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ドキュメント内 清末中国における日本女子教育受容の研究 (ページ 113-119)

遊戯及び体操 普通体操 遊戯

3

普通体操 遊戯

3

普通体操 遊戯

3

普通体操 遊戯

3

外国語

発 音 、 綴 り の 読 み 方、訳解会話、書き 取り、習字

発音、綴りの読み 方、訳解会話、書き 取り、習字

読み方、訳解会話、

作文の書き取り

読み方、訳解会話、

書き取り、作文

第五章 休 業 日

第十二条 第一学期は、毎年正月二十日から始まり小暑節まで、第二学期は、立秋後六日から始 まり、十二月二十日まで休みである。

第十三条 毎月房・虚・昴・星の日は休みである。

第十四条 恭逢、皇太后万寿節、皇帝万寿節、皇后千秋節、孔子誕生日、慶祝行礼の後一日間 は休みである。

第十五条 端午の節句、中秋節はそれぞれ一日間休みである。

第六章 授 業 時 間

第十六条 春分後の授業時間は、午前

8

時から

11

時まで、午後

12

時から

3

時までであり、秋分 後の授業時間は、午前

9

時から

12

時まで、午後

1

時から

4

時までである。

第七章 試験卒業及び奨励

第十七条 月ごとに一回学期中の試験と、毎学期に一回学期末の試験がある。学業勤学に基づ き、学生の品行を評価し、それぞれ功労と過失を記す。功労のある学生に対し、それ ぞれ奨励を授与する。

第十八条 尋常科及び高等科卒業後、卒業証書を授与すると同時に、学業勤学に基づき、学生 の品行を評価し、別々に審査と評定を加えた後、奨励を授与する。

第十九条 前二条は図書文具、或は口頭をもって奨励する。

第八章 休 暇

第二十条 学生は自分の事情、親の疾病、或はやむを得ない事情のため、休みを取りたい場合、

父親や兄弟は豫め学堂に告知すること。

第二十一条 数か月の休暇をとる場合、学業が他者に追いつけない学生は、班からの退出、或は除 名処分を受ける。

第二十二条 学生は学則を守らず、或は学業が極めて悪ければ、除名処分とする。

第二十三条 教科書乃至文具は自分で用意すること。

第九章 学 費

第二十四条 学生の貧富を問わず、毎月の学費はいずれも一元である。

第二十五条 本学堂は毎日昼食を用意する。毎月一人三元である。

第二十六条 本学堂は一先ず尋常科を設置・試行し、学生の学習能力及び水準を観察した後、高 等科を設ける。

第十章 総理、事務員及び教習

第二十七条 本学堂は総理の職を設置し、創設者が担当する。

第二十八条 本学堂は事務員(四人)の職を設置する。

第二十九条 本学堂は中外教習数名を招聘し、科目ごとに授業を行う。

第十一章 賛 成 員

第三十条 本学堂が招聘した中外の女教習については、学堂が試用し、一定の効果が得られた 後、報酬を受け取ることができる。報酬を求めない教習に対しては、「名誉教習」という 称号を授与する。

第三十一条 本学堂は中外において、学識と名望がある士女を招聘し、本学堂に関する重要な 事について、賛成員として討議する。

第十二章 衛 生

第三十二条 本学堂は医者一名を招聘し、学堂医者として学堂の衛生を担当する。

第三十三条 学堂での学生が急な体調不良のとき、学堂医者によって治療される。

第三十四条 伝染病にかかった学生は、全快した後学堂に戻ることができる。(家族が伝染病にかか った時も同上)

第三十五条 学堂で伝染病にかかった学生は、他人に伝染しないように、学堂の規定授業時間に 従わなくてもよい。

第三十六条 年齢を問わず、学生はタバコを吸ってはいけない。

第十三章 教 室

第三十七条 学生が授業を受けるときの必需品は指定の書籍、文具等に限られる。学習と関連がな い物を持ってきてはいけない。

第三十八条 学生の席は固定するので、自由に席を移動してはいけない。

第三十九条 授業が始まる時、学生は起立、敬礼しなければならない。

第四十条 鳴鐘をもって、授業の始まりと終わりとする。

第四十一条 授業の合間は十五分であり、教習は学生を引き連れ、室外へ散歩に行く。

第四十二条 授業中は、学生は質問された時、分かる学生は右手を挙げ、教習が指名した後で答え る。

第四十三条 授業中は、学生は質問された時、右手を挙げ、教習の許可を得た後、起立して質問す べきである。

第四十四条~第四十八条 ……

第十四章 服 装

第四十九条 裕福な家庭の子でも、華美な服装ではなく、質素な服装を着ること。

第十五章 交 際

第五十条 学生の間では、誠実、相互の譲り合いという礼儀を守ること。

第十六章 参 観 ……

第十七章 父 兄 会

第五十二条 毎学期数回、学生の父母兄姉を招き、総理教習が本学堂の教育宗旨と方法及び学生 の進歩状況を説明する。父母兄姉は学堂に対する意見を自由に討論できる。相互の 考究、家庭との連絡により、日々教育の進歩を目指す。

第十八章 通 知 簿

第五十三条 本学堂は生徒ごとに通知簿一冊を配り、用事があれば家庭者に通知し、通知簿に記 入する必要がある。毎日生徒は家に帰ると、父や兄にサインしてもらう。

付 則

補充史料 3

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清末期、日本側の日本女性教習に関する重要記事一覧 類型 名称 登載号 所収欄・

面 登載期日 関連の女性教習 記事名

新聞

『婦女新聞』

195号 雑 報 1904年2月1日

河原操子

河原女史の名誉 198号 雑 報 1904年2月22日 蒙古紀行(一)

199号 雑 報 1904年2月29日 蒙古紀行(二)

200号 雑 報 1904年3月7日 蒙古紀行(三)

201号 雑 報 1904年3月14日 蒙古紀行(四)

223号 女学界 1904年8月15日 小川文野子 妙齢女子の渡清 268号 女学界 1905年6月26日 木村芳子 清国婦人と日本人の家庭教師

301号 女学界 1906年2月12日

武井初子、丹雪枝、丹 トク、木村芳子、河原 操子、川島福子、内田 正子、服部繁子、服部 升子、加藤みね子

外国に在る女流教育家

350号 女学界 1907年2月21日 阿部初代子 女教師渡清 365号 女学界 1907年5月6日 山名瀧(たき)子 山名たき子氏

森田由(よし)子 森田よし子氏 377号 女学界 1907年7月29日 斎藤いし子 女子清韓語学講習所卒業式 381号 女学界 1907年8月26日 大杉春子、松里島子 清国派遣女教員養成所

409号 女学界 1908年3月9日

片根清子、佐久間だ い子、斎藤いし子、市 村満津美子、鈴木清 子、阿部常代子、片山 多久子、村越信子、山 角まさ子、新谷まさ 子、加藤なつ子

渡清の女教師

457号 女学界 1909年2月12日

酒井餘野子、川島あ さの子、手塚かツオ 子、楡井よし子、近藤 静子

東洋婦人会派清教員成績

465号 女学界 1909年4月9日 横内文恵子、加藤豊

子 東洋婦人会の教員清国派遣 519号 女学界 1910年4月29日 坂井筆子 坂井筆子氏の渡清

小山内高子 小山内高子氏渡清

『朝日新聞』

6239号 5面 1903年12月5日 河原操子 勇ましき女教師

(蒙古王の家庭教師)

7159号 6面 1906年7月20日 安藤貞子、片根清子 女子と清韓語 7331号 2面 1907年1月14日 阿部初代子 清国招聘の女教員 7435号 4面 1907年5月2日

山角まさ子、村越信 子、村上清子、佐久 間だい子

清国招聘の女教師

7715号 3面 1908年2月14日 斎藤いし子、市村満

津美子 女教師清国に聘せらる

8123号 5面 1909年4月2日

横内文恵子、加藤豊 子、松里島子、大杉 春子

清国へ赴任の女教師

『読売新聞』 10230号 3面 1905年12月7日 加藤みね子 閨秀音楽家の清国応招

雑誌

『婦人と子ど も』

3巻6号 彙 報 1903年6月5日 戸野みちえ、丹雪江 清国幼稚園 4巻2号 彙 報 1904年2月5日 河原操子 河原操女の便り 6巻11号 彙 報 1906年11月5日 野口芳子、

田中たか子 小学女教師の清国招聘

『女鑑』

第16年 第1号

女鑑新聞

3号3面 1906年1月1日 服部升子、木村芳子、

服部繁子、佐伯園子 北京の女学界

第16年

第3号 学 校 1906年3月1日

安藤貞子、片根清子、

加藤美代子 清国招聘の女教師 武井初子、丹雪枝、丹

トク、木村芳子、河原 操子、川島福子、内田 正子、服部繁子、服部 升子、加藤みね子

外国に於ける女子教育家

雑 録 河原操子 河原操子女史と蒙古

第16年 第4号

女鑑新聞

6号3面 1906年4月1日

武井初子、丹雪枝、丹 トク、木村芳子、鳥居 喜美子、川島福子、内 田正子、服部繁子

婦人の海外経営

第16年

第6号 論 説 1906年5月1日 佐伯園子、亀田操子、

服部升子、木村芳子 北京女子教育談

『女学世界』

4巻6号 雑 録 1904年5月5日 河原操子 砂漠の花(蒙古女学の消息)

増刊5巻

14号 社 交 1905年6月5日 服部繁子 支那婦人の社交 6巻3号 社 交 1906年2月5日 武井初子 清藤女史支那婦人談 6巻4号 社 交 1906年3月5日 河原操子 蒙古生活談

7巻4号 時 論 1907年3月5日 鳥居喜美子 蒙古の別天地—喀喇沁王府教習 鳥居喜美子

『教育時論』

622号 時事寓感 1902年7月25日 女性教習2名、

詳細不明 我教育家と清国教育 672号 時事寓感 1903年12月15日 河原操子 日本女流の雄志 672号 時事彙報 1903年12月15日 河原操子 日本女子と蒙古王の家庭教師 673号 社 説 1903年12月25日 河原操子 河原安井二女史の遠行を送る 678号 時事彙報 1904年2月15日 河原操子 河原女史の消息 695号 時事彙報 1904年8月5日 小川文野子 妙齢女史の渡清 696号 時事彙報 1905年8月15日 武井初子、丹雪枝、

平野道江 清国女子教育談 787号 時事彙報 1907年2月25日 前田茂子 満州の教育

『教育界』

3-6 内国彙報 1904年3月3日 河原操子 河原操子女史 3-8 外国彙報 1905年5月3日 河原操子 蒙古王宮の女学

6-11 内国彙報 1907年9月3日 大杉春子、松里島子 大杉春子・松里島子両女史

『実験教授指 針』

4-12 彙 報 1905年6月20日 戸野美知恵 支那事情(戸野みちえ)

4-13 彙 報 1905年7月5日 戸野美知恵 支那事情続(戸野みちえ)

4-13 彙 報 1905年7月5日 不明 清国王族と家庭教師

ドキュメント内 清末中国における日本女子教育受容の研究 (ページ 113-119)