいのだが。

(委 員) 「高学年の子が少なく、3年生が多い」という話だったが、子どもた ちの な かで リ ーダ ー シッ プ をと る よう な 子は 自 然に 出 てく る もの なの か?

(事務局) 6年生の子が1名いて、自分でもリーダーをやりたいということだっ

(2)

たので、その子にお願いした。その下に、南小学校の5年生が2人おり、、 その子たちは館の「子どもチャレンジ」上級者コースに挑戦しているな ど、博物館をよく利用している子たちだった。6年生のリーダーをその 2人の5年生が補佐する形で、うまくまとまっていった。

学年も学校もバラバラの子どもたちであるため、溶け込めない子がで たり 、 グル ー プ割 れ した り して し まう の では な いか と 心配 し たが 、12 名という人数はちょうどよい人数であった。このくらいの人数だと、お 互いに名前と顔を把握しきれ、作業上も班分けをする必要もなく、自然 に役割分担しながら進めることができ、よかったと思う。

(委 員) アンケート集計表をみると、来館者も浦安の全地域から来ていること がわかる。一部の地域にかたよらず、全体まんべんなく来ているという ことがよかった。

(委 員) 多くの来館者がある地区というのは、実は子どもスタッフたちがいる 地区にあたっている。子どもスタッフが決定した段階で、全員の顔写真 と名前を入れたポスターをつくり、公民館など市内施設に掲示している。 また、博物館まつりのポスターを子どもスタッフに描かせ、自分が描い たポスターを持って、自分の住む地域の施設に行き、貼ってもらえるよ うに自分でお願いにいく、ということもやった。

そういう効果がでているものと思われる。子どもスタッフが、自分の 友だちを誘っていることもあると思うが、やはり、自分の知っている子 がやっているということで、その地区の子たちが多く来館しているので あろう。「子どもが、子どもを呼んでいる」と言えるのではないか。 (委 員) 入場者数に比べ、アンケートの回収枚数が 50 枚というのは少なすぎ

るように思われるが、なかなか記入してもらえないものなのか? (事務局) どんなイベントでもいえることだと思うが、「アンケートに協力する

と、何かがもらえる」というように、オマケがつけば回収率も高くなる。 単に「協力してください」と声掛けするだけでは、なかなか記入しても らえない。体験教室や学芸員講座でも、用紙を渡して、「アンケートを 提出してください」と言うだけでは、回収できるのは半数以下。例えば、 夏休みに開催している勾玉教室などでも、「できあがった勾玉を先生に 見せて、アンケートを出した人は帰ってもよい」というやり方にしてい る。そうすると、全員が必ずアンケートを提出する。大人対象の講座・ 講演会でも同じ状況であり、まして、今回の祭りのような館全体のイベ ントでのアンケート回収は、さらに難しいものである。

今回は、これでもよく集まった方であろう。子どもスタッフたちが、 終了時間近くになると、出入口に立って「アンケートにご協力ください」 と直接お客様に用紙を渡して頼んでいた。子どもから直接手渡されたお 客様が、協力してくださったのだと思う。

(委 員) 「職場体験」という目的もあった、という話だったが、子どもたちに とっては、どういう職場体験になったのか? 担当者からみて、博物館 をどう理解してもらったと感じるか?

(事務局) スタッフとして申し込んでくるくらいの子どもたちなので、もともと

「博物館が好きな子」、あるいは「博物館を楽しいところだと思ってい

(3)

る子」ばかりであった。そういう子たちが、「楽しい博物館をつくるの には、裏方ではこれだけ大変な準備や努力が必要なのだ」ということを、 まつりの準備をしていくなかで、実感したのではないかと思う。ただ、 今回のまつりの内容(各コーナー)そのものは、テーマ展示室のクイズと アサ リの 貝 殻を 使っ た工 作( アサ リ でつ く るあ っさ り 君) コー ナ ー以 外 の部分は、「博物館の収蔵資料を使ったもの」・「博物館でなければでき ないもの」ということではなかったので、博物館という施設の機能その ものへの理解へ直接つながったかというと、まだまだ内容によって工夫 の余地があるとは思っている。

(委 員) 今回の「テーマ展示室を見てクイズをつくった」というところだけで も、十分に評価できることだと思う。

(委 員) この来館者アンケートの集計を、何かで公表するというようなことは ないのか? せっかくの声なので、皆さんに知ってもらいたいと思うが、 子どもスタッフの保護者の方などには見ていただいているのか?

(事務局) アンケート結果を一般公開するようなことは、これまでもやってきて はいない。

子どもスタッフ、またお手伝いいただいた大人ボランティアの方々に は、これらの集計結果はお送りして、見ていただいている。

集計表のままだと、%の表示など子どもたちでは難しく理解できな いと思い、子どもたち用にわかりやすく編集しなおしたものを送ってい る。

来館者のほかにも、まつり終了後に、子どもスタッフ・大人ボラン ティアそれぞれからも、今回の活動全体についてのアンケートを書いて もらっている。そのアンケートのなかで、大人ボランティアには「子ど もスタッフたちへのメッセージ」を、子どもスタッフには「大人ボラン ティアの方へのことば」を、それぞれ記入する欄を設けた。アンケート に記入されていたことをまとめたものを、それぞれに送っている。つま り、子どもたちには「大人ボランティアからのメッセージ」を伝え、大 人スタッフには「子どもたちからの感謝のことば」が伝わるようにした。

子どもスタッフも、大人ボランティアも、それぞれ自分たちのやった ことの成果をアンケート集計によって確認できるようにしている。

(2)史跡表示板(「富士塚」3ケ所と「町役場跡」)について(検討) 配布資料をもとに事務局より説明した。

富士塚3ケ所については、それぞれの写真を確認いただき、傷みの少ない「稲 荷神社」「清瀧神社」は修復の必要がないことを了承いただいた。「豊受神社」に ついては、傷みは見られるものの、文字が見えない状態ではない。見栄えを考え ると、手づくりパネルをつくって、ここに貼りつけるよりも、しばらくはこのま まにしておき、予算を確保できた段階で作り変える方がよいのではないか、とい うことを提案した。この点について、特に意見はでなかった。

富士塚以上に傷みの激しい「浦安町役場跡」については、文字が読める状態で はないので、手づくりパネルを設置したく、文案の検討をお願いしたいと説明し、 審議に入った。

(4)

初めに、配布資料の訂正事項を説明した。新案の 14 行目、「明治四十四年(一 九〇九)」となっている西暦を「一九一一」に訂正した。また、その行の下部「銅 版葺平屋建て」という部分を「瓦葺」に直すかどうかについて、検討いただいた。

『浦安町誌』上巻には、「銅板葺」とあるが、他の刊行物などでは「瓦葺」と なっているものも多い。大正6年に書かれた『浦安町史』では、「瓦葺」となっ ている。写真を見る限りでは「瓦葺」が正しいように思うが、どちらにすべきか、 意見をいただいた。

(委 員) 最初は銅板葺で建てたが、戦争で銅板を供出することなどがあり、後に 瓦葺に葺き替えたということも考えられる。しかし、写真は明らかに瓦葺 なので、「瓦葺」にしておいてもよいのではないか。

(事務局) そのほか、わかりやすくするために文章全体を書き換えた。現在のもの は、郷蔵跡ということや小学校校舎として使われていたこと、その間の町 役場の移動のことなど、多くの情報が時系列に盛り込まれすぎていてわか りにくいかと思い、少し情報を整理して組み換えてみた。ご意見をいただ きたい。

(委 員) 3行目の郷蔵についての( )の説明書きが、「幕府に収める年貢米を 貯蔵する」とあるが、幕府とは限らないので、幕府は削除した方がよい。 また、郷蔵は、年貢米だけなく、飢饉・凶作に備えての備蓄米を納めると ころでもあるので、余裕があるのであれば、そういうことを入れてもいい かと思う。「幕府に納める」というところを削除し、「年貢米を貯蔵する倉 庫」とするのが、無難であろう。

(委 員) 具体的には、「年貢米や備蓄米を貯蔵する倉庫」となるのか?

(事務局) 「備蓄米」という言葉が少し難しいので、「年貢米を貯蔵する倉庫」にし たいと思うが、よろしいか?

→ 委員全員 「年貢米を貯蔵する倉庫」にすることで、了承した。

(委 員) 最後の行の「当時の面影をわずかに残すのみとなりました」とあるが、 どこに当時の面影を残すのか?表現を少し変えた方がいいかな、と気にな った。「境川」は今も流れているので、「境川」に触れた言い方で終わるの がいいのではないか。

(事務局) 記念碑とは少し離れた場所に表示板が建っているため、記念碑という 言葉をはずしてみたのだが、いい表現がないか検討する。

(委 員) 町役場の写真についてだが、私の記憶のなかでは、町役場の三角屋根 が浜野医院の屋根に似ていたようなイメージがあるため、銅板だったよう な気もするのだが。

(委 員) 浜野医院の屋根は、スレート葺である。

(事務局) 大正6年に書かれた『浦安町誌』には、「瓦葺」と記載されているため、 これを根拠に今回は「瓦葺」にしようと思う。増改築が何度も繰り替え されているので、記憶の中のイメージと異なるのだと思う。

(事務局) 文面は、今日決定しなくてはいけないというものではないので、じっ

(5)

くりご検討いただければと思う。例えば、「この土地は、新井甚左衛門 他六十七名の共有地であったが、無償で寄付したものである」という文 章を新案では削除している。皆さんで議論していただいた結果、削除し た方がよいということになればかまわないのだが、そのあたりももう少 し検討しなければならないところだと思っている。

(委 員) 確かに、贈呈していただいた方の名前を消してしまうというのはどう かとも思う。

(委 員) コンテンツをここで審議するのはよいと思うが、それ以上に史跡表示 板の材質や耐久性などをよく考えなければならない。他地域にも、こう いう説明板はよくあるので、委員の皆さんにも気にとめて見ていただい て、「こういういいものが○○にあったよ」ということになれば、博物 館にお知らせするようにしたらいいのではないか。私は、市ヶ谷の江戸 城のところにあったものがよかったという記憶があるので、確認にまた 行ってみたいと思う。

業者の見本は当然新しいものなので、10 年、20 年経つとどうなるか という経年変化を確認することはできないため、難しいところもある。 と思うが。日当たりなど、設置してある場所の環境にもよる。

(事務局) 次回の会議にむけて、この文案を作り直したいと思うが、先ほどの「新 井甚左衛門他六十七名の共有地であったが、無償で寄付したものであ る」という文章を入れるかどうかということについて、もう少し委員の 皆さんのご意見をいただきたい。

「新井甚左衛門他六十七名」についてだが、この方々がどういう方 なのかというと、大三角や東野の萱場の株を持っていた方々だと考えら れる。町誌などに書かれていないためハッキリとはわからないが、旧宇 田川家住宅の2階に残っていた明治期の古文書類のなかから、この萱場 の権利についての資料がいくつか出てきている。それらによると、明治 22 年に3ケ村が合併するにあたって、それぞれの村の財産、共有地な どをどうするのかということについて、かなり議論されているようであ る。特に、大三角・東野などの萱場は堀江村に属するため、堀江村にと っては大きな問題であったはずだ。萱場については、その土地の所有と いうことではなく、萱を刈り取る権利をもつ「株制度」があったようだ。 この「新井甚左衛門他六十七名」というのは、その株の持ち主たちであ ろうことが、古文書類からわかっている。六十七名それぞれの名前が記 された記録もある。町役場があった土地そのものについて書かれた資料 は見ていないが、3ケ村合併の際に、萱の株を持つ人たちが合併後もな んとか権利を存続させたいという思いでいたことは想像でき、村民の話 し合いのなかで、なんらかの条件に基づいて町役場の土地を無償提供す る、ということになったのではないかとも考えられる。

「一個人が善意で寄付をした土地」ということとは、意味合いが違う と考え、新案ではこの部分を削除して提案した。

(委 員) 今の説明を聞くと、歴史的経緯があることのようなので、むしろ残した 方がいいのではないか。

(委 員) これは、個人のことではないですね。「共有地」とあるので、個人が持っ

(6)

ていたというよりは、村が持っていた土地ということだと思う。江戸時代 から明治に移行して、意味合いが少し変わってきたということもあるだろ う。

(委 員) 「村民の共有地」といういい方にしたらどうか。

(委 員) 「村民の共有地」・「村の共有地」としてしまうと、少し意味が違ってし まう。「村全体のもの」というわけではなく、あくまで「萱場の株(権利) をもった堀江村の一部の人たちの共有地」ということである。堀江村のな かでも、萱の株を持っている人と持っていない人との間で争論になってい るような記録も残っているため、表現に悩むところだ。

(委 員) その株を持っている人たちの呼び名はないのか?

(事務局) 後々、東野の萱場を管理する「東野組合」というものになっていくよ うだが、ずっと後のことになる。当時の記録には、特に名はなかったよう だ。

(委 員) この辺りは、かつてはすごくいいヨシがとれた。だから、夏になると、 みんな買いに来ていた。大きな伝馬船で取りに来て、売買をしていた。 萱場は、葛西の方とか浦安の一部の人が株主のようになっていて、権利 をずっと持っていた。埋め立てになっても、その権利というものは、配 分された。萱場を絞っていた人、「絞っていた」というのは、我々の言葉 で「守っていた」という意味だが、その守っていた人たちに対しては、 埋め立て後もその権利は土地として配分されたようだ。だから、今の東 野地区にあたるが、葛西の人たちの名字がいくつか見受けられる。

我々は農業をやっていたので、秋になると頼まれて、ヨシ刈りによく 行ったものだ。萱場を守っていたそういう人たちの頭になっていたのが、 新井甚左衛門さんだったのかどうかまでは、わからない。

(委 員) これらは、どう調べてみても正確なことはわからないと思うので、「文 章は、このまま変えない」ということにするしかないと思う。

これ以上、調べようもないと思う。そういうふうに解釈されてきたも のなのだから、書き方によってもニュアンスが微妙で意味が変わってし まうこともあるかと思う。「変えない」という方向でいくしかないのでは ないか。

(委 員) 現在の表示板の文章を読んでも、前後関係がよくわからない。この土 地が寄付されたのは、いつのことなのか? 村役場がここに移転されたと きに寄付された、ということだろうか?

(事務局) 『浦安町誌』を読んでみても、そのあたりのことは全然わからない記 述になっている。

(委 員) 浦安村成立の問題になってくるのだと思う。こういうことはどの地域 でもあることで、難しいところである。

(事務局) いろいろとご意見をありがとうございました。次回の会議まで、委員 の皆様にもこの部分をどうすべきか、さらにご検討いただければと思い ます。事務局でも、入れる形で文案がつくれるかどうか、やってみたい と思いますので、次回も引き続きご審議をよろしくお願いいたします。

(7)

(3)「ふるさと浦安作品展」の視察と意見聴取ついて

議事進行の都合上、展示については、会議終了後、企画展示室を見学いただ きながら、意見聴取を行った。

各作品について、それぞれ感想などをいただいた。

(4)その他

生涯学習部加藤次長より、「浦安市生涯学習推進計画骨子(案)」についての 説明・報告があった。

委員からは、特に質問がでることはなかった。

※ 次回会議日程について

平成24 年度第4 回浦安市文化財審議会は、11 月21 日(水)に開催する予 定である。

参照

関連したドキュメント

2020 年 9 月に開設した、当事業の LINE 公式アカウント の友だち登録者数は 2022 年 3 月 31 日現在で 77 名となり ました。. LINE

の見解では、1997 年の京都議定書に盛り込まれた削減目標は不公平な ものだったという。日経によると、交渉が行われた 1997 年時点で

第16回(2月17日 横浜)

北区では、区民の方々がよりスポーツに親しめるよう、平成

一度登録頂ければ、次年度 4 月頃に更新のご案内をお送りいたします。平成 27 年度よ りクレジットカードでもお支払頂けるようになりました。これまで、個人・団体を合わせ

 医療的ケアが必要な子どもやそのきょうだいたちは、いろんな

第1回 平成27年6月11日 第2回 平成28年4月26日 第3回 平成28年6月24日 第4回 平成28年8月29日

会  議  名 開催年月日 審  議  内  容. 第2回廃棄物審議会