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13.環境倫理―我々は森とどう関わるか―

ドキュメント内 202647帝京_文教育36号_校了.indb (ページ 61-65)

 ここまで4.75億年前に初めて植物が上陸を果たし、そ のご緑あふれる世界がどのように築かれてきたかを振り 返った。その歴史は隕石の落下や様々な天変地異の中、

絶滅する種・生き残る種・新たに誕生する種によって大 きな変遷を遂げてきた。偶然のでき事のなか生き残った 種や新たに誕生した種は幸運に恵まれていたとともに、

変化する環境に適応し生き残る必然性ももっていた。

個々の個体は次々死滅したが、命は次の世代に引き継が れ種として生き永らえてきた。ヒトはそのような世界に ごく最近加わった。特に我々ホモ・サピエンスは、20万 年前に地球の一員となった新参者である。そのご人は1 万年前に農耕を始め、自然への影響力を格段に増して いった。人は農地・牧草地を増やすために森林を伐採し、

森林資源を燃料・家屋・製鉄・造船・枕木など様々に利用 してきた。その他、人は自然に生えていた木々を自分達 に都合のよいものに置き換えた。人の森や自然に対する 行為の本質を深く考える人も中にはいたが、大局的に見 ると我々の祖先は暮らしを維持するために森の資源を如 何に長い間持続的に利用できるかという観点で、伐採法 を検討したり植林をしたりしながら森を利用し続けてき た。しかし、現在では地球上で生物の一員として、人口 を増加させながら資源多消費型の生活を続けられるかど うかが危うくなったことを、多くの人が目を背けること ができない問題であると実感し始めている。

 我々は、地球に生存する無数の生物種のひとつとして どのように振舞うべきか、あるいは現代の世代は将来の 世代の取り分を好き勝手に使い尽くしてもよいのか、と いう環境倫理の問題が我々に突きつけられている。最後 に多様な生物の棲家となっている森をどのように利用す べきかを含めて、環境倫理について以下の二点を意識し ながら考えることにする。

 第一は人間観あるいは生物観で、それには二つの立場 がある。そのひとつは人間中心主義で、それはキリスト

教に代表されるように、人間を神の似姿として創られ神 から世界の管理者として使命を託された選ばれた者とみ なすものである。もうひとつは生物平等主義である。そ れは人も地球の一員で他の生物と横並びの存在と捉える もので、アニミズムや滝や山にも神聖を認める考え方、

あるいは最近のディープエコロジー(後述142頁)に代 表される。

 第二はものの捉え方あるいは世界観で、それにも二つ の見方がある。そのひとつは正反対に向いた顔を持つ ヤーヌスに象徴されるように、世界は画然と対立する二 つの価値観のもとで展開し、人はその中で切り裂かれや すいと見るものである。もうひとつは太極図(図5)に表 象されるごとく、世界には陽と陰の二つが存在するが、

事態は陰から陽へいつの間にか変わり、再び陽から陰へ と次第に変化し、しかも陽の中に陰が、陰の中に陽が含 まれているとするものである。そこでは、物事はきわめ て可変的で一種曖昧模糊であると認識することになる。

図5 太極図(道教のシンボル)。

 生物の多様性を研究し、生物多様性の保全は本来全て の生き物が生得的にもっている権利として認められるべ きであるという立場を十分理解しているウイルソンは、

最近『創造』という小説を書いた(246)。それは、進化を 認めず世界は神が創造したとする仮想の神父に向かって 手紙を書くことで展開した。彼の主張は人の生き様は、

人を神にこの世の管理を任せられた地球の管理者として 考えても、神の期待に応えていないというものである。

 彼の論点は、進化・創造について何を信じるかという 立場の違いを超えて、生物多様性の保存に対して現状よ りもよい取り組みを共に行えるはずであるというもので ある。

 このようなことを踏まえて、森の将来を見据える選択 について環境倫理を念頭におき考察する。

自然の権利: ギリシアやローマの哲学者は、人間が市 民的秩序を形成したのちに具体化された“慣習法”に対 して、市民的秩序以前の原始的な自然状態を組織化した 生物学的原理に従った“自然法”という概念を対置して いた(84-33p)。またローマ時代には、ローマ市民に対す る“市民法”とローマ市民以外に適用される“万民法”、

更に動物も自然権を保有するとする“動物法”を含む“自 然法”が存在していた。しかし一方では、円形闘技場で 市民の娯楽のために野生動物が人の手にかかって殺され ており、実際に動物の自然権がどのように確保されてい たかははっきりしない。またローマの繁栄は多くの奴隷 によっても支えられていたことも事実である。

 17世紀になると近代的医学が誕生し、動物の生体解剖 が行われるようになったが、それを巡って論争が行われ た。動物の権利を認めない人々はデカルト(1596-1659)

の主張「動物は無感覚で、非理性的な機械である」、「動 物は時計のように動くが、痛みを感じることはできな い」、「動物は精神がないので、危害を加えられてもその ことを感じることができない」に目を向けた。デカルト は「我思う、ゆえに我あり」と人間には精神があり、その ような人間が主体的に世界の秩序を構築すべきであると する人間中心主義を標榜した。その人間中心主義は、神 が人間にこの世を託したというキリスト教の考え方と あいまって西洋の考え方の大きな基調と成った。勿論、

一方では動物の権利を認める動きも見られた。それは、

1596年のイギリスのチェスター地方の熊攻めを禁じた 法令、1641年のマサチューセッツ・ベイの家畜動物への 残虐行為を取り締まる法律、1822年のイギリスの「家畜 の処遇に関する第三法」の制定(84-50p)、1824年のイギ リスにおける世界初の動物愛護協会の設立などである。

 如何に動物の権利を守るかについては激しい論争が今 日でも繰り返されている。特に動物実験や畜産製品をつ くるための機械のように扱われ、身動きも取れない状態 に置かれている家畜を巡っては重い問題が横たわってい る(247)。動物実験に対しては、急進的な活動家が研究 室を襲撃するなどまだまだ大きな軋轢がある(248)。 

 人間・動物・植物の間にどのように線を引くかは難し い問題である。動物のあるものは人と同じように苦痛を 感じるが、植物は苦痛を感じないと苦痛の度合いで線引 きをする場合もある。しかしここでは、植物も含めそれ ら三者は共に共通の祖先から進化した命を持ち、地球と いう生態系を分かち合うもの同士であることを受け入れ る立場から論ずる。

 森に対する西洋の人の考えを見ても、メイポールに代 表されるアニミズム的な考え方が現在まで連綿と続いて いる。またアーサー王・ロビンフッドは森に守られたヒー ローとして、長い間人々に愛され語り継がれてきた。彼

らが逍遥した森は必ずしも明るい森ではなく、無法者が 隠棲する怪しげだが再生力をもった土地で、人々は森を そのように捉えてきた(249)。またシェクスピア(1564-1616)の『真夏の夜の夢』も現実を大きく覆す出来事が夜 の森で起きたことを描いている。19世紀初めに書かれ たドイツのグリム童話『ヘンゼルとグレーテル』も非日 常的な異境の魔法の森をさまよい魔女と出会う話であ る。これらの作品には、我々の森に対する恐怖・畏敬の 思いや生命力の源泉への信頼感あるいは不安など、我々 の力の及ばない様々なものが描かれている。これらのこ とは人間中心主義が大きく広がった近代西洋にも、ケル トのドルイド的な要素あるいは人力・人知を超えた世界 を実感する思いが残り続けていることを示している。

生物のネットワーク・生態系: 地球の生物界は生物 が互いに依存、あるいは敵対関係を持つことによって 成立するという考え方は、ギリシア時代まで遡ること ができる。アリストテレスと同時代のテオプラストス

(BC371~BC287)は植物が最適な地域で繁殖することを 初めて観察・記録した(69-65p,83)。それは今の生態学用 語のニッチ(生態的地位)94 にあたるが、そのような考え 方が大きく展開したのは近代に入ってからである。

 17世紀後半に顕微鏡で初めて微生物を観察したオラ ンダ人のレーウェンフック は「自分の口の中にオラン ダの人口より多くの微生物が存在している」と、口の中 にもひとつの生態系が存在していることを看破した(84-43p)。彼はまた食物連鎖という生態系の基本概念を打ち 立てた。イギリスの詩人アレクサンダー・ポープは1733 年に「全ての生き物はひとつの巨大な全体のなかの部分 にすぎない」と著した(84-42p)。その後ヘッケル(1834-1919)は、1866年にギリシア語のoikos(世帯)とlogos(科 学)の二つを合わせたÖkologie(ecology)という語を作 るとともに、生物と環境の相互関係に注目した。更に、

ヘッケルは環境を考える際には、生物的要素と非生物的 要素(日照・気候・風土)に分ける必要があることを主 張した。ダーウィンの『種の起源』が1859年に出版され、

生態と進化を関連付けて考える人々がゆっくりであるが 確実に増えていった。そして現在では、我々は生態系が 多様な生物が関わりを持つことで形成されること、進化 はそのような生態系の中で続いてきたという事実を共有 できるようになっている95

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94 1つの生物種が利用するある環境要因をもった範囲をニッチという。同じ場所でも昼と夜で異なる生物種が棲み分けるような 場合もある。生物は異なったニッチに分かれて棲んでいる。

95 一部の人は神が人を創造したことを今でも信じている。また生物はインテリジェント・デザインに基づいて作られているとい うあらたな言説と、それを公教育の場で教えるべきであるという運動が起きている(250参照)。進化と創造については更に考 察を深める予定である。

ドキュメント内 202647帝京_文教育36号_校了.indb (ページ 61-65)

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