Church, Methodist Episcopal Church, South)が協議会を結成し、朝鮮福音主義宣教部公議
会(the General Council of Protestant Evangelical Missions in Korea)を結成したのも、そ の年のことであった349。また、同年長老派教会とメソヂスト教会の英文機関誌がthe Korea
Mission Field
で、そして翌年1906年には『キリスト新聞』という表題で協同で発行するほどに朝鮮の教会内におけるエキュメニカルな宣教協力事業が盛んになっていた時期であっ た。以上の状況下で、ハリスはメソヂスト監督教会朝鮮宣教部の指導者として赴任したので ある。したがって、先に言及したように、彼の赴任で朝鮮宣教のエキュメニカルな展開が更 なる勢いを得たことは事実である。
このことはハリスが来朝し、初めに主宰した1905年の第1回メソヂスト監督教会朝鮮宣教 年会において確認できる。この年会において、朝鮮の各宣教部との連合事業をめぐる重要な テーマが論議された。とりわけ、宣教年会4日目の6月24日、メソヂスト教会と長老派教会 の宣教師たちは、個別に朝鮮の教会の教育事業に関する連合問題を論じるために、貞洞第一 教会に集った350。会議後、メソヂスト監督教会側は、南メソヂスト監督教会と長老会側と共 に論議された議題を当時開催されていた宣教年会に報告し、これを基礎に年会員たちの共 感を得て、関連委員会を宣教年会の下に組織した351。そして、翌日である26日にバンカー
(D. A. Bunker)宣教師宅において、メソヂスト教会と長老派教会の2回目の会議が開かれた。
そしてより一層具体的で現実的なエキュメニカル事業の論議が行われた352。
このとき、ハリスがこの会議に参加し、メッセージを伝え、議長を務めた353。そしてこの 会議を母体として、朝鮮福音主義宣教部連合公議会(the General Council of Protestant
Evangelical Missions in Korea)という朝鮮のエキュメニカル機関が設立された。当時ハリ
スが、この会議で伝えたメッセージの具体的な聖書箇所と内容を特定することはできない が、参加者であった長老会側のムーア(S. F. Moore)の報告から354、その時の状況を推測で きる。ハリスは日露戦争の最中に満州地域を訪ね、ある日本人の将校と話し合った。その時 の対話の一部を在朝メソヂスト教会と長老派教会の宣教師たちが共に集まり、エキュメニ カル事業に関して論じていたところ一つの例え話を用いて説教した。その例え話とは、個人349 白樂濬, 前掲書, 399頁参照。
350 ‘Union’, KM, July, 1905, p.119.
351 OMKMC, 1905, pp.20-21; S. F. Moore, ‘An Epoch-Making Conference in Korea’, Missionary Review of the World(以下MRW), September, 1905, p.690;『ハリス』、185頁。
352 Ibid, 1905, p.20; ‘Union’, KM, July, 1905, p.119;同書、185頁。
353 Ibid, 1905, p.20; S. F. Moore, ‘An Epoch-Making Conference in Korea’, MRW, September, 1905, p.690;同書、185頁。
354 S. F. Moore, Ibid, p.691;同書、185頁。
がいかに優れた能力を持っていても、合同して一つにならなければ、その能力は十分に発揮 できないとのことである。さらに彼は宣教で朝鮮の教会が「イエス・キリスト」の名によっ て連合すべきだという考えを主張した355。会議において、彼は絶えず協力の重要性と必要 性を強調し、速やかに朝鮮の教会が一つになるように切に願った。会議の中でハリスは以下 のように発言した。
私は朝鮮のメソジスト信徒とその他のあらゆる教派の兄弟たちが協力の利益を追い求めるように、願う。
私たちができる最善のことは讃美歌、キリスト教の文書、定期刊行物、教育、医療、社会福祉、そして福音 伝道に関するすべてのことを一つにすることである。最後、そして最善は土着教会の信徒たちが連合する ことである。もし、我々の主が朝鮮におられると、これは成し遂げられる。なぜ、主の不在の中で、根本的 ではない相違点を継続しようとするか。土着教会の信徒たちは皆一つであり、宣教師たちも一つである。
神は各々別れている者たちがないように、連合される方である356。
ハリスは自分に与えられた機会を活用し、連合の重要性を強調し、朝鮮国内の各教派の間 で円滑な意志の疎通が行われることを期待した。当時、宣教部代表としてこの会議に参加し ていた他教派の宣教師も、エキュメニカルな宣教協力の重要性を強調していたハリスの熱 情を高く評価した。当時、会議に参加した長老派のゲイル(James S. Gale)は、「ハリス監督 は私たちに協力という言葉で朝鮮に向かう最高のメッセージを伝えてくださった。
[宣教]事
業の多様なあらゆることにおいて、それ[協力]が満ち溢れるように!主は真実に主の僕たち が協力を希望していることをご覧になる」357とハリスのエキュメニカルな宣教協力方針を 非常に高く評価した。ゲイルと同じ長老派の宣教師ムーア(S. F. Moore)も、エキュメニカル な宣教協力事業を強調したハリスを高く評価した358。上述のように、他教派の宣教師にとって、ハリスの存在は朝鮮でのエキュメニカルな宣教 協力を進めていく過程において、必要不可欠な存在であった。以上のように、ハリスのエキ ュメニカルな宣教協力方針を高く評価する他宣教部の態度は宣教師各々のレベルを乗り越 え、宣教部レベルの公的な表明と評価に至るほどであった。例えば、長老派教会の宣教部は ハリスを「全能な神の啓示」と表現するほど、彼のエキュメニカルな宣教方針を高く評価し た359。うまくいかなかった朝鮮でのエキュメニカルな宣教協力事業が彼の尽力により、素 晴らしい結果をもたらすことができたと評価したのである。このようにハリスは、朝鮮の教
355 KM, July, 1905, p.122;同書、185頁。
356 M. C. Harris, Ibid, p.123;同書、186頁。
357 J. S. Gale, Ibid, p.121;同書、186頁。
358 S. F. Moore, ‘An Epoch-Making Conference in Korea’, MRW, September, 1905, p.692;同書、186頁。
359 ‘Union’, The Korea Field(以下KF), August, 1905, p.257;同書、186頁。
会での各エキュメニカル運動を行うことにおいて、非常に重要な役割を担っていた。
一方、長老派教会ではハリスのエキュメニカルな宣教精神によって、朝鮮の教会の宣教事 業が順調に「協力」へと進むことができたと評価した。実際ハリスが追い求めたエキュメニ カルな宣教理解は「協力」よりも「合同」あるいは「一致」(Unity)の意味が強かった。こ れは協力よりも一歩進んだレベルだと考えられる。つまり、ハリスは朝鮮でメソヂスト監督 教会と南メソヂスト監督教会がいつかは一致できるだろうと期待していた360。言い換えれ ば、それは「協力」運動が「一致」に繋がり、発展するプロセスであった。このような彼の エキュメニカルな宣教理解が、朝鮮において実現した出来事が、「監理教会協成神学校」設 立である。ハリスが宣教監督赴任前、朝鮮の教会の神学教育は独立した校舎も持たず、全国 各地を巡回しつつ行われただけの運動にとどまっていた。この現状を知る彼は朝鮮におい て、メソヂスト監督教会の神学教育の体系化に力を尽くした。南メソヂスト監督教会の協力 を得ることで、1910年ソウルの西大門の近辺に敷地を備え、監理教会協成神学校という牧 会者養成機関設立に力を注いだ。そしてハリスは神学校設立のために、関連会議を主宰し、
この計画の実現へと導いていった361。
以上からハリスは確固たるエキュメニカルな宣教精神を持ち、宣教地でこれを実現する ため、力を尽くしたことが分かる。そして彼のエキュメニカルな宣教の特色は二つの段階で 進められたことが分かる。第一に「協力」から「一致」に至るということである。彼が聖書 公会[聖書協会]や朝鮮耶蘇教書会、その他各エキュメニカル機関の行事及び事業に積極的に 参与したことはキリスト教会の一致を成し遂げるため、力を注いだ彼のエキュメニカルな 宣教の具体的な形であると評価できるだろう。
しかし、「協力」から「合同」あるいは「一致」に至るエキュメニカル理解は、日韓関係 と関連して日韓の「合同」から「併合」というレベルに至る認識と同じ流れであると言える。
これは彼なりの親日的宣教という朝鮮宣教の枠組みの中で行われたからである。
②親日的宣教
ハリスが朝鮮という国をすでに知っていたという根拠として提示できる最古の資料は、
1884年第1回メソヂスト監督教会日本年会録である。当時年会で論じられた主な案件の一つ
は朝鮮宣教であった。年会が開催される約3ヶ月前、日本宣教師であるマクレイ(R. S.
Maclay)がメソヂスト監督教会宣教局(Executive Committee of the Foreign Missions of the
360 해리쓰(ハリス)、「教会通信」、『그리스도会報』(キリスト会報)、1911年5月15日;同書、187頁。
361 ARMEC, 1909, p.179;同書、187頁。
Methodist Episcopal Church)とガウチャー(John Goucher)などに頼まれ、宣教の可能性を
探るため、朝鮮を訪ねたことがあった。その後マクレイは日本に戻り、その結果を年会に報 告した。そしてそれに対して、年会員たちが興味を示した。このように、朝鮮宣教の妥当性 を受け入れる雰囲気が形成されていった。それ故、年会では、「朝鮮国伝道委員会」という 特別委員会(Special Committee)が組織され、ハリスは委員として活動した362。彼は年会レ ベルで推進された朝鮮宣教の事業に参加することで、朝鮮への関心を持つに至る。当時朝鮮国伝道委員会で論議し、年会に提出された請願により確認できることがある。そ れはまさに、メソヂスト監督教会が朝鮮宣教を開始する過程において、まずは日本年会によ って導かれる必要性があるということである。すなわち、朝鮮国伝道委員会は、教育と医療 の分野に宣教師が派遣されるべきだと主張した。また朝鮮に早急に入るのではなく、日本に おいて朝鮮宣教のための準備期間を設けるべきとの内容が請願書には記されている363。こ のように、メソヂスト監督教会日本年会に属していた朝鮮国伝道委員会は、朝鮮宣教と関連 して、「米国-日本-朝鮮」という宣教ルートを想定していた。当時ハリスは委員であったの で、朝鮮宣教における彼の考えと委員会の方針は一致していると推測できる。
以上からハリスの朝鮮宣教観について理解できる。すなわち、米国人として日本宣教に対 する考えが朝鮮の宣教にも投影されている。例えば、彼は日本のプロテスタント宣教50周 年を記念し、招かれた講演で「日本帝國通じて此國の上に働き給ふた、今日の朝鮮は活動し て居ります」364と言及したことがある。日本のキリスト教化は朝鮮のためにも非常に重要 なことであった。以下ハリスの言及である。
将来日鮮人の一致は道徳心霊上の一致でなければならぬ、此の一致があれば政治上社会上の一致は自ら 出来ると信ず、されば日本を基督教化するは朝鮮の為めに緊要である、精神的一致なくして政治上にのみ 合同するも其は無益である、日鮮の民が基督教の信仰に由て一致結合するは是ぞ朝鮮の救済にして又朝鮮 問題の解決である云々365。
ハリスは、近代化などの朝鮮における様々な問題を解くために、日本のキリスト教化が迅 速に進められる必要があるとの信念を持っていた。これに関連して、彼は「もし、日本が非
362 MJCMEC, 1884, p.2, 33-34.一方、日文記録には朝鮮国伝道委員会の委員としてハリスの名前が抜けて いるなど、英文記録とは委員名簿が若干相違である。これについては詳細な検討が必要である。『日本美以 美教会第一年会議記録』、1884、38-39頁;『ハリス』、58頁。
363 一方、日文の年会記録には第一項と第二項のみが収録されているが、ハリスの名前が抜けている。本論 文では第四項までの完全な項目が記されている英文年会録に基づき、ハリスの朝鮮国伝道委員会活動に資 料的な価値をおく。Ibid, 1884, pp.33-34; 前掲書、1884、28-39頁参照。
364 エム、シ、ハリス、「基督教と社会改良」、前掲書、299頁。
365 「ハリス監督朝鮮談」、『護敎』、1911年8月26日;小川圭治・池明観 編、前掲書、390頁。