h 円 ぎ 冶 こ ぎ ミ
1
1の
著者
︑︒
︒正
門戸
包呂
田同
昔︑
が︑
﹁現
代で
もっ
とも
重大
な意
味を
⑫ ハイデッガ!とホワイトヘッドであろう﹂と述べたことは︑非常に深い示唆守合む言葉であると︑私
は把
えた
い︒
⑤ ④ ③ ② ① 註
﹁柴
門玄
話﹄
真叢
附巻
組問
︑﹃
正信
偏要
訣﹄
2
﹃本
典対
聞記
﹂一
一ノ
一
l
二﹃本典仰信録﹄真叢七・邸︑﹃大行義﹄真叢鮒巻刑制
﹃教行信証講義集成﹄第一巻似
﹃唯信紗文意﹄に於いて﹁十方世界北日流行しの﹁流行﹂
を解釈して︑﹁無碍光仏の御かたちは智慧のひかりにて
ましますゆへに︑乙の仏の智願海にすすめいれたまふな
り﹂
︵真
聖全
︑
E側
︶と
述べ
︑又
︑﹃
化身
土巻
﹂﹁
一二
一胸
︑
転入しに於いて︑﹁然今特出ニ方便真門一転−一入選択願
海一
︵中
略︶
果遂
之誓
良有
レ由
哉愛
久入
一一
閥︑
海一
深知
一一
仏恩
一
︵中略︶侭常称一一念不可思議徳海こ︵真聖全日川︑傍
点筆者︶という思想のうちに展開せる立場に立つ在り方
大行論の一考察
② ⑥
であ
る︒
西谷啓治氏著﹃神と絶対無Lお
﹁初期大乗仏教の認識論﹂︵﹃仏教思想﹄第二巻所収︶叩
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巧4
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明日仏
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可 ︒−mロ sN円
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凡詰
hh崎弘忠君︑−
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同町
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ロま
ミミ
ミ苫
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r Z 1 2 P 2 P S S
参照
︒
西谷啓治氏著﹃宗教とは何か﹄参照︒
武藤一雄氏著﹃宗教哲学の新しい可能性﹄山
拙 論 ご
ζ
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自白
3
曲目
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削問
削ユ
ロロ
白
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仏当E
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︒
B唱曲円
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句 町
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品 ・
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・ Y H也
記・
参照
︒
省門脇卓爾氏訳︑﹃カント
Ll
存在論および科学論|︑
﹁訳
者あ
とが
きし
別参
照︒
⑪ ⑮ ⑨ ⑧
⑫
四
浄土教と神話
四 回
浄 土 教 と 神 話
祖 型
反復
0)
視
占 台、
ら
安 手 富i
大 Fヨし
谷 1口ん
大
き哉ゃ
浄土
教の
根本
思想
を明
らか
にし
に口
−取
も重
要な
経典
は﹃
大無
量寿
経﹄
であ
る︒
この
経典
は︑
浄土教の本質を美事に説
き示し︑数ある浄土教典のなかでも一きわ光彩を放っている︒それゆえに﹃大無量寿経﹄は︑天親の早雨量寿経優婆
提舎
願生
偽﹄
︑
乙れを解釈した曇鷲の守浄土論註﹄を始めとして︑古来︑慧遠︑吉蔵︑元暁︑環興など多くの釈家に
よっ
て解
釈さ
れて
きた
︒
のみならずこの経典は人生を照らす法灯として︑無数の人々の胸のなかに輝き続けてきたの
であ
る︒
親驚もまた寸大無量寿経﹄の伝統に帰命した仏教者であった︒聖人は﹃教行信証﹄
﹁教
巻﹂
にお
いて
﹁夫
れ真
実の
教を
顕さ
ば︑
則ち
大無
量寿
経是
れな
り﹂
と宣
一一
一一
日し
︑
﹁如
来興
世之
正説
︑奇
特最
勝之
妙典
︑
一乗
究克
之極
説︑
速疾円融
之金
一言
︑
十万
称議
之誠
ヨ一
口︑
時機純熟之真教なり﹂と最高の讃辞をこめて結嘆されている︒現驚聖人の実存の全体は
守大
無量
寿経
﹄に
かか
って
いた
︑
といっても決して過言ではないのである︒
乙のような﹁生命の書﹂である﹁大無量寿経﹄は︑一方で人間の常識ぞ越えたような表現が随所にみられる︒
それ
は﹁
神話
的﹂
とい
う一
一一
一口
葉を
もっ
て表
して
も差
支え
ない
であ
ろう
︒
乙の経典における神話的な表現に触れるとき︑現代
人に
は︑
それは古代インド人の空想であるように思われるであろう︒そしてこの神話性という乙とが現代と浄土教が
出会うという場合の大きな障害になっているのである︒一体﹁大無量寿経﹄の神話的表現をいかに領解すべきなのか︒
乙のような関心から︑最近この神話性という問題をめぐって様々な論議が展開されている︒そしてそれにはドイツの
新約
学者
︑
ルドルフ・プルトマン
︵河 口仏
︒日 間同 己昨 日目 ロ
一八
八四
l一九七六︶の提起したキリスト教の﹁非神話化﹂論︵た
とえ
ば
E問
︒円
高田
陣
E L
玄3
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が大きな刺激となっていることは周知のところである︒今こ乙で乙の論争について論
及す
るス
ペー
スは
ない
が︑
ともかくもわれわれは﹃大無量寿経﹄の神話的表現の背後を流れる論理をさぐりあてなけ
れば
なら
ない
︒
ところで﹃大無量寿経﹄の中核となっているのは︑一言うまでもなく法蔵菩薩の発願修行と浄土建立の物語である︒
いまそれを簡単に整理すれば次のようなものになる︒
︶ −1 ︵ 一人の国王が仏の説法を聞いて心に悦びを懐き︑国を棄て王奇指てて沙門となった︒
ω
法蔵比丘は︑世自在王仏のみもとで︑一切衆生を度脱せんがために五劫の間仏国を荘厳すべき清浄の行を思惟し摂
取し
た︒
四十
八願
を発
起し
︑
この本願が成就しなければ正覚を取らないと誓った︒
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−− μH U
不可思議兆載永劫に於て︑菩薩の無量の徳行を積み︑無数の衆生を教化し安立して︑無上正真の道に住せしめ
−T
﹄ ︒
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a
UVl
法蔵菩薩は十劫以前に己に成仏して︑阿弥陀仏︵無量寿仏︶と号し︑ここを去る乙と十万億利の西方安楽園に
おら
れる
︒
以上が法蔵比丘の物語の要約である︒
この
よう
に法
蔵は
︑
ω
国王︑仙比丘︑制菩薩︑間仏︑という四段階の自覚の浄土教と神話
四五
浄土教と神話
四六
歴程
歩を
まれ
たの
であ
る︒
ζの物語は神話的である︒その理由として何よりもまず︑どの物語にある時間観念と空間
観念を挙げるととができよう︒
最初に時間の観念について触れてみると︑神話を神話でないものと区別する決定的な要因は︑
神話のもつ時間観念
にあ
ると
され
る︒
いかなる神話も原古の出来事について述べるが︑
いま法蔵説話もまた遥かに遠い過去の物語として
描か
れる
︒ 八五劫﹀とか︿永劫﹀とか︿十劫
V
とい
V7
時間単位は︑人間の時間意識では把えることのできないような 宇宙的な拡がりをもっている︒
一方
空間
的観
か念
らす
ると
︑
︿十万億利の西方安楽園﹀という距離の単位もまた人聞の想像を絶している︒
法蔵説
話を説き終って︑釈尊は阿難尊者に浄土の荘厳について語られる︒
乙の﹁浄土略讃﹂として描かれる浄土の華麗な光 景は︑もし文章ぞ素直に受けとめるならば
ユークリッド的な空間の観念とは異っており︑あるいは﹁安楽﹂固とい
う表
現か
らす
れば
︑ 一種のパラダイス神話と見倣されるであろう︒
以上のことを総合してみるとき︑
寸大無量寿経﹄の内容は︑根本的な仏教からは大きく変形した神話的思想にも思 われ︑そ乙に様々な批判が生ずることにもなるのである︒
浄土教に限らず︑仏教の神話的表現については古来幾多の批判を呼んでいるが︑
二︑
一二
その
批判
の代
表的
なも
のを
挙げ
てみ
よう
︒ 日本においては江戸後期の思想家で︑
神・
・儒
仏を
歴史
的に
批判
した
富︑
氷仲
基︵
一七
五一
J
一七
四六
︶の
が説
まず
注 目される︒仲基は日本の精神風土に適合するか一合かという観点から仏教を批判するが︑
とりわけ後期仏教については
﹁大乗非仏説﹂という論法をもってするのである︒
い づ
hゆ仏道のくせは︑幻術なり︒幻術は今の飯縄の事なり︒天竺はこれを好む国にて︑道を説き︑人を教ゆるにも︑
これをまじえて道びか︑ざれば︑人も信じてしたがはず︒きれば釈尊はいづなの上手にて︑六年山に入て修行せら
れたるも︑そのいづなを学ばんとてなり︒:::生死流転因果をとき︑本事本生未曾有をとき︑奇妙なる種々の説
をせられたるも︑皆人に信ぜられんがための方便なり︒是は天竺の人をみちびく仕方にて︑日本にはさのみいら
ざる
事也
︒
︵ ﹁
翁 の
文 ﹂
︶
飯縄とは︑管狐︵くピぎつね︶を使って行なう術で︑長野県の飯縄山の神によって与えられた不思議な魔術である
といわれる︒仲基は仏教がそのような魔法を使って人々を導くことを批判し︑まに因果の法や︑
本生
一語
など
の説
を日
本の風土に合わないとして斥けるのである︒仲基の批判がむけられた経典は﹁維摩経﹂であるが︑ここに近世人と仏
教が衝突する一例がうかがわれる︒
西洋では︑仏教の研究は近代になって始まった︒ところが仏典に見える仏陀像があまりに人間の姿とかけ離れてい
るた
めに
︑
はたして仏陀が歴史上に存在したかどうかということさえ疑われたような時期がゐった︒後期経典よりも
パlリ仏典の方を尊重するという態度が根強いのは︑そのような背景によるものであろう︒ドイツのインド学者とし
て著名にったオルデンベルク︵戸︒民自
ra
m
一八
五四
t
一九
︶の場合を例にとってみると二
O
インド本国では仏典は数世紀の聞に新らしい運命を経験し︑原始教会の儀礼は︑後代の詩と創作の背後に徐々
に消えていった︒しかしセイロシの教会は単純でやぼくさい﹁老人の言葉﹂︵テラパl
ダ︶
に忠
実で
あり
続け
た︒
︵ ﹁ 仏 陀
﹄ ︶
として歴史的仏陀の研究にパlリ仏典をとり上げるのであるが︑神話的仏陀の出現については次のように述べる︒
僧侶や俗信徒において︑仏陀の尊さを示して説かれたいくつかの特色が︑やがて沢山の媒体によってかような
浄 土 教 と 神 話
四 七
浄 土 教 と 神 話
四 八
ζとに連なっていくとしても驚くにあたらない︒それは︑幾世紀も昔︑
ヴェーダ時代の牧夫や農民の間で︑
まに
それより以前のインド・ギリシア・ゲルマン族の名もない祖先たちの間で︑
人々が空想的に歌のなかで︑大陽英 雄︑すべからく現世の英雄の光輝に満ちた姿と連想したものであった︒
︵前
掲書
︶ 一方にはイエス・キリストの歴史的性格に比して︑釈尊の存在には歴史観が欠如しているとの批判もある︒
ス
Ja
ス
の神学者エミl
ル・
ブル
ンナ
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自 己
E
回E R
一八
八九
J
一九六六︶は後期の仏典について次のような意見を述べている︒
初期の仏教にとっては︑仏陀が実在したかしないかは︑結局においては全くどうでもよいことなのである︒
と
いう
のは
︑ かれの﹁道﹂はかれの人格に結びついているのではないからである︒後期の仏教は︑
たしかに︑仏陀
の化身に重大な意義ぞ認める︒しかしこれは多くの化身のうちの一つにすぎないし︑
この一つの化身においても︑
歴史的仏陀は︑神話的・伝説的粉飾に蔽われて︑
ほとんど全く識別しがたくなっている︒
︵﹁
一目
的な
もの
と実
存の
性格
L︶ 右のような批判は枚挙にいとまがないであろう︒たしかに後期の経典がパlリ仏典に比して神話的色彩︑が濃厚であ
る事実は否定できない︒
︿三十二相八十随形好﹀の大相好︑仏特有の八十八不共法﹀などの超人的風貌︑︿十方諸仏﹀
あるいは八過去七仏V
というような超越的仏陀像の観念は︑後期の経典に顕著な神話的表現である︒
ピがそれ故に仏
教が変質したということはできない︒むしろ仏教は後に大乗思想が展開されるに及んで一層根源化され︑真理化され︑
結局宗教化されたと理解きれるべきであろう︒仏教の神話化の背後には︑
そこに到る歴史的な必然と思想的な論理が
ある
︒ 乙の点にわれわれは十分に限をむけなければならない︒
﹁大無量寿経﹄の神話的表現もその路線の上にあった
ので
ある
︒