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CDU/CSUにおける党首交代の背景にある問題

CDU/CSUは2005年秋の連邦議会選挙において勝利を収めて以降、現在に至るまで14年間にわ たってメルケルを首相とする政権を維持しているが、このうち 2009 ~ 2013 年を除く 10 年間は 3

回にわたってSPDとの大連立が形成されており、ドイツでは希にしかない立法期途中での連邦議 会選挙がなければ、さらに2021年秋まで大連立政権が続き、メルケルは16年間にわたって首相を 務めることになる見込みである。

しばしば指摘されているように、メルケルが当時野党であった CDU の党首となった直後の 2000年代前半には、SPDと緑の党の連立政権であるシュレーダー政権が伝統的な社会民主主義路 線と一線を画す「新中道」路線を掲げ、財政再建、経済成長率の回復、失業者数の減少等を目的 として、社会保障・労働政策面を中心とした大胆な改革政策を展開していた。また、それに対抗 すべく、CDU/CSU も大規模な企業・所得税減税や規制緩和、年金支給開始年齢の引き上げ、労 働者の諸権利の制限等、新自由主義的政策を主張していた。しかし、2005連邦議会選挙において、

このような政策が有権者の多数から支持されないことが明確になると、大連立政権の首相となっ たメルケルはCDU/CSUの路線を「左傾化」させ、シュレーダー政権時代の改革を修正あるいは撤 回することによって支持を取り戻そうとするSPDの要求を取り込むという方向性をとった(102)

メルケル政権下でのこのような路線転換は、2000年代後半に経済状況が好転し、それに伴って 失業者数の減少や財政赤字問題の緩和が進んだことによって可能となった面もあった。しかし、

それ以上に、メルケルを中心としたCDU主流派は、無党派層が増加し、大政党に対する支持が次 第に低下する傾向が見られる中で、FDPとの連立が不可能な場合には事実上大連立しか選択肢が ないという現状を打破し、将来的に緑の党との連立を可能にするとともに、新たな支持者を獲得 することを目指して党の路線転換を図った。

こうして、メルケル大連立政権下では、いったん67歳へと引き上げられた年金支給開始年齢の 長期被保険者に対する事実上の再引き下げ、高齢女性に対する年金の拡充、現在も議論されてい る低所得者に対する「基礎年金」の導入等、年金政策に関する給付拡大への方向転換が行われた。

公的医療保険に関しても、CDU/CSU が野党時代に主張していた定額保険料制度への転換は行わ れず、経営者側の保険料負担に上限を設定するための労使均等負担原則の廃止も撤回された。労 働市場政策に関しても、外国人労働者の増加や協約拘束率の低下に対処するために労組がかねて から要求していた法定最低賃金が導入されるとともに、派遣労働に対する規制の強化等が実施さ れた。税制政策面でも、CDU/CSUは2000年代前半にはシュレーダー政権が行った大規模な減税 に加えて、所得税を線形的累進制から段階税率制へと転換することによって、さらに大幅減税を 実施することを要求していた。しかし、2009年に実際にFDPとの連立政権が樹立され、同党がそ の実施を要求しても、もはやCDU/CSUはそのような大規模減税を行おうとはしなかった。

このような路線転換とともに、メルケル政権発足以前には CDU/CSU 内で強い発言権を持って いた経済政策重視派は次第に影響力を低下させ、CDU/CSU の「社会民主主義化」を批判するよ うになっていった。このような状況の下で、ユーロ危機が発生し、ギリシア等に対する巨額の救 済策や欧州中央銀行による大規模な金融緩和策が実施され、EU の財政同盟化の議論が行われる ようになると、経済政策重視派はドイツに巨額の財政負担をもたらすものとして、メルケル政権

の対応を強く批判するようになった。

さらに、エネルギー政策に関しては、CDU/CSU は 2009 年の第 2 次メルケル政権発足までは原 子力発電を再生可能エネルギーへの転換実現までの「架橋テクノロジー」として維持するという 方針をとっており、2020年代初頭までに原子力発電を全廃するというシュレーダー政権時代に決 定された計画を修正し、原発の稼働期間を2030年代まで延長することを決定した。しかし、2011 年 3 月に福島原発事故が発生すると、メルケルはこの決定を突然撤回し、古い原発の稼働をただ ちに停止したうえで、2022年までに原発を全廃するという方針に転換した。それによって、緑の 党との最大の対立点は事実上なくなり、同党との将来の連立可能性は大きく高まった。しかし、

この突然の方針転換はエネルギー供給の不安定化や電力料金の上昇といった懸念をもたらしただ けではなく、原子力テクノロジーの放棄という点でも経済界や党内の経済政策重視派の反発を招 いた。

メルケル政権下での CDU 主流派の路線は、経済・社会保障・労働政策分野等における経済政 策重視派の反発に加えて、その他の政策分野においても「価値保守派」と言われる支持者や党員 の不満を高めた。ドイツの家族政策はシュレーダー政権時代に、男性のみが就業し女性が専業主 婦となるという家族像を前提とした政策から、夫婦がともに仕事と家庭を両立させることを目標 とする政策へと転換され、子供の出生後 3 年間育児休職の権利を与える「親時間」の導入、育児 手当受給や親時間取得中のパートタイム労働の可能化、全日保育の拡充等の政策が実施された。

メルケル政権はこの路線をさらに強化し、育児手当に代わる所得代替機能を有する親手当と 1 歳 以上の幼児の保育の法的請求権の導入、2 年間労働時間を短縮しつつ家族を介護できる法的請求 権である「家族介護時間」の導入等を行った。さらに、労働政策面からも企業の監査役会におけ る女性の比率引き上げ義務や男女間の賃金格差解消と同一労働同一賃金の義務化が実施された。

他方、シュレーダー政権時代には「同性パートナーシップ法」が制定され、同性パートナー シップの戸籍上の登録が可能とされたが、第 3 次メルケル政権下では同法が改正され、一方の同 性パートナーの養子と他方の同性パートナーによる養子縁組が可能となった。さらに、2017年連 邦議会選挙直前には、同性カップルにも法律婚を認める民法改正が行われた。

これらの政策は時代の変化に即したものであったが、子供を家庭で育てることを重視し、ある いは結婚を男女の結びつきと考えるCDU/CSU内保守派からの批判を招いた。特に、2017年の民 法改正は、連邦議会選挙後にSPDや緑の党と連立交渉を行うことになった場合の障害を予め取り 除くという CDU 指導部の選挙戦術的な思惑に基づくものであるとして、党内保守派は強い反発 を示した。事実、連邦議会でのこの改正案の採決にあたっては、SPD、緑の党、左翼党が一致し て賛成に回ったのに対して、CDU/CSU 議員団は 309 名のうち 75 名が賛成するという分裂状態に 陥った。

家族政策以外の分野でも、第 2 次メルケル政権下では徴兵法改正が行われ、2011 年夏から徴兵 制が停止され、志願兵制への移行が行われた。また、これと連動して兵役拒否法や非軍事役務法

も改正され、良心的兵役拒否者による社会福祉施設等での役務も停止された。この改正も冷戦時 代とは大きく変化した状況に沿ったものであったが、徴兵制を軍事面だけではなく公共心の育成 や社会の紐帯維持という面からも必要であると考える人々からの反発を買った。

さらに、シュレーダー政権は発足直後の1999年に国籍法を改正し、外国人夫婦の一方が8年以 上合法的にドイツに滞在し、定住許可を得ている場合には、ドイツにおいて出生した子供にドイ ツ国籍を付与することによって、従来の血統主義を一部変更した。また、この国籍法改正と同時 に外国人法も改正され、8 年間合法的にドイツに滞在した外国人に対して帰化請求権が付与され た。さらに、2005年には外国人法が廃止されて移民法が制定され、それまで複雑であった移民の 地位が簡素化されるとともに、高度専門技術者、経営者、留学生等を中心に、ドイツ国内での就 業条件が緩和され、難民の受け入れも緩和された。それと同時に、移民・難民を管轄する連邦官 庁である連邦移民難民庁が設置された。

これに対して、CDU/CSUはコール政権までは「ドイツは移民国ではない」という立場をとって いたが、メルケル政権はこの点でも路線を転換し、シュレーダー政権の方向性を継承した。2012 年には高度な資格を有するEU域外諸国出身の外国人に対してEU域内での就労を認める「EUブ ルーカード」がドイツ国内でも適用され、ドイツの大学等を卒業した外国人に対しても同カード が付与されるとともに、さらに定住許可への道も開かれた。また、シュレーダー政権時代の国籍 法改正では、二重国籍状態となった外国人の子供は 18 ~ 23 歳の間に一方の国籍を選択しなけれ ばならなかったが、2014 年には、親が EU 加盟諸国及びスイス出身の場合との差別を解消するた めに、ドイツでの教育修了等を条件として、親の出身国に関係なく国籍選択の義務を免除すると いう改正が行われた(103)

以上のような様々な政策分野におけるメルケル政権の路線は、社会国家のスリム化よりもその 基礎の堅持を望む有権者からの支持に加えて、若く都市的で非物質的価値を重視する中道左派的 な有権者からの支持を拡大し、緑の党との政策的相違の縮小あるいは接近を可能にすることを目 標としたものであった。しかし、裏を返せば、それは CDU/CSU 内の経済政策重視派だけではな く、国家主権や伝統的な保守的価値を重視する支持者の反発をもたらす路線でもあった。

このような反発は大連立が繰り返されるなかで次第に顕在化していったが、ユーロ危機への 対処、特にギリシア等に対する巨額の財政支援をめぐって経済政策重視派の間で急激に高まり、

AfD結成の一因ともなった。さらに、2015年に大きな混乱を引き起こし、長期的にもドイツ社会 を大きく変化させる可能性のある難民の大量流入をもたらした連邦政府の難民政策は、価値保守 派の間でもメルケルを中心とする CDU 主流派に対する怒りを噴出させた。難民危機の発生から 半年あまり経った 2016 年春に行われた一連の州議会選挙において CDU が敗北し、AfD の台頭を 決定づけたことは、その翌年に連邦議会選挙が予定されていたことからも、難民政策に象徴され るメルケルの路線をめぐるCDU内の対立をさらに激化させることになった。

このような対立は CDU 内だけではなく、同党の姉妹政党である CSU との対立といういっそう

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