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(1)

「ヒロシマのうた」研究(1)

著者

遠藤 仁, 大谷 航

雑誌名

宮城教育大学紀要

52

ページ

1- 8

発行年

2018- 01- 31

(2)

「ヒロシマのうた」研究(₁)

1

* 遠 藤   仁・

2

** 大 谷   航

A stylistic study of "Hiroshima no Uta"

ENDO Hitoshi and OTANI Wataru

要 旨

本稿は、今西祐行著「ヒロシマのうた」の文体的側面に焦点をあて、その名文といわれる所以を明らかにすると ともに、今後の授業実践に向けて授業者としてあらかじめ踏まえておくべき知見を語学的観点から整理しようとす るものである。

Key words:国語科教材、文学的文章、語り、文体、語句と表現

₀.はじめに

東京書籍『新編新しい国語六』(2017)所載の「ヒロ シマのうた」は、18ページに及ぶ長文であり、まさに 小学校国語科の学習を締めくくるにふさわしい質と量 とを兼ね備えた珠玉の名文と言ってよい。教科書の該 当ページを開くと、タイトルの配された扉には「わた しは、じっと窓の外のとうろうを見ながら、あの日の ヒロ子ちゃんのお母さんの話をしました。」の一文に 添えて、じっと掌の名札を見つめるヒロ子の挿絵が描 かれている。本教材は、昭和52年版『新編新しい国語 ₆下』に採択されて以来、現行の教科書に至るまで長 く読み継がれてきた。よく知られているように、本教 材は昭和33年₈月₇日発行の朝日新聞ジュニア版に掲 載された1500字あまりの短編小説「原子雲のイニシャ ル」がもとになっている。その内容は、原爆が投下さ れた直後の広島における私と赤ん坊のヒロ子との出会 いの場面を中心に描かれたもので、いく度かの改稿を 経て現行教科書所載の本文に至ったものとみられる。 改稿の経過については稿を改めて報告する予定である

₁*  初等教育教員養成課程子ども文化コース ₂** 白石市立白川小学校

が、この文章が時を超えて読み継がれるにふさわしい 価値を有することは疑う余地もなく、本稿ではその理 由の一つを卓越した表現形式・表現方法に裏打ちされ た文体的特性に求め、その実相を明らかにしていくこ とを目的とする。

₁.名文とは何か、なぜ名文が求められるのか

(3)

しさを間接的に物語るものとみられよう。語学的な立 場からすれば、ことばが社会的承認を背景とした記号 の体系であり、文章がなんらかの意図や内容を他者に 精確に伝えようとするものである以上、ある意図や目 的にそって明瞭かつ効果的に伝達できなければならな い。もちろん宣伝文や解説文などの実用的な文章か、 エッセイや小説のような文学的文章かといったジャン ルの違いに応じて、選択される言語要素やその配列の 仕方にも違いが生じ、それらの相互作用によって醸し 出される文体的特徴も異なってくるだろう。ただ、確 かに言えることは、どのような内容、目的のもとに書 かれようとも、読み手に明確に意図の伝わる「明晰さ」 を備えていなければ意味がない。いわば文章のもつ「含 み」や「余韻」とは対極をなすものであるが、先にも 述べたように「名文」の本質や読み手に与える表現効 果等を客観的に把握することが困難である以上、語学 的な立場でいうよい文章の要件は、なによりも「明晰 さ」を優先せざるをえないのである。

その一方で、読み手により評価にぶれが生ずるにせ よ、叙述や描写の優れた文章は読み手に深い感銘を与 え、心に残ることもまた確かである。同じことを伝達 するのにも、日本語表現には多様な表現形式や表現方 法があり、なぜ書き手はこの文脈でこの表現形式や表 現方法を選択したのかといった点に注意を払いながら 豊かな読み手を育んでいくことは、その蓄積を応用し うる豊かな書き手を育むことにもつながるだろう。言 語形成期にある児童は、語彙とその意味、語彙連結(コ ロケーション)のありようから、自己のことばの体系 の網の目を細かくし、運用の方法を学んでいくのであ り、言語形式と表現方法については、まずもって良質 な「型」の習得を繰り返し行なわせることが肝要とな る。教材に「名文」が求められる所以である。

₂.名文を支える表現形式と表現方法

以下では、東京書籍『新編新しい国語六』(2017)所 収の「ヒロシマのうた」本文を拠りどころとしながら 名文を支える表現形式・表現方法に言及していく。本 文中に指示するページ・行は、当該教科書にもとづく ものである。なお、冒頭部分は内容的に遠藤仁(2017) と重なる部分があることをお断りしておく。

₂.₁.手際よく示される舞台設定と文章の性格

本文は「わたしはそのとき、水兵だったのです。」 (p.152 l.1)との重い一文で始まる。学校文法に即して

言えば、ことばの単位は「単語」「文節」「文」「段落」 「文章」の順に大きくなり、単位が大きくなればなる

ほど研究も教育も難しくなる。「段落」は、「文章」に 次いで大きな単位であり、複数の文から構成されるの がふつうである。しかし、冒頭の一文は、文単独で一 段階上の言語単位と同じ資格をもつという意味におい て重いのである。「わたし」は視点人物であると同時 に語り手でもあり、「わたしはそのとき、水兵だった」 と「~た」止めの過去の事実を「~のです」とノダ文で 統括することにより、語り手が既知の内容をそれが未 知である聞き手に対して、時系列に沿って遠い記憶の 断片を呼び覚ましつつ、やさしく教え諭すような口調 で語っていく。文末の「です」は聞き手意識の現われ であり、遠い過去の断片的な記憶をゆっくりと回想し ながら、穏やかにやさしく読者に語りかけるのであろ う。すなわち、この文章は「わたし」が十五年余りの 歳月の流れを振り返りながら一人称の視点で語るスタ イルをとるため、基本的に時系列に沿った展開となっ ている。そのことはまた「時」を表わす語句や表現が、 場面の推移や転換に深くかかわることも意味してい る。「語り」であれば、当然、使用される用語は和語 中心で、口語性の強いものが基調となろう。このよう に冒頭の一文は、人物の属性のみを示しているようで ありながら、実はこの文章そのものの性格を端的に表 わしているのである。

次の段落では「時」と「所」が語られ、冒頭の二段落 で、文学的文章で重要とされる三要素「時」「所」「人 物」がすべて提示されることになる。

₂.₂.広義の類義的表現による畳みかける描写

(4)

かけるような描写は、原色鮮やかな油絵風の作品世界 をリアルに脳裏に呼び覚ます手法である。

第₄・₅段落は、さらに表現技巧が凝らされている。 「ああ、そのときのおそろしかったこと。広い練兵場

の全体が、黒々と、死人と、動けない人のうめき声で、 うずまっていたのです。」(pp.152-153)「やがて東の 空がうす明るくなって、夜が明けました。わたしたち は、地ごくの真ん中に立っていました。ほんとうに、 足のふみ場もないほど人がいたのです。暗いうちは見 えませんでしたが、それがみなお化け。目も耳もない のっぺらぼう。ぼろぼろの兵隊服から、ぱんぱんにふ くれた素足を出して死んでいる兵隊たち。べろりと皮 をはがれて、首だけ起こして、きょとんとわたしたち をながめている軍馬。だれも話している者はありませ んでした。ただ、うなっているか、わめいているばか りです。そして、まだまだ、町の方から、ぞろりぞろ りと、同じような人たちが、練兵場に流れてくるので す。」(p.153)と、二重線で示した冒頭の体言止めの一 文が以下の複数の文で詳述されるのであるが、全体に 「死」や「苦しみ」を連想させ、「恐ろしさ」を象徴する 語句がちりばめられていることに気付く。「お化け」 「のっぺらぼう」「兵隊たち」「軍馬」と体言止めによ

る列挙法で提示された叙述は、「だれも話している者 はありませんでした。」の短い一文で受け止められて いる。のみならず波線の語句は、それが半端な数では ないことを語句や表現を変えながら畳みかけるように 叙述するのである。こうした描写法は、一つの情景を 故意に分解し、「ああ、そのときのおそろしかったこ と。」の一文で象徴される状況を点描的に積み上げて 描写することにより、より印象深く読み手に伝える表 現効果をもたらしている。職業作家は、文章のリズム を崩したり、くどさをもたらしたりすることのないよ うに同じ語句や表現を近くで繰り返すことをしない。 例えば、視覚でとらえた描写を基軸としながらも、時 に「うなる」「わめく」のように聴覚に訴える表現を用 い、五感で感じ考えさせる表現法をとるのも、より印 象深く伝えるめの工夫といえよう。また、聴覚的表現 は、「だれも話している者はありませんでした。」と声 なき死者と対義的対応関係をもつことから、死という ものの恐ろしさをいっそう強調することになる。この 場面においては、オノマトペが多用されていることも、 感覚的かつイメージ豊かに伝える意味において有効で

あろう。

第₆段落から第11段落でも「赤くにごった水」「焼 けただれた」「毒薬」「動かなくなっていく」「やけど」 「死ぬ」など恐ろしさを象徴する語句が多用されるの

みならず、「『水を飲ましちゃいかんぞ。やけどし ているやつに水を飲ませると死ぬんだから。』(p.153 l.12)「わたしたちは止めませんでした。水を飲まなく ても、間もなく死んでいくのですから。」(p.153 ll.14-15)と倒置法が用いられる。倒置法のように、よく知 られた修辞法であっても、その表現効果を説明するの はたやすいことではない。しかし、それこそが知識を 超えた言語感覚なのであって、₆年生であれば自分の ことばで説明できることが望ましい。なお、ここでも 「死んでいく」「死体」など恐ろしさを象徴する語句、

第10段落では「ごろごろ転がっている」という数の多 さを象徴する語句がみられる。

第12・13段落は、「一日目は」という時をあらわす ことばで始まる。上述とのかかわりで、「死体」「不気 味」という恐ろしさを象徴する語も見えるが、「夜に なると、まだ燃え残っている 火で町の空は赤く、そ の赤い空の色が、クリークの水にうつって、まるで血 の川の色をしていました。ずるりと焼けただれた人の はだににじんだリンパ液も、不気味に光ってうごめい ているのです。」と火や死・苦しみを象徴する語句が 畳みかけるように用いられる。

第14段落は、「その夜」と時をあらわすことばで始 まり、第29段落(p.158 l.4)のまるで生きているとしか 思えないような母親の力、すなわち子への愛情に胸を 打たれつつも、死にゆく母親から赤ちゃんを抱き取り、 たまたま行き逢った夫婦に赤ちゃんを託す場面におい ては、「赤んぼう」「ミーチャン」「ミ子ちゃん」「この 子」などが合わせて26回、「お母さん」「女の人」「母親」 は18回との頻度であり、スポットライトのあてられて いる素材は、繰り返しイメージ化されて文章中に登場 する。一見、くどさを感じさせるかもしれないが、場 面をより鮮明に描写しようとする意図の現われにほか ならない。

₂.₃.類型化された心理描写

(5)

見てちょうだい」など時系列に沿いつつ行動描写主体 の文章から学習が始まる。多くは類型的展開の構造を もち、繰り返しの表現が多用され、文章自体にリフレ インの多いわらべ歌のようなリズムを内包している。 入門期の国語科教育においては、今や地域語的発音の 矯正は必要ないだろうが、幼児語的発音を正し、日本 語文章のもつリズムに慣れさせる意味で音読が重視さ れるが、まさにそうした学習に適した文体的特徴をも つ教材が用意されている。中学年では「サーカスのラ イオン」のような行動描写を主軸とした文章、高学年 に至り、本稿で扱う「ヒロシマのうた」のように行動 描写に心理描写が加味された、一般向けの小説とあま り変わらない組成の文章が扱われるようになる。大人 であっても行動描写が主体となるサスペンス小説・推 理小説が読みやすいが、心理描写の多い純文学作品は 読むのに骨が折れると感じられるのが一般的だろう。 それは行動描写主体の文章は、そもそも一連の行動が 時間の概念を含むため、展開の予測が容易であるのに 対して、人間の心理は曲折があり、先の展開を予測す ることが難しく、その分だけ読み手に負担がかかると いう事情が考えられる。心理の流れを読み取らせるこ とは、たとえ語句や表現を根拠として見出させるにせ よ、レベルの高い学習であることは、改めて確認され てよい。今西のような子どもの目線をよく知る書き手 は、この心理の流れを巧みに類型化している。原爆の 投下された夜、焼け野原で赤ん坊を抱いた母親に遭遇 した私は、「しっかりするんだ。お母さん、しっかり しなきゃ……。」(p.155 l.16)と「励まし」の言葉がけ をする一方で、「わたしは、このままにして、立ち去 れなくなりました。といって、どうすればいいのか、 さっぱり分かりません。」(p.156 ll.4-5)と「途方に暮 れる(迷い)」とともに、「軍医のいる所へ連れていっ たらいいものかどうか、そんなことに迷いながら、いっ たんテントに帰りました。」と「迷い」、やがて「わた しは、赤ちゃんをだき取りました。」(p.156 l.12)、「だ いじょうぶですよ。お母さん、わたしが預かります。」 (p.156 l.15)、「わたしはその赤ちゃんをだいて、駅の

方へ走りました。」と「決心」そしてそれに連動した「行 動」が描かれている。その「決心」から「行動」に移ら せた契機は、「そのときの、固くだきしめた冷たいお 母さんの手の力、わたしは今もまざまざと思い出すこ とができます。わたしは何度も、お母さんから赤ちゃ

んをうばい取るような気がして、気がとがめ、考えこ みました。その手は、生きているとしか思えませんで した。」(p.156 ll.12-14)とまるで生きているとしか思 えない子を抱きしめる母の手の力、母親の子を思う愛 にわたしが胸を打たれる場面であるが、ふつうに書け ば「わたしは、そのときの固くだきしめた冷たいお母 さんの手の力を今もまざまざと思い出すことができま す。」とでもすべき目的語の部分を倒置風に特立し、「手 の力」を体言止めとする叙述には「わたし」の感動が いかに深いものであったかを物語るに充分である。そ れは「今もまざまざと思い出すことができます」と畳 みかけ、行動に移すに際し「気がとがめ」「考えこ」ん だことが重ねて叙述されることにより、第三者が容易 に介在しがたい親子の情愛の深さを示すとともに、「わ たし」の決心とそれに連動した行動がいかに確固たる 意志にもとづいたものであったかを「だいじょうぶで すよ。お母さん、わたしが預かります。」(p.156 l.15) の台詞とともに鮮明に描き出している。それゆえ、「わ たしは大急ぎでテントに帰ったのですが、もう食事が 始まっていました。わたしは、どこへ行っていたのか と聞かれて、兵長にしかられ、ひどくぶたれました。 なぜか、わたしは赤ちゃんのことを話しませんでし た。」(p.158 ll.1-3)では、兵隊としての規範や規律を 度外視してまで大切にしたいと念じた親子の情愛、そ れはいかなる状況・立場であろうとも決して失っては ならない、人としてのあたりまえの心のありようを「な ぜか」というぼかした書き方をすることによって、「戦 争ということが、こんな悲しいものであることを、そ のとき初めて知りました。」(p.158 l.4)と兵隊であり ながら改めて深い悲しみをもって戦争というものを見 つめる「わたし」の眼差しを鮮明化していると言える。

₂.₄.巧みに仕組まれた語彙の対応関係

(6)

子母子との再会を約す場面であるが、語彙の張り合い 関係を巧みに利用した技巧の妙味にうならざるをえな い。すなわち、

⑴戦争が終わって、七年目のある日、わたしはラ ジオから聞こえてくる言葉に、はっとしました。 それはたずね人の時間でした。(p.158 ll.6-7) ⑵「……さんが、広島の練兵場で、赤ん坊を、リヤ

カーを引いていく家族の人に預けた海軍の兵士 のかたを探しておられます。」と言うのです。ま さかと思いました。(p.158 ll.8-10)

⑶それに、初めのほうを聞きもらしているので、た ずねている人の住所も分かりません。(p.158 ll.10 -11)

⑷でもわたしは、もうすっかり忘れていたあの日の ことを、急にまざまざと思い出しました。(p.158 l.12)

⑸初め、何だかあのお母さんが、探しているような 錯覚を起こしました。(p.158 ll.13-14)

⑹でもわたしは、あのときミ子ちゃんをたのんだ人 の顔は、どうしても思い出せませんでした。(p.158 l.15- p.159 l.1)

⑺わたしはふと、あのとき、お母さんの胸からも ぎ取った名札を、あのころの手帳といっしょに だいじに持ち続けていたことを思い出しました。 (p.159 ll.4-5)

⑻長い間かかって、それを探し出すと、わたしは放 送局へ行って、たずねてきている人の住所を教 えてもらいました。たずねている人の名前は女 の名で、住所は島根県になっていました。」(p.159 ll.5-7)

⑼すると、すぐに返事が来ました。それには意外な ことが書いてありました。(p.160 ll.2-3) ⑽果たして、あのときの兵隊さんが生きていらっ

しゃるかどうか、また、たとえお元気であっても、 あのときのことなど、覚えていて、返事をくだ さるかどうか、それほど当てにもしていなかっ たぐらいです。」(p.160 ll.4-6)

と傍線を付した部分について整理してみると、⑶の 「分からない」と⑷の「忘れる」とは同義的対応をもち、 「忘れて分からない」からこそ、⑴⑶⑻の「たずねる」、 ⑸の「探す」、⑻「教えてもらう」とは意味上の連鎖関 係をもつことになる。また、⑷「忘れる」に対して、

以下の⑴「はっとする」、⑵「まさかと思う」、⑷⑹⑺ 「思い出す」、⑼「意外だ」、⑽「覚えている」は対義的 な対応関係をもつ語群であり、同義的な語群は相乗効 果をもって強調し、より深く印象付ける表現効果をも つのに対し、対義的な語群は両者の意味をいっそう浮 き立たせる表現効果をもつものとして機能している。 そもそも文章は語彙の集積体にほかならないが、まる で設計図でも描いたかのように意図的に効果的な語彙 の配置がなされていることに改めて驚かされる。名文 たる所以であろう。

この場面でも、心理描写は類型化され、母親が「今、 主人の里の、広島と島根の県境のこの村に来ているの ですが、どうしてこの子を育てていったものか迷った あげく、あの日のことを思い出し、もしや、この子 の本当の身内のかたが見つからないものかと、たず ね人に出したわけでございます……。」(p.161 ll.4-7) と「迷い」の気持ちを伝える一方で、「わたし」は「あ りがとうございました。ありがとうございました。ミ 子ちゃんは元気で、助かったのですね。」(p.161 l.8) ととりあえず「安堵」し、それは手紙とそれを通して これまで育ててくれた母親に対して「わたしは思わず 独り言を言って、ひとりで手紙に頭を下げました。」 (p.161 l.9)という行動描写としても描かれる。しかし、 「わたし」の心情は「それにしても、遠くはなれている

わたしは、どうすればいいのか分かりませんでした。」 (p.161 l.10)と「迷い」、「わたしはすぐ返事を書きまし

た。夏まで待ってください。夏になったら、きっと休 みをもらって、広島へ行きます。広島でお会いして、 いろいろわたしにできることなら相談いたしましょ う。そういう返事を出しました。」(p.161 ll.13-15)と 「決心」し「行動」に移すさまが描かれる。まさにパター

ン化されているといってよい。

₂.₅.クライマックスを支える語彙の有機的

相関

「その年の夏」(p.162 l.1)で始まる第44段落から第 58段落は、ヒロ子母子との再会の場面であるが、ここ でも「ミ子ちゃん」「この子」「わたしの子」「ヒロ子」 「ヒロ子ちゃん」そして「お母さん」が、合計40回用い

(7)

かに預けたいという母親の「迷い」というより「揺れ る気持ち」は、この場面に至り、「ええ、もう、今日 お会いするまでに、決心したのです。ヒロ子はやっぱ りわたしの子です。だれが何と言ったって、あげるも のですか。」(p.163 ll.4-5)のような強い「決心」に変 わっている。ただ、「わたしは、ちょっとさびしい気 がしました。」(p.164 l.1)、「そのときの、何かヒロ子 ちゃんの暗いかげが、いつまでもわたしは気になりま した。すると追っかけるように手紙が来て、これはま た悲しいことが書いてありました。」(p.164 ll.6-7)と 悪い方向への転換を予感させる語句に続き、「やはり、 本当のことを、もう言ったほうがいいのでしょうか ……。」(p.164 l.12)との母親の「迷い」、「それはわた しにも分からないことでした。」との「わたし」の「迷い」 をうけて、「わたしは、できれば、いなかの家を出て、 ヒロ子ちゃんと二人で暮らすことができないものだろ うかと思い、そのことを書き送りました。」(p.164 l.16 - p.165 l.2)と「決心」を促す「行動」をとり、「すると、 その年の暮れ、ヒロ子ちゃん親子は、広島に出て、小 さな洋裁学校に住みこみで働けるようになったという 手紙が来ました。わたしはほっとしました。」(p.165 ll.3-4)と「安堵」したがゆえに「わたしもいつかヒロ 子ちゃんのことを、忘れていくようでした。」(p.165 ll.5-6)と「忘却」してゆくさまが描かれる。

第55段落では、「それはわたしにも分からないこと でした。広島で初めて会ったときの感じでは、はっき りしなくとも、何かヒロ子ちゃんも感じていることが あるようにも思われました。ヒロ子ちゃんをよそに やりたいというお母さんの弱気が、ヒロ子ちゃんに もびん感に 感じ取られていたのにちがいありません。 (p.164 ll.14-16)では、意識することや判断にかかわ

る語句が集中的にちりばめられている。これも書き手 の技量のうちといえよう。蛇足ながら、第58段落の冒 頭には「そして」、第59段落の冒頭には「そうして」が ある。両者には意味や機能的な差はないものの、文体 的な価値はまったく異なる。すなわち「そうして」は 口語性の強い語感をもち、本節の冒頭でも述べた通り、 この文章は、語りの文体であるがゆえに地の文であっ ても和語を基調とした口語性の強い性格を有している のである。こうした例は、「でも」(p.154 l.9、p.154 l.11、 p.156 l.1)、「くっつけて」(p.154 l.16)、「だが」(p.155 l.10)、「さっぱり」(p.156 l.5)など枚挙に暇がない。

第59段落「そうして、今年の夏」から始まる最終場 面は、中学を卒業して大人の仲間入りをするヒロ子、 そして母親と「わたし」とがそれそれのヒロシマの「う た」に結末を見出すとともに、三者三様の新たな旅立 ちを決意し、力強く生きようとする感動的な場面で ある。「わたし」がヒロ子に母親の話をする際に、母 親が身に着けていた名札を見せる第67段落で「ヒロ子 ちゃんが、わっと泣き出したりしたらどうしようと、 わたしは心配でした。でも、ふと、ヒロ子ちゃんの顔 を見て、わたしはほっとしました。ヒロ子ちゃんは、 その名札を胸の所におさえて、わたしの方を見ると、 にっこり笑って、『あたし、お母さんに似てますか?』 と言うのです。うれしいのやら、かわいそうなのやら、 わたしのほうがすっかりなみだぐんでしまいました。」 (p.167 ll.9-16)のように「心配-ほっとする」「うれ

しい-かわいそうだ」と対義的対応関係によって、「わ たし」の心情をより鮮やかに描き出す工夫がなされて いる。「なみだぐんで」は、うれしさとかわいそうに 思う気持ちとを改めて「わたし」の行動を通して描写 するものである。なお、「うれしい-かわいそうだ」は、 「うれしい」が自己に内向する心情の描写であるのに

対して、「かわいそうだ」は評価的に他者を志向する 心情描写であることは注意されてよいだろう。

第69段落も一文一段落で「ヒロ子ちゃんは強い子で した。どんなことにも負けていませんでした。」(p.168 l.1)と類義的な表現で言い換えることにより、畳みか けるようにヒロ子、ひいては人間に本質的に備わって いる強さを強く描き出そうとしている。

第70段落以降で「そこを通り過ぎて、ちょっと暗い 所になりました。「会ってみたいな……。」ぽつんとヒ ロ子ちゃんが独り言のように言いました。勝ち気なヒ ロ子ちゃんは、そのとき、こっそり泣いていたのかも しれません。」(p.168 ll.3-7)の「暗い所」は情景描写 であるとともにそこにヒロ子の心の暗部も投影されて いる。文学的文章では、人物の心理が情景描写の「明 暗」として描写されていることも多い。「勝ち気」と「泣 いていた」は対義的対応であり、「ぽつんと」「独り言」 「こっそり」は微かさにかかわる類義的表現と言える

だろう。

(8)

イシャツを、こっそり見せるのです。「ないしょです よ。見せたなんて言ったら、しかられますからね。」そっ と広げてみると、そのワイシャツのうでに、小さな、 きのこのような原子雲のかさと、その下に、S・I と、 わたしのイニシャル(頭文字)が水色の糸でししゅう してあるのです。「よかったですね。」「ええ、おかげ さまで、もう何もかも安心ですもの……。」お母さん はそう言って、笑いながらも、そっと目をおさえるの でした。」(p.168 l.15- p.169 l.5)では「こっそり」「な いしょ」「そっと」、また「うれしそうに」「よかった ですね。」「もう何もかも安心です」が類義的対応関係 をもち、後者は「笑いながらも、そっと目をおさえる」 との行動描写に結び付く。第75段落に「わたしはそれ を胸にかかえながら、いつまでも十五年の年月の流れ を考え続けていました。」(p.169 ll.6-7)とあるが、こ の私の行動は、「ヒロ子ちゃんは、その名札を胸の所 におさえて、わたしの方を見ると、にっこり笑って、 『あたし、お母さんに似てますか?』と言うのです。」 (p.167 ll.12-15)と照応関係をもち、抱えたり押さえ

たりしている対象物はそれぞれの思いを象徴するので あろう。すなわち、ワイシャツは、ヒロ子の成長と自立、 人間の強さと希望であろうし、名札は原点としての母 親の姿が投影されたものであろう。名札をめぐる一連 の言動は、いまは亡き母親を様々な思いをこえて客観 的に把握できるほどに成長したことの証であろうし、 ワイシャツには、まだあまり上手に縫えなくとも、い まの自分にできることで精一杯の感謝の気持ちをあら わしたいというヒロ子なりの思いが込められている。 腕の部分に刺繡された「きのこのような原子雲のかさ」 は、十五年前のヒロ子の原点を象徴するとともに、ヒ ロ子、そして育ての親、「わたし」との今日に至るか かわりの契機の象徴ともなっている。したがって、文 末が「いつまでも十五年の年月の流れを考え続けてい ました。」と締めくくられているが、「考え続ける」と いう表現がとられたことの意味、一人の人間が誕生間 もないころから大人の仲間入りをするまでの十五年と いう歳月の重み、また過程で起こったさまざまなこ と、またそれらをめぐり、人々が最善の道を求め苦闘 してきた一つ一つの営みの重さは、単に感じたり振り 返ったりするレベルでなく、深く考え続けなければな らないほどの重みをもつものであったことが記されて いる。

本文は、「汽車はするどい汽笛を鳴らして、上りに かかっていました。」(p.169 l.8)の短くも重い一文で 締めくくられる。原爆を契機に三者三様の苦闘の歴史 が三重奏のごとくうたいあげられ、しかし人生山あり 谷あり、これからもそれぞれの人生を力強く生き抜い ていかなければならないとの決意が「するどい」「上 り」に象徴されているのであろう。

この文章の時制は、おおむね過去形で叙述されて いる。ふつう現在形で描かれれば、いままさに眼前で ものごとが展開するような臨場感あふれた表現となる が、過去形で叙述されれば、絵や写真のような静止し た印象をともなう。したがって、この文章の内包して いるリズムは、時間軸にそってゆっくりと記憶の断片 を追いつつ、実況とは異なる穏やかな語り口の文体だ ということになる。国語科では、どう音読するかとい うことも大切な問題であるが、文章には読み手の工夫 以前に内包された呼吸があり、それを見定めつつ文章 が本来もつリズムや呼吸に感応し、ことさら無理せず に、味わいを深める読みを心掛けることになるのだろ う。翻訳教材の一部に自然な日本語表現法とは言えな いものも散見されるが、音声言語として味わううえで も、たとえどんなによい内容が記されていようとも、 日本語としてのリズムや呼吸をもたない文章は名文と は言いがたく、また優れた学習材ともなりえない。

₃.なぜ教材に名文が必要なのか

(9)

としての側面と音声言語としての側面の両面から味わ うことができて、はじめて深い文章理解ができたと言 えるのではないか。

この文章の題名「ヒロシマのうた」で、「ヒロシマ」 が片仮名、「うた」に平仮名があてられているのはな ぜだろう。外国の地名・人名、外来物等でない限り、 なんらかの表記上の意図があるはずである。成り立ち から言えば、片仮名は直線主体で角張っており、もと もと訓読のために漢字の間に割って入ったり、漢字に 読みを与えたりするために用いてきたものであるか ら、連綿体で書かれることはなく、一音一音を区切っ て浮き立たせるような硬い表現性をもっている。一 方、平仮名は曲線主体で丸みを帯びており、和語系の 語を主体に、意図的に平仮名表記を増やせば、谷崎潤 一郎に見るような柔らかな味わいの文体を生む。「う た」が「歌」「唄」など漢字表記であれば字義に即して 表記の意図を、また仮名書きなら仮名書きなりの意図 を吟味してみる必要があろう。表記は一般に用いられ る語種の違い、すなわち和語・漢語・外来語の別とも 深くかかわり、子ども向け文章は和語を主体として書 かれ、難度が上がるにつれ漢語が増えるという特徴を もっている。「あした」「あす」「みょうにち」の違い に端的にみられる通り、語には文体的価値があり、そ もそも日本語には多様な表現方法があるなかで、なぜ 書き手はこの文脈でこの語句や表現、また表記法を選 択したのかということにも思いを馳せ、分析的な視点 から文章全体の組成を見極めるだけの目を養う必要が あろう。それがまさに文章や文体に関わる言語感覚な のである。

₄.おわりに

流儀に違いこそあれ、文学史に名を残すほどの書き 手は、文章にさまざまな仕掛けや独特の呼吸をもたせ ている。それを読み味わおうとする者は、単に意味内 容をたどるだけでなく、そこに醸し出される香気や味 わいの出自を見定めて説明できることが望まれる。そ のためには数多くの名文に触れるほか道はなく、中村 明の一連の著作は、よき指南書となるだろう。テキス トにどう向き合うかは、古くて新しい問題であり、本 稿ではいささか細かな点まで踏み込んで検討を試み た。ここで述べたことの大半が、すでに周知のことで

あれば幸いであるが、文学的文章、ことに散文におい ては、形式より内容理解に軸足の置かれることが多い ことも確かである。思考力・想像力を養ううえでは、 行間を読むことも否定するものではないが、まずは書 かれている語句や表現、表現形式や表現方法に即して テキストに向き合うことの意義を再確認してみる必要 はあるだろう。本教材については、果たして現代の児 童が実感をもって戦争児童文学を学ぶことができるか との議論もみられるようだが、ことばを通して学ぶと いう意味では、イースター島の話題も動物の体と気候 とのかかわりも同じことである。むしろ形式面も含め て、学習させるに値する滋味豊かな良質の文章である かどうかに判断の基準は置かれるべきだろう。

本テキストの構造については、成立論を論ずる際に 合わせて触れることとし、言語感覚を育む確かな読み を志向した授業実践論についても今後の課題としてお く。

文献

遠藤仁・大谷航(2013)「小学校説明文教材の構造と表現に関す る基礎的研究⑴」『宮城教育大学紀要』第48巻

遠藤仁・大谷航(2014)「小学校説明文教材の構造と表現に関す る基礎的研究⑵」『宮城教育大学紀要』第49巻

遠藤仁・大谷航(2015)「小学校説明文教材の構造と表現に関す る基礎的研究⑶」『宮城教育大学紀要』第50巻

遠藤仁・大谷航(2016)「小学校説明文教材の構造と表現に関す る基礎的研究⑷」『宮城教育大学紀要』第51巻

遠藤仁(2017)「日本語研究と国語科教育」「月刊国語教育研究」 No.540 日本国語教育学会

中村明(1977)『作家の文体』筑摩書房 中村明(1979/1993)『名文』筑摩書房

中村明(1994)『センスある日本語表現のために―語感とは何か』 中公新書

中村明(1998)『名文・名表現 考える力 読む力』講談社 中村明(2000)『現代名文案内』

「ヒロシマのうた」は『新編新しい国語六』(2015、東京書籍) より引用させていただいた。紙数の都合上、改行部分を追い込ん だりルビを省いたりした箇所のあることをお断りしておく。

参照

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