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B H V

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ω ω w A F ‑ z

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﹁そしてクイーントゥスがラベオlに註記して言うえ回伊丹β丘三

58Egsp

g

S E

︺口三吉田﹂という記述で︑時

間の前後関係に矛盾がある︒(二)は︑何故かムlキウスという氏族名がセンプロニウスという氏族名と並んで受遺者に支払

81一一神官クイーントゥス・ムーキウス・スカエウォラ「市民法論」十八巻

い義務を持つ相続人の名として挙げられている︒会己も嫁資に関する事例の登場人物としてクイーントヮス・ムlキウスの

名がみられる︒なぜ︑これらの事例研究で唐突に先達の大法学者の名が用いられたかは不可解であるが︑ここでこれ以上の

推測は差し控えたい︒

( 3 )

これらの諸史料は︑当然にそれぞれが扱う論点に関しての個別研究の論拠となりうる︒しかし︑本稿の目的があくまでス

カエウォラの時代における法学の精密化・体系化を全体として捉えること︑さらにその後世へのインパクトを検証すること

とそこからすすんでスカエウォラにおける法学的世界観全体を検討することにあるため︑各史料の扱う個々の論点白体につ

いては︑ひとまずは共和政後期のロlマ法学を各分野別に詳細に検討しているワトソンの四連作から手がかりとなる箇所を

挙げるにとどめる︒ワトソンの四連作については第二掌註

28

も参照︒ちなみにシュルツは︑﹁市民法論﹂の第一巻が﹁遺言

g

g B E E S )

﹂を扱っていることをゲッリウス﹁アッティカ夜話

( Z 0 2 2

E

2 0

どが巻号を挙げて明示していると

するが

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L Y E )

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5

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で挙げられている巻号とは︑あくまで法学者

H I s ‑ Z

F w ‑ w

の﹁クイーントゥス・ムl

(

P

52

B)

﹂のそれであり︑﹁市民法論﹂の巻号とただちに同一視するには慎

重であるべきではないか︒おそらくハドリアヌス帝の時代を生きたと推測されるラエリウス・フェ1リクスについては︑まず︑

r

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ω

ω

ω

・口︒を参照︒この点につき吉野﹁人の法﹂(一﹀一七頁︑註

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b を参照︒ただし︑推測のレベルでは︑レー

ネルもポンポlPクイーントゥス・ムlキウス註解﹂の構成からの類推で第一巻の主題を遺一言としているが

( F

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‑HN稿

︿4

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遺贈の問題一般に関する議論は第三章に譲る︒薪︑木材の遺贈に関するスカエウォラの見解につき︑まず者三回

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H h m p

E

∞ ・

ロ ロ

M

A F

(5 )

食糧の遺贈については︑検討の出発点としてまず君主

g p F ω T E Y Z

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(6

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以下︑ゲッリウスの引用にあたってのテキストは原則としてト

c S 2 2

(

B Z E

IFS

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九二七﹀に拠ることとするが︑この箇所については改訂版(一九四六)第一巻による︒解釈に際しては﹄・ゎ

‑ H Z ‑

貯の英訳

も参考とした︒なお︑この記述は哲学的な分類と定義のあり方をめぐって哲学者のファウォリlヌスと︑氏名不詳の文法学

者が議論をした際に︑法学者による精密な定義の例として一言及がなされているものである︒本稿では︑その後の法学説史の

参考となる箇所も猿粋・引用した︒なお︑この論点は拙稿﹁セルウィウス(一)﹂八三頁でも触れている︒

92号一‑82

(7 )

以下の議論につき︑まず当主凹

O P F ω

52

・を参照︒ワトソンが依拠する研究は︒円

B E E ‑ Z J H y g N R

特に

3

雪 印

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である︒ベナllスについて高津﹁辞典﹂二三

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丘町田ロ17の家の食料品を

入れる戸棚

Q g g )

の神︒つねに複数で考えられ︑ラレlスとともに︑古くから家の守り神であった︒︿中略﹀個人の家

lIスはかまどとテーブルを支配し︑かまどには彼らのためにつねに火が燃やされた︒﹂

(8 )

lIフスについては︑まず拙稿﹁スカエウォラ﹂六六頁以下を参照︒

︿9

)

オルマンニはセルウィウスの議論において﹁食糧﹂概念の拡大という契機を強調する(︒円

S E a ‑ E J

2

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これはそムゼン版テキストにおいても示唆されていることであるが︑ワトソンは︑ウルピアl

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8

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に現れるJmH

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巴ロヘが︑紀元前一九八年執政官の官同吉田﹀色

5

の誤記であると推測する(当主

gp

戸 川 HJ

司 ‑

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3

︒ワトソンはその上でゲッリウスの記述

( Z ‑

‑ A H

H ‑

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の参照を求めるが︑本稿でも引用しているゲッリウ

スの記述に現れる

d

03

K戸市︼吉田のことだとした上でこの箇所を素直に読むと︑紀元前五一年執政官で

あるセルウィウスの見解に接した人物が紀元前一九八年執政官でありながら(!)これに同意したと読める︒この不自然さ

についての説明はワトソンの議論には見られない︒セルウィウスとスカエウォラの論争に合理的解釈への反動という契機も

見いだすならば︑筆者には︑むしろゲッリウスの表記の方を

F H

U S n ‑ ‑ Z

加に読み替えて︑いずれの史料も紀元後二世

g

n s n E g

と捉える可能性も全く捨て去ることはできないと考えられる︒

F H

‑ n E n

‑ ‑ 5 K F E n s 5

ω

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についてはそれぞれ関口ロ

n

w o ‑

ω

ω

ω ‑ H

N

ω

(刊)ワトソンは︑ここでの﹁遺贈された金銭(宮

2

Z

﹀﹂が違約罰の意味であると考える︒当時﹁罰の名目での遺贈

o

g

D

B

古品)﹂が食糧の遺贈に際して認められていたと論ずる彼の議論につき︑まず︑

4 F

仲間

S

‑ F ω F

s ‑

H ω

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(日)この記述について︑まずは考え

gp

ω T H U

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(日﹀まず者三

g p F ω

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r H

l

H J H y

g

司・を参照︒それによると︑﹁あるいは与えられねばならな

D門 同

町 山 内 同

σ

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円﹂の箇所のみが改ざんを受けているとされる︒また︑モムゼン版テキストにおけるクリュl

!の註によれば︑ギュメで括った中の箇所は註釈として付け加えられた可能性があるという︒

83一一神官Fィーγトクス・ムーキウス・スカエウォラ「市民法論J十八巻

( M )

lイウス法文についてはラテY語テキストのイタリック体部分が﹁提要﹂テキストからの補いである︒これらの法文を

出発点として︑近年我国で石川真人民により大変意義深い貢献がなされたハ石川真人﹁の包

‑ E

包 ・

ω

E

由について││ロー

マ法における法概念の性質││﹂ハ北大法学論集四四│六)四

O

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四三六頁

Y

Iイウス法文への改ざんの可能性を含め︑これらの法文をめぐる法学説史については︑この論考が現在もっとも詳しく論じている︒なお︑この作品については﹁法制

史研究﹂四七号二九七│三

OO

頁にて書評する機会を得た︒確かに氏が指摘されるように純法学的な思考の展開と法学者の

対社会的行動の架橋は困難な作業ではあるが︑法学説の検討にあたっても筆者のとってきた﹁外からの﹂アプローチ故に可

能となる寄与が有り得るものと思量している︒以下の本文で国内の研究者に言及するときは﹁氏﹂に敬称を統一する︒

︿

M﹀者三曲

O P F ︒

H J H M

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︿ 凶

Z F H C

のテキストは

ω F 2 5 2 0

M

J n E J

R Y H

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q R

・に拠った︒カギカッコ内の補いにあたっても同書

の註を参考とした︒デ・フランチ

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Yケル︑シャツグルトγ

1は︑﹁その論点︒

a g M M

E

どが︑スカエウ

ォラ﹁市民法論﹂の一筋であり︑セルウィウスの﹁スカエウォラの諸論点に対する反論

4

8

ω B 2 a s p

‑ Z

3

の対象となった論点の一部であると推定する(阿

‑ M 4 2 2 H a ‑ F S

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・由記‑一回

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・冨口口問︒

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