• 検索結果がありません。

人間本性と隷属pdf 最近の更新履歴 京都大学哲学研究会

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2018

シェア "人間本性と隷属pdf 最近の更新履歴 京都大学哲学研究会"

Copied!
8
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

人間本性と隷属

つかさ

平成 23 年 10 月 31 日

目 次

1 前置き 2

2 人間の本性 2

2.1 個体としての世界 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 2 2.2 人間の定義

. . . 2 2.3 観念の二種 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 2 2.4 相対的な原因と絶対的な原因 . . . 3 2.5 能動性

. . . 3

3 非妥当な観念と感情 3

3.1 受動性

. . . 3 3.2 非妥当な感情と行為 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 4 3.3 矛盾の根拠

. . . 4

4 隷属を強制する世界 4

4.1 他者を隷属させる . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 4 4.2 物質的強制力

. . . 5 4.3 隷属の世界 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 5

5 隷属 6

5.1 隷属する人間

. . . 6 5.2 利を求め不利になる . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 6

6 克服 7

6.1 非妥当な観念の克服 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 7 6.1.1 表象の強さ

. . . 7 6.1.2 感情論

. . . 8 6.1.3 対象の原因の把握. . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 8 6.1.4 環境

. . . 8

6.2 8

(2)

1 前置き

これまでは、決定論について述べてきた。人間には能力もないし、精神に 関して行う努力も無駄であることが、理論的に示された。ここまでは、とり あえず最悪である。

ではなぜこのようなことをしてきたかというと、このことによって実際に なすべきことがわかるからだ。

2 人間の本性

精神の実体性、自由意志の存在が否定されたことにより、人間精神もこれ までとは異なったように説明されることになる。

2.1 個体としての世界

実体論を経た以上、絶対的な意味での個は存在しないことになる。 あるのは相対的で、必然的な秩序に従う物体によって構成されるもののみ である。よって個体は、一定の持続性を持ち、一定の行動をし、一定のまと まりをもっているものとして定義される。

2.2 人間の定義

人間もこの個体の一つである。人間の場合、それがどのような行為をする かは、その時々で持つ観念によって決定する。

人間は、その時々で何らかの観念を持つ。そしてそれを原因として、何ら かの行為が生じる。例えばりんごを表象してそれを食べることを欲するよう に。ここにおいて、その観念に従う、従わないの自由は存在しない。

従って、人間はその時々の観念に従い必然的に何らかの行為をするものと して定義できることになる。

2.3 観念の二種

人間が従うところの観念には二種類ある。妥当な観念と非妥当な観念である。 妥当な観念というのは、その原因について十全に知っている観念のことで ある。例えば、ある個人なり、組織なりの観念を持っているとして、そこか ら何が継起するか、それがどのような原理に基づいており、どのようにして 動くのか、そこからどのような結果が生じるかについて知っていれば、それ は妥当な観念である。

(3)

非妥当な観念というのは、その原因について十全に知らない観念のことで ある。その場合、ある表象を持っているとしても、そこから何が継起するか はわからないことになる。

2.4 相対的な原因と絶対的な原因

この、妥当、非妥当の観念の二つの区別に、能動と受動とは関係する。 能動とは、自身が自由であるという意識のことである。だが、実際の意味 では、これはすでに実体論において否定されている。個々のものは全て、必 然的な秩序に従うから、自分自身を原因として動くようなもの、他のものに よらない、絶対的な意味で自由であるものは存在しない。

しかし、相対的な意味では、あるものがあるものの原因だと言うことはで きる。すべての個物は全自然の秩序に従っているとしても、その個物を直接 の原因として何かが生じる、ということは可能である。

2.5 能動性

人間は、その時々で持っている観念に従って行為する。だとすれば、その 時々で持っている観念が妥当であれば。すなわち、その時々で現れる表象の 原因を把握していれば、その人間は、自己自身を原因として動いていると言 える。

この場合、あるのは対象と自己についての妥当な認識であり、その二つが 与えられていれば、何をすれば自身がより有利になるか。より適切に自己保 存をはかることができるかというのも知っているはずである。

だとすれば、その観念を契機とした行為の結果が、自己にとって不利にな るわけがない。その行為によって、自己はより完全で揺るぎない方向に行く はずである。そして、そこにおいてはあらゆる不安から解放されているはず である。これが、自由を感じる状態である。

3 非妥当な観念と感情

3.1 受動性

逆に、観念について十全に把握していない場合。ある観念の原因が何かを 把握していない場合、その観念を元にした行為の結果は自己にとって不利に なりうる。自己の行為によって自己の利益が損なわれうるという意識、それ が受動であり、自由と対立するものである。

(4)

3.2 非妥当な感情と行為

非妥当な観念に従っている場合は、何が自身にとって利であるか、そうで ないかは明確でない。何か対象があったとして、それがどのように動くのか。 その原因は何なのか。自分に対してどのような影響を与えるのかについてわ かっていない。

ではどうなるかというと、その時々の表象に従って行為することになる。 そのときどきに浮かんだことで、たまたま自身にとって利だと思ったことを 行う。たまたま、自身を喜ばせたものを実現しようとはかり、たまたま自身 を悲しませたものを遠ざけようとする。

例えば、あるものがたまたま、自分を喜ばせる行為をしたとする。それに よって、それが常に、普遍的に、自分にとって都合のいいことをするものだ と判断し、それを求める。

この状態において、人間が自身の利にならないことを行うことがあり得る。 非妥当な観念を元にした自身の行為によって、それが実際に自身の利になる かどうか、うまくいくかいかないかは偶然でしかないからだ。

3.3 矛盾の根拠

妥当な観念においては、自身にとって不利なことが生じる理由がない。従っ て、一切の矛盾、不利は非妥当な観念を前提として、生じていることになる。

では、これから、どのようにして矛盾が生じているかを見てみることにし よう。

4 隷属を強制する世界

4.1 他者を隷属させる

個々のものは、自己保存をはかるためにあらゆるものを利用することがで きる。その手段の一つとして、個々の人間がいる。

自己の利益をはかるために、他のものが自分にとって都合のいい行為をし てくれれば、それだけ自己の利益をはかることができる。そこで、通常人間 は、他者を隷属させ、自身の利益のために行為させようとする。

具体的には、

• ある状況において、自分を益するように行為させる

• ある状況において、自分を害さないように行為させる の二通りがある。

(5)

そのためには、そのものが、特定の状況において特定の表象を想起するよ うにすればいい。個々のものが動くのは、その時々の観念による。従って、そ の時々の観念をコントロールできれば、そのものの行動をコントロールする ことができる。

4.2 物質的強制力

その者がどのような表象を持つかは、そのものの身体と、それに接触する 限りの自然とによって定まる。

例えばある者を、真の結びつきを与える環境から遠ざけ、特定の表象の結 びつきを何度も与えたとしよう。そうすれば、その者が後で特定の表象を見 たとき、続けて何を想起するかをコントロールできる。

あるいは、自分がいなくては、自身の利害が達成できないような状況にあ る者をとどめおき、それ以外のあらゆる行為、判断をひたすら否定、精神を 折るとしよう。そうすれば、その者が自分を害するような行為を想起し、欲 求したとしても、すぐにそれを実行することによる不利益を想起し、その行 為はなされないだろう。

このことは物質的な強制力を持っており、精神の力みたいなものでは対抗 することができない。

4.3 隷属の世界

結果として、我々は、自分の利とは無関係なものにより縛られ、隷属して いる状態にある。そして、自己の利を求めながらも、他の何者かのために行 為をしている。

実際の状況においては、何かを欲求し、行為しようとするとき、同時にそ れを抑えるような表象、恐怖が想起され、その行為をしないことになる。

それは、具体的には

• 世論

• 恩義

• 罪悪感

• 金(何となくの利益)

• 未来の利

• 守るべき規則

• 友情

(6)

• 約束

• 帰依

などのあらゆる人間関係である。これらはすべて、自身の利益の追求を阻 害する、他からのコントロールの結果である。

5 隷属

5.1 隷属する人間

人間は、他のもの依拠している。個々人の利益はひとりでは達成できない ものであり、他人なり、組織なりによって初めて実現することができる。そ して、通常それと日常的に関係している。

だから、大抵の場合、それが無ければ自己の利益を実現できない自己の利 益の原因として、ことあるごとに組織なり依存している個人なりを想起する。

よって、非妥当な観念を持つ限り、自己の利益を追求しようとして行為す れば、依拠している組織なり、他者なりが意識されることになる。

これはどういう衝動になるかというと、

• 依拠しているものに反しない行為しかできない

• 依拠しているものが自分を好いてくれるように行為する ことになる。

ここにおいては、自己の利益を求める行為は、組織が気に入ると自分で想 起したことを、実現するという仕方で現れる。

5.2 利を求め不利になる

このことは、依拠しているものが、自分の利を実現してくれる限りでは問 題ない。だが、どのような組織でも、個人でも、それの行動原理は自己の利 益のみであり、特定の個人の利益を考えて動いているわけではない。だから、 組織の利益と自己の利益とのズレは当然のように起こる。結果、自分の利益と 全く関係ない、他の何かの利益のために行為している状態に陥ることになる。

また、表象に従って行為する限り、人間はその本来の力を出せない。人間 の強さは、その学習能力にある。ある時、ある経験をする。それにより、そ こから普遍的なものを取り出し、次に同じものと出会ったときに適切な行為 をする、という具合に。自由意志などの能力を否定した以上、人間の強さと いうのは全てここに還元されるのである。

しかし、非妥当な観念に留まる限り、経験の蓄積を行うことができない。 従うのは自然の秩序ではなく、特定の組織が要求するものでしかないからだ。

(7)

表象にとどまる限り、人間はずっと無力であり、世界はいつまでもわけのわ からないもののままである。結局はいつまでも、未知のものに対して未知の まま対処し、何度も同じ失敗を繰り返すということになる。

6 克服

非妥当な観念を持つ限り、人間は自己の利益を追求することが出来ない。 この領域にいる限り、何をしてもその努力は無駄に終わる。

ではどうすればいいかというと、非妥当な観念を妥当な観念にすればいい。 これまでは、妥当な観念を持たず、何が利益かもわからずに行為してきた。 そのことに無理があった。だとすれば、それを解決すればいいのである。自 分の接するものについて、妥当な観念を持つことができたなら、何をすれば 自身の利益になるかわかるようになるだろう。

具体的には、我々を、自己以外のものに隷属させている原因と対決すれば いい。そして、その時々の行為において、影響を受けなくすればいい。それ によって、自己の利益を追求できることになる。

その対処法だが、これらが強制される理由=これらの本性から導くことが できる。

• 何らかの利なり恐怖なりが誘導のために含まれている

• 非妥当な観念の利用

• その時々の表象の強さでコントロールする

• 強制する物理的主体の存在

これらを鑑みて、いくつか考えることができる。

6.1 非妥当な観念の克服

6.1.1 表象の強さ

その時々で表象するものが何かによって、行為に影響が出る。だから、い ついかなる時でも、自身の真の利が何かが把握され、想起されるようにして おけばいいということになる。

すなわち、何が重要で何がそうでないかを、あらかじめ詰めておく。そし てそれが動揺しないよう、必然的だと思えるまで理論化しておく。また、こ れがより頻繁に想起されるように、個々の動作と関連させておく。

逆に言えば、今までは何が適切で、何が重要かをはっきりさせていなかっ たため、その時々の利、感情に揺れ、結果として隷属していたのだというこ

(8)

6.1.2 感情論

その時々の感情を利用している、というのが隷属の本性である。

だから、あらかじめ感情について分析し、どの感情が自己保存にとって適 切で、どれが不適切かを知っておけば、それによって動かされないというこ とになる。

6.1.3 対象の原因の把握

そのものについて妥当な観念を持っていないことが、隷属の条件である。だ から、それが何を原因としているかを知ってしまえばいいということになる。

6.1.4 環境

そもそも、自己の利が特定のものに依存しているから、否応なくそれにコ ントロールされる状態にある。そこで、それを克服すればいい。自身が特定 の何かに依存する状況を解消すればいい。

だが、実際に組織、社会から離れるということは不可能であるため、具体 的には複数の組織に所属し、また個々の組織において、コントロールを握る、 ということになると思われる。

6.2 モデル

まとめると、次のような人間がモデルになる。

• 自身の利益のみを追求し、他のものはすべてそのための手段と見なす

• かつ、感情によってその行為を妨げられない

• 原因を把握し、行き詰まればその原因を分析し、すぐに克服する

• 周囲を自身にとって都合がいいように変えていく。既存のルートだとか 戦術に規定されない

すなわち、スピノザの理想を追求すれば、一般に非人間的であると思われ るものに近づくことになる。

参照

関連したドキュメント

「エピステーメー」 ( )にある。これはコンテキストに依存しない「正

私たちの行動には 5W1H

「父なき世界」あるいは「父なき社会」という概念を最初に提唱したのはウィーン出身 の精神分析学者ポール・フェダーン( Paul Federn,

(野中郁次郎・遠山亮子両氏との共著,東洋経済新報社,2010)である。本論

ヒュームがこのような表現をとるのは当然の ことながら、「人間は理性によって感情を支配

このような情念の側面を取り扱わないことには それなりの理由がある。しかし、リードもまた

3.5 今回工認モデルの妥当性検証 今回工認モデルの妥当性検証として,過去の地震観測記録でベンチマーキングした別の

熱が異品である場合(?)それの働きがあるから展体性にとっては遅充の破壊があることに基づいて妥当とさ