平成23年卒の中井啓介と申します。こ の度は緑樹会石藏礼一会長より「親子二 代同窓会story」の原稿の御依頼を頂き、
投稿させて頂く事になりました。私は兵 庫医科大学を卒業後、明和病院で初期研 修を修了し、後期研修で兵庫医科大学内 科学消化管科に入局致しました。今年で 入局して5年になります。消化管内科の三 輪洋人主任教授をはじめ様々な先生方に 御指導を頂き、日々精進しております。
さて、親子についてのテーマを頂きま したが、私のこれまでの人生を振り返っ てみても、父親に関する作文をした事は 無かった気がします。第一外科(現在の 肝胆膵外科)の医局員であった父親は仕 事、仕事の日々で殆ど家には帰って来ず、
接する時間も多くはありませんでした。正 直、親子の想い出として語らせて頂くよ うなエピソードはなかなか思い当たりませ ん。そのせいか、医師という職業にも良 い印象を持てず、医師以外の道を志す様 になり、大学受験当初は別の学部を志望 しました。しかし、神のお告げがあった のか、いつしか医学部を目指す様になり、
運良く父親と同じ兵庫医科大学に通う事 になりました。人生は色々あるものだと痛 感しております。
初期研修医で消化器疾患に興味を持ち、
内科と外科との違いはありますが、後期 研修医から父親と同じ消化器科を専攻す る事になりました。これまで、兵庫医大 病院、明和病院、西宮協立脳神経外科病 院、製鉄記念広畑病院で内視鏡検査・処 置等を勉強させて頂き、現在は兵庫医大 病院で勤務をさせて頂いています。最近 では父親とも仕事をさせて頂くようにな
りました。医師としての父親を医療の現 場から見るのは初めてで、少々違和感を 感じましたが、同じ医師として、同じ現 場で同じ時間を共有出来る事は、とても 幸せだと感じるようになってきました(父 もそのように感じているのではないでしょ うか)。幼少期には理解出来なかった医師 という職業が、今は同じ医師であるから こそ、理解出来るようになって来た気が します。それが自分の財産になっている とも感じています。
これからも色々な方々に御世話になっ ている事を感謝しながら、日々診療に励 みたいと思っております。最後に、人生 でおそらく初めての親子作文の機会を与 えて下さった石藏会長に厚く御礼申し上 げます。
内科学 消化管内科 病院助手
中 井 啓 介
(平成23年卒業)─38─
私は、昭和51年兵庫医科大学の先輩方 がまだ卒業されていない 5 回生で入学し ました。当初より授業は 3 学期制で、高 校の時間割が続く感じでした。 1 年、 2 年は真面目に欠かさず授業に出ていまし たが、学生生活に慣れてくる 3 年以降は ポリクリや出席必修の授業は受けました が、試験前を除いて自由時間を過ごせる 学生時代でした。息子の学生時代のカリ キュラムをみましたがびっしりと授業が 組み込まれて勉強が大変だったと推察さ れます。もちろん、近年の医学の進歩に より学習項目が増えたことも要因でしょう。
大学のクラブ活動はまっさらなスタートを きったばかりで熱い先輩方が引っ張って いました。入学時に軟式庭球部に入りま した。 1 年後に鉄道研究部があることを 知り鉄道研究部にも入部しました。黎明 期の学生クラブ活動はおおらかな面もあ りました。現在、軟式庭球部はソフトテ ニス部として存続していますが、鉄道研 究部は消滅しており大変残念です。
昭和57年 3 月に卒業。秋の国家試験に 合格し11月耳鼻咽喉科教室に入局しまし た。昭和60年 3 月に地元の宝塚市に半年 前に設立されたばかりの宝塚市立病院に 赴任しました。最初の 3 年は上司の下で の勤務でしたがその後は後輩が短い期間 で派遣されてくる状態が続き私自身が未 熟な間は少し大変でした。耳鼻咽喉科教 室医局より手術応援に来ていただけたこ とはとてもありがたいことでした。常勤 2 人体制でしたが 3 人体制となりより多 くの患者さんに対応出来るようになりまし た。ここでの勤務は17年間になりましたが、
一緒に働いた先生方、スタッフの皆さん および兵庫医大耳鼻咽喉科教室に大変感 謝しております。宝塚市立病院で耳鼻科 医師として 1 人立ち出来るように、また 人としても成長させていただきました。
平成15年、阪急宝塚南口駅前に「ふじ き耳鼻咽喉科」を開業しました。気力、
体力を考えるともう少し若い時がよかっ たかもと感じています。結果、長男を母
校に通わせることが出来ましたので、開 業は大正解でした。
宝塚市立病院勤務医時代の昭和63年 に結婚、平成 2 年に長男が誕生、阪神・
淡路大震災の起きた平成 7 年に長女が 誕生しました。父は内科の開業医でした ので私自身、親からは何も言われません が目に見えないレールが敷かれていまし た。息子に対して私もレールを敷いてい たようです。しかしながら世代を超えて 母親の思いに勝るものはないようです。
息子は平成21年秋に兵庫医大で初の地 域枠入試に合格し平成22年に兵庫医科大 学に入学、平成29年卒業して国家試験に 合格。現在、兵庫医科大学病院で臨床研 修医としてお世話になっています。将来、
何を専門として身を立てるかは本人の希望 に任せたいと思います。父母の引いたレー ルの先は目標に向かって自らレールを伸ば していてくれればとねがうばかりです。
レールを敷くことといえばもう一つ、
父親としては息子と趣味が同じなら楽し いだろうなと目論んでいました。鉄道趣 味のなか模型鉄の私は学生時代の鉄道研 究部ではHOゲージ金属車輌の作成、大 学祭での大型レイアウト作成を担当して いました。そこで、阪急電車やJR福知 山線に乗せたり家で組み立て式のレール で鉄道模型を走らせたりして模型鉄への レールに乗せようと誘導を試みましたが 結局、撮り鉄のレールの上を走っていま す。数年前より撮影旅行に一緒に行くこ とがあります。撮影チャンスは一瞬です がそれまでの長い待ち時間に趣味の話題 で話ができることは素敵なことです。
父から息子へ伝えたい事柄があります。
若いうちは小さな失敗は恐れずに様々な ことに挑戦して下さい。プロを目指して ください。自分の出来る範囲で細く永く 活躍してください。仕事も趣味も楽しく やっていきましょう。
今後とも兵庫医科大学、緑樹会の皆様 のお世話になりますがどうかよろしくお 願いします。
ふじき耳鼻咽喉科 院長
藤 木 宏 也
(昭和57年卒業)初めまして。今回緑樹会の親子 2 代 エッセイの依頼をいただきました平成 29年卒の藤木惇也と申します。なかな か原稿を書く機会もないので、つたない 文章ですが最後までお付き合い頂けたら 幸いです。
依頼を頂いてから色々考えてみたので すが、親子 2 代の特別なエピソードがあ るかなと思い返してみましたが特になく、
父も同様の意見でありましたので各々好 きに書かせて頂きます。
親子 2 代で兵庫医大を卒業している 方の中には家で医師としての相談をして いる方も多いと思いますが、私と父は基 本的にそのような話はしません。どちら かというと共通の趣味があるのでそちら の話ばかりしています。それはそれで 色々と話が尽きないので情報交換を通し てお互い刺激を受けています。
私は今兵庫医大病院で研修しています が、元々は外の病院を考えていました。
しかし、兵庫医大病院の規模、症例数、
さらに先生方のクオリティの高さを考え て最終的に兵庫医大に残って研修する事 を決めました。
兵庫医大病院の先生方をはじめスタッ フの方々は皆さん優しく、温厚な性格の 人が多いです。まだ右も左もわからない ような研修医 1 年目の私に対しても優 しく丁寧に接してくださり、相談にも 乗って下さいます。仕事を始めて一番実
感したのがやはり人と人のコミュニケー ションです。患者さんに寄り添える心の 深さであり、優しさなんだなと思いまし た。現場でお互いにコミュニケーション を取り、チームワークでスムーズに仕事 が進むのは患者にとってもいい事なので はないかと思います。私も来年から初め ての医師の後輩ができますが、優しく接 していけるように心掛けていきたいと 思っています。まだまだ一人前には程遠 いですが、一歩一歩先輩方に近づいてい けるよう切磋琢磨していきたいと思って います。ご指導の程よろしくお願いしま す。
兵庫医科大学病院 卒後臨床研修センター 臨床研修医