0。8〜0.9 (2) 板 目
r′J
い側板を底板の上にあてて
,底
板に2子と一対,側
板に1孔
を あけ,樺
皮で結い合わせる方法が とられている。 これを樺皮 結合曲物 とよが。樺皮結合曲物には,底
板上面の周縁を一段 低 くつ くり,
ここに側板をたてて樺皮紐あるいは樺皮紐 と木 釘で結合するもの (樺皮結合曲物A)と ,低
い段をつ くらず1)
に樺皮紐だけで結合す るもの (樺皮結合 曲物
B)力
`あ る。材質は55が スギ
,他
はすべて ヒノキである。55・ 56・ 57・62は樺皮結合 曲物
Aで,釘
は使わず,底
板 の周縁 を一段 お と して,樺
皮紐 だけで底板 と側板 とを結合 して い る。底板 の周 縁 の一段低 くした部分 は,外
側 か ら内側 へ傾 斜す る面 につ くってお り
,側
板 の固定 がはか られて い る。全体 は楕 円形 を呈 し,55・ 56・ 62で は長径方 向の両端を幅 広 くつ くって把 手 としてい る。57も 同様 とみ られ る。55・ 56 は一端 の把手部分 を欠損 してい るが
,破
損面 には手斧 で切 り目を入れ て折 り取 った形跡 を とどめ る。 また56で は
,長
辺側樺皮結合曲物
B
の割れ 目に沿 って3箇
所 に補修用 の小孔が うがたれているのFig.54
樺皮結合の模式図。で
,井
戸枠に転用 され る以前に,す
でに破損 し,修
復 して使われ て いた ことがわ か る。
58も 樺皮結合 曲物
Aで
あ るが,底
板 周縁 の一段低 くした部分 が水平面 であ る点 が55・ 56な ど と異 な り,把
手 もつ くられ ていない と推定 され る。 これ には側板 との樺皮結合 のための1衝
所 に3孔
あ く部分 もあ り,
側 板 の内側 に 接 した 位置 に も2箇
所,小
孔 が うがたれ てい る。また 割 れ面 に沿 った
2箇
所 に修復用 の小孔 があ く。58に は長径方 向の両端近 くに長方形 のはぞ穴が 切 り取 られ てい る。この方形孔 の心心間寸法 は
49.5cmあ
り,切
リロは粗 い。SE 1870の井 戸 枠 に転用 された際の加工 とはみ な しがた く,
また曲物製作時 にあけた もの とも考 え られ ない。59・ 60・ 61は樺皮結合 曲物
Bで ,お
おむね長方形を塁 し,両
端 の短辺 を弧状 につ くる。58に は 55な どと同様 に両方 の短辺 に幅広 の把手がつ くりだ されてい る。60と61に は側板 の一部が結合 された状態 で残 ってい る。 この2点
には,側
板 をたて る位置 にあ らか じめ施 され た刻線 が断続 的 にみ とめ られ る。59以 外 では,底
板 の裏面 に直線状 の刃物痕跡 が無数 に残 ってお り,姐
(まないた
)の
よ うな使われ方 もあった ことを示 してい る。 また60の 底板 の裏側 には,小
範 囲であ るが2箇
所 に黒漆が付着 してい る。62が 柾 目材,55が
斜柾 目材 であ る他 は,い
ず れ も板 目材 が 使 われ て い る。大 きさは56が 長 さ73.Ocm,復
原幅 48.Ocm。59が
長 さ70.5cm,復
原幅 55.82)
cm。 60が 長 さ
65.4cm,復
原幅43.5cmで
あ る。e
把手
(63)心
持 ちの九棒 の一側面 を平 坦 に削 り落 した芯材 に,幅 3mmの
樺皮組 を 斜格子状 に編 みつけた もの。現状 では樺皮紐 がか な り緩 んでい る。SE1335か
ら出土 した。 芯樺度結合曲物
A
1)奈
良国立文化財研究所 『木器集成図録 近畿古 代篇』(前掲)p.48。2)類
品が奈良県桜井市大福遺跡で出土 している。井戸枠 に転用 されていた もので
,底
板には55や56 と同 じように,精
円形の長辺の両端に把手部分を′/b
つ くる。法量 も69 cm× 48 cmと 共通 している。
ただ し底板 と側板 とは樺皮結合B方式に よって結 い合わされてお り
,今
回報告するものの中にはみ られない。 桜井市教育委員会『桜井市大福遺跡・西之官黒田地区発掘調査報告書』1987参照。
梓度結合曲物
A
材 は ム ラサ キシキ ブ で
,直
径0,7cm
であ る。
f
漆 器鉢(64)九
条条間小路 の南 側溝SD 1495か
ら 出土 した 漆器 の 破 片。漆器は木質部が腐蝕 して失われ,内外面 の漆膜だけが遺存 している。破 片 は 口縁部 の もので
,口
径17.5cm,
器高8cmほ
どの鉢形 の器であ った と 推定 され る。 口縁部は全体 にゆ るやかに内湾 し、端部 は丸 くお さめ る。漆膜 Fig.55 大福遺跡出上の大型曲物復原図
の裏側には木地であるケヤキ材の組織痕が明瞭に残ってお り
,
このことか ら布着せをせずに素 地に直接黒漆をかけたことが知 られる。漆膜の厚 さは内外面 とも0。4mm前
後で,均
質に塗 ら れている。素地は挽物で,心
を避けた材の側面か ら器を ロクロで挽 き出 した横木取 りの製品。素地は
lmm強
の厚 さに復原でき,き
わめて薄い。E 食事具 ば L.50)
a
杓子形木器 (65・66)65。
66は 痛平 な ヒノキの板 目材 か ら しゃもじ"に似 た形 をかた どった もので, 2点
とも同 じ形態。身 は縦長 で狭 く,先
縁 はゆ るや か な弧形 につ く り,刃
の ように薄 くしてい る。身の側縁 も表裏両面 か ら斜めに削 る。柄 は身 との境か ら撥状に幅を狭 め, 末端 は尖 る。
65,66と
もSE 1550掘形 出土。65は 全長28,7cm,身
の長 さ10.Ocm,同
幅 3.6cm,同
厚 さ 0.5cm。 66は全長25,lcm,身
の長 さ8,7cm,同
幅3.6cm,同
厚 さ 0.5cm。b
箸 (67・68)ヒ
ノキの木片を小割 りに したのち,
棒状 に整形 した もの。 67は 一辺 0.5cmの
角棒 につ くるが,68は
角 を削 り落 してやや痛平 な丸棒 につ くる。 68に は柿渋様 の塗料を 塗 って い る。平城宮6AAB区
土坑SK820出
上 の完形品302点
の計測値 をみ る と,い
ずれ も直 径 は0.5cm内
外 で,最
大 の長 さ24 cmか
ら最小 の長 さ 14 cmま でば らつ きがあ るが,そ
の1)
うち長 さ 17〜
22 cmの
箸が全体の80%を
占めている。 したがって67,68も
箸 とみなして よか ろ う。2点
ともSE 2020か
ら出土 した。67は長 さ21.lcm, 68は
長 さ21.3cm,直
径 0。4〜0.5cmで
ある。F部 材
(PL。 50)多足机 の天板
(91)SE1375の
井戸側板に転用 されていた もの。 本来の天板 の長辺 の 両側 を欠 き,短
辺 の両端 に丼戸枠組みのための仕 日が切 り取 られてい る。 ヒノキ板 目材 の木表 を机 の天板 の表面に,木
裏 を裏面 に使 って い る。板裏 の短辺寄 りに厚 さ l cln,幅7.9cmの ,断
面 が台形を呈する脚座をつ くり出し,脚
をさし込む柄子とをあける。現状では2)4.8cm間
隔で各5し ゃ も じ
し
つ
く
え
1)奈
良国立文化財研究所『 平城官報告 Ⅶ』1976, p.120。2)東
大寺正倉院に伝わる多足机には18,22,26, 28,32足 の例がある。′′7
箇所 に残 る柚穴の中には
,穴
底に2つ
の小 さな円孔が貫通す るもの と, 1つ
あ くものが1つ
ず つある。 さし込んだ脚を固定す るための釘穴であろ うか。長 さ84.lcm,現
存幅 21.0〜 21.8cm,厚
さ1.5〜1.8cmで
ある。G 祭祀具 ば L.49j
し し ぐ ぐ い
ゆ
雨引 語 轟下下
垂式
単位
:cm,( )│ま
推定Tab.13斎
串 寸 法 表斎
串 (69〜
90)細
長 い 薄 い 板 の両端 を とが らせ,側
面 に切 り込 み な どを施 した 串状 品で,祭
祀具 の一 つ。斎 串は聖 な る区 域 の結界 をあ らわ し,外
部 の悪気 を遮 断す る とい う役割 を担 っていた と考 え られてい る。今回出土 した22点 の斎串はすべて井戸 の埋 上の中か ら出土 した。 いずれ もヒノキ 材 であ る。SE 1315か
ら3点
(70〜72), SE 1560か
ら3点
(76〜78),SE 1867か
ら5点
(80〜84),SE1870か
ら5点
(85〜 89)と, ま と まって埋 って い る傾 向がみ うけ られ る。中 で もSE1315の 2点
(70・71)や SE1870
の5点
(85〜89)は
形状,木
取 りともほぼ 同 じであ り,同
一材か ら製作 された もの と 考 え られ る。 これ ら22点 の斎 串は井 戸 に関長 さ 厚 さ
木取
69 70 71 72 73 74 75 76 77 78 79 80 81 82 83 84 85 86 87 88 89 90
SE1305 SE1315 SE1315 SE1315 SE1335 SE1530 SE1550 SE1560 SE1560 SE1560 SE1555 SE1867 SE1867 SE1867 SE1867 SE1867 SEl SE1870 SE1870 SEl SEl SEl
CⅣ CⅢ CⅢ CⅢ CⅢ
CI
CⅢ CⅢCV (CV)
CⅣ CⅢ CⅢ CⅢ CⅢ (CⅢ)
CⅢ CⅢ CⅢ CⅢ (CⅢ) (CⅣ)
(20.1) (18.1) 18.8 15.5 19.0
18。1 17.6
(19。2)
(31) 22.0 18.3 17.2 (14.6)
22.8 21.9 (21,9)
3.05 1.9 1.7 1.5 2,1 2.2 (2.0) (2.0) 1,5 (2.5)
2.2 3.2 2,7 2.3 (2.1)
2.6 2.6 2.7 2.7 2.4 2.7
0.3 0,1 0.2
0。2 0.1‑0.2 0.1〜 0.2 0,3 0.2 0.2 0.15 0,2 0.2‑0.3
0。1〜0.2 0.2
0.25 0.2 0.2 0.2^ψO。1
0.15 0,1‑0.2 0.1 0,3
柾 目 板 目 板 目 柾 目 板 目 板 目 板 目 板 目 板 目 柾 目 柾 目 柾 目 柾 目 柾 目 柾 目 柾 目 柾 目 柾 目 柾 目 柾 目 柾 目 柾 目
わ る祭祀 に使用 された ものであろ う。22点 とも上端を圭頭状 に して
,下
端 を剣先状 につ くった もので,さ
きに分類 した型式 に従 うとC型
式 に属す る。側面 の切 り込 みには,上
端近 くの側面 の左右1箇
所 に施 した もの(C一
Ⅲ型式)が
大半 を 占め るが,74の
よ うに切 り込みがない もの(C一 I型
式)や
69・ 76の よ うに切 り込みが2箇
所 の もの(C一
Ⅳ型式)も
あ る。 なお83は 圭 頭 の頂部 か ら割 り目を いれ てい る。77は 側面 の左右に上方 か ら3回 ,下
方 か ら少 くとも2回
切 り込 みを いれ る(C一 V型
式)。 78は 上下両端 を欠 き,
確証 はないが,C一 V型
式 の 斎 串 と考 えて お く。79は 両側面 の左右対 称位置 の7箇
所 (推定)に
三角形 の切 り欠 きを施す もの(C一
Ⅵ型式)。 90も
C―
Ⅵ型式 か と推定 され る。H その他の本製品 ば L.50)
92・ 93は 荷札形 の木筒で
,表
面 に墨痕 のない もので,
こノキ材 であ る。2点
ともSK1886か
ら出土 した。
94は
,先
端 を針状 に とが らせ た断面 円形 の小 さな製 品。周側面 は縦方 向にていね いに削 り,上端 は斜めに削 り落す。削 りの痕跡 は摩耗せずに よく残 っている。用途不 明。
SE 1560出
土。長 さ
2.6cm,上
端径0.5cm,
ヒノキ材 であ る。1)奈
良国立文化財研究所『木器集成図録近畿古代篇』(前掲)p.70。
ど′∂
95は 細長 い薄 い板 の一端 を圭頭状 につ く り
,他
端 を一側面 か ら大 き く,他
側面 か ら小 さ く斜 め に削 り落 した もの。後者の削 り落 し端部 は傷 んでは いるもあの,原
形 を保 っている。表面 の 削 り調整 は粗略 であ り,斎 串の下半部 を削 り落 した ものか とも思われ るが確証 はない。SK1886
か ら出上 し
,長
さ9,9cm,幅 3.2cm,厚
さ0.3cmで
あ る。 ヒノキ材。96は 弧状 につ くられた幅
2.8cm,厚
さ2.5cmの
角材 で,広
葉樹 であ るシキ ミの心去 り材 を 使 って い る。 中央部分 をlcm厚
くして,そ
こに綻1.6cm,横 2,Ocmの
方孔 を側 面 か ら貫 通 させ て い る。上下 に貫通す る釘穴が4箇
所 あ り,そ
の うちの1つ
には断面 が一辺 0。6cmの
方 形 に な る角釘 が残 る。 この釘 は下端を久失 して いるが,平
らに叩 きのば した釘頭 を直角 に折 り 曲げ る折頭釘 であ る。釘 を打 ち込む場所 には,あ
らか じめ,す
り鉢状 の くばみを削 り込 み,お
そ ら く釘穴 も前 もって穿 っていた と思われ る。作 りは全体 に粗略 で
,一
部 に樹 皮 を とどめ て い る。SE1555か
ら出土 した。長 さは31.3cmで
あ る。97は 広葉樹 (アカガ ン亜属
)の
心去 り角材 を加工 した もの。一側面 を中央 か ら両端 にむけ て 少 しず つ削 り込 み,端
近 くに切 り込 みを いれ る。一端を欠 くが,お
そ ら く切 り込みは両端 に施 され たのだろ う。加工 は粗略 であ る。SE1870か
ら出土 した。現存長 さ44.lcm,
中央部 で の 幅4.4cm,同
厚 さ2.8cm,末
端部 の幅3.5cm,同
厚 さ2.8cmで
あ る。98も 97と 同様 に アカガン亜属材 に削 り加工 を施 した もの。細長 くて分厚 い板材 の末端先縁 を 表裏面 か ら斜 めに 削 り落 して 鈍 い刃状 につ くる。
この先縁近 くの 一面 は 表面 が 摩耗 して い る が
,他
面 は削 りの痕跡がはっき り残 る。加工 は粗略 であ る。SE1867か
ら出土 した。現存長 さ36.8cm,先
縁近 くで の幅6.4cm,同
厚 さ2.Ocmで
あ る。99は
SE1870の
井 戸枠縦板 の一枚 に転用 され ていたスギ板材(PL.46)で
あ る。長方形 の分 厚 い板 目材 の四周を,短
辺 の縁辺 は幅4cm,長
辺側 は 2〜3cm幅
に,片
面 か ら削 り'落して傾 斜面 につ くる。 また,両
短辺 の縁端近 くに各2箇
所,両
長辺側 に各4箇
所,直
径 4〜5mmの
釘 子とが残 る。表 裏両面 ともにやや腐蝕 して い るが
,製
作時の表面削 り整形 の痕跡 がみ とめ られ, 他 に加工痕 跡等 はない。縦35.5cm,横 66.Ocm,厚
さ 2.2〜2.4cmで
あ る。100は冠 の残片 であ る。 荒 目の織物 に黒漆 をかけた もので
,冠
の下端 の周縁 都 と推定 され るか ん む
1)
部分 も残 ってい る。類品は平城宮跡
6AAO区
土坑SK219出
土 品の中に もあ り,奈
良県東大寺 正倉院 に伝世す る「 礼服御冠残欠」 ともほぼ共通す る。 この種 の冠 は,古
文献 にみ る「 漆冠」,2)
「 漆 沙冠」 と考 え られ てい る。
1)奈
良国立文化財研究所『平城宮報告 Ⅱ』p.75,PL.56‑1。
2)関
根真隆『 奈 良朝服飾 の研究』^V187・ 194・ 195。
1974, pp.182
どと9
1962,