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‐ 茶万菌聯 ‐

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l輛 石高 薪じ IⅢ

なる局面 において行なわれた別個の ものであるためだけではない。それ らは異 なる局面で行 なわれる祈薦であって も、実際のところフ・ メンの祈薦には儀礼 の局面 に左右 されない共通の部分が多い。それゆえに、今 まではその共通する 部分が省略 されて きたのだ と言って もいい。 しかし本稿では、むしろその共通 す る部分 を敢 えて記載 した。その共通する部分にこそ、各 フ・ メンの祈薦の構 造 を知 るための重要な手がか りがあると考 えたか らである。 ここでは、祈稿の 全体的な構成 とその構成 を支 える様々な構成要素の構造的な配置の

2点

か ら各

フ・ メンの祈薦 を分析 してみよう。

5.5。

祈薦の構造

二人の祈稿 の全体的な構成 は上の表のように整理することができる。ただし、

チ ャレー とマンリケでは祈薦構成の論理がい くつかの点で異なるため、表にあ げた項 目を抽出す る際の基準 は同一ではない。第1に、マ ンリケは栄唱すなわ ち「父 と子 と聖霊のみ名 において」を主要な祈 りの後で必ず付け加えているの に対 し、チャレーは祈薦の最初 と最後で行なっているだけである。マンリケに とって祈薦 はおそ らく複数の祈 りか ら構成 されるものであ り、栄唱は各祈 りの 一部分 をなす ものであると思われる。祈薦全体か ら見 ると、マンリケの祈薦に

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お けるカ トリックの祈薦がチヤンーの祈薦の栄唱部 に対応 していると言 つてい いだろう。第2に精霊や聖人・ 聖母への呼びかけ方の違 いがある。チ ャンー は マヤの精霊やカ トリックの聖人・ 聖母 にそれぞれ まとめて呼びかけているのに 対 し、マ ンリケは主要な祈 りの前後 にそれ らの一部分(たとえば、「すべてのイー ク様 とすべての聖人様 に語 る」)を挿入す る形 を取 り、 しか もその配置 に関す る 一定の法則 は見出せない。 それで も、マ ンリケがそれ らを比較的 まとめて呼び か けている部分がい くつか存在す るため、 ここではそれ らを独立 した項 目とし て立てている。第3に神格 に対す る御力曜 の申 し立 ての仕方が異なっている。

た とえば、 フェリペ は御力離 の申し立て人が誰であるかについて祈薦 の中で言 及 しているのだが、雨乞 いな ど主要な祈 りの部分 に組 み込 んで しまっている。

しか も、それは1回限 りではない。 それゆえ、上 の表ではその部分だけをチャ ンーの場合 と同 じように独立 した項 目として抽 出す ることはしていない。第4 に、チヤンーの祈編のセノーテヘの祈 りをここでは一つにまとめて しまってい るが、 これはどの部分が東西南北 に該当す るのか今の ところ特定で きていない ためで、暫定的に一つにまとつているに過ぎない。あるいは、逆にマンリケの 祈薦の方で、東西南北のイークヘの祈 りを一つにまとめてしまうことも不可能 ではないが、 この基本方位の神格に対する祈 りの間に聖人や聖母に対する祈 り が挿入されている部分があるため、上の第 2の 問題 との対応関係を考慮して別 個の項目として立てている。

こうした分類の基準の不整合性 を無視すれば、上の表ではチヤンーの祈碍は 単純かつ大 まかな分類がなされ、一方でマンリケの祈薦は細部にわたつた分類 が行なわれているように見えるはずである。実際の ところ、チャンーの祈薦は 全体の見通 しがよく構成がすつきりしているのに対 し、マンリケの祈薦は複雑 であることもまた事実である。

簡単に言えば、フ・ メンは、ある集団が何 らかの目的で神の御加護 を必要 と していること、またその御加護 を得るためにその集団はマヤ固有の神格やカ ト リックの聖人・ 聖母に供物 を捧げていること、さらにはその集団に代わつて自 分が神々に呼びかけていることを祈薦(スペイン語ではrezo、マヤ語では″孵′

ε″'と呼ばれる

)の

中で表明する。つまり、フ・メンの祈薦はこれらの「御力曜 を必要 とする

(=請

う属″′)」「供 える属滋ι」「呼びかける(語る ′z%、

く 励ψ夕)」 という行為を通 じて「祈 り」を構造化 してい くプロセスとして生 成される。なお、御加護 を求める人々はカ トリックの信者であるという暗黙の 前提で祈薦が行なわれるため、上の表における「信仰の告白」はフ・ メンが神

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に「呼びか ける」上での付帯的な行為 として行 なわれているものである。それ ゆえに、 ここでは「信仰告白」 を祈薦生成 における独立のプロセス とはみなし ていない。ただ、御加護 を求める人々に対 して「信仰の告自」を行なわせるよ うな祈薦 の構成方法が全 く存在 しないわけではない。マンリケはサン ト・ ドミ ンゴ果樹園のチャ・ チャークにおいてこの「信仰告白」を自分以外の誰にも行 なわせていないが、 コム牧場で行なったヘ ッッ・ ルームの祈薦では同儀礼の主 催者 に対 して「信仰告 自」 を求めた。サン ト・ ドミンゴ果樹園のチャ・ チャー クの場合、マンリケ自身が果樹園組合のメンバーであることを考えると、フ・

メンのマンリケは御加護 を求める集団の「信仰告白」を兼ねた ものだった と見 ることも実 は可能である。 しか し、「信仰告自」は朗唱 と同様 にパ フォーマンス 上 は祈薦の重要な部分 を占めるものであるが、「祈 り」の構造 においては二義的 で しかない。 あるいは逆 に、その「祈 り」の総体が巨大な「信仰告自」である と言 えるのか も知れない。いずれにせ よ、「祈 り」を構成する行為が構造化 され てい く方法の違 いによって祈薦全体の構成が異なって くる。言い換 えれば、「祈 り」の構成要素の構造的配置の違いがそのまま祈薦の構成 に反映 されることに なる。

オノ リオ・ チャンァは祈薦の冒頭部で目的 を説明 した後、マヤの精霊やカ ト リックの聖人・ 聖母 にそれぞれllE番にまとめて語 りかける。次にチャ ̀チ ャー クの責任者たちの名前 を挙 げ彼 らへの祝福 を祈願 した後、カーカブ(黒き土地)

とセノーテに対 して語 りかける。 ここで、オノリオの祈薦 は一旦終わる。オノ リオ は以上の祈薦 を祭壇の前に立 った ままで行なうが、それが終わるとす ぐに 祭壇 の正面 に低 い座椅子 を置 いて座わ り、バルチェの入った大 きなヒーカラを 棒 でか き混ぜなが ら、朗唱 と残 りの祈薦 を行なう。以上の析蒔 のパターンは水 汲みの祈薦 と「料理祭壇」の祈薦 とで共通である。 しか も、水汲みの祈薦 と「料 理祭壇」の祈薦の全文 を比較すれば一 目瞭然であるように、チャレーの祈薦で は目的に関す る部分が異なるだけで後 は基本的に同 じである。すなわち、ォノ リオ は祈薦の目的に応 じて必要な部分 を入れ替 える形で祈薦 を構成 している。

それに対 して、マンリケが祈薦で言及する内容 はチャレーの もの と大方にお いて同 じであるに もかかわ らず、その言及のスタイルは全 く異なっている。マ ンリケは、チャレーのように供物 を捧 げ、それを受け取 るべき神格 に祈 ること で許 しを請 い願 うとい う順序で理路整然 と祈薦 を組 み立ててい くというより も、「神 に祈 る」という一つの行為およびフレーズを繰 り返す中で、そのフレー ズの文法的補語の部分に祈 りの目的 (御力曜 の申し立 て

)や

方法 (場所・時間・

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供物

)な

どの情報 を付 け加 えてい く。 また、彼の祈薦 において「請 う」、「供 え る」、「語 る」お よび「脆 く」 は意味論的 にもまた統語論的に も「祈 る」の婉 曲 表現である。つ まり、マ ンリケの祈薦で は、「祈 る」の補語の部分 に挿入 され る 要素の登場順が一応 はパ ター ン化 されてい る とい う意味での順序 はあ る もの の、同 じ要素が幾度 も繰 り返 し表われ る。結果 として、祈薦 は全体 として螺旋 を描いて展開 してい くといつた印象 を与 えるのである。

ただ し、マ ンリケの こうした基本 フレーズの繰 り返 しによつて祈薦 を構成 し てい くとい う方法 は彼特有の表現方法ではない。程度の差 こそあれ、すべての フ・ メンに共通 に見 られ るものである。オノー リオ・ チャンァでさえ"bey ba‐

kaan xan kin ki'k'6ubik"(我 喜 び もて差 し出さん

)と

い うフレーズを中心 に 祈薦 を組 み立てている。また、ラブ(Love 1984)が採録 したベ カンチェンのフ・ メンは同様 の目的で"way bakaan xan in wa'atal"(我ここで語 らん

)を

、 ま たモ ンテマ ヨール(Montemayor 1994)が 採録 したカンカブ・ツォノッ トのフ・

メンは "kin ki'taal"(我 来た りて

)を

用いている。 これ らのフレーズは、 フ・ メンが精霊や聖人 に語 りかけるとい う祈稿の基本的な構図の下で、 フ・ メンが 雨乞いな どの祈薦の目的 を述べた り、供物 を渡す ことを宣言す るための導入句 となっているのである。 その意味で は、マ ンリケの祈薦 に関す る上記 の解釈 は かな り相対的かつ印象的な ものである。

5.5。

祈躊 における構造的代替

次 に、 この「祈 り」の構成要素の構造的配置 をもっ と詳細 に見てお こう。チャ ンーの祈薦では、文言が同一である部分、 また文言 に多少の異同はあつて も構 造的には同 じである部分が圧倒的 に多い。 その中で、同一 の構造的位置関係 に おいてフンーズが別の ものにそっ くり置 き換 えられてい る箇所が下 の表 に示す 通 り5つだけある。 これ ら

5箇

所 は明 らか に祈薦 の 目的が水汲 みにおける安全 祈願か ら雨乞いに変わつていることに対応するものである。

また、 この祈稿の目的の違いはs″′あ滋′(供

)と

夕ι物滅滋 (プリミシア)

の使い分 けにも表われている。オノ リオは水汲 みを始 めるに当たつて供 えたサ カをs″′あ滋′と呼ぶ。「料理祭壇」で もサカを供 えているためが、「料理祭壇」

の祈稿で もs″′あ″′

(11,50)を 2回

使用 している。ただ、Stt ωttJは「供 え 物 をする」とい う意味の一般動詞 に も転用 してお り、 この場合のs″′あ滋′は供 え物一般 と理解することも可能である。 しか し、同一内容のフレーズにおいて 水汲 みの祈薦のs〃 ω″′が「料理祭壇」の祈薦では夕ι物滅物 に置 き換 えられ

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ドキュメント内 メキシコ,ユカタン・マヤの雨乞い儀礼(二) (ページ 54-76)

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