ケ 菩
レ 薩ノ¥
尤トモ勧請スベシト勅定アリシカバ二日ヲ申延テ彼 ノ龍ヲ招請アリ時ニ善女龍王小身ヲ現ジ八寸ノ
マノアタ
金龍ト化シ九尺ノ龍ノ頂キニ乗テ親リ此池ニ来リ 玉ヘリ即チ公家ヨリ和気ノ真綱ヲ以テ種種ノ供物 ヲ捧ラル其トキ須奥ニ密雲四方ニ起テ油然トシテ 雨ヲ降スコト三日三夜国土普ク潤ヒ万民悉ク
ネタミ
喜べリ是ニ由テ守敏甚タ弘法大師ヲ妬或トキ大
6オ
﹂6ウ ウカ
J Y
師ノ出行アリシヲ縞ニ鰍ヒ失ヲ以テ是ヲ射ルトキ
地蔵其間ニ出現ナサレ弘法ニ代テ其ノ矢ヲ負フ 今ニ地蔵ノ石像ニ癒痕アリ故ニ矢負ノ地蔵卜
云此地蔵ハ東寺西南ノ隅山崎道ノ傍ラニ
アリト云笥肱一戸リ
矢負地蔵由来記終﹂7オ
明治十八年四月一日
地蔵経第七巻内直写之
吉原氏﹂7内/
※1オ
1
2
オと3オの﹁京都府知事北垣国道殿﹂は︑﹃史料京都の歴史﹄第日巻(平凡社︑平
4)
に翻刻されて
いる︒末尾の
﹁地
蔵経
第七
巻﹂
は︑本文中に取り上げ
たJ﹃延命地蔵菩薩経直談紗﹄巻七を指すに違いない︒
吉原慶一郎氏蔵本︒
写真①石造矢取地蔵坐像
※右手に錫杖と共に矢を二本持っている︒以前
は︑白い矢羽も付いていたという(村上弥一郎
氏 談
) ︒
ある矢取地蔵をめぐる覚書 写真②法楽寺蔵﹃大師行状記﹄のうち﹁矢取地蔵﹂(写真⑤)の一部※雲に乗った地蔵が︑水平にした逆向きの矢を二
本︑胴前の左手に持っている︒また︑左端には守敏の方に向かうらしい矢が一本見える︒
33
ある矢取地蔵をめぐる覚書
写真③法楽寺蔵﹃大師行状記﹄全四幅のうち第四幅
※第二段第五働(下から二段目右端)が︑右端に金字で﹁矢取地蔵﹂と記して︑矢取地蔵の伝承を描
く(←写真⑤)︒第一段(最下段)は右から︑﹁稲荷勅約﹂﹁守敏加持﹂﹁守敏封龍﹂﹁神泉祈雨﹂︒
写真④東寺宝物館蔵﹃弘法大師行
状量禁羅﹄のうち﹃矢取地蔵﹂
ある矢取地蔵をめぐる覚書 写真⑤法楽寺蔵﹃大師行状記﹄のうち﹁矢取地蔵﹂写真③の一部
写真⑥﹃弘法大師御伝記﹄巻八挿絵h
※飛び交う矢のうちの一本は︑
左端の守敏に向かってかなり
接近しているように見える︒
3 5
ある矢取地蔵をめぐる覚書
写真⑦吉原慶一郎氏蔵享保四年文書裏面絵図
︿部分﹀
※石橋の左上方に﹁地蔵堂﹂が描かれ
ている︒石橋は今はない︒本文中に
挙げたーに﹁石橋の所﹂︒ 写真⑧西寺蔵木造守敏座像
※承応年間の製作と考えられる︒西寺跡の西北方の西寺の開
山堂に安置される︒四月十五日のみ一般公開︒西寺は︑浄
土宗西山禅林寺派︑門外に﹁西寺旧跡﹂という石碑が建て
られている︒
付.﹃弘法大師御伝記﹄の挿絵と北摂感応寺所蔵﹁弘法大師絵伝﹂
北摂の比僧山感応寺(三田市小柿)の所蔵する掛幅絵伝﹁弘法大師絵伝﹂八幅(市文化財)が︑基本的に︑右小稿の中
で取り上げた﹃弘法大師御伝記﹄に準拠し︑その挿絵に基づいて描かれたものに違いないこと︑拙稿a﹁﹃弘法大師絵伝﹄
の絵解き﹂(﹃解釈と鑑賞﹄平成十五年六月号)に述べたが︑紙幅の制限あって︑全ての絵について両者対照することは到
底叶わなかった︒そこで︑そのことを︑本誌紙面を使用させて頂いて︑以下に実現したく思う︒また︑右拙稿は︑一部単
純なミスを犯していることが判明したので︑合わせてその修正をも行いたい︒
依拠する﹃弘法大師御伝記﹄は︑架蔵本で︑十巻五冊︒天明三年(一七八三)の再校本である︒刊記に︑まず﹁寛文二
壬寅歳初春出来/天明三癸卯歳初夏再校﹂︑﹁書林﹂として﹁大坂心斎橋安堂寺町/大野木市兵衛/同心斎橋北詰町/上田
卯兵衛/同心斎橋南久太郎町/柳原喜兵衛﹂︒右拙稿には︑﹁挿絵が︑巻一から順に各巻︑十五面︑士二面︑十二面︑九面︑
十一面︑十三面︑十二面︑九面︑八面︑十三面と︑計百十五面存する﹂と記したが︑傍線部はそれぞれ﹁十六面﹂﹁十四
面﹂﹁百十七面﹂の誤りであって︑ここに訂正する︒なお︑半丁分の挿絵も︑見開き一丁分の挿絵も︑さらには一丁半に
及ぶ場合も︑一つの絵と認められれば同じく一面として数えている︒また︑それら挿絵には︑巻毎に前から順に︑abc
⁝⁝と記号を付した(巻一aは︑巻一の最初の挿絵a)︒﹃弘法大師御伝記﹄は︑﹃弘法大師伝全集﹄第十(ピタカ︑昭52
復刻)に翻刻されているが︑挿絵は掲載されず︑その所在箇所に﹁絵﹂と記される(不正確な面あり)のみである︒
感応寺所蔵﹁弘法大師絵伝﹂八幅については︑台本が伝来するなど絵解きされていたことが確実な事例として︑拙稿b﹁弘法大師伝の絵解き1北摂比僧山感応寺の事例1﹂(﹃花園大学研究紀要﹄24︑平4)に取り上げ︑検討を加えている︒
絵師の選定︑勧進等による集金活動︑本山である大覚寺への報告︑絵伝開眼供養の様子などを克明に記録していて興味深
ある矢取地蔵をめぐる覚書
37
ある矢取地蔵をめぐる覚書
い﹃行状鏡﹄(市文化財)も伝来し︑それによるに︑絵師武田春祥によって文政七年(一八二四)に描き終えられたもの
である︒基本的に︑各幅とも上下五段に分割され︑さらにその各段が数分割されていて︑結果︑第‑幅から順に︑十五勧︑
十六爾︑十七飼︑十二餉︑十四齢︑十四齢︑十四齢︑十三駒と︑計百十五飼に区画されている︒各幅とも︑最下段・第五
段の右から左へ︑次に一つ上の第四幅に移り今度は左から右へ︑と蛇行的に画面が進行する︒今︑各幅毎に︑その進行順
に各酌にω②③⁝⁝と番号を付した(1ωは︑第‑幅第ω駒)︒
以下に︑まず︑﹃弘法大師御伝記﹄の全挿絵を掲げる(39〜65頁)︒見開きで一つの絵の場合は︑両者近接させて掲げる︒
巻九hと巻十mは各々︑一丁半分に及んでいるので︑半丁分(一丁分)と一丁分(半丁分)に分割して掲げ︑巻九hH︑
巻十m,mとした︒各挿絵の右側には︑上から順に︑挿絵所在巻数・挿絵記号・挿絵所在丁数・﹃弘法大師伝全集﹄該当場
所(同書の大体どの部分に位置すべき絵であるか)を︑﹁巻一a 2ウ・3オ (P32上)﹂などと示した︒そして︑左
側下には︑同挿絵と対応する︑感応寺所蔵﹁弘法大師絵伝﹂中の絵の幅・駒の番号を示した︒両者の間で構図が左右逆転
しているらしい場合は︑番号をゴチック体で掲げ︑絵の内容(主題)は共通するものの︑構図や絵柄が大きく異なる場合
は︑番号の上に※印を付した︒対応する絵が見られない場合は︑﹁無﹂と記した︒
次には︑感応寺所蔵﹁弘法大師絵伝﹂のうち︑一例として第皿幅全体の写真を掲げた(66頁)︒三田市教育委員会編﹃三
田の文化財﹄(平2)には︑その前後︑第W幅と第皿幅の写真が掲載されている︒
次いで︑不鮮明なものだが︑感応寺所蔵﹁弘法大師絵伝﹂全八幅の写真を︑各悟とも・段ごとに分けて掲げた(67〜74
頁)︒そして︑各酌の上に番号を付した︒各駒の絵相・主題については︑拙稿b参照︒
最後に︑﹃弘法大師御伝記﹄の挿絵と感応寺所蔵﹁弘法大師絵伝﹂との対応表を掲げた(75頁)︒拙稿aに掲載したもの
に修正を加えたものである︒
﹃弘法大師御伝記﹄挿絵
巻一a2ウ・3オ
P 32 上
巻一b4オ(P32下)巻一c5ウ・6オ(P33°下)
39
19一 く
111二 く ラー00°く
ある矢取地蔵をめぐる覚書
ある矢取地蔵をめぐる覚書
巻一d 6ウ・7オ(P34上) 巻一e 8ウ・9オ(P34下)巻一f 1ーオ(P36上)
巻一912オ 官昌魔U
(P36上﹀
14▲く 71FOく
17●く
巻
一
h 13オ(P36下)
巻
一
●‑■715オ(P37上)
巻
一
1
16ウ
17オ■(P37下)
巻
一
,‑14オ 14ΩU く
(P37上)
巻
一
k
15ウ 無
(P37上)
41
無
10り く
1(
11)
ある矢取地蔵をめぐる覚書
ある矢取地蔵をめぐる覚書
,
巻一
m
18オ(P38上)
巻一
n
20ヴ
2ーオ●(P39上)
巻一
0
24ウ (P41上)
Σ131く 115く
e
1 41く
巻一P26ウ・27オ(P42上) 巻二a 2オ(P44上) 巻二c 4ウ・5オ(P45下)
噛 「 . 幽 「 ・ 「 . ' . 9 . ‑ 「 . ・ 1 . 1 層
巻二b 3ウ
(ll2)
(P45上)
43
W且1 く . 騨皿rO く
.∂
皿㈲
P
ある矢.取地蔵をめぐる覚書
ある矢取地蔵をめぐる覚書 巻二d6ウ・7オ(P46上)巻二e7ウ(P46上)巻二f9ウ・10オ(P47上)
皿 五
(6)
皿
(8)
巻二9 1ーオ(P47下)巻二h 12ウ・13オ(P48上) ・巻二i 13ウ・14オ(P48上)
脚皿9
45
画
.
, , H10 く 皿11 く
,
ある矢取地蔵をめぐる覚書
̀
ある矢取地蔵をめぐる覚書
¶
,
巻二ー 15ウ・16オ(P49上)巻二k 18ウ・19オ(P50下) 巻ニー 20ウ・2ーオ(P51下)
II (12)
皿 (13)
H (14)
隔
巻二m22オ(P51下)巻三a2オ(P54上)巻三b3ウ・4オ(P55上)
巻二n23ウ 皿
(15)・
(P52下)
皿 (1)
47
無
皿'
(16)
ある矢取地蔵をめぐる覚書
ある矢取地蔵をめぐる覚書
巻享c 6オ (P56上)
一り
基
P 57 下
巻三913オ(P59上)
皿 (3)
皿 (5)
皿 (7)
巻三
d
7ウ
P 56
下
巻 三 f 11 ウ
P 58
・下
巻 三 h 15 オ
(p60下)
>mq
皿く 6
禺
巻三17ウ(P61下)巻三ー19ウ
20オ●(P63上)巻三
k
20ウ
2ーオ●(P63上)
皿⑲
49
皿10 く m11 く
ある矢取地蔵をめぐる覚書
ある矢取地蔵をめぐる覚書
巻三22ウ(P63下)巻四a 2ウ・3オ 蝕
(P65上)巻四b4ウ(P66上)
無
皿 (13)
皿12
.
巻四c 5ウ・6オ(P66下)巻四d 8オ(P67下) 巻四f 12オ(P70上)
▼巻四e 9ウ 皿15 く
(P68下) 巻四9 13ウ 皿17 く
(P70下)
51
皿14
皿16 く WD
ある矢取地蔵をめぐる覚書
ある矢取地蔵をめぐる覚書
巻四h 15ウ・16オ(P
雫
巻 四 i 18 ウ 19オ●(P72下五a2オ
P 73
下
Wω
巻五b3オ(P74上)
IV
・(3)
(2)
W㈲
,
巻五c 5ウ(P75上)巻五e 8オ(P76上) 巻五9 10オ(P77上)
魑
巻五d 6ウ
⑤ 、
至 嵩
巻 五
f
9 ・ オ
無
(P76下)︑
巻 五 h
11 ウ
A
(9)
P 77 下
53
W7 く W8 く ・ W10 く
ある矢取地蔵をめぐる覚書
ある矢取地蔵をめぐる覚書
巻五i13オ
A
P 78
上 一
巻五k15ウ(P79上)
巻一L ノ \
b
3オ(P81上)
巻五ー14オ
A
P 78
‑(11)下IV
巻六a2オ Vq
(P80下)
巻⊥ ノ、
C
4ウ
A
V6
P81下)
W12 く V2 く
.V (4)
し
ある矢取地蔵をめぐる覚書 V⑯
養
ノ、e
7 ウ
P ・ 83 上V・
(5)
巻六d6オ(P82上)
V⑱
養
ノ、9
9 ウ
P 83
下'
v
.V (7)
幸
昌
F
83
五
V1 0
巻 六 i 12 オ
(P85上) V9 く
巻 六 h 10
ウ
、F
墾
55
V (12)
巻六k14オ
P 85 下 V
(11)
巻
ホ
」
・ Bオ(P85
上
●ある矢取地蔵をめぐる覚書
巻六
1 15 ウ
■
16 オ
V (13)
P 86
上
巻七
a
巻 六
m
,
1 ウ
17ヴ
WD く
P 88 上
V (14)
(P87上)
巻七b2ウ(P88下)巻七d6ウ(P90下)巻七e8ウ・9オ(P91下)
巻七c5オ
P 89
下 無
VI (4)
57
為
'VI
(2)
ある矢取地蔵をめぐる覚書
ある矢取地蔵をめぐる覚書
巻七f
. .
「
1ーオ
.
A
P 92・ 下
..
巻七h14オ(P93下)巻七ー17ウ
18オ●(P95上)
噂
巻七g12ウ
A
P 93
占(6)
巻七i15ウ
VI (8)
(P94上)
W10 く
(7)
(9)
̀
巻七
k
20オ
A
P96上) 巻八
a
3オ(P98上) 巻八
C
7ウ
A
1Poo下)
‑
巻七
◎
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凋
21
,
ウ
:
91=
A
P
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96(11)
巻 八 b
, ・
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},
6ウ
巳
A
P 100VI
上(13)
言
巻八
d
9ウ
■
ミ
;
■
A
P 101
下 VH v(1)
59
W12 く
(14
Wω
ある矢取地蔵をめぐる覚書
,
(3)
巻八
e
1ーウ
●
12オ
!へ
P 102
下
v
ある矢取地蔵をめぐる覚書
P
I
巻 八 9
14ウ
F 巻
八 f
13オ
無
A
P 103
下 鉦
ノい 、
A
P 102
下
巻八h17ウ
18オ■
※ va (4)
A
P 105
上
b
ある矢取地蔵をめぐる覚書 W⑥ 巻九
a
2オ
A
輪
巻 八 i
19オ
A
P 105
v下
'
巻九b3ウ
A
皿ω
P'108
上
巻九
C
4ウ
■5オ
A
W㈲
P 108
下
61
●
巻九e8ウ . 巻九d6ウ ある矢取地蔵をめぐる覚書
A
冊10 く . ■
P 110
下
W⑨
P 109
下 ・
巻九g 巻九f
12 ウ.
1ーオ
■.
※ 皿 (13)
・° ° し
A
P 112
下 (羽)
A
P 112
上
巻九h14オ
A.
田14 く
P 113
下
V
ある矢取地蔵をめぐる覚書゜
w '(14)
巻 九 h' 14 ウ 15
オ
P
・下ll3
巻 十 b
3 ウ
巻 十
a
2 オ
皿 (2)
F
115V皿 下(1)
'P.
115 上
巻 十d
6 オ
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C
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鉦'、 、、
F
117V皿
占(3)
F
116 上
63
か
皿⑥
巻 十 f
菖
A
P 118
上
皿 (4)
巻十
e
7オ
A
P 117
上 ・
ある矢取地蔵をめぐる覚書
巻十h1ーオ
巻 十
9
10オ
粗㈲
A
P 119
上 田 (7)
A
P 118
下
巻十﹂ 巻十i
13ウ 12ウ
皿10 く
A
P 120
上
田㊥
A
P 119
下
ある矢取地蔵をめぐる覚書
皿 (12)
V皿 (13)
巻十1 17ウ
P 122
上 皿 (11)
皿 (13)
65
巻十k 14ウ
F
120
五
巻 十
m 18
ウ 19 オ
F
122
占
巻 十
㎡ 19 ウ
(P22上) 1