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八 島 久 右 衛
増門
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第・昌{:秀[㌔政権期の4ふ]1 人の動向 フ4
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八 嶋久
イ1衡門 九月二..本松へ参肴一とあり︑八島は長吉の嫡7+幸.長の﹁御供一を﹂て.︑本松に陣を進めたとある.前述のように︑ じ は.長吉の家.臣てある...大正十九年︐月卜九日付の八島久右衛門増一汀書状に︑﹁拙者事左京様御供申罷ド候︑今日ト −弐野︑♪k旧 人の﹁八島久右衛門増行一という人物に注目してみよう︒﹁弾正満足被申候﹂とあることから︑八島久右衛門増行 エ ヂ しき まコひ ロ ナココ 事したとされる︒史料/1の﹁.名護屋御普請大形相調申由﹂はこの︑右拍.普請に関するもの一.cあるが︑それよりも差川 ニ ニ り﹂奉行として名護屋城の築城を行ったが︑九州の諸大名は御手伝普請を命じられ︑そのほとんどは白垣普請に従 領ドの立花宗茂に伝えた..ここでの﹁.大野源右衛門﹂は立花氏の家臣であろう︑.長吉は惣奉行︑黒川孝高は﹁縄張 る.史料Hによると︑長占は天野源右衛門の﹁奥州﹂での行動をねぎらい︑名護屋城の普請作業の状況を筑後柳川 史料11の﹁.大野源右衛門一はもともと明智光秀の家臣で︑光秀の滅亡後︑蒲生氏郷や立花宗茂に仕えた人物であ
.長吉の家臣であるーペ橋︐八蔵・西村左馬之助・鯨江権左衛門は︑﹁太閤様へ御役金被・31ーヒ﹂ため︑伊達領の金山に派
遣されたが︑彼らは伊達領金山の掘.仁と紛争を起こした︑.文禄...年ト月勃発Lた事件は︑翌文禄四年..月に伏見の ニじぺ長吉邸まて持ち込まれ︑︐八島久右衛門がこの事件を処理した︑.桑田忠親氏によると︑八島久右衛門増行と.長吉の問 マざには︑一何らかの密接な関係があり︑秀㍑との関係は間接的に感じられる﹂とし︑彼は長吉の︐奏者か何か﹂であっ
たとするらところで若狭には次のような文書もある︒
一史料12︐
和川通舟︑如才㌔々誰々乗候吐ハ︑舟ちんρ臼様二とり可叩候︑い右⁝別.不尽∴吹者︑此方へ︐川叩越候⁚︑猶くミや・じ口関申
渡候︑吋有其心得者也︑如件︑
.人.止十−七年
第 Lr VtLI:,《衷xi也乏酉、: 成
桑村玄作入道殿
八島久右衛門という人物か若狭の﹁和川通舟﹂の舟/8取り立てに関する免許を出したが︑近江野洲郡のL豪代官
に﹁矢島久右衛門.一という人物も確認できる︒近江の矢島久右衛門は︑人正年間と推定される時期︑前田利長から
越前府中の武﹂と思われる 片川Lなる人物と.有御内談︑有様二吋被仰付﹇よう指小された︒さらに河内の観心
ヒ﹂にも矢島久右衛門かその足跡を残した︒人正ト四年.頃かと思われる︑.月11九11付八島久兵衛宛の秀㍑朱印状に︑
㍉伊丹近辺川水出候者︑道橋等.吋損候間︑其方代︷11所二て無之候共見廻候て︑よきやう二吋日候︑井川渡瀬出陣諸
卒吋為︑不案内候間︑奉行付置︑無滞やう二︑吋申付候Lとあり︑この矢島は摂津伊丹近辺の代官であったようであ
る︒以Lのように︑史料11の八島久右衛門増行をはじめ︑もし各地の矢島︵八島︶久41衛門かすへて同︑人物とする
ならは︑長占は︑近江や若狭をはじめ各地での在地支配に深く関わりを持っていたことになる.矢島ρ八島︶久右衛
門ら家臣の足跡を検討することから︑長㍑が東国の鉱川支配や流通過程にかなり人きな関わりを持っていたことが
想定てきよう︑
第三節 浅野長吉と山中長俊
1
山中.長俊の登場
s
秀吉の右箪に山中長俊という人物がいるが︑森山垣雄氏や斉藤司氏によって右筆以外の彼の役割か次第に明らか
第部秀.㌧政酩崩沙奉l」たの動向 76
俊の に家史 そ臣料
し)は13確会は
認津イili求日氏 を豊生 め蔵郷 た入の 地跡 氏のH
郷代}目
に関するものである︒これによると︑文禄四年..月L日の氏郷.死去に伴い︑蒲生氏
を勤めることを表明し︑蒲生領や豊臣蔵入地の情11川事務について前川利家と山中.長
.死去︑その嗣.r鶴﹁代は幼少のため︑秀㍑はその遺領を没収ホることを決するが︑
城1前1.・
山1筑け
殿。守・日
になりつつある.︑斉藤司氏によると︑山中は関東全域の諸大名や寺社などに秀吉の指へ口を取り次ぎ︑あるいは秀吉
朱印状の添状に連署するなど︑政権の東国支配に重要な任務を担っていた.︑とくに後北条氏の降伏直後の天正十八
年・.八月︑彼は徳川・佐竹両氏領を除く関東諸地域の政権の﹁仕置﹂を増田.長盛らとともに担当した︑︑
一史料13⁝
条々
︵中略︶
︐︑大閤様御蔵入会津二御座候分之義︑御代官我等二被 仰付︑外聞添存候︑へ︐心を人取沙汰日吋致運ヒ候︑汗
鶴T世蔵入諸賄方切米等之義︑めいさい二付記︑毎年算用之儀㎡︑付︑ ピ聞之旨存知仕候︑則年々卯月時分
二罷ヒ︑遂御勘定吋中候事︑
右之旨少茂相﹁ ︺座有間敷通︑吋預御取成候︑以ヒ︑
文禄四年
九月 蒲生四郎兵衛︵花押︶
第 /t:㌧烈:破・\地kN,・・IF.成
\ ア ‖ー ノ夷征吋
播磨の豊臣蔵人地代官てある福原長暁は木︑卜延俊への知行宛行に伴い︑
御蔵入之儀.⁝に心得かある山中長俊に相談した.︑山中長俊がこのように御蔵入之儀 自
身 の 知 行 地 が
︑入組.むことを心配し︑
に・心得があるのは次の文 尚々︑知行︑ ﹈入ミ無之様二﹇碓﹈沙汰候而吋被ド候︑是非々々︑奉願川候︑以ヒ︑ トー矩俊 け口面使者を以申入候︑木.卜右衛門人夫殿...本郡之内二.面︑御知行御拝領二付.血︑所わけ之儀︑御人︐心を被入候.而 ρ∵.︑.︐川被.卜候︑先μ日如申入︑自分之知行二相ちかい︑御蔵人之儀候条︑其御心得頼存候︑彼地之儀︑定.血中11様事ハ ごロば れ ら可為御無案内候問︑えすを仕候.而進之候︑能々御披見被成︑入くミ無御座候様二御書わけ候者︑吋畏存候︑たとへまけ候て︑御宋印被相調候共︑右之通候問︑御分別頼存候︑猶於.r細者︑11上申・人候︑恐々謹...口︑ \ー﹇Lー ・い門パ揺 ノ戊ー〜ー 6メ寸ー 長成︹花押︶ ..:﹁∵咋 山々城様
墓
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体の−取次﹂となっていた︑長㍑の存在を想像することができないたろうか.さらに史料Hを見てみよう︒ 生氏の一取次︑てあったようてあるが︑蒲生氏側が長俊に史料Bの−条々しを提出したのは何故であろうか︒長俊の n川が家康・前田利家と長㍑・前田玄以によって監査されることか明記されたのである︒こうした経締から利家は蒲 せ候て︑其﹂民部卿法叩・浅野弾.止少弼を以吋申ヒ候﹂と蒲生氏側に相続の条件を出Lた.蒲川領の﹁台所入﹇の 月九11付で︑﹁鶴﹁代台川・へ之儀︑氏郷如相定吋仕候︑代官前之事・人ム︐心遂算用︑江.戸人納.∵加賀中納..⑪両人に見 ふシロトト リぽりち 家康と利家の奔走て遺佃は没収され寸にすみ︑鶴﹁代の相続も認められることになる︑その際︑秀㍑は文禄四年..被 仰 後叉付 九H候 1い条
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儀 裟 ご .さらに次のような文粒日もある︒ ていたようである︐長俊に関する文書として文禄...年四月−﹁六日付山中長俊宛の秀㍑末印状もあるが︑これは丈濃 右革たけの活動とも思えない..右筆のみならず︑長俊は豊臣蔵入地のn理・運営︑とくにその﹁御算用﹂に関㌦し の発給に深く関わっていたからであろう︒たしかに長俊には秀吉の宋印・状発給に関与した事例が名いが︑これらが 大和の領主増田長盛は﹁塩年貢一のことで山中長俊に秀占朱印状の調整を依頼したが︑これは長俊が秀㍑朱印状第部秀㍑政㈱1の街」ノ、の動向 78
山[1.
々震 城警 守
宿
御殿
所
﹁°く㌶碗゜°︐ ー.一 jlTrノ増田右衛門
長尉盛花
巴1
議蓼ぎ
塩年貢
過半我等御代官所内二候へ共︑御朱印二塩年貢を入不申候条︑是又通御調候て吋給候︑、 るc書で理解
79
第
豊ii・蔵ぺ地乏酋已び)日三e文
山中橘内 .長俊︹花押︶
木ド半介 吉隆︵花押︶ う リロ 川蜘雅楽頭殿
人︑々卸h−
ここで長俊は︑政権の奉行人として諸大名への﹁猿楽配当米﹂の賦課に関与したのである︒長俊とともに連署し
た長束正家や木ド㍑隆は︑﹂沢正成とともに当時名護屋城にあって︑朝鮮への兵根米やその他戦時物資を供給ホる
任務にあたった人物である︒長俊も政権の財政に深く関与していたことが想像できよう︒
2
山中長俊と豊臣蔵入地
草案でしかも断片史料であるが︑ここに興味深い豊.臣蔵入地の算用状がある︒
へぬね﹇史料17﹈
︵断︶
一、
拾石一︑拾五石 御本丸ヘビ 鳥.仁紙千枚之代米 壱枚二付弐升宛
御本丸ヘヒ
打曇紙五︑自枚之代米 壱枚二付二升宛
できないか︑播磨国飾い眼郡内の賠.臣蔵入地である野川村には︑慶.長弐年分野川村物成払方之事 という文世日が残 官地の決算状況を伏見城の小出秀政・片桐n.兀に報告したのである史料17からでは.長俊を越前の代官とLか判断 史料
17をま
と 片二小 め 桐n!出 た 市
・・播
の IE 磨 か 殿 守
表 殿2
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る関ヶ原の戦後︑長俊は越前の豊臣蔵入地代官としてそれまで支配していた代 慶長四年高頭
慶長五年ー
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戊ー山、.i,
中1 1雁 城守
内
、弐拾八石弐斗六升弐合五夕
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第 ・部 、㌧政権{舅のな}1 .ttの動「川
都
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拾/﹇1石戊L
』]・弐Al夕合 拾石斤斗︑
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あいは様御ちの人こ人長殿へ束 参拾五石︑内三 御 府二
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