(2)分布域縮小種について
越冬蛹から羽化したと見られる 5 ~6月に得られた成 虫の記録も、大津市から彦根市に至る地域で得られて
いる。滋賀県での定着時期は、このころではないかと 思われる。これらの記録は、「北進」といった方向性 を持たず、県中南部でほぼ同時に増加している(図 2 )。
滋賀県周辺の発生・分布状況を見ると、滋賀・京都 府県境の宇治市で、 1990 年 5 月に越冬蛹からと見ら れる複数の成虫( 3 雄)が得られている(市村ら , 1990 )。
奈良県北部・明日香村では、 1995 年 7 月から 10 月 に多くの成虫( 50 雄 7 雌)が得られている(吉尾 , 1995 ) などの記録が見られ、定着の可能性が高い。
滋賀県の北側に位置する福井県でも、 1993 年に最 初に記録され、 1995 年、 1996 年と多くの記録があり、
1993 年には、すでに発生を繰り返していた可能性が 指摘されている(下野谷 , 2000 )。福井県は、内陸部の 滋賀県よりも早くから定着していたと考えられる。ま た、滋賀県の東側に隣接する三重県北中部でも 1999 年頃に記録の増加が見られ、定着の可能性が高い。
滋賀県には、奈良、京都側からだけではなく、北側 の福井県や東側の三重県からも含めて、複数の地域か ら侵入してきた可能性があることを指摘したい。
本種の耐寒性の面からの考察で、年平均気温が 15 ℃ を越えると本種の侵入が可能となるとの推察(北原 , 2008 )があり、また分布北限各地の最寒月平均気温と 年平均気温とがそれぞれ 4.51 ℃(最小値 2.58 ℃ - 最大 値 5.88 ℃)と 15.46 ℃(最小値 14.58 ℃ - 最大値 16.38 ℃)
との解析結果(北原ら , 2001 )がある。この解析結果 の最小値を使用して、県内 4 地点(図 3 )の気象デー タを当てはめると表 1 のとおりとなる。この表から直 近 10 年間( 2000 年以降)の気象条件下で判断すると、
安定的に定着可能な地域は、琵琶湖に面した県中部以 南(彦根市、大津市南小松付近まで)の低地ではない
かと推測される。
また本種の場合、食樹がすべて栽培種のミカン科
Citrus 属であり、それらが栽培可能であることが分布
拡大の必須条件となるが、一部の寒冷な山間部を除い
て、県北部にも農村周辺に植栽されたものは多く見ら
れ、琵琶湖最北の菅浦の南斜面には、県下で唯一とさ
れるミカン畑が存在する。気象条件次第では、県北部
にも本種の分布拡大・定着の下地はあると思われる。
琵博研報 2011 No.27 89 表 1 1980 年から 2009 年まで 30 年間の滋賀県下 4 地点の年平均気温と最寒月平均気温
気温データは、気象庁ホームページ気象統計情報から抜粋したもの
年度
1980
12.7 1.3 13.7 2.8 13.7 2.8 14.3 3.31981
12.3 0.2 13.4 1.4 13.3 1.7 14.0 2.21982
13.2 1.9 14.2 3.1 13.9 3.0 14.7 3.71983
13.3 2.4 14.5 3.6 14.2 3.5 14.9 4.11984
12.6 0.2 13.8 1.1 13.6 1.2 14.2 1.71985
13.4 0.5 14.4 2.0 14.3 2.1 15.0 2.61986
12.8 0.5 13.8 1.6 13.6 1.5 14.4 2.21987
13.6 2.7 14.6 3.6 14.4 3.7 15.4 4.41988
12.9 1.3 13.9 2.8 13.7 2.7 14.5 3.41989
13.9 5.0 14.8 5.7 14.4 5.4 15.1 5.91990
14.4 2.2 15.4 3.6 15.1 3.3 15.6 3.81991
13.8 2.1 14.9 3.3 14.6 3.1 14.9 3.61992
13.6 2.8 14.6 3.9 14.2 3.4 14.6 4.01993
12.9 3.6 13.9 4.6 13.7 4.2 14.1 5.01994
14.4 2.4 15.4 3.6 15.1 3.2 15.4 3.71995
13.2 2.2 14.1 3.3 13.9 3.3 14.3 3.71996
13.1 1.0 13.9 2.4 13.7 1.7 14.0 2.21997
13.8 2.4 14.7 3.5 14.3 3.0 14.7 3.41998
15.0 3.2 15.8 4.1 15.5 4.3 15.7 4.01999
14.1 1.7 15.0 3.0 14.8 2.8 15.1 3.42000
14.1 1.5 15.1 2.5 14.6 2.1 15.1 2.62001
14.0 1.8 14.9 3.0 14.6 3.1 14.9 3.02002
14.1 3.4 15.1 4.5 14.8 4.5 15.1 4.72003
13.8 1.9 14.7 2.9 14.4 2.7 14.6 2.92004
14.8 2.4 15.7 3.6 15.4 3.3 15.6 3.52005
13.8 2.2 14.8 3.5 14.5 3.3 14.8 3.72006
13.9 1.6 14.7 3.0 14.5 2.7 14.6 2.82007
14.4 4.0 15.2 5.1 15.0 4.9 15.2 4.82008
14.1 1.6 15.0 2.7 14.8 2.6 15.2 2.82009
14.2 2.5 15.0 4.0 14.9 3.9 15.5 4.6大津
気温(℃)最寒月平均 最寒月平均
南小松
気温(℃)年平均 年平均
最寒月平均
今津 彦根
気温(℃) 最寒月平均 気温(℃)
年平均 年平均
グレー部分が分布北限地の気温最小値(年平均 14.58 ℃、最寒月平均 2.58 ℃)以上の気温を示している。
気象庁データは小数点第
1位までのため、年平均気温最小値
14.58℃は
14.6℃として、最寒月平均気温最小値
2.58℃は
2.6℃として判定した。
図
4 気象データ地点琵博研報 2011 No.27 90
タテハチョウ科 Nimphalidae ホシミスジ Neptis pryeri setoensis
これまでの分布変遷の概略
2002 年に大津市南部と、隣接する草津市で発見さ れた ( 図 5) 。徐々に北側に分布が広がり、 2007 年には 大津市中部の和邇周辺の住宅地にまで到達している ( 図 6) 。
上記の連続性を持った分布拡大とは別に、県東北部 の長浜市内で、 1991 年頃に写真に収められた、地名・
年月日の不明な記録がある(布藤 , 1998 )。この例は単 独の記録であり、連続する前後の記録もない。また、
写真から以下に述べる瀬戸内亜種と思われる。長浜市 付近の山沿いの地域には、食樹の一種であるイブキシ モツケの自生もあることから自然分布の可能性も否 定できない。しかし、前述した状況を考慮すると、瀬 戸内亜種の既存産地から、ユキヤナギなど植栽植物の 移動に伴う偶産ではないかと思われる。
滋賀県でこれまで得られたすべての個体は、上記の 写真記録を含めて、 setoensis 瀬戸内亜種とされる。
図
6(2009年までの記録)
考察
亜種 setoensis の食樹は、自然植生としてバラ科
Spiraea 属のイワガサ、ウラジロイワガサ(イワガサ
とイブキシモツケの雑種)、イブキシモツケ、シモツ ケが挙げられる(福田ら , 2000 )が、これらの植物は いずれも山地や海岸の急峻な崖地に生育する種であ る。
図
5(
2002年の記録)
比較的緩やかな地形の大津市付近では、これらの樹 種の自然植生はほとんどないと思われる。
これまでの近畿圏での本種の分布拡大状況を見る と、自然植生の食樹のないところでは、人家や公園に 植栽される同属のユキヤナギ等を食して分布を拡大 している(福田 , 2007 )。滋賀県下でもこれまでに得ら れた記録は、いずれも自然度の低い都市的環境の地域 とその周辺の農村部に集中しており、自然植生を利用 した観察記録もない。これまでの県下の観察結果から も、近畿圏の他地域と同様にユキヤナギ、コデマリ等 の植栽植物のみを利用して、進出・分布拡大を続けて いると考えられる。
最初に発見された大津市南部は、 1987 年に八幡市
(京都府)で初めて発見され 1990 年から本種が定着
琵博研報 2011 No.27 91 していた(塚本 , 1993 )京都府に隣接する地域である。
人為的に運ばれたのではなく、植栽植物を利用しなが ら自力で進入したものと推察される。
また、その後の分布域の広がり方からも、分散能力 の大きさを指摘できよう。今回得られた記録からは、
最初に発見された大津市南部のポイントから、直線距 離で約 20 km離れた比良山麓の最北の記録ポイント まで、 6 年間で到達したということになる。本種の属
する Neptis 属特有の緩やかな飛翔からは、感覚的に
は想像し難い速度である。
現在までに生息が確認されている地域の多くは、京 阪地域のベッドタウンとしての宅地化が現在も進行 している地域が含まれる。庭園木として植栽された食 樹の密度が住宅地を中心に高いことと、本種の特性と しての多化性によってもたらされる分散機会が、分散 の速度を支えていると推察される。これまでの記録か ら県下では、 5 月下旬から 10 月にかけて年 3 化程度 の発生経過と推察される。
滋賀県では、今後どこまで分布域が拡大するのか興
味のあるところである。福田( 2007 )によれば、瀬戸
内式気候を飛び越えて拡大させることはないとされ
る。気候区分の仕方にもよるが、福田の意見に従えば
すでにその範囲いっぱいまで広がったこととなる。
琵博研報 2011 No.27 92
ジャノメチョウ科 Satyridae 和名クロコノマチョウ 学名 Melanitis Phedima oitensis
これまでの分布変遷の概略
南方系の他の種に比べ古くから滋賀県に進出して いた種であり、 1950 年代にまとまった記録がある。
1950 年 7 月 13 日に近江八幡市上野町で記録され、
1950 年 8 ~ 9 月に大津市中庄で数頭の記録があり、
1952 年~ 1956 年にかけて神崎郡永源寺町で 21 頭が 記録されている ( 図 7) 。
その後、 1973 年まで記録は途絶え、 1990 年までに 僅かに 11 頭の記録があるのみである ( 図 8) 。 1991 年 から急速に増加し、 2000 年までに成虫・幼虫を含め て 80 頭以上が得られている ( 図 9) 。
図7 1950年代の記録ポイント 図8 1990年までの全記録ポイント
図9 2000年までの全ての記録ポイント 図10 2009年までの全記録ポイント
これまでの全記録は、県最北部を除いて広い地域に 見られ、県南部のほうが記録密度は高い ( 図 10) 。
また、 2000 年までは、すべて 7 ~ 8 月の盛夏から秋
季にかけての記録であり、越冬個体と見られる春季( 4
~ 5 月)の記録は、 2001 年からである ( 図 11) 。 県北中部、山間部や高標高な地点での記録も 1950 年代から見られる。
図
11 2001年以降の春季の記録ポイント
考察
1952 年から 1956 年までの永源寺町の古い記録は、
詳細が不明な点もあるが、複数の個体が同時期( 1954 年 7 ~ 8 月 5exs. )に得られていることから、一時的に 同地域で発生していたことが推測される。また、他の 南方系種群に比較すると、 1950 年代から滋賀県に侵 入していたこととなる。しかし、越冬個体は食餌や越 冬場所を求めるため、やや強い移動性がある(福田ほ
か , 1984 )。そのため、滋賀県にも過去から近隣の温暖
地域から飛来を繰り返していたと思われる。
また、南方系種群の中でナガサキアゲハと比較した 場合、ナガサキアゲハは栽培種のミカン類が必要な条 件となるが、本種の食性はイネ科の広範囲の種を食す る広食性であり、食餌の確保が容易であることから、
移動先での一時的発生や二次的分散をしやすいと思
われる。 1950 年代から山間部や寒冷地などで突発的
な記録が見られることは、「広食性+移動性」が原因
となっている可能性を指摘したい。
琵博研報 2011 No.27 93 一方で、これまでのところ越冬個体の観察例と、春
季の越冬個体とみられる記録は、中南部の一部地域に 限られており ( 図 2) 、現状でも定着している地域は比 較的限られていると思われる。
本種の耐寒性からの考察として、静岡県での観察結 果から、越冬可能な最低気温をマイナス 6 ℃前後とす る報告がある(中町 , 2007 )。マイナス 6 ℃を本種の越 冬可能な限界値として、直近 30 年の県内 4 ヵ所の気 象データを当てはめると表 2 のとおりとなる。
この表から、直近 10 年間( 2000 年以降)の気象条 件下では、琵琶湖に面した県中南部の平野部では完全 に定着可能と判定される。また 1950 年代の古い一連 の記録について、彦根気象台データ( 1950 年代はこ の地点のデータしかない)を当てはめると、表 3 のと おりとなる。一連の記録の始まる 1950 年の前年の 1949 年から最低気温が上昇しており、記録と符合し ているように見える。
表
2 1980年から
2009年まで
30年間の滋賀県下
4地点の年最低気温(左)
表
3 1942年から
1971年まで
30年間の彦根市の年最低気温 (右)
今津 彦根 南小松 大津
1980 -5.1 -3.4 -3.1 -3.4
1981 -10.6 -5.8 -6.4 -6.6
1982 -8.7 -6.0 -5.7 -3.4
1983 -6.2 -2.9 -4.5 -2.7
1984 -11.7 -6.9 -5.8 -4.9
1985 -8.9 -4.4 -7.1 -3.8
1986 -9.9 -3.8 -4.1 -3.4
1987 -4.7 -3.2 -3.3 -2.4
1988 -7.1 -2.9 -2.8 -2.6
1989 -2.6 -1.3 -1.5 -1.0
1990 -4.2 -4.1 -3.6 -3.4
1991 -7.5 -4.3 -3.8 -2.8
1992 -4.1 -2.4 -2.5 -2.6
1993 -4.3 -2.4 -3.0 -2.9
1994 -5.0 -2.5 -3.2 -3.2
1995 -6.5 -4.5 -4.5 -3.2
1996 -7.8 -3.6 -5.7 -4.0
1997 -5.1 -4.5 -5.4 -5.4
1998 -8.0 -2.5 -2.7 -2.7
1999 -7.1 -6.8 -6.9 -5.1
2000 -4.9 -2.5 -3.6 -2.7
2001 -7.6 -4.6 -3.1 -3.5
2002 -3.3 -3.5 -3.1 -2.9
2003 -5.7 -4.2 -5.0 -4.5
2004 -4.9 -3.5 -4.8 -3.6
2005 -5.8 -4.0 -4.3 -4.1
2006 -7.8 -4.3 -5.6 -3.8
2007 -4.7 -2.7 -3.2 -3.7
2008 -5.7 -2.8 -3.1 -2.5
2009 -8.5 -1.8 -4.6 -1.8
最低 最低
年 最低 最低
彦根
1942 -6.0 1943 -5.4 1944 -7.9 1945 -7.0 1946 -6.0 1947 -8.7 1948 -8.3 1949 -5.1 1950 -3.4 1951 -5.8 1952 -4.6 1953 -4.9 1954 -3.4 1955 -5.0 1956 -4.4 1957 -5.5 1958 -5.8 1959 -4.5 1960 -6.2 1961 -4.4 1962 -3.3 1963 -7.0 1964 -3.6 1965 -6.1 1966 -8.8 1967 -7.9 1968 -4.7 1969 -4.4 1970 -5.8 1971 -5.3
年 最低