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2.本論文の位置づけ

ドキュメント内 清末中国知識人の近代国民意識の覚醒 (ページ 85-88)

清末の思想動態に関して、従来の研究では革命思想の形成や、1901 年以後梁啓超及び中 国人日本留学生が盛んに唱えた民族論という

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つの視点に重点を置いてなされてきた。し かし、その思想動態をもっと長いスパンで見ないと、全貌はどうも見えにくい。そして、

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世紀はじめに、梁啓超と中国人日本留学生が民族論と同時に提唱した国民論はこれまでの 研究では十分に注目されていない。そこで、本論文は、日清戦争後から

1901

年までの時期 を取り上げ、梁啓超と中国人日本留学生たちの国民意識が覚醒される前にどのような思想 的特徴があるのか、彼らはいかなる契機で国民に目を転じるようになったのか、ということ

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を中心に考察を行った。これらの問題を解明することによって、清末の思想動態の解明のみ ならず、近代中国人精神史においても多大な意義を持つであろうと考えられる。

そして、「任侠」救国思想はよくその後に現れた「武士道精神」、「尚武思想」、「軍国民」

と同じように、清末中国知識人は当時の中国を亡国の危機から救い出し、中国を強国させる ための手段として提唱したとされてきた。第

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章にも述べたように、蔡鍔は国民意識が覚醒 された後に「軍国民」主張を提出したのであった。言い換えれば、「軍国民」の主体は国民 であり、当時の国際状況では、武装した国民が必要だと蔡鍔は考えている。そして、「武士 道」を挙げてみよう。梁啓超は武士道精神を提唱する代表者である。彼は

1904

年に『中国 之武士道』を編纂し、日本の武士道を参照しながら、中国古代以来の

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余人の「任侠」の 事績を描いた。しかし、それは少数の「任侠」によって中国の維新が可能となることを示す ためではなく、むしろ教育を通じて全国的に尚武精神の普及を図るために学校の教科書と して編纂されたものであった。もっとも、「尚武精神」は「武士道精神」、「軍国民」と同じ く求められた対象は国民であると考えられる。しかし、「任侠」救国精神はこれらと明らか に異質なものである。本論文は、清末「任侠」救国思想の由来、普及経緯、及びその性格を 明らかにすることによって、「任侠」救国思想が清末中国知識人の思想に与えた多大な影響 を明らかにした。

また、第

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章でも述べたように、康有為・梁啓超ら改良派は主として黄遵憲の著した『日 本国志』の中に描かれた幕末志士観からの影響を受け、「任侠」救国を提唱した。これまで 中国では、黄遵憲の『日本国志』は清末中国人日本研究の最高峰として評価されてきたが、

黄のこの書で現れた幕末志士観が清末中国知識人の維新観に与えた影響から見れば、再評 価すべきと考えられる。すなわち、黄遵憲が渡日したのは

1877-1882

年の間であり、思想 上では中華文化の優越感を持ち、西洋と日本の学問はただ中国の経書に由来するに過ぎな いと自慢している黄は『日本国志』において、幕末志士の事績を春秋の筆法で描き、彼らの

「任侠」行為によって明治維新が成功したと強調している。アヘン戦争後、中国は西洋諸国 との戦いで敗戦し、多くの主権を失ったが、それは西洋の武器が強力であったからと見られ、

基本的に中華思想は動揺しなかった。黄がこのような認識をもっても不思議ではない。しか し問題にすべきは、『日本国志』が中国で流布したのが日清戦争直後だという点である。日 清戦争における中国の惨敗によって、「天朝上国」思想に溺れた清朝の統治者や官僚たちを 驚かせ、日本研究の関心が一気に高まった。そこで、『日本国志』は日本研究の参考書とし て高く評価された。梁啓超ら改良派は黄の日本認識、特に幕末志士観を受け継ぎ、幕末の志 士たちのような「任侠」が少数いれば、中国の維新変革を成功させ、中国を強くさせること ができると認識した。この「任侠」の役割をあまりに過大視する皮相的な認識は、明治維新

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以後の日本が近代化に邁進する過程においての国民統合や、日本社会の近代ナショナリズ ムの高揚など思想上の変化を見落とさせ、前近代の目で近代日本を捉えた。このような「任 侠」認識は維新変法期だけではなく、その後の勤王蜂起期における中国人日本認識にも多大 な影響を与えた。ある意味で黄遵憲の『日本国志』は清末中国知識人の近代日本認識に歪み を生じさせた、この点から見れば、『日本国志』は日清戦争後に日本研究としての価値は「近 代中国人日本研究の最高峰・白眉」までには達せず、思想面での日本研究はかなり遅れてい ると考えられる。

3 .今後の課題と展望

前文の繰り返しになるが、本論文は、日清戦争後から

1901

年までの時期を中心に、梁啓 超ら改良派及び中国人日本留学生界に焦点をあて、彼らの「任侠」救国思想、及びその思想 の実践ともいえる勤王蜂起前後の思想的変化を主軸に、彼らの国民意識の覚醒過程を解明 することを課題としたものである。

勤王蜂起は彼らが唱えてきた「任侠」救国思想の実践の破綻を宣告し、彼らの視線を少数 の「任侠」から中国全土の「国民」へ転じさせる契機となったことは実証したが、梁啓超や 中国人日本留学生は国民論を唱えたときはともに日本にいた。日本は彼らが近代西洋思想 を摂取する情報源であった。例えば、第

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章に述べたように、蔡鍔の「軍国民篇」の中に唱 えた「軍国民」主張の表現だけでなく、その内容も日本の民友社が出版した『武備教育』が 直接な参考となったことが窺える。しかし、20 世紀はじめに梁啓超や中国人日本留学生た ちが唱えた国民論に関する知識は、どのように当時の日本を通じて摂取したのか、また彼ら の唱えた国民論はどのような性格なのかについて、本論文の紙幅からも筆者の能力もあっ て、解明しないままである。これらの問題意識を念頭において今後の研究課題として検討し たい。

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参考文献

ドキュメント内 清末中国知識人の近代国民意識の覚醒 (ページ 85-88)