第3章 SIM エリアのヘイズ問題に関する協力
第2節 東南アジアのヘイズ問題
1.ヘイズ問題の概要
ヘイズ(haze, ばい煙)とは、火災によって生じる大気中の微小粒子状物質とこれに起
因する視界への影響を指す言葉である。ヘイズは、視界だけではなく、経済活動や生態 系・生物多様性、人体などにも悪影響を及ぼす。経済活動への悪影響には、商業や取引の 停滞、交通の麻痺、農業生産性の低下、観光客の減少などがある。生態系・生物多様性へ の悪影響としては、土壌劣化、水質汚染、野生動植物の減少などがあげられる。ヘイズを 生み出す火災は、温室効果ガスを放出し、地球温暖化にも寄与する。ヘイズ自体は、皮膚 病や循環器疾患、ガン、呼吸器疾患を引き起こし、人々の健康を阻害する1)。
このようなヘイズの被害は、複数の国々に及ぶことが一般的である。ヘイズは、気流に よって大きく移動し、国境を越える。そして、ヘイズそのものを生み出した火災の発生国 だけではなく、その周辺の国々にも悪影響を与える。ヘイズ問題はこのように、越境性を もった環境問題である。
このため、ヘイズ問題の解決に向けては、国際協力が求められる。ある国内に原因をも
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図3-1 東南アジアとSIMエリア
出典:筆者作成。
図3-2 東南アジアとSIMエリアの概念図
出典:筆者作成。
つ環境問題が周辺の諸国にも影響を及ぼす場合、その改善や解決に向けて、国際協力が不 可欠となる。ヘイズは、地球全体ではなく、原因となる火災の発生国とそこに隣接する 国々に悪影響を及ぼす。このため、解決に向けて、グローバルな規模の協力ではなく、原 因国とその周辺国による協力、すなわち地球全体に対する一部分に該当するリージョンの 規模での協力が必要となる。
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図3-3 ASEANにおけるヘイズ問題に関する協力の展開
出典:筆者作成。
2.東南アジアのヘイズ問題の概要
東南アジアでは、1980年代から深刻なヘイズとこれに伴う悪影響に繰り返し直面してき た。1997~1998年に発生した大規模なヘイズ問題によって、インドネシア一国で90億米 ドルに及ぶ経済的損失が発生したと見積もられている。シンガポールでも、約2億米ドル の経済的損失が発生したとされる2)。2015年の深刻なヘイズの際には、インドネシア、マ レーシア、およびシンガポールの3か国で約 10 万人がヘイズの影響を受けて死亡したと の推定もある 3)。インドネシアでは、ヘイズの原因となる大規模な森林火災を繰り返し経 験していることから、生態系の不可逆的変化という累積的被害も発生している4)。
東南アジアの深刻なヘイズを引き起こす発生源は、インドネシアのスマトラ島とカリマ ンタン島に点在する 5)。東南アジアで発生した越境性ヘイズの約90%は、インドネシア国 内におけるゴムやパームヤシの栽培を目的とした大規模プランテーション開発に起因する との指摘がある 6)。1997~1998 年に発生した深刻なヘイズも、インドネシア国内のスマ トラ島やカリマンタン島での火災が原因となった。当時発生していたエルニーニョ現象に よる降水量の減少と極度の乾燥も火災の拡大に寄与したが、その主因は、プランテーショ ン企業や森林移住者による焼畑を用いた土地開墾に求められる 7)。この結果、火災は、イ ンドネシア政府の森林管理能力と火災対応力を越えたものとなり 8)、20 世紀最悪の環境災 害とも形容されるヘイズ問題を引き起こした。
3.東南アジアのヘイズ問題の地理的規模
ここまで見てきた東南アジアのヘイズ問題は、リージョンではなく、サブリージョンの 規模をもつ問題だと理解できる。インドネシア国内の火災を原因とするヘイズは、周辺の マレーシアやシンガポールにも被害を及ぼす一方で、大陸部に位置するミャンマーやラオ ス、ベトナムなどには影響を与えていない。被害の範囲は、マレーシアと隣接するタイ南 部までに限定されている。大規模プランテーション開発を目的とした森林伐採とこれに伴 う火災は、ミャンマー国内やタイ北部でも発生している。こちらの火災によるヘイズは、
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反対に、インドネシアやマレーシア、シンガポールといった東南アジア海洋部諸国に被害 を与えない。定冠詞なしのヘイズは東南アジア全体に関わる問題であるが、1つの事例ご とに見ていくと、ヘイズは東南アジア全体ではなく、その一部地理的空間の問題だと理解 することができる9)。
インドネシア、マレーシア、およびシンガポールの3か国から構成されるSIMエリアは、
東南アジア全体をリージョンとした場合、サブリージョンに該当する。第1章で論じたよ うに、サブリージョンとは、リージョンを構成するアクターの一部からかたちづくられる 地理的空間である。SIM エリアは、東南アジア 10 か国のうちの3か国から構成される地 理的空間であることから、東南アジアの 10 か国から構成される空間をリージョンとした 場合、東南アジアのサブリージョンに該当する。このため、インドネシアのスマトラ島と カリマンタン島での火災を原因とするヘイズは、SIM エリアの問題となり、東南アジアに おけるサブリージョン・レベルの問題だと考えることが適当となる10)。
SIMエリアのヘイズ問題に関する協力は、ASEAN Wayによって規定されていると仮定 することができる。サブリージョンにおける協力は、リージョン・レベルで行われている 協力で形成・利用されてきた規範や行動様式によって、規定される。この点は、第1章で 論じた。東南アジアをリージョンとした場合、SIM エリアはサブリージョンに該当する。
このため、SIM エリアでの協力では、東南アジアのリージョン・レベルの規範や行動様式 が用いられ、そこから期待される結果がもたらされると考えられる。東南アジアのリー ジョン・レベルでの協力における規範・行動様式は、ASEAN Way である。このため、
SIMエリアのヘイズ問題に関する協力では、ASEAN Wayに沿ったアクターの行動と結果 がもたらされると考えられる。
SIM エリアのヘイズ問題に関する協力では、協力とそのための枠組み自体が実現・維持 されてきた一方で、ヘイズ問題自体の解決に到達できていないと考えられる。これは、
ASEAN Way が用いられると、協力自体とそのための制度の実現と維持が促進される一方
で、協力が対象とする問題自体の解決が阻害されためである。次節以降では、SIM エリア のヘイズ問題に関する協力において、ASEAN Way の構成要素である主権尊重、内政不干 渉、コンセンサス方式、ならびに非公式性が用いられ、その結果、協力と制度の実現・維 持が図られてきた一方で、ヘイズ問題自体の解決が阻害されてきたことを検証する。