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1 莱東

ドキュメント内 真宗教学研究 第25号(2004) (ページ 50-94)

あると言︑っ︒したがって︑﹁真仏土巻﹂と﹁化身土巻﹂

は﹁仏土の巻﹂として対比される関連性を有し︑これを

切り離して考えることはできない︒

そこで本論では︑親鷲の教学的営為において︑仏土の

開顕が如何なる課題を有していたのかということ︑すな

わち﹃教行信証﹂における仏土の巻の意義について考察

して

みた

い︒

真 仏 土

謹按二真仏土一者仏者則是不可思議光如来士者亦是

無量光明土也︑然則酬二報大悲誓願故日一真報

仏 土 一 一

︵ ﹃

定 親

全 ﹄

−二

二七

頁︶

これは﹁真仏土巻﹂冒頭の白釈である︒ここには︑真

仏土とは如何なる仏土であるのかということが端的に示

されている︒すなわち︑真仏とは﹁不可思議光如来﹂で

あり︑真土とは﹁無量光明土﹂であって︑それは阿弥陀

の大悲の誓願に酬報するが故に真の報仏土である︑と明

らかにされている︒ここにおいて重要なことは︑真仏土

が﹁真の報仏土﹂︑すなわち本願酬報の仏土であると表

されていることである︒本願酬報の仏土とは︑﹁酬﹂の

左訓に﹁コタフ﹂と施されているように︑本願に報い応

えることによって成就した仏土︑すなわち本願成就の真

実報

土で

ある

では︑真仏土が酬報という形で明らかにされる必然性

は何であろうか︒これについて︑曇驚の言葉にその示唆

を見ることができるであろう︒

上国土荘厳十七句︑如来荘厳八句︑菩薩荘厳四句為

ν ν

︒ 入 一 法 句 為 レ 略

︒ 何 故 示 二 現 広 略 相 入

諸仏・菩薩有二二種法身寸一者法性法身︑二者方使

法身

︒由

一一

法性

法身

一生

二方

便法

身ベ

由一

一方

便法

J

出一一法性法身イ此二法身異而不ν

レ分

︑一

而不

レ可

レ同︒是故広略相入︑統以二法名寸

︵﹁

真聖

全﹂

『教行信証』の構造についての一考察 49 

二二

ヱハ

|一

二三

七頁

これは︑曇驚が﹃浄土論註﹂下巻の﹁浄入願心章﹂で︑

荘厳仏士功徳成就・荘厳仏功徳成就・荘厳菩薩功徳成就

という三種の荘厳功徳成就と一法句の関係について︑広

略相入の関係であることを註釈する文である︒ここでは︑

法性法身から方便法身を生み出すことを﹁生ず﹂と言い︑

方便法身によって法性法身を現わすことを﹁出だす﹂と

言われている︒そして︑この二つは不可分・不可同の関

係であることが述べられている︒

この曇驚の教一不に依りつつ︑酬報ということを考える

ならば︑本願に根拠を持ち本願によって荘厳される浄土

は︑その荘厳によって本願を衆生に感得せしめるという

意義を持つのである︒もとより︑法性法身は我々衆生の

思慮分別を超越したものであり︑本来形を持たないもの

であるが︑その形のない如来が願心の荘厳として形をと

り︑衆生が感覚することのできるものとして象り表われ

ることによって︑如来は衆生の現実に限りなく相応して

いくことができるのである︒

親驚は﹃唯信紗文意﹄において︑

法身はいろもなし︑かたちもましまさず︒しかれば

こ︑ろもおよばれずことばもたへたり︒この一如よ

りかたちをあらわして︑方便法身とまふす御すがた

50 

をしめして︑法蔵比丘となのりたまひて︑不可思議

の大誓願をおこしてあらわれたまふ御かたちおば︑

世親菩薩は尽十方無碍光如来となづけたてまつりた

まへり︒この如来を報身とまふす︑誓願の業因にむ

くひたまへるゆへに報身如来とまふすなり︒報とま

ふすはたねにむくひたるなり

︵﹃

定親

全﹄

三・

一七

一頁

と述べる︒ここでの直接的な内容は︑法性法身から方便

法身として現れ出た法蔵菩薩について詳説しているので

あるが︑これは︑本来の法性すなわち真如より生死流転

する衆生の上に現前・現成することによって︑衆生救済

の大誓願を行じたもうことを告げるものである︒

親驚は真仏土を成就する願として︑

既而有二願叩・光明寿命之願是也︑

︵﹃

定親

全﹄

と︑第十一一光明無量の願・第十三寿命無量の願を選び取

る ︒

一−

一一

一一

七頁

﹃大

経﹄

一ゴ

一円

設・

我・

得二

仏一

光明

有二

能限

量一

下至

不三

照二

百千

億那

市他

・諸

仏国

一者

不三

取二

正覚

又願

言設

我得

二仏

一寿

命有

二能

限量

一下

至一

一百

千億

那出

Jl

他劫一者不三取二正覚一︵﹁定親全﹂一・二二七頁︶ これは︑一読して分かるように︑仏自身についてその光明と寿命とに限りがないことを誓う願文である︒したがって︑この願意からは真実報土を誓う願とは了解しがたい︒従来︑この第十二・第十三願は︑第十七諸仏称名の願と共に仏自身を成就し完成する摂法身の願であると解釈され︑浄土を表す摂浄土の願としては︑第三十一国土

︵ 必 一

清浄の願・第三十二宝香合成の願が配当されてきた︒し

かし親驚は︑この光明・寿命の二願がたんに真仏を誓う

願であるのみならず︑真土︵浄土︶を成就する願である

と言うのである︒

これによって推究すれば︑親驚がこの二願を大悲の願

とするのは︑如来が如来自身を仏土とされるということ︑

すなわち︑一切の衆生を摂取して捨てることのない仏土

として如来自身を成就するということを︑この二願に尋

ね当てたからであろう︒もとよりこの二願は︑如来自身

の白利成就の願であるが︑親驚はそこに︑有形の身土を

超越した如来が衆生救済の身土として自己を成就すると

いう大悲の躍動性を見出したのである︒これが︑真仏土

を成就する願として光明無量・寿命無量の願を選び取っ

た意味ではないだろうか︒

以ヒ尋ねてきたように︑真仏士が本願酬報の仏士であ

るということの必然性は︑真仏土とは如来によって誓願

された︑一切苦悩の衆生が真に安んずることのできる世

界︑すなわち一切衆生の帰依処であるからである︒つま

りそれは︑一切の衆生を救わずにはおかないという如来

の大悲の本願によって実現された真実報土であったので

ある

『教行イ言証』の構造についての 考察

そしてまた真仏土は︑化身士を下に聞き︑仏土に真仮

を分判する意義を合わせ持っている︒

J

仮之仏土者在目下一応同知一既以真仮皆是酬二報大悲

F

願 海 一 故 知 報 仏 土 也 良 仮 仏 土 業 因

・ 千 差

土復

応二

千差

一是

名二

方便

化身

化土

一由

因不

=知

二真

仮一

迷同

失如

来広

大思

徳一

因日

京一

今・

顕二

真仏

真土

一斯

乃真

宗 之 正 意 也

﹃ 定 親 全

﹄ 一

・ 二 六 六 頁

ここでは︑真仏土も化身土も共に大悲の願海に酬報した

仏土であること︑真仏土に続いて明らかにする仮の仏土

を﹁方便化身化土﹂と名付けること︑この仏土の真仮を

知らないために如来の広大な恩徳を迷失すること︑が主

として述べられている︒

ここで注目すべきことは︑﹁真仮を知らざるに由って︑

如来広大の恩徳を迷失す﹂と﹁これに因って︑いま真仏

真土を顕す﹂の﹁よって﹂の文字が﹁由﹂と﹁因﹂に使

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い分けられていることである︒ここに︑親驚がこの丈に

如何なる意味を託していたのかということが読み取れる

であ

ろう

﹁由﹂は﹁経由﹂﹁理由﹂などの熟語として用いられ

るように﹁経る︑従う︑わけ﹂を意味し︑ある事柄から

出る意を表す語であるのに対して︑﹁因﹂は﹁原因﹂﹁同

果﹂などと用いられるように﹁もと︑おこり﹂を意味し︑

ある事柄の起源を指す語である︒今この意にしたがって

解釈するならば︑前文は﹁真仮を知らないから如来広大

の恩徳を迷失する﹂という意味になるのに対して︑後文

は︑前丈を受けて︑﹁衆生が真仮を知らないから如来広

大の恩徳を迷失するということをなからしめんが為に今

真仏土を顕したのである﹂と読むことができるであろう︒

したがって︑この結釈の眼目は︑﹁真仮を知らざるに由

って︑如来広大の恩徳を迷失す﹂ということにあり︑仏

土について真仮を分けるという真仮分判の意義をここに

見る

こと

がで

きる

すなわち︑真仏土に拠って化身土を開顕し︑その化身

土の内景を顕彰することによって︑更に真仏土の意義が

明瞭になるのである︒そして化身土は︑その背景の真仏

土によって︑それが化身・化土として厳しく批判される

ドキュメント内 真宗教学研究 第25号(2004) (ページ 50-94)

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