< ヽ
⑥ ibid .,
m ibid s . 46.
s . •.
41
. ⑧ ibid
., s.
255. ⑨ ibid
s. .,
10
8-149.
皿 ibid s . .,
251-270.
皿
ibid•.
s. 197206!I)!!! 託邸叩度に—.
つい
ての
同時期
の研 究に、
0.Loening, Grunderwerb und Treuhand in Lubeck, Breslau,
19·20世紀に お け る リ ュ ー ベ ッ ク 不動産法研究の展開
1907. がある。
また第
二次世界大戦後、後述する
エー
ベル が
「信託の概念
につ
いて
(Num Begriff der Treuhand) 」
を、
Forschungen zur Geschichte des Hibischen Rech ts, 1. Tei!, Lubeck, 1950. に卒土表�
てい
る。
四
ibid
`
.s . 256-257.
ul
筆者は、例えば、同時期の
サヴィ
ニー
雑誌(ゲ
ルマ
ン篇)
の書評欄に目
を通し て見
たのであるが、
つい
に彼の著作に言及した 書評を見出すこ
とはできな
かっ
た。後に彼自身が同雑誌の評者とし
てしばしば
登場するのとは対照的である。
しか し、
彼の研
究の重要性は後述す
るレ
ーリ
ッヒ
の
「リ ューベ ックの市場」
にお いて 同書が引用
されていること
からも明らかで
ある。F.
Ro rig, Wir
tschaftskrafte
im Mittelalter, Weimar,
1959 , S.
36-37.
また他 には 0 .Loening, Stadtbucher, a .aKBeyerleDie deutschen .O •• . , in Deutsche Geschichtsbliitter, 11. Bd.
6./
7•
Heft,
1910
, S .
145ー200.
⑭ 穎原義生訳
「中世の世界経済」、未来社。魚住昌良
・小倉 欣 一訳
「中世 ョー ロッ
°ハ都
市と市民文化
」、
創文社°
拙稿
「+
二、
三世紀のリ
ュー ベッ ク市における市民自治I
B• アム
・エ ンデの検討ーー」
、「
近大法学」、第三
一巻、
第一
・ニ
・三
号°
USl
原題は、
Kaufmannsgildeund stadtische Eidgenossenschaft in niederfrankischen Stadten im
11.
und 12. Jahrhun , dertで、
サヴ
ィニ
ー雑誌(ゲル
マン
篇)
の第六0巻に掲載さ
れたも
のである。
邦訳は、
鯖田豊之訳「中世都市成立論�人
ギル
ドと都市宣誓共同体ーー」、未来社。
プラ
ーニ
ッツ説
につ
いては
林毅
「ドイ ツ中
世都市法の研究
」、
創文社、六九—八0頁参照。
USl
原題は、
DasKoiner Recht und seine Verbreitung
in der spateren Kaiserzeitで、
註USlの
論文と同
様サ
ヴィ
ニー
雑誌
(ゲ
ルマ
ン篇)の第五
五巻
に掲載さ
れて いる。
この論文も、
林毅他による邦訳がある。「阪大法学」、
第
一三
一号。
聞
一八
八 一年
ハンプ
ルクで生
まれた彼は、
エア
ランゲン、
ボン
大学で法律学を学んで後、
九年には 一九0四年ボンで司法修習試験に、0
ハン
プルク
で判事補試験に合格
した。
その
間、0六年には「旧帝国議会と新連邦参議院(Deralte Reichstag und der neue Bundesrat) 」
という 論文
で法学博士号をポンで取得し
てい
る。
しか し、
彼自身は法律学よりも、
むしろ歴
史学に関心があ
った
よう
であり、
一九0九年、
彼は
ハンプ
ルク
の国家文書館(Staatsarchiv)に文書係(Archivar)
として就職し、
四七年に引退するまでこ
こに
留まる
こと
にな
った
。
一九三三年ーーー彼が
五二
歳の時Iからは同文書館の館長(Direktor)も引き受けることになり、この時期
から第
二次世界大戦の終了までさまざまな要職を兼任することにな
った
。こ
のこ
とで、
彼は、
戦後
一時期非
難を浴 びたよう
である。
彼は、
同文書館での史料の分析から、
ハン
プル
クの中世都市法に関心を広げ、十三世紀前半の最
古の都
市法を解明する過程で、
近隣のホ
ルス
テン
・ラント法、
ハン
プルク
法と親戚関係にあるリ
ューベ
ック
法、さらにはゾ
ース ト、
ケ
ルン
の法へと研究対象を広
げて
いっ
たようである。彼の研究は、
様々 な歴
史史料を視野に収め
るこ
とによ
って
、必然的に社会史
的な、経済史的な研究方法を取り込ん
でい
った
のみ
なら
ず、彼自身、美術史
に関する
論考も発表し
てい
。るErichvon Le
Heinrich Reineke als HanseforscherNachruf in
`
Hansische Geschichtsblatter1961, Jg. 79, ein , , he, chrift des ftlr Hamburgische Vereins Geschichte (以下、NVHG ⑱ Die Herkunft des hamburgischen Stadtrechts疇zugleichein Beitrag zur des liibischen Rechtseits Geschichte in N , , S. 1ー12. と略す)、Bd .
29, s. 219-246.⑲
屈shamburgisch-liibeckische Recht.
in ZVHG
` Bd
331933..
, ,s. 214ー238.
oo g
lner, Soester, Lubecker und Hamburger Recht in ihren gegenseitigen Beziehungen, in Hansische Geschichtsblat , ter, Jg. 69, 1950,
S . 14-45 ..fiJ、し、こ•
の蛤『文ぷi齢5帥5の
一+生―10年'氏
2に卒
土衣さ
れたとし
ても
、同様に都市法に対する
冷静で客観的な評価 がなさ れたかどうか、
筆者は確信をも
って
肯定する
ことは できな い。
五 、
「定期金権者
の解約告知
権」
論争 ところで、
リュ ーベ ック法史料に対する、
一方
で、法制史的な研究と、他方で、社会経済史的な立場から
のア
プロ
ーチ
は最初から両者の共同研
究として出発して
いた訳ではなく、
前述
のごとく、異なる方向から両者は次第に接近し てきたのである。従って、当然
旧来 の方法論に依拠する研究者、
特に、法制史研究
者は新しい研
究動向の法的な分析
に対して不満を
抱き、
逆に
社会経済史研究者も同様に前者の史料
操作に不満
を持っていたようである。そ
して
、この
基本的 な立場の違いが、
一九
三0年
代の半ば、思わぬ所から学界規模でのリューベック不動産法に関する論争を巻き
起こすことになる。
( 一
)
レーリ
ッヒ
を含めて、
ドイ
ツ中
世都
市の形成と発展に対す
る遠隔 地商人の役割を重要視する社会経済
当時、史的な研究動向は、
個別
的な不動産法研究の分野にも影響を与え、例えば、
中世
において富裕な遠
隔地商人の投資手
段とし
て機 能し てい た定期金売買
の研 究を進展
させ てい た。 リュ
ーベ
ック
の定 期金売
買に つい ては、
一九
三五 年、
フ ォン
・プ ラン ト
(Ahasvervon Brandt 1909 | 1977)
がキ ール でr
―三二
0
ー 一三五
0
年の リ ュー ベッ クの 定期金市
②
場 (Der
Ltibecker Rentenmarkt von
1320ー1350)」
を出 版し た。こ の論 文は当 時二 六歳 のフ ォン
・プ ラン トの
博
士号取
得論 文で あっ た。そ
の表 題か らも推測さ
れる よう に、 これ は定 期金売
買に つい ての 法制史的
な研究
では ない
。 彼は、
十四世
紀前 半の オー バー 都市帳簿
の定 期金 に関 する登記
を克明
に収集し、
これ に統計的手法を
適用し
て、 経済 変動と 定期金売買
の関 係を明らか
にし、
ヨー
ロッ
パ中世都市経
済に つい ての 当時 の社
会経済史学
の主 要な学
説の
一っ
19 • 20世紀における リ ューベック不動産法研究の展開
であ るゾ ンバ
ルト
(WSombart).
説を批 判し よう とし たの であ る。
オー バー 都市帳
簿の 登記 の解 釈に つい て、 しか し、 フォ ン・ プラ ソト は、 その 中で
、
これ まで の法 制史研究者
の通 説も批
判し
、
―つ
の画 期的な解
釈を提示
した
。そ れは定期金権
者、
即ち、
定期金債権者
の解 約告知権
(Kundigungs-recht)
に関するもの
であ った
。彼が 述べ たこ とは、
「十四世
紀の リュ ーベ ック の商 人は
、そ のよ うな規
定(11
利息付 き消費貸借禁止令
ー|筆者)
にもかか
わら ず、 定期金を
短期 の利息付き
の投 資と して 最も「資本主
義的な
(百pitali ,
listish)」
平ル→
入に おい て利 用す るこ とに 躊躇 しな か った
。
一三 五
0
年以 前で も、 オー バー 都市帳簿
には確か
に債
権者
の告知 権に つい て立 証する事
例、
従 って
、カ ノン 法的な 許可令
(Erlaubten)
に全く反した
今日 の抵当
の形
式
への
接
近、
が見 出され」
るこ とで ある
。そ して
、そ の証拠 とし て彼が 挙げ るの は 一三 二0 年に 設定され
た定 期金 の登 記に 追 記と して 記載さ
れた 以下 の文 言で ある。
即ち、
「その 定期金
をヘ ルマ ヌス
・デ
・ヴァ ーレ ンド ルプ(11
定期金債務者)
③
は解除
し、 買い 戻した。
一三 四 一年、所有者(dominus)
工ベ ルハ ルド ス
(11
定期金
債権者)
の命 令に おい てで ある」。
さら に傍 証とし
て、
ニ――――10
—五 0年 代の 同 一不動産
上で の定期 金の 同 一価
格(11
利子率五
形)
での 短期
ーー
•最も短
いもので半年
i
の連続的な買戻
しと設定の例を幾つか挙げ、
彼は
それらが定期金債務者によ
る買戻
しと
は考 えら
れ④
ず、
定期金債権者の告知権に基づいて前者が買い戻した
事例であると
理解した。
従来の通説
は、
このような定期金債権者の解約告知権
はリュー
ベッ
ク法でも基本的に存
在しない
と解釈していた。
。 ハウリ
は、
例外的な三事例を除いて、前述のごとく、そのような告知権
はオー
バー都市帳簿には存在しないと主張し
た。さらに、定期金債権者による定期金権の転売に対し
ては、
慣行として、定期金債務者の同意が必要とされたこと
この慣行は「十四世紀中に」廃れ、この異議権が定期金債務者
の単な る先買権に後
退した°ハウリは付け加えていた。
レー
メも。
ハウリの見解を踏襲し、定期金債権者の買戻し権自体を否定しないが、
それ
は極め
て限定的な事例であっ
たと見な
していた。また、当時
のド
イツ
の通説的な
見解も、
ドイツ中
世都市法では
定期金債権者に告知権は
認められてい
ず、
近世にいたって徐々に公認され
るようになっ
たと考えていた。 を彼は指摘した。ただし、
ことも、リュー
ベッ
ク法に関する―つの論争がこれによって始まった。
翌年
一九
三六
年、
著名な法
制史研究者として既
にサ ヴィ
ニー
雑誌
(ゲル
マソ
篇)にしばしば評者として登場してい
たレ
ーメがこ
のフ
ォン
・プラント論文を書評に採り上げた。
レー
メは
、後者の論文の冒頭で、彼の研究
には詳 細な経
済史的判断が欠落しているとして批判されていたので
ある。
彼は
、その書評において、当然のことながら、定期金債権者の告知権の存在を否定した。そして、
フォ
ン・プ
ラソ
トが論拠として挙げた前述の登記の解釈も誤りで
ある
とレ
ーメ
は決めつけた。即ち、その登記の追記の後半部分であ
る「
一三四
一年::
.. 」は、
当該登記自体の抹消に関す
る記
載であって、その部分
は「
一三四
一年、
所有
者エ
ベル
ハル
ドス
(II定期金債権者)の命令において(登記は抹消されたので)である」と読むべきであり、後者
の括弧の部
分の、登記抹消に関
する
記述
の省略は、
オー
バー都市帳簿ではしばしば見られ
る慣
行であったということであ
る。
従