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 平成 4 年卒業の井上健です。同期の林 の紹介で執筆させていただきます。

 卒業後はすぐに福岡へ帰り、九州大学 第一外科に入局後、地方を転々とし平成 15年から現在の井上病院に勤務してお ります。昨年から理事長になりました。

 現在73床の急性期、包括ケア、緩和 病棟となんでもありの病院で訪問看護、

訪問診療も始めてます。

 最近では当地の糸島がちょっとしたブー

ムでドライブや糸島牛、野菜が人気でJA 伊都菜彩さん(当院のすぐ近く、JAで日本 一の売り上げだそうです)などに多くの方 が市内から来られております。牡蠣なんか も人気です。たまに学会なんかで福岡に来 る友人らにごちそうすると喜ばれています。

ぜひ、皆さんも福岡へ遊びに来てください。

 次は平成15年卒業の現在、福岡市 浜 の町病院救急部勤務の田中亮先生をお願 いします。

医療法人誠心会 井上病院 院長・理事長 

井 上   健

 (平成 4 年卒業)

安井クリニック 院長 

趙   秀 一

 (平成 1 年卒業)

 緑樹会会長石藏先生始め兵庫医科大学 の発展・向上に寄与されている諸先輩方 や関係者の方々のご苦労にこの場をお借 りしまして心より感謝申しあげます。私は、

故生駒文彦教授のもとで泌尿器科学を御 指導して頂き平成16年、ものづくりの町・

ラグビーの町東大阪市の布施で安井クリ ニックを開業いたしました。また、今年度 には機能訓練型・半日ディサービス・フロ イデ・シニア健康フィットネスを立ち上げ させていただきました。慣れない介護で 日々孤軍奮闘と言うところです。介護の魅 力は、じっくりと患者様とお付き合いがで

きる点にあります。平均寿命以上に健康寿 命が重要です。健康寿命の維持には身体 機能の維持とともに生き甲斐を持ち、人と 人がつながりそして笑いが大切です。笑い はストレスホルモンを減少させ血圧を低下 させかつ免疫力の向上、脳の活性化や自 律神経のバランスを整えるとされています。

これからも身体機能の維持・向上に努めな がら身体的不安や精神的不安、社会的不 安を抱える患者様に生き甲斐と安心感そし て笑いを与えられるような場を作り上げて いきたいと思います。兵庫医科大学のさら なる発展を祈願いたします。

医療法人一高会 野村海浜病院 整形外科  

福 永   訓

 (平成 9 年卒業)

 平成9年卒業の福永訓です。佐用共立 病院耳鼻科の市川博康先生の紹介をうけ ました。研修医時代から佐用共立病院に お世話になり、現在も週1回外来、手術 を行っています。卒業後は兵庫医科大学 整形外科に入局しました。以後、大学院 に行き、学位を取らせて頂きました。整 形外科医局、故圓尾宋司先生をはじめ兵 庫医科大学の先生には非常に感謝してい ます。その後、神戸市須磨区の野村海浜 病院、大学病院(整形外科骨軟部腫瘍グ ループ)を経て再び野村海浜病院に勤務

しています。大学病院時代には麩谷博之 先生にお世話になりました。最初の野村 海浜病院時代には、宝塚市民病院の整形 外科森山徳秀先生の指導を受け、整形外 科の手術を磨きました。また、野村海浜 病院の院長である野村高二先生には内科 的な治療、救急処置等を教えて頂きまし た。兵庫医科大学のつながりでこのよう な環境で支えられたことに非常に感謝し ています。今後も様々な場所でお世話に なることがあると思いますが、宜しくお願 いします。

精神科 神経科学 助教 

宇 和 典 子

 (平成14年卒業)

 今回、兵庫医科大学整形外科学でご活 躍されている同級生の中山寛先生よりバト ンを受けました宇和典子と申します。私は 兵庫医科大学卒業後、同大学病院精神科 神経科に入局し、 2 年間の研修医生活を 経て大学院へ進学しました。大学院卒業 後も兵庫医科大学から 1 度も離れることな く現在に至っています。大学では老年精神 医学、特に認知症の分野を専門とし、精

神科神経科と認知症疾患医療センターを 兼任しております。プライベートでは同級 生と結婚し、双子の母として日々仕事と育 児に奮闘しております。この緑樹会にも女 性の先生の割合が増えてきているかと思い ますが、結婚、出産といった様々なライフ イベントを楽しみながら仕事も続けていっ て欲しいと思います。

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北大阪警察病院 内科  

霜 野 良 弘

 (平成25年卒業)

 平成25年に卒業した霜野良弘と申し ます。卒業後は、兵庫医科大学病院の卒 業臨床研修センターで 2 年間研修させ て頂きました。その後、兵庫医科大学肝 胆膵内科に入局しました。

  3 年目は大学で肝胆膵疾患を中心と した専門的な医療を経験しました。卒後、

4 年目からは医局の関連病院である北 大阪警察病院に出向となりました。消化

器内科を中心とした一般内科医として勤 務しています。一般内科は幅広い知識が 必要であり、上級医の先生方のご指導の もと日々診療に励んでおります。最後に なりますが、まだまだ医師としては未熟 な私ですが、少しでも良い医師になれる よう頑張っていきたいと思っております。

これからも何卒よろしくお願い致します。

市立大津市民病院 放射線科 医長 

笠 原 誓 子

 (平成14年卒業)

 平成14年卒の笠原誓子と申します。

 卒後は京都大学の放射線科に入局し、

そこでバトンを頂きました芝田豊通先生 に初めてお目にかかりました。母校以外 で同窓生に出会う縁というのは、なんと も嬉しいものです。入局後は幾つかの病 院を経て、2012年から現在に至るまで 市立大津市民病院で働いておりますが、

兵医出身の若手の先生が 2 名いらして、

その空気感を懐かしく思っております。

 放射線科業務は病院により多彩で、単 純写真、CT、MRI、RIの読影業務には じまり、消化管透視検査、超音波検査、

IVRやRFA、穿刺/生検といった手技も 叩きこまれて来た感がありますが、現在 は主に画像診断業務をしております。日 常診療でそうそう出くわさないものの、

知らなければ治療に結びつかないといっ た疾患がまだまだ沢山あり、日々研鑽、

退屈しない医師生活を送っています。現 在の自分があるのも、母校での経験なく しては無く、本当に感謝しております。

有難うございます。

 次は、平成13年卒の若田(旧姓:長見)

ゆき先生よろしくお願い致します。

 平成 6 年に卒業しました前田と申し ます。私は大学を卒業して、すぐ他大学 の医局に移りましたので、兵庫医大へは 20年以上ぶりのご挨拶となります。

 私自身は、開業医の息子でありながら、

耳鼻科医である父のあとは既に一つ上の 兄が継承することが暗黙の了解になって おり、正直、学生時代は勉学に対するモ チベーションは低く、授業にも余り出ず、

サッカー部の練習、テニスサークルや学 生会活動ばかりに夢中になっていたよう に記憶しています。当時から兵庫医大生 の多くは医師のご子息が多く、経済的に も満たされた人が多かったこともあり、

友人の多くは、温厚で明るく楽しい人達 ばかりでした。兵庫医大で過ごした時間 は大学の自由な校風とも相まって、今振 り返っても最高の青春時代だったと思い ます。

 ただ、そんなある意味「生ぬるい」学 生時代でしたので、ポリクリが始まって も将来医師になるという自覚はなく、気 構えとしてはまだまだ未熟だったと思い ます。そんな僕でしたが、 5 年時の授業 で、当時眼科の教授であった下奥先生の 講義に感銘を受け、「眼科学」に興味を 持ち、卒後は眼科を仕事に選択しようと 決意しました。 6 年も終盤になると、ど こで臨床研修を行うかを自分で決めなけ ればなりません。私自身、兵庫医大のこ とは大好きでしたが、どうも自分の甘い 性格では成功するとは思えず、自分を律

するためにも敢えて、他大学(神戸大)

に入局しました。しかし、私の同期は 6 人いましたが、私ともう一人の女医さ ん以外、全員国立大学出身という中では、

外様で無知な僕は馬鹿にされることが多 く、辛いことばかりでした。しかし、兵 庫医大を出て行った以上、戻る場所はな いという決意を忘れずに、毎日誰よりも 早く病院に行き、夜遅くまで勉強すると いう毎日を何年も続けました。その甲斐 あって、多くの英文論文も執筆し、米国 へPost-doctoral fellowと し て 留 学 す る こともでき、後に大阪の中核病院(北野 病院)にも勤めることができました。

 今ではそんな多忙な日々を抜け出し、

のんびりと開業医をしておりますが、振 り返れば、臨床で最も大切な「人を診る 目やコミュニケーション能力」の基本は 全て兵庫医大で学ばせてもらったと思っ ています。厳しくも温かい、体育会なら ではの環境の中で培われたものも多いと 思います。

  大 学 を 離 れ て20年 以 上 に な り ま す が、今でも兵庫医大は「心の母校」とし て、兵庫医大が優秀な地域医療を担う人 材の輩出のみならず、医学界をもリード しうる大学として、今後の益々の飛躍を 遂げられることを心から祈念しておりま す。私も皆さんに負けないよう、まだま だ精進したいと思います。−「兵庫医大 万歳!」−

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