藻利重隆博士は,企業の指導原理の解明を経営学の主要課題 として理解す る。 ここに企業 とは,近代資本主義企業ないし近代企業 を意味 し,この企業 の指導原理 とは,その営利原則を意味する。博士によれば,近代企業の営利 原則は歴史的に変質する。そ して,営利原則のこの歴史的変質の うちに,博 士は,営利原則のい くつかの具体的形態の変遷を理解する。博士 によれば, 営利原則のこのような変質,その具体的 ・実質的形態の変遷をもたらすもの は,企業の歴史的変質,すなわち企業の資本 と労働 との固定化による企業そ れ 自体の固定化に他な らない。
藻利博士によれば,企業の固定化により,その営利原則は長期化する。博 士は,営利原則の長期化の過程の うちに,三つの営利原則の具体的 ・実質的 形態を理解する。取引利潤の極大化,期間利潤の極大化,無限の将来にわた る利潤の極大化ない し企業の利潤獲得能力の発展的維持がこれである。 この 三つの具体的 ・実質的な営利原則の形態は,この順に変遷すると考えられる のであるが,この三 つのなかでも博士が とりわけ重視するものは,博士が現 在の営利原則の具体的 ・実質的形態 として理解する企業の利潤獲得能力の禿 展的維持である。博士 によれば,無限の将来にわたって存続するべきもの と
して運営 されている現代の企業については,その営利原則は,企業の利潤獲 得能力の発展的維持 に求め られざるをえないのである。
このような藻利博士の所説は,これをヴ ェ‑バーの近代資本主義の精神な いし資本主義の精神 に関する所説 と関連 させて見る とき,看過 されえないも のを含んでいる。
もちろん,われわれは,博士の所説のうちにい くつかの問題を見出さざる をえない。なかで も,営利原則の変質に関 して博士が第一にあげる具体的 ・ 実質的営利原則の形態 としての取引利潤の極大化については,われわれは,
これを,ヴ ェ‑バーのいう近代資本主義の精神 としてではな く,かれのいう
藻利重隆博士における企業の指導原理 とM .ヴ ェ‑バーの資本主義の精神 91
前資本主義の精神 として理解せざるをえないのである。
しかしなが ら,それにもかかわらず,われわれは,博士の所説の うちに, 近代資本主義の精神ないし資本主義の精神の変容 に関するヴ ェ‑バーの理論 を補足するものを見出すことができる。それは,企業の固定化による営利原 則の長期化 とい う思惟, とりわけ,無限の将来にわたって維持 されるべきも の として運営される大企業の営利原則が,その利潤獲得能力の発展的維持に 求め られざるをえない という思惟, これである。
ヴ ェ‑バーは,近代資本主義の精神ないし資本主義の精神が,禁欲的プロ テスタンティズム,なかで もカルヴ ィニズムの決定的 ともいわれるべき作用 を受けて生成 したことを明 らかにする。それは当初は,経済活動 における最 広義の清教主義的な倫理的実践原理 としての特質をもつ資本主義の精神 とし て生成 した。それゆえに,われわれは,これを清教主義的資本主義の精神 と 呼ぶことがで きるでのである。
ヴ ェ‑バーによれば,この資本主義の精神は, これが近代資本主義の生成 と発展に大 きく作用 してい く過程で,次第に変容 してい くこととなった。そ れは,その基礎 にあった清教主義を失い,これに代 えて功利主義をその基礎 とするようになった。 しかも,ヴ ェ‑バーによれば,資本主義の精神は,こ の ような変容を遂げれば遂げるほど,多 くの人々に広まってい くこととなっ たのである。
ヴ ェ‑バーは,資本主義の精神にこのような変容をもた らす要因 として二 つあげている。その第一は,富の誘惑である。資本主義の精神にもとづ く天 職労働は,ひ とに富をもた らす。 しかも,ひ とは,天職労働 に勤 しめば勤 し
むほど,豊かになる。そして,この ような富の増大は,次第に,人 々の うち における天職労働の意味を変 えてい く。人 々は,あの世における救いの確信 を求めて天職労働 に勤 しむのではな く,この世における富を求めて天職労働 に勤 しむようになる。 この ようにして,当初, 自らが救われていることを実 証 し確信 しようとする宗教心q)決定的作用を受けて生成 した清教主義的資本
主義の精神は,功利主義的資本主義の精神へ と変 ってい く。
資本主義の精神の変容の要因 としてヴ ェ‑バーがあげるものの第二は,経 済的生存条件 としての富の考慮である。かれによれば,資本主義の精神は, 機構的 ・機械的生産を生み出すのであるが, この ことによって,それは,こ の機構的 ・機械的生産を技術的 ・経済的条件 として含み,かつ,資本主義の 精神 自体をも包摂する一つの宇宙 としての経済秩序を形成する。 この経済秩 序 においては,この榛横的 ・機械的生産 とい う技術的 ・経済的前提が資本主 義の精神 に作用 し,これを功利主義的にする。すなわち,人 々は,この経済 秩序のなかで生 き残 ろうとする限 り,機構的 ・機械的生産に参加 して部分労 働 としての天職労働 に勤 しみ富を追求せざるをえず,このことによって,質 本主義の精神は,功利主義的なもの とな らざるをえないのである。
藻利博士 における,企業の固定化 による営利原則の長期化 とい う思惟, と りわけ,無限の将来 にわたって維持 されるべ き存在 としての企業 に対応する 営利原則 としての,企業の利潤獲得能力の発展的維持 という思惟は,ヴ ェ‑
バーのい う資本主義の精神の変容についての,この第二の要因,経済的生存 条件 としての富の考慮に関連する。
まず,藻利博士が企業の固定化の要因 として第一 にあげる資本の固定化は, 企業の生産機構 における機械化の進展により, とりわけ固定資産 に投下され
る資本が巨額化 し,流動資産に投下 される資本に対するその比率 も高 くなる ことを意味 した。 この ような資本の固定化は,ヴ ェ‑バーのいう構構的 ・機 械的生産の特質の一つに他な らない。なぜな ら,ヴ ェ‑バーのい う機構的 ・ 機械的生産は,何 よりも藻利博士の経営技術的構造 に相当するりであ り,こ の経営技術的構造 における機械化の進展 とは,機構的 ・機械的生産の進展を
● 意味するか らである。 しかも,藻利博士のい う経営技術的構造は,単なる技
●
術の構造 を意味するものではない。それは,営利 目的に作用 された事業 目的 ないしこの ように作用された事業内容を表す ものであ り,この意味において 技術的性質をもつ と同時に経済的性質をもつ。それゆえに,われわれは,莱
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利博士のい う経営技術的構造が,ヴ ェ‑バーのい う経済秩序の技術的 ・経済 的前提 としての機構的 ・機械的生産 に相当する と考 えることがで きるのであ り,前者に関 して生 じる資本の固定化を,後者におけるそれ として理解する ことができるのである。
つぎに,藻利博士が企業の固定化の要因 として第二 にあげる労働の固定化 は,人力ない し労働力の担い手 としての労働者が形成する企業の社会機構な い し職場社会,博士の言葉 を用いれば経営社会的構造,における雇用の長期 化を意味 した。企業の社会機構ない し経営社会的構造は,企業の生産機構な い し経営技術的構造 における労働力の利用 に伴 って形成 されるものであ り, この意味において,われわれは,これを,広義における商品生産体系 として の企業の一部, したがって,経済秩序の広義 における技術的 ・経済的前提の 一部 として理解することがで きる。そ して,藻利博士が,資本の固定化のみ な らず労働の固定化を も重視 し, これ らによる企業の固定化 を論 じる とき, われわれは, ここに,経済秩序の広義 における技術的 ・経済的前提の性質の 変化 を理解す ることがで きるのである。
この ように考 えて くる とき,われわれは,藻利博士の営利原則の歴史的変 質についての主張の うち,企業の固定化 による営利原則の長期化 とい う主張 が,ヴ ェ‑バーのい う経済秩序の技術的 ・経済的前提の変化 による資本主義 の精神の変容の一局面 を指摘 した もの としての意味をもつ ことを理解 しうる であろう。そ して,藻利博士が,無限の将来にわたって存続するべ きもの と して運営される企業 については,その営利原則が,企業の利潤獲得能力の発 展的維持た らざるをえない ことを主張する とき,われわれは, ここに,功利 主義を基礎 とする資本主義の精神の一つの具体的 ・実質的形態 についての主 張を見 ることがで きるのである。
ヴ ェ‑バーによれば,資本主義の精神は,その基礎 としての清教主義が功 利主義 に変 ってい くにつれ,倫理を喪失 してい く。当初の熱烈な宗教的倫理 は,やがて冷静な合法性 にな り,そ して競技の規則 になってい く。 これに対