本稿は,商品経済の歴史性という見地から,商品=市場経済を脱却しつつあ る新しい社会主義計画経済を想定し,その可能性・優越性および経済管理のあ り方について,私見を問題提起的にまとめたものである。問題の性質上,試論 的なものであることをあらかじめことわっておきたい。
周知のように
Marx
は,資本家的生産様式k a p i t a l i s t i s c h e P r o d u k t i o n ‑ s w e i s e
の徹底的=批判的解剖をとおして資本主義社会の一般的・歴史的特質1)を明らかにしたばかりでなく,これまでの人類史を「経済的社会構成体の前進 的諸時期
p r o g r e s s i v eEpochen d e r okonomischen G e s e l l s c h a f t s f o r m a t i o n J
と し て 把 握 し , そ の 具 体 的 発 展 段 階 と し て の 原 始 共 同 体u r s p r u n g l i c h e
Gemeinwesen
,アジア的a s i a t i s c h e
,古典古代的a n t i k e
,封建的f e u d a l e
,資 本家的k a p i t a l i s t i s c h e
,社会主義的s o z i a l i s t i s c h e
という6
コの生産様式を区 別し,資本家的生産様式にかわるより高次の社会形態として社会主義的生産様 式を構想するとL、う画期的な歴史理論を提起したへMarx = E n g e l s
の歴史理 論をめぐってはアジア的生産様式の理解,二次的構成の問題,発展段階の飛び 越しをめぐる問題,国家の成立をめぐる問題等多くの未解決点が存することは 事実であるが,Marx
二E n g e l s
の歴史理論がたんなる抽象理論ではなく,人類 の歴史的発展方向に見通しを与え,歴史学や経済史,社会学,政治学,法学な どの社会科学をはじめ自然科学の諸領域に対しても広汎なる影響を与え,理論 的かつ実証的な検討に耐えうる素材と分析装置を提供しえたことは,資本と労 働力の 自由なる交換"の仮象のうえに完全競争の効率性とパレート最適性の 証明に没頭する新古典派経済学の非実証性・非歴史性と対比して,積極的に評122 共同体,資本主義,社会主義 価さるべきものと考えるヘ
さて,上記のような歴史理論に裏打ちされた
Marx
の社会主義論は,残念な がら社会主義経済の実際的な運営や計画化のあり方,議会制度や人民主権のあ り方,政党のあり方,官僚制のあり方,個人的所有の復活などにかんしては一 般的・抽象的な命題を除いては,具体的なものを残していない。また現実に成 立したソヒ"エト社会主義が種々の歴史的事情から極めて中央集権的な,官僚主 義的な,一党独裁的な計画経済となり,さまざまな弊害や不効率をもうみだし た。(勿論公平を期するためにはソビエト社会主義の成果にも目をむけなければ ならなしうこうした諸点や事実が明らかになるにつれ,M i s e s
,Hayek
らによっ て集権的計画経済モデルがナチス・ドイツの全体主義と同一視され,その非民 主性・不効率性と経済管理の不可能性が主張されたへこれに対してLange
やB r u s
は分権的・市場的社会主義計画経済というアイデアを提起し,社会主義経 済の管理手段として,中央集権的計画経済に反対し市場を積極的に導入すべき こと,中央計画局による価格の管理によって民主的・効率的かつ自動的に資源 配分の問題が解決されうることの理論的可能性を主張したへその後分権的・市 場的社会主義(ポーランド,ハンガリー,ユーゴスラピアなどの〉の経験が明 らかになるにつれ,分権的市場モデルの有効性に対しても,批判が起こってき た。一つは社会主義はそもそも市場=商品経済の否定(例えば物的依存関係の 人格的依存関係への転化など〉のうえに自己の優位性を主張すべきはずなのに,実際上の必要から便宜的とはいえ市場に頼らざるをえないというのは,社会主 義計画経済の実際的管理の不可能性ないし
Marx
の社会主義論の「自己矛盾J
を自ら告白したものではないかとL、う議論的。二つは新古典派経済学の立場か ら,Lange
モデ、ルは価格公定に伴う計算の実際的不可能性のゆえに成立しえな いこと,寡占的技術のもとでは競争均衡の存在自体が保証されないこと,マク ロ的中央計画と個人の私的利益の追求の自由との間にはインセンティヴ・コン パティビリティーが存在し,従ってサボタージュや生産能力の虚偽の申告など 不効率の発生がさけられないこと,などの批判が提起された九こうして今や社 会主義計画経済はその最良の分権的市場モデ、ルにおいてさえ前途多難といわね ばならない状況に直面しているように見える。共同体,資本主義,社会主義 123 しかしながら,分権的市場モデ、ルにあっては上記第二の批判はそれほど深刻 なものではない。今日の我々が知っているように,寡占化した経済のもとでは 実際上価格の伸縮性は失われており,従って競争均衡は達成さるべくもないが,
それにもかかわらず現実の経済は深刻な破綻を経験することもなく進行してい るとみられる。この事実は,寡占化した経済における社会主義的価格公定化の 実際的容易さを示唆するばかりでなくべ競争から独占への生産力発展の不可 避性=生産の社会化を望ましい均衡状態からの議離としか認識しえない新古典 派経済学の価格=市場理論の非現実性・非歴史性をも照射する(あるいは逆に 不完全雇用均衡というケインズ革命の必然性を裏づける〉ものである。またイ ンセンティヴ・コンパティビリティーの問題に関しても,そこで仮定されてい る個人とは,自己の行動がもたらす他人や環境などへの外部性にはなんの関心 も示さない,極めて非共同的な人間像が仮定されているのであって9) このよう な個人の無限の「自由」追求と社会的計画とが矛盾をきたすことはほとんど明 らかである。(この点は後でもふれる〉そもそも社会主義とは交換に伴う物的依 存関係の止揚=共向性の回復であり,一人が万人のために,万人が一人のため に結合するような,すみきった共同社会であったはずでhあるから,そのような 社会主義の本質的特徴を全く無視した功利主義的モデルのなかで,社会主義経 済の不効率性がどのように証明されようと,それほど重要な意味はもたないの である。むしろインセンティヴ・コンパティビリティーの問題は社会主義のも とでは外部性に何の関心も示さない一元的効用最大化タイプの功利主義的行動 様式にかわって,より多元的な評価体系をもっ共同的な人間行動様式が確立さ るべきこと,また社会的・人民的合意=公共意志=マクロ計画がどの様な手順 とプロセスをへて形成されるべきかの具体的検討が必要なことを教えている10)。
だ が 分 権 的 市 場 モ デ ル に 対 す る 第 ー の 批 判 は 一 層 本 質 的 で あ る 。 確 か に
Marx
にあっては,社会主義とは(既に述べたような意味で〉資本主義の否定 であり,原始共同体の高次復活であり, I人聞社会の前史」につづく新しい歴史 への転換点で、あり,人間的ヒューマニズムの自己還帰であったはずである。と するならば,分権モデルが一定の歴史的文脈のなかでいささか便宜的な有効性 をもちうることは十分に認めたとしても,なお社会主義の本来的理想像の追求124 共同体,資本主義,社会主義
という点からみて永遠に分権的市場モテ、ルを追い求めてゆくことはできないは ずだ,ということが問われてこざるをえない。この問題は実は
Lange
モテ ルの 弱点でもある。すなわち,彼は一定の歴史的な文脈の中で,一般均衡理論を援 用して分権的・市場的社会主義が(短期的な)有効性をもつことは示したけれ ども,それが将来的にどのように克服され,社会主義のより高度の段階(そこ では当然市場は否定されなければならなLうへと向かうのかについては示しえ ていないのである。この意味ではLange
モデルはM i s e s
の批判への解答をい わば先へ引き延ばしただけに過ぎないとL、う批判も十分に成立しうるのである。かくして我々の課題は,当面の社会主義経済の運営可能性の問題や分権的市 場モデルの擁護を超えて,より高度な生産力段階,すなわち市場が否定されつ つある段階(そしてまた国家が経済過程の諸レベルに有効に介入しえている段 階〉における社会主義計画経済の管理のありかたを可能な限り具体的に考え,
そのことを通じて社会主義が将来的に商品=市場経済を克服してゆく可能性を もつか否かを問うことである。それは現時点では極めて空想的かつ試論的な性 格をもたざるをえないが,しかし今日における情報化革命の進展と現実の資本 主義的経済計画の経験や社会主義経済の経験の合成の上に,一定のイメージを 描くことは決して不可能かっ無意味なものではないと考えるのである。あらか じめ我々の議論の方法的特色を述べておけば,社会主義計画経済の理論的パッ ク・ボーンは
Lange
が考えたような一般均衡理論によるべきではなく,Marx
の労働価値説と有効需要の原理ないし数量調整の優位に基づくKeynes
理論こ そがその鍵を握っているのではないかということである11)。I I .
生 産 と 領 有 , 再 生 産 可 能 集 合 , 生 産 様 式どのような社会
G e s e l l s h a f t
であれ,社会成員の生命・生活の再生産が継続 的・安定的に確保されることは社会存立の基本的要件であって,そのためには 一定の物質的生活手段,一定の生産手段の継続的獲得とその適切な分配が,い わば当該社会の死活問題として提起されざるをえない。社会成員の物質的生活を再生産するのに必要な物的手段一般を〔消費財
J
,こ の消費財を獲得するために必要な財一般を〔生産手段J
,生産手段のうちで再生共同体,資本主義,社会主義 125 産可能な財を〔生産財〕と呼ぶ。また,消費財を獲得するために直接・間接に 自然に働きかける人間の能動的行為を〔労働
J
,その労働の結果として一定の自 然、的対象を人間にとって消費可能な状態に変換・加工し,なんらかの消費財と して獲得するプロセス全体を〔生産J
,獲得された消費財を社会成員に分配し,それらが各成員によって実際に取得=消費されるプロセス全体を〔領有〕と定 義すれば,人間の労働によって媒介される生産と領有の二つのプロセスの無限 連鎖こそは,あらゆる社会の存立の根本をなす,基本的カテゴリーである。
きて,問題とする状況を明確にするために,若干のモデル分析を試みようo
当面外部的環境は人聞の経済行為によって何等影響は受けないものとし, Lを その社会の成員数12)
R
を土地または石油・鉄鉱石などの天然資源の当期利用可 能量, Nを当期利用可能な(または利用すべき〕労働量13) Tを当該期間におけ る一人あたりの標準的労働時間とし,固定係数型の2
部門モデルを考えるlへalj は第 j財を単伎生産するために必要な第i財の量,笥は第i財を単位生産する ために必要な労働投入量O'jは第i財を単位生産するために必要な資源投入量,blを直接労働者の単位労働時間あたりに分配される消費財の量 XIを第 i財の 生産量,
B
jをその社会の非労働者が当期に生存するために最低必要な総消費 量 uをその社会が許容可能な失業率ないしc l
一労働力化率〉とするlへ ま たA
= (aij), X = (X1, X2),τ二(1'1,む), σ=(σ1,σ2),b
二( b
l,b
2), B =(B1, B2)とおく。
すると一定の技術
CA
,τ,σ),および資源(労働を含む)(L
,R)
,並びに 分配様式 (b,B),労働様式 (T,u)が与えられれば,生産手段および生活 手段の再生産のためには,生産量XI,X2は任意の値をとりえず,次の制約に服さなければならない。
(1) X1ミ(allX1+aj2x2) + bl (1'IXI十1'2X2)+BI (2) X2主主(a2IXI十a22X2)+ b2 (τ'IXI十 句X2)+ B2 (3) (1 ‑u ) L T
=
N ミ1'jX1十 1'2X2(4) R;三σ'IX1+O主X2
すなわち, (1),