① 層序
B区の地形は南北と西が高く中央部に向かってやや傾斜しており,低い部分は水溜り状になって
いたものと推察される。遺物包含層は第Ⅴ層と第Ⅵ層であり,第Ⅴ層は調査区全体で認められ,第Ⅵ層は若干量の遺物が散見される程度である。遺構検出面の土層(褐色シルト層)も中央部は変色して おり,褐灰色に近い色合いを呈す。第Ⅷ層以下は下層確認トレンチ(TR−1)で確認した土層である。
第Ⅰ層 表土層
第Ⅱ層 黄褐色(2.5Y5/3)シルト層
第Ⅲ層 暗灰黄色(2.5Y5/2)粘土質シルト層 第Ⅳ層 黄褐色(2.5Y5/3)粘土質シルト層 第Ⅴ層 暗灰黄色(2.5Y4/2)粘土質シルト層 第Ⅵ層 オリーブ褐色(2.5Y4/3)粘土質シルト層 第Ⅶ層 褐色(10YR4/4)シルト層
第Ⅷ層 灰色(5Y4/2)粘土質シルト層
Fig.63 B区西壁セクション図
X= 55,002.17 Y=−7,212.36 S
Ⅴ
Ⅰ
Ⅱ Ⅲ Ⅳ 2
1 3 1
Ⅴ 2 N
Ⅶ
S
(DL=7.60m)
N
Ⅵ
Ⅰ
2 Ⅲ Ⅳ
Ⅶ
Ⅴ
Ⅳ
Ⅲ
1 1 2
4
Ⅱ
Ⅴ
Ⅶ
(DL=7.60m)
X= 55,018.62 Y=−7,210.59
層位 第Ⅰ層 表土層
第Ⅱ層 黄褐色(2.5Y5/3)シルト層 第Ⅲ層 暗灰黄色(2.5Y5/2)粘土質シルト層 第Ⅳ層 黄褐色(2.5Y5/3)粘土質シルト層 第Ⅴ層 暗灰黄色(2.5Y4/2)粘土質シルト層 第Ⅵ層 オリーブ褐色(2.5Y4/3)粘土質シルト層 第Ⅶ層 褐色(10YR4/4)シルト層
第Ⅷ層 灰色(5Y4/2)粘土質シルト層
第Ⅸ層 褐灰色(10YR4/1)〜灰色(5Y4/1)粘土質シルト層 第Ⅹ層 灰色(5Y4/1)粘土質シルト層
遺構埋土
1.にぶい黄褐色砂質シルトに5Ù大の小礫とマンガン粒を多く含む(SD−206)
2.灰黄褐色砂質シルトにマンガン粒を比較的多く含む(SD−206)
3.灰色粘土(土坑)
4.暗渠 0 1 2m
第Ⅸ層 褐灰色(10YR4/1)〜灰色(5Y4/1)粘土質シルト層 第Ⅹ層 灰色(5Y4/1)粘土質シルト層
第Ⅰ層は暗褐色から灰黄色を呈す表土層で,耕作土である。
第Ⅱ層は黄褐色の小礫を含む10〜15
Ú
の厚さに堆積する自然堆積層である。第Ⅰ・Ⅱ層は調査 区全体にわたって堆積していた。第Ⅲ層は二次堆積層と考えられる。特に遺物は含まない。
第Ⅳ層も二次堆積層と考えられる。マンガン粒と若干の炭化物を含むが,遺物は包含しない。第
Ⅲ・Ⅳ層は調査区南部にのみ薄く堆積する。
第Ⅴ層は中世の遺物包含層である。マンガン粒を含み調査区全体に10〜20
Ú
の厚さで堆積する。第Ⅵ層は調査区北部の一部で認められた中世の遺物包含層であるが,包含する遺物は僅かであ った。
第Ⅶ層は中世の遺構検出面となっており,調査区中央部の低い部分以外で認められた自然堆積 層である。中央部より南は砂質が強くなっている。
第Ⅷ・Ⅸ層は下層確認トレンチ壁面で確認した自然堆積層であり,第Ⅷ層は粘性が強い。
第Ⅸ層はマンガン粒及び炭化物を少量ながら含んでおり,
2次堆積層と考えられ,堆積は30 Ú
を 越える。第Ⅹ層は自然堆積層と考えられる。
② 堆積層出土遺物 第 Ⅰ 層 出 土 遺 物
第Ⅰ層から出土した遺物は,ほとんど細片ばかりであるが約800点を数える。近代以降の削平が 第Ⅶ層にまで及んでおり,削平の影響によって,比較的多くの遺物が混入したものと考えられる。
瓦器(Fig.64−2001〜2003)
2001は椀の口縁部から体部にかけての破片であり,口径14.4 Ú
を測る。緩やかに内湾する口縁部であり,外面に強いヨコナデ調整を施す。体部外面には指頭圧痕が残り,内面には不明瞭ながら暗 文が残る。
2002・2003は小皿である。口縁部にはヨコナデ調整を施し,外底面には指頭圧痕が残る。 2002は
Fig.64 B区第Ⅰ層出土遺物実測図(瓦器・土師質土器・青磁ほか)
2001
2005
2006 2007
2008
2009 2010
2002 2003 2004
0 5 10 15Ú
口径8.5
Ú
,底径5.1Ú
を測る。2003は口縁部の約1/6が残存し,口径6.8 Ú
,底径4.0Ú
を測る。土師質土器(Fig.64−2004)
2004は小皿で口縁部の約1/4が残存し,口径8.3 Ú
,器高1.4Ú
,底径6.2Ú
を測る。胎土が軟質であ り,摩耗が著しく器面調整及び,底部の切り離しは不明である。青磁(Fig.64−2005)
2005は龍泉窯系の碗の口縁部破片で,口径16.0 Ú
を測る。外上方にほぼ真直ぐ立ち上がる口縁部であり,内面に劃花文を施す。器面には灰オリーブ色釉を約0.3
Ù
の厚さに施す。土製品(Fig.64−2006〜2010)
すべて土錘で,いずれも外面には指頭圧痕が確認できる。
2006は円筒形の管状土錘で完存し,全
長4.1Ú
,全幅1.2Ú
,孔径0.4Ú
を測る。2007は紡錘形の管状土錘でほぼ完存し,全長5.3 Ú
,全幅1.1Ú
,孔径0.4Ú
を測る。2008は円筒形の管状土錘で約2/3が残存し,残存長3.0 Ú
,全幅0.9Ú
,孔径0.5Ú
を測る。2009は紡錘形の管状土錘で約1/2が残存し,残存長2.9 Ú
,全幅1.3Ú
,孔径0.4Ú
を測る。2010は紡錘形の管状土錘で約1/3が残存し,残存長1.7 Ú
,全幅1.0Ú
,孔径0.4Ú
を測る。第 Ⅴ 層 出 土 遺 物
土師質土器,瓦器,青磁など13世紀代の遺物を中心として約800点が出土している。
瓦器(Fig.65−2011〜2013)
4点とも椀である。 2011は口縁部破片で,口径13.5 Ú
を測る。緩やかに内湾する口縁部であり,外面には弱いヨコナデ調整を施す。体部外面には指頭圧痕が残り,内面には圏線状の暗文を施す。
2012は底部のみ残存するもので,底径4.3 Ú
を測る。外底面には断面逆三角形の小さな高台が付く。内底面には不明瞭ながら暗文が施される。
2013は底部の約3/4が残存し,底径4.4 Ú
を測る。外底面 には断面逆台形で高さ約4Ù
のしっかりした高台が付く。比較的器壁が厚く5Ù
を若干越える。内底Fig.65 B区第Ⅴ層出土遺物実測図(瓦器・土師質土器・瓦質土器ほか)
2011 2016
2017 2012 2013
2014
2015
2018
2019
2020
2021
0 5 10 15Ú
面は摩耗しており,暗文等は確認できなかった。
土師質土器(Fig.65−2014〜2017)
2014・2015は杯である。 2014は外上方にほぼ真直ぐのびる口縁部を有する。約1/4が残存し,口
径14.0
Ú
,器高3.5Ú
,底径7.8Ú
を測る。胎土は軟質で摩耗が著しく,調整も底部の切り離しも不明である。
2015は若干外反気味の口縁部を有するもので,約1/2が残存し,口径12.5 Ú
,器高4.5Ú
,底径6.2
Ú
を測る。摩耗が著しく調整は不明であるが,内底面,体部外面には顕著なロクロ目が残る。底部の切り離しは回転糸切りである。
2016・2017は小皿である。 2016は約1/4が残存し,口径8.0 Ú
,器高1.6Ú
,底径5.5Ú
を測る。若干 外反気味の口縁部であり,胎土は軟質で摩耗しており器面調整,底部の切り離しは不明である。2017も約1/4が残存し,口径6.8 Ú
,器高1.3Ú
,底径4.2Ú
を測る。短く上がる口縁部であり,摩耗に より調整は不明である。中窪みの底部には回転糸切り痕が確認できる。瓦質土器(Fig.65−2018)
2018は三足釜の脚基部の破片で,残存長6.9 Ú
を測る。外面全体に指頭圧痕が残る。青磁(Fig.65−2019・2020)
2019は龍泉窯系と考えられる碗で,底部のみが残存しており底径6.6 Ú
を測る。見込には花文を印刻する。内外面ともオリーブ灰色釉を厚く施し,高台内には一部釉剥ぎを施す。
2020は皿の口縁部破片で,口径8.8 Ú
,器高2.1Ú
,底径4.8Ú
を測る。やや外反する口縁部で,透明感の強い明オリーブ灰色釉を薄く施す。全体に貫入がみられる。
土製品(Fig.65−2021)
2021は紡錘形の管状土錘でほぼ完存する。
全長4.1
Ú
,全幅1.2Ú
,孔径0.3Ú
を測り,外 面の両端に指頭圧痕が残る。第 Ⅵ 層 出 土 遺 物
遺物量は少なく,土師質土器を中心に100 点余りの遺物が出土している。時期的には第
Ⅴ層と大差ないものと考える。
弥生土器(Fig.66−2022・2023)
2022は壷で胴部から底部にかけて残存す
る。底径4.2Ú
,胴径24.8Ú
を測り,小さな平 底の底部と,球体に近い胴部を有す。外面に は部分的にハケ目とタタキ目が残る。下胴部 から底部にかけてヘラ磨きを施す。内面は底 部付近までハケ調整を施し,胴部中位に指ナ デ調整を施す。所々に指頭圧痕が残る。2023は甕で口縁部の約1/6が残存する。口
Fig.66 B区第Ⅵ層出土遺物実測図(弥生土器・瓦器・土師質土器)2023
2022
2024 2025
0 5 10Ú
0 5 10Ú
径15.7
Ú
を測り,くの字状に外傾する。外面にはタタキ目が残り,内面には指頭圧痕が残るが共に 摩耗が著しく不明瞭である。瓦器(Fig.66−2024)
2024は椀で底部の約1/2が残存し,底径3.5 Ú
を測る。体部外面には指頭圧痕が残り,外底面には断面逆三角形の小さな高台が付く。内底面には平行線状の暗文を施す。
土師質土器(Fig.66−2025)
2025は小皿で約1/2が残存し,口径7.4 Ú
,器高1.3Ú
,底径5.3Ú
を測る。短く上がる口縁部で,底 部は中窪みである。摩耗しており調整は不明であるが,底部の切り離しは回転糸切りである。③ 遺構と遺物
確認した遺構は掘立柱建物跡3棟,塀・柵列跡3列,土坑3基,溝跡6条,柱穴と考えられるピット,
水溜り状遺構2基であった。これらの遺構は13世紀の集落の縁辺部を構成するものと考えられ,検 出状況は調査区の北と南で様相を異にする。北では約250個を数えるピット群を中心に掘立柱建物 跡,塀・柵列跡等を確認しており,南では溝跡や数基の土坑を検出した。これらの遺構の中では,
SD−201から土師質土器等が約1,500点出土しており注目される。また, SD−206の西に位置する中
世の溝は平成7年度に土佐市教育委員会が発掘調査を行った林口遺跡¸のC区SD−1に繋がるものと みられる。
Ë中世
a.掘立柱建物跡 S B − 2 0 1(Fig.67)
調査区北部で検出した梁間2間(4.10〜4.20Û),桁行2間(4.35〜4.50Û)のやや歪みのある総柱東西棟 建物で,北側柱中央の柱穴は暗渠によって壊されており確認できなかった。
SA−201の北, SA−
202, SB−202の東に位置し,棟方向はN−85°−Wである。柱間寸法は梁間
(南北)が2.00〜2.30Û
, 桁行(東西)が2.15〜2.25Û
を測る。柱穴は径20〜25Ú
の円形で,埋土は灰色粘土であり,所々に褐 色シルトのブロックや炭化物細片が混入していた。東妻柱中央の柱穴を除くほとんどの柱穴から 遺物が出土したが,瓦器及び土師質土器の細片であり復元図示できるものはなかった。S B − 2 0 2(Fig.68)
調査区北部で検出した梁間1間(1.50〜1.55Û),桁行2間(3.20〜3.30Û)の南北棟建物で,
SB−203,
SA−203の北, SA−202, SB−201の西に位置し,棟方向はN−1°
−Eである。柱間寸法は梁間(東西)梁間×桁行 2×2 1×2 2×3
規模 梁間(Û)×桁行(Û)
4.10〜4.20×4.35〜4.50 1.50〜1.55×3.20〜3.30 3.20〜3.30×5.60〜5.90
柱間寸法 梁間
2.00〜2.30 1.50〜1.55 1.50〜1.70
桁行 2.15〜2.25 1.50〜1.80 1.70〜2.20
18.36 4.96 18.69 面積
(ß)
N− 85°− W N− 1°− E N− 74°− E
棟方向
(NはGN)
総柱 備考
SB−201 SB−202 SB−203 遺構番号
Tab.3 林口遺跡第Ⅱ調査地区−B区掘立柱建物跡計測表