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「博物館学専門 ・特殊実習」夏期集中実習報告

2.平 成24年度 「博物館学専門 ・特殊実習」後期学内実習の経緯

後期の 「博物館学専門 ・特殊実習」は、長野県下高井郡木島平村 において行われた夏期集中 実習の成果 を整理 し、「大学院生による手作 り博物館」の開館 を目指すべ く、展示準備 を行 った。

主な内容 を、以下に示す。

授 業

実習 内容

担 当

第一回、

第二 回 ガイダンス

後期 の授 業 内容 につ い ての ガ イ ダ ンス

作 業担 当の確 認

全 員

第三回、

第四回

木 島平村 にお け る夏期 集 中 実 習 の成 果整 理

木 島平村 にお い て行 った龍泉 寺 石碑 採 択 の整理 と レプ リカ作 成 の ための複 写作 業

全 員

・木島平村 において行った龍泉寺

石碑採択 についての報告書作成 桝渕 ・鈴木 木 島平村 における資料 デー タの

整理お よびデー タベース化

大木 ・藤 井

第五 回

「博物館学専門 ・特殊実習」夏期集中実習報告

成 り得 る。

展示 について今年度は、①木島平村 の位置図、②木島平村の地形図 (河岸段丘、扇状地形)、

③水稲文化の伝播 についての解説、④ アジアおける木島平村の位置図、⑤二次 自然 としての水 田の 5テ ーマに関する展示パネルを作成することとな り、グループ別 に文献調査 を行い、木島 平村 を地理的な位置づけと、アジアにおける文化伝播一例 として木島平村 を提える広い考察に

よるパネル作 りが行われた。

(増山聖子 )

ミー テ イ ング 拓 本 コピーの貼 り合 わせ

展示パ ネル作成

「 博物館学専門 ・特殊実習」夏期集中実習報告

3.石 碑 の概要 と採拓

① 岩井貞子歌碑

女流作家岩井 貞子 は岩本姓で江戸 に生 まれ、花魁 と なった後、現 中野市江部の大地主 山田庄左衛 門に身受 け られた。 山田氏亡 き後 は桜 沢 の尼寺 に入 り、現飯 山 市小佐 原 に移住、飯 山大聖寺 の俊竜和 尚に師事 して帰 依 し妻 となる。明治 7年 3月 俊竜が泉龍寺18世となる に及 び泉龍寺 に移 り、明治29年富 山市光厳寺 に瑞世 し たが、留 ま り専 ら郷党の人 々 と交 り、和歌 ・書道 を教 えた。 明治41年 4月 の大火 によ り泉龍寺が炎上 したた め、上州瀬良田の某寺 に移 った後死去 した。

本碑 は泉龍寺総 門前 に位置 し、明治34年 4月 に樋 口 治郎兵衛 を主 唱者 として建 て られた。世話人 は野 口玄 又外 19名 。有志者29名である。縦1.8m、横1.45mと、

村内では稀 に見 る巨大な碑石であ り、碑面には直筆で 「水の面になになかめけむ月影はなか空 たか くすみぬるものを 貞 子Jと 記 され、裏面には貞子の門弟並びに賛助者50名余の氏名が刻 まれている:

木島平村 には筆塚や句碑 などが数多 く残 り、文化活動が盛んに行 われていたことの証左であ る。貞子 も交流 を持つ歌道の師、浄蓮寺銀杏庵伊藤貢や門弟 らの 「歌友会」による碑 とともに、

本碑か らは岳北地方一帯において歌道に精進するものを多数輩出 したことがわかる。

②小林嘉成筆算塚

小林嘉成は文政元年、計見村千石 に生 まれ、農民の出身であるが月岡湖梅 に学んだ和算の大 家 であ った。黒船来航以来、世界 に知識 を求める機運

が高 まる と、下高井 。下水 内 。上水 内か らも小林 の も とに270名余 の門下生が集 ま り、生家千石 に塾 を開い て筆算 を教 えた。

本碑 は泉龍寺参道入 口に位置 し、師の徳 を慕い高石 の大 門に建碑総代 として山崎直人 ・樋 口治郎兵衛 ・芳 原寛一、 また起願惣代小林 半次郎外 9名 、周旋 人田中 完平他 3名 、 門人一 同 (61名)に よ り明治20年12月に 建 て られた。書 は明治三舟 の一人 山岡鉄舟の筆であ り、

木 島平村 では珍 しい筆算塚 であ る。

(鈴木翔太)

岩井貞 子歌碑 (表面)

小林嘉成筆算塚

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「博物館学専門 ・特殊実習J夏 期集中実習報告

③採拓 の概 況

採 拓 は当初 、28日 を以 って岩 井 貞子歌碑 、小 林 嘉 成筆算塚 双 方 を行 う予 定 であ ったが 、28日午後 は強風 に よ り作 業 困難 となったため、小林嘉成筆 算 塚 に関 して は翌29日午前 に行 った。28日の岩井 貞子歌碑 は実 習生全 員が参加 して採拓 し、霧吹 き に よ り霧 を噴霧す る者 、濡 れ雑 巾に よ り画仙紙 を 圧 着 させ る者 等 に分 か れ て作 業 を行 った。先 に述 べ た とお り当該歌碑 は大型 であ るため、画仙紙全 紙 3枚 を使 用 す る こ とに加 え、 開 けた場所 に立地 してお り、直射 日光 の影響 で画仙紙 の水分がす ぐ に蒸発 して しま うな ど、圧 着 の作 業が予想 以上 に 難航 した。

画仙 紙 の圧 着後 は直径30cm程の拓 包 を用 い て拓 墨 を打 ってい き、全体 にむ らな く均 一 に墨 が落 と せ てい る こ とを確認 した後、画仙紙 を剥が して新 聞紙 に挟 み込 んで宿 舎 に持 ち帰 る とい う作 業工程 で あ る。新 聞紙 に挟 み込 むの は運搬 のためであ り、

画仙 紙 が湿 ってい る状 態 で は徴 が生 え る恐 れが あ るため、宿舎 に持 ち帰 った後 にロ ビーの一角 をお 借 りして画仙 紙 を広 げ、 充分 に乾燥 させ た。29日 午前 に行 われ た小 林嘉 成筆算塚 の採 拓 も同様 の作 業工 程 で あ り、強風 の前 日午後 とは打 って変 わ っ て穏 やか な天気 となったため少数 の学生 を選抜 し て作業 を行 い、短時間で採拓 を終 えた。

・概要 に関 しては以下 を参照。

木 島平村誌刊行会編 1980『 木 島平村 誌』 木 島平村

木 島平村教 育委員会 2012『 木 島平村石碑集』 木 島平村教育委員会

・『木島平村石碑集』 においては 「山田荘左工門Jと あるが、 『木島平村誌』 では 「山田庄左衛 門Jと 表記 されてい る。本稿 で は略伝 が詳 しい 『木 島平村 誌』 の表記 を採用 した。

石碑 の採択

宿舎 での乾燥

(桝渕彰太郎)

「博物館学専門 ・特殊実習」夏期集中実習報告

4.木 島平村 の地理的位置

木 島平村 は長野県北部 (北信地域、北信州 とも呼 ばれる)下 高井郡 の中央部 に位置す る人 口 5000人ほ どの地域 である。飯 山市、 中野市、野沢温泉村、 山ノ内町、栄村 と隣接 してお り、県 庁所在 地 であ る長野市 か らは約38kmに位置す る。千 曲川の支流 である樽川 と馬 曲川の扇状地 に 26の集落が形成 されてい る。東経138度24分30秒、北緯36度51分10秒、 ギ リシァのアテネ よ り やや南、 アメ リカのサ ンフラ ンシス コよ りやや南 に位置 し東西 に約15km、南北 に約1lkm、面積 は99.31kごであ り、標 高は335.26mと なっている。

西 は千 曲川が流れ、南 は高社 山 (1351.5m)、東南は高標 山 (1747.9m)、北は毛無山 (1649.8m) と三方 を山に囲 まれ、東 にはブナの原生林が広が るカヤ ノ平高原がある。そのため当該地域 は、

関東 内陸型気候 と北 陸型気候 を三分す る地域 となっている。 これによ り1日 の中で も気温差が 大 きい内陸性気候 と、 日本海 に も近いため気温が低 く降水量、積雪量 の多 い北陸型気候 との両 気候 の漸移地帯 に位置 してい る。 さ らに、上越地域 に近い ことか ら長野県 内で も有数の豪雪地 帯 で、冬季 の積 雪期 間は110日にお よぶ。 1年 の 3分 の 1が 雪 に覆 われ、 2月 上旬 には積雪が lmを 超 える。 カヤノ平高原のブナの森 か ら湧 き出る雪解 け水が豊か な水流 とな り、 この豊富 な水 が水稲栽培 をは じめ とす る農業 に適 した 自然環境 を作 り出 している。

鉄道や高速道路 は村 内 を通過 していないが、周辺 には飯 山線が開通 している。村 か らの最寄 り駅 であ る飯 山駅 か らは、約4.5kmで、上信越 自動車道 の豊 田飯 山イ ンターチ ェ ンジか らは約 14kmであ る。そ して村 内においては、新潟市か ら松本市 を結ぶ国道403号 と県道36号、354号、

451号が村 内の主要道路 となっている。

(伊藤瑞恵 。高橋 恵美)

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日本 における長野県の位置

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「 博物館学専 門 ・特殊実習」夏期集中実習報告

長野県 内 にお ける木 島平村 の位 置 緩.亀妙 澤。議 鷲

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木島平村 地 図

博 物 館 学専 門 ・特殊 実習」夏期集 中実習報告

木島平村 の位置

鶴藩、饉.

人 口/5000人 面積/99.31k」

位置/東経 138°24/

北緯36°51′

標 高/335m

西 は千 曲川が流 れ、南 は高社 山、

東南 は高標 山、北 は毛無 山 と三 方 を山に囲 まれ、東 にはブナの 原生林 が広 が るカヤ ノ平高原が あ ります。

冬の本島平の 写真

上越地域 に近い ことか ら長野県 内で も有数の豪雪地帯 で、冬季 の積雪期 間は1 1 0 日に及 びます。

1 年 の 3 分 の 1 が 雪 に覆 われ、 2 月 上旬 には積雪が l m を 超 えます。 カヤ ノ平高原のブナの森 か ら湧 き出る雪解 け水が豊か な水流 とな り、 この豊富 な水が水稲栽培 を始 め とす る農業 に適 し た 自然環境 を作 りだ してい ます。

作成パ ネル (伊藤 。高橋)

「博物館学専門 ・特殊実習」夏期集中実習報告

5.木 島平の地形

木 島平村 は長野県 の最北端 に位置 し、面積 は約98.5kピ、全体 の約八割 を山林 。原野が 占め る 山岳地帯 の傾斜性純農 山村 であ る。村 の東部 には上信 火 山帯 に属 す る毛無 山・木島山 ・城蔵 山 。 八貪1山 。高標 山な どの山岳帯が連 な り、千 曲川 との間に平野 を展 開 している。そのため、木島 平村 は村 の東部か ら南部 にか けての 山岳地域 と村 の ほぼ中央部 を流 れ る馬 曲川、樽川 に よって、

東高西低 の地形 を形成 し、 この両川 に よって形成 された氾濫源 に集落 と耕地 を発 達 させ てい る。

また川の氾濫 や地殻変動 (断層)に よって生 じた と思 われ る平塚 。大塚 ・根塚 といった塚群が 点在 す る景観 を有 してい る。 さ らに、馬 曲川 ・樽 川が合流 して北流 し、千 曲川 に注 ぐ沿岸地域

は複雑 な地形 を形成 している。

以上 に よ り、木島平 の地形 は概 ね 「山地」及 び、傾斜性氾濫源 を有す る 「扇状地」の 2つ に 分 け られ る。

① 山 地

木島平村が位置する下高井郡の大部分 は標高1000〜2300mの 山岳地帯であ り、安 山岩の噴出 とみ られる火山地帯である。現在、その大部分は消火山の部類 に属 し、噴火口が無い もの も見 られる。横手山 ・滋賀山 ・毛無山 ・鳥甲山といった山々で形成 されるこれ ら一群の火山を下高 井火山群 と呼ぶ。 この他、下高井郡 を三分 し、小群なが ら高社 山を主峰 とする山々は高社火山 群 と呼ばれ、高社火山群 は主峰の高社 山の他 に、虚空蔵山、猪首山、三つ子山といった山々で 構成 されている。

② 傾 斜性氾濫源一扇状地一

急峻な山地渓谷か ら流れ出る馬曲川、樽川により、千曲川沖積地に多量の土砂礫 を堆積 させ、

馬曲川扇状地、樽川扇状地 を形成 している。 これ らは野沢 ・須賀川 。延徳断層線の階段断層 も 起因 して扇状地形 をよく発達 させている。

新軌1暮

河 床 上 昇

扇状地の拡大に伴う河床上昇による厚い砂礫層や天丼川の形成

樽川扇状地高社 火 山の裾野 と 虚空蔵 山か ら延 びて きた山脚 に 妨 げ られ、 また北東部 は馬 曲川 の扇状地 に阻 まれるため、一部 で は複合扇状地の形態 を とる。

これ らの影響 によ り、錯綜 した 複雑 な地形 を形成 したのが木 島 平沖 であ る。

この木 島平沖 には平塚 。大塚 ・ 小塚 ・根塚 とい った小 丘群 が点 在 してい るが、 これ らは人工 的 な もので はない。「野沢、須賀川 ・

(池田宏 『地形を見る目』 より転載)

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