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・ 重 誉 の 教 説 を 中 心 と し て

、 は じめ に 五 大院 安 然( 八 四 一

~ 八 八 九~

、一 説 九 一 五 没

)の 非 情 成 仏 説 に つ い て 検 討 し て き た が、 平 安 期日 本 密 教 に お け る 非 情 成 仏 説 を 論 ずる に 当 た っ て は

、 当 然

、 東 密 に お け る非 情 成 仏 説 の 検討 も 必 要 で あ る こ と は 言 を 俟 た な いで あ ろ う

。 そ こ で

、 こ こ で は 東 密院 政期 の 学 匠 の う ち、 直 接 的 に 非 情 成 仏 に つ い て 言 及 して い る 中 川 実 範

~ 一 一 四 四

) と

、理 教 房 重 誉(

~ 一 一 四 三

)の 非 情成 仏 説

に つ い て

、既 述 し た 安 然 の 非 情 成 仏 説 と の比 較を 行 い な が ら 論じ て い き た い

。 結 論め い た こ と を い う の で あ れ ば

、 既 述し た よ う に

、 安 然 は

『 大 日 経

』 巻五 や

、 そ れ を 註 釈 する

『 大 日 経 義 釈

』 巻 一 二 の 記 述 を 根拠 と し て

、 有 情

・ 非 情 共 に 真 如 の変 作 た る 阿 字 を 第 一命 と し て い る た め

、 有 情

・ 非 情 は 共に 同 一 の 真 如 の 変 作 で あ り

、 有 情が 発 心

・ 成 仏 す る なら ば

、 非 情 も 発 心

・ 成 仏 す る と 主 張し て い る

。 一 方 で後 述 す る よ う に

、実 範・ 重 誉 は

、『 即 身 成仏 義

』を 主 な 根 拠 と し て 用 い る の で あ り、 安 然 と同 様 に 非 情 が 発 心

・ 修 行 し て 成 仏 する こ と を 説 き な が ら も

、 そ の 結 論に 達 す る ま で の 方 法論 が 相 違 す る の で あ る

。 さ て、 院 政 期 の 実 範

・ 重 誉 の 非 情 成 仏 説を 検 討 す る 前 に

、 空 海

( 七 七 四

~八 三 五

) の 教 説 に おけ る 非 情 成 仏 説 を 整 理 し て お く 必 要も あ ろ う

。 そ こ で ま ず は

、 実 範 や重 誉 と い っ た 後 世 の東 密 学 匠 が 主 に 用 い る 空 海 の 教 説( 現 在で は 偽 撰 説 が 主 流 な も の も 含 む

)に つ いて

、 聊 か 検討 し た 後

、 実 範

・ 重 誉 の非 情 成 仏 説 に つ い て 考 察 す る こ と とす る

、 空 海の 教 説 にみ ら れる 非 情 成仏 論 空 海の 非 情 成 仏 に 関 す る 教 説 は 処 々 に 説か れ て い る が

、 最 も 簡 略 に 非 情 が成 仏 す る こ と を 明 言し た も の と し て

、『 吽 字 義

』 に

、 二 乗 の 有情 の 成 仏 を 論 ず る 中 で

、「 草 木 也 成

。 何 況 有 情

」と

、「 非 情 が 成 仏 する の で あ る か ら

、 二乗 の有 情 は も ち ろ ん 成 仏 す る

」と 説 か れ て い るこ と が 挙 げ ら れ る

。 ま た 同 書 に は

「 草 木 無

仏、 波 則無

湿

」 や

、「 法 身 三 密 入

繊 芥

而 不

、亘

大虚

而 不

、不

瓦 石 草 木

、不

人 天 鬼 畜

、何 処 不

、何 物 不

と の 教 説 も み ら れ

、非 情 に 仏 性 の 有 る こ と が説 か れて い る

。こ の う ち

、後 半 の 教 説と 類 似 す る も の と し て は

、『 秘 密漫 荼 羅教 付 法 伝

』 巻 一 に

、 如

是 法 身

・智 身 二 種 色 相 平 等 平 等

、徧

満 一 切 衆 生界

・ 非情 界

、常 恒 演

説 真 実 語・ 如義 語

・ 曼 荼 羅 法 教

と あ る教 説 が 挙 げ ら れ

、 こ こ で は 法 身 の 説法 が 有 情

・ 非 情 に 亘 る こ と を 説 いて い る

。 法 身

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と い う点 に お い て は

、 現 在 で は 偽 撰 と さ れて い る も の の

、『 秘 蔵 記

』 に

、 草木 非 情 成 仏 義

、 法 身 微 細 身 五 大 所 成

。 虚空 亦 五 大所 成

。 草 木 亦 五 大 所 成

。 法 身 微 細 身、 虚 空 乃 至 草 木

、一 切 処 無

。是 虚 空・ 是 草 木 即法 身。 於

肉 眼

麁色 草 木

、 於

仏 眼

微 細 之 色

。 是 故

、 不

本 体

仏 無

妨 礙

、「 是 虚 空

・ 是 草 木 即 法 身

」 と ま で 説 か れ て いる こ と も 注 目 さ れ る で あ ろ う

。 ま た、

『 即 身 成 仏 義

』 に は

、 諸顕 教 中 以

四 大 等

非 情

。密 教 則 説

此為

如 来 三 摩 耶 身

。四 大 等 不

心 大

、 心・ 色 雖

、 其 性 即 同

と の 教説 も 提 示 し

、 有 情 と 非 情 と の 平 等 性を 説 い て い る の で あ る

。 こ の

『 即身 成 仏 義

』 に 類 似 する 記 述 と し て は

、 伝 空 海 撰

『 四 種 曼荼 羅 義

』 の

問、 大 曼 荼 羅 称

有 情

者 且 可

。 所持 非 情 草 木 等

、 若 謂

有 情

。 答、 応

尓 云

問、 已 称

非 情

。 何 謂

有 情

乎。 答、 此 三 昧 耶 所 本 来 已 具

如 来 智 印

、 曰

有 情

と の 問答 も 挙 げ る こ と が で き る

。 こ こ で は『 即 身 成 仏 義

』 に 説 か れ る 以 上 に、 明 確 に

「 有 情 即 非情

」の 思 想 が説 か れ て い る こ と に も 括 目 す べ き であ ろ う。

『 四 種曼 荼 羅義

』の 成 立に 関 し ては 多 く が 明 ら か で は な い が

、 平 安 初期 の 段 階 に お い て

、 既 存 の 仏 教 思想 に は 有 り 得 な か った 画 期 的 な 教 説 を 東 密 が 示 し て い たの で あ る

。 こ の 有情 と 非 情 と を 同 様 と 捉 え る 立 場 は、

『金 剛 頂 経 開 題

』に

「 衆 生 界 者

、十 方 三 世 六 趣 有 情・ 非 情

、衆 生 界 に 非 情 を 含 め る と の 教 説 が みら れ る ま で に 至 る の で あ り

、有 情 と 非情 と が 平 等 一 味 で あ る こ と を

、 空 海が 如 何 に 主 張 し た か っ た か と い う こ とが 改 め て 理 解 され る で あ ろ う

。 こ の よ う に

、 非 情 成 仏 に 関 連 す る 多 く の 教 説 を 残 し た 空 海

( 偽 撰 と さ れ る も の も 含 む

) で あ るが

、 こ れ は 有 情 と 非 情 と が 平 等 で ある こ と を 力 説 し て い る の で あ り

、有 情 が 発 心

・ 修 行 する 以 上

、 非 情 も 発 心

・ 修 行 す べ き と捉 え る こ と は 可 能 で あ る

。 但 し

、安 然 が 明 確 に 非 情 の発 心

・ 修 行 義 を 論 じ た こ と に 比 べ れば

、 空 海 が こ れ を 積 極 的 に 論 じ て い ない こ と も 事 実 であ る

。し か し い ず れ に し て も

、こ れ ら の 空 海 の 教 説

、特 に『 即 身 成 仏 義

』の 教 説 は

、 後 の 東密 学 匠 が 非 情 成 仏 を 論 ず る う え で 必要 不 可 欠 な 記 述 と し て 重 用 さ れ るの であ り

、 東 密

、否

、日 本 密 教に おけ る 非 情 成 仏 説 の 萌 芽 と し て

、極 め て 重 要 な 記 述 と い え る の で あ る。 三、

諸 宗 の非 情 成仏 説 につ い て 重 誉は 他 宗 の 非 情 成 仏 説 に つ い て の 言 及が 直 接 的 に は 見 ら れ な い た め

、 ここ で は 実 範 の 教 説 につ い て 言 及 し て い き た い

。 実 範 の非 情 成 仏 に つ い て の 教 説 は

、 主 に

『大 経 要 義 鈔

』 巻 七 に 見 出 さ れ

、 他宗 の非 情 成 仏 説 につ い て も こ こ で 論 じ ら れ て い る

。 ここ で は

、 問、 非 情 成 仏 顕 密 諸 宗 云 何 判 耶

と の 問答 を 設 け

、 法 相

・ 三 論

・ 天 台

・ 華 厳の 非 情 成 仏 論 を 挙 げ

、 そ の う え で真 言 に お け る 非 情 成仏 論 を 説 い て い る

。 ま ず 法 相

・ 三 論の 非 情 成 仏 論 に つ い て は

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答、 法 相 不

。 三 論 如

、 通 門 成 仏、 別 門 不

と 簡 潔に 説 き

、法 相・ 三 論 の 非 情 成 仏 説 を 法 相 で は非 情成 仏 を 論 ぜ ず

、三 論 に おい て は 通・ 別 の 門に 分 け

、 通 門 で は 非 情 成 仏 を 説 く も別 門 で は 非 情 成 仏 を 論 じ な い と する

。 こ の 見解 は

、盛 ん に 非 情 成 仏 説 を 論 じ た 安然 の 教 説

、す な わ ち

、『 菩 提 心 義 抄

』巻 二 に、 問 答 の「 問

」 と し て で は あ る が

若法 相 云

、若 約

摂 相 帰 性 門 意

、万 法即 如

、衆 生 皆 仏

。若 約

性 相 別論 門 意

、 万 法非

、有

・不 成

。若 約

摂 境 従 心 門 意

、真

・ 妄 唯 心

、心 外 無

。若 約

摂 仮 従 実 門意

、唯 是 心 王

、更 無

心 所

若 三 論 云

、若 約

理 外

、則 説

衆生 発 心

・ 成仏

、草 木不

発 心・ 成 仏

。若 約

理 内

、則 説

衆 生 発 心・ 成 仏

、即 是 草木 発心

・成 仏

、 法相 を

「 摂 相 帰 性 門

」・

「 性 相 別 論 門

」・

「 摂境 従 心門

」・

「 摂 仮 従 実 門

」 に 分 け る も

、 そ の い ずれ に お い て も 非 情 は 成 仏 せ ず と 判 じ、 ま た 三 論 を 理 内

・ 理 外 に 分 け て非 情 の 成 仏

・ 不 成 仏を 論 ず る 記 述 と 同 様 で あ る

。 次 に 天台 の 非 情 成 仏 論 に つ い て は

、湛 然『 止 観 輔 行 伝 弘 決

』巻 一 之 二

『金 錍 論

円 珍

『授 決 集

』 巻 下 の

「 無 情 成 仏 決

『 大 般 涅 槃 経

』 巻 一 四

灌 頂 撰 湛 然 再 治

『 大 般 涅 槃経 疏

』 巻 一 七

、道 暹

『 涅 槃 経 疏 私 記

』 巻 五

教 説 を 引 い た う え で

妙楽

、 処 処 成

立 無 情 有 仏性 義

。 其 意

、兼 明

無 情 成 仏

。 故智 証 決

、 但 引

諸 教 仏性 説

、 而 成

無 情 成 仏 之 義

と し て、 妙 楽

( 湛 然

) の 教 説 に 処 々 に 説 かれ て い る

「 無 情 有 仏 性

」 の 義 に よっ て

、 天 台 が 非 情 成仏 を 説 く と し て い る

。 そ の う え で

、天 台 の 無 情 有 仏 性 の 義 と 無 情 成 仏と の 関 係 性 に つ い て、

「 仏 性 性

、体 也

。因 也

。成 仏

仏者

、用 也

。果 也

。既 有

体 性

、当

覚 用

。 果 若 不

、因 為

誰 成

。性 因 若 有

、覚 果 何 無

」と す る

。こ こ で は ま ず

、「 無情 有 仏 性

」 の

「 性」 を 体

・ 因 と し

、 ま た

「 無 情 成 仏

」の

「 仏

」 を 用

・ 果 で あ る と す る

。そ し て

、 体 性

( 因

)が 有 れ ば 覚 用

( 果

) も 有 る べ き な ので あ り

、 す な わ ち

、 無 情 に 仏 性 があ る な ら ば

、 無 情 は成 仏 す る べ き で あ る と 説 く の で あ る。 こ のよ う に

、 実 範 は 天 台 に 非 情 成 仏 説 があ る こ と を 認 め つ つ も

、 一 方 で その 批 判 も 行 っ て い る。

『 大 経 要 義 鈔

』 巻 七 で は

、『 大 般 涅 槃 経疏

』 巻一 七 の

総而 言

、亦 是諸 仏 菩 薩

、自 既 依正 不 二 而 二

・二 而 不二

、能 令

衆 生 亦 復如

。此 則永 転

。 若 暫 転 者

、 不

斯 義

、 亦 令

転 者 不

自 覚 知

と あ るこ と

、 す な わ ち ま ず

、 諸 仏 菩 薩 は もと よ り 依 正 不 二 而 二

・ 二 而 不 二 で あ ると 説 き

、 そ の うえ で

、 衆 生 を 非 衆 生 に さ せ る と い うこ と を 永 転 と す る

。 一 方 で

、 暫 転で あ っ て も

、 衆 生 を非 情 に さ せ る と い う 義 が 無 い わ け では な い

、 と

『 大 般 涅 槃 経 疏

』 で 説か れ る こ と に 対 し

、 実範 は

、「 令

暫 転

是 成 仏

。 但 実 永転

成 仏

」と し て

、 永 転 の み に成 仏 を 認 め

、 暫 転 に は 成 仏 を 認 め ない と す る の で あ る

。 こ の 成 仏 を 認め な い と す る 暫 転 につ い て は

、「 彼 外道 変

身 為

、応

是 暫 転

。劫 尽 之後 可

情 故

」と あ る よ う に

、外 道 の 立 場 で あ る こ と 指 摘 す る の であ る

。 ま た永 転 に つ い て は

、 菩薩 実 転

情 永 為

無 情

、此 如

趣 寂 之 滅 智

。又 実転

無 情

永 為

有 情

、此 為

始 起 之 有 情

と 説 き、 菩 薩 が 有 情 を 転 じ て 無 情 と す る こと を 趣 寂 の 滅 智

= 入 寂 し て 精 神的 活 動 が 無 く な る こと

) と し

、 ま た 一 方 で

、 菩 薩 が 無 情を 転 じ て 有 情 と す る こ と に つ い ては

、 始 起 の 有

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