水 平 HSK 6 級 レベル相当
北
京 城の中 心 線 上に位 置し、故 宮 神 武門(北門)
の真向かいに隆起し、毅 然 と 自 立 している 山 がある。この 山 の 標 高 は5 0メートル にも 満 たないが、周 辺 の 建築物が低いせいで、あたかも鳥の群れの 中に鶴が立っているようにも見える。そう、ここはかつて、北京城内において最も高い 場所であった―景山である。
在
神武门北京城中轴线上(
北门),
有一山拔地而,
正对着故宫 起,
兀然自立。
此山相对高度不过50 米,
但在周围低矮建筑的映衬下仍显 得 鹤 立 鸡 群,
这 便 是 旧 时 北 京 城 内 的 制高点̶
景山。
文・小 野 (文・小野)
景
山并非天成历史可追溯至辽代,
实属人造景观。
会同元年,
其营建(
公元 938年),
辽太宗定都燕京后,
建瑶屿行宫(
今 北 海 琼 华 岛),
将 余 土 堆 积 此 处。
金 代 大 定 十九年(
公元1179年),
金昌宗凿西华潭(
今 北海),
堆土成丘,
这便是景山的雏形,
并于小 丘四周建成皇家苑囿,
称“
北苑”。
元代皇帝躬 耕此地,
称小丘为“
青山”。
明永乐年间,
明成 祖营建紫禁城(
公元1406‒
1420年),
将挖掘筒子河
(
故宫护城河)
和南海的泥土堆积 在“
青山”,
形成五座山峰,
称“
万岁山”;
因明 朝廷曾在此堆煤,
以防元朝残部围困北京引 发燃料短缺,
故又称为“
煤山”。
清顺治八年(
公元1651年),
正式将“
万岁山”
改称为景 山。
中 国 古 代 有“
南 面 称 孤”
的 帝 王 思 想 和“
背山面水”
的风水理念,
因此,
景山与故宫,
以及周边的什刹海、
北海、
中海、
南海在布局 上煞费苦心,
共同奠定了北京城的基本格局。
景 山 の 歴 史
景山的历史
1. 从故宫遥望景山。 2. 处处可见精雕细刻的佳作。 3. 公园内享受闲暇时间的人们。 4. 登山顶瞻望北京。 5. 景山公园,北京市少年宫。 6、7. 公园内绿意盎然。 8、9. 公园内到处可以缅怀历史。
1. 故宮から見える景山公園。
2. 見応えのある建築彫刻も数多い。
3. 園内で余暇を楽しむ人々。
4. 北京市内を一望できる山頂。
5. 景山公園にある北京市少年宮。
6、7. 緑があふれる園内。
8、9. 歴史をしのばせる園内。
3
2 4
1
景
山は自 然のものではなく、人 工 的に作られた ものであり、その歴史は遼の時代にまで遡る。会同元年
(西暦
938年)、遼の太宗が燕京を都と定め た後、瑶屿行宫(現、
北海琼華島)を建て、その残土を この地に集めたことが始まりである。金代大定十九 年(西暦
1179年)、金昌宗が西華潭(現、
北海)を作り、その残 土によってこの地は丘となった。これが景 山 の雛 形となり、小さな丘の四 方には皇 室の居 住 区が 建 造され、「北 苑」と称されるようになった。元 代の 皇帝は、この地を植樹し、耕して、小さな丘は
「青山」
と呼ばれるようになった。明の永楽年間には、明の世 祖により紫 禁 城
(西 暦
1406年‒1420年)が建 立さ れた。その際、筒子河(現、
故宫 护城河)が掘られ、その残土は南海の泥土と共に
「青山」
に集められ、五つの 峰を形成する形に整えられた結果、「万代山」と称さ れるようになった。明朝はここを石炭置き場として、元 朝の残 党が北 京を包 囲し燃 料 不 足に陥れること を防いだため、この地は
「石炭山」
とも呼ばれた。清順 治 八 年(西 暦
1651年)、正 式にこの地は「万 代 山」
か ら景 山へと名 称が変 更された。中 国は古 代より「南
面 称 孤」といった帝 王 思 想と「背 山 面 水」
の風 水 理 念 があるため、景山と故宮、および周辺の什刹海、北海、中海、南海の配置は、非常に思案された結果であり、
共に北京城の基本配置となっている。
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13 12
景
山园林旧时为皇宫的一部分,
并 非寻常百姓可登览,
民国十七年(
公元1928年)
始辟为公园,
修葺后供 游人观赏。
进入园门,
绮望楼依山而建,
重楼重檐,
内供奉孔子牌位,
是清代景山 官学堂学子祭拜先师孔子的地方。
园内 遍植古松柏,
郁郁葱葱,
四季常青,
漫步其 间,
有深沉幽静之感,
又有抚今追昔之思。
东行百余步,
有一歪脖古槐树,
前竖石碑,
上书“
明思宗殉国处”。
明崇祯十七年(
公元1644年
),
李自成起义军攻破北京城,
崇祯帝逃入景山,
自缢于此,
享国近三百 年的大明王朝至此宣告终结。
举目仰视,
山脊上有五座佛亭,
建于清乾隆十六年(
公元1751年),
自东向西依次为周赏 亭、
观妙亭、
万春亭、
辑芳亭、
富揽亭,
五座 亭台以万春亭为中心,
东西对照,
错落有 致,
鉴证了康乾盛世的辉煌。
亭内原供奉 有 精 美 佛 像,
在 庚 子 事 变(
公 元19 0 0 年)
中,
被八国联军劫掠,
今已不存。
景 山 公 園 の み ど こ ろ
景山公园的景点
10. 周赏亭 11. 辑芳亭 12. 观妙亭 13. 富揽亭 14. 万春亭
15. 石碑,上书“明思宗殉国处”。
16. 《铁冠图》,清末年画。李自成的农民 军直逼京城,明崇祯帝见大势已去,赐死 了周后,上煤山自缢而亡。
10. 周賞亭 11. 輯芳亭 12. 観妙亭 13. 富攬亭 14. 万春亭
15. “明思宗殉国处”と彫られた石碑。
16. 『鉄冠図』、清朝末期の年画。李自成 の率いた農民蜂起軍が北京を攻め、追 い詰 められた明 の崇 禎 帝 が、皇 后 に自 殺を命じ、自らも煤山で首吊り自殺を した。
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景
山公園は、昔は皇宮の一部であり、庶民が自由 に登ることはできなかったが、民国十七年(西
暦1928年)に公園として認定されてからは、修繕さ れ、多くの人々が訪れることができるようになった。公 園の入り口を入ると、山に沿って楼が幾 重にも建 てられていることがわかる。その楼の中には、孔子の 位牌が奉られており、清代には景山官学学士祭が執 り行われるなど、孔 子を奉った場 所としても有 名で ある。また、園内の至る所に古松柏が植えられており、
青々と茂り、四 季を通じて美しい緑を愛でることが できる。木々の間をゆっくり歩くと、深く心が休まる と共に、悠久の時の流れを感じることができる。東へ 100歩あまり歩くと、一 本の幹が途 中から曲がった 古い槐の木が生えており、その前には一つの石 碑が
ある。その石碑には“明思宗殉国处
(明の思宗ここに
殉 国する)”と彫られている。明の崇 禎 十 七 年(西 暦
1644年)、李 自 成 率いる義 勇 軍が北 京 城を破り、崇 禎 帝は景 山に逃れ、この場 所で自ら命を落とした。300年近い大明王朝はここに終結することとなった のだ。目線を上げて仰ぎ見ると、山の尾根には5つの 仏亭があり、それらは清の乾隆十六年
(西暦
1751年)に建てられた。東から西に向かって、周賞亭、観妙亭、
万春亭、輯芳亭、富攬亭と呼ばれ、万春亭を中心とし て、東西対称、巧みに配置され、味わいがあり、康乾時 代最盛期の栄華を証明しているといえる。仏亭内に は、美しい仏像が奉られていたが、庚子事変の混乱の 中、八カ国連合軍により奪われ、残念ながら今では目 にすることができない。
沿
青石板路上山登顶,
站在山顶的万春亭上,
约二十分钟即可,
京 城盛景一览无遗。
南向,
紫禁城尽收眼底。
护城河环绕故宫,
城内楼宇亭台、
广厦轩 阁,
鳞次栉比、
整齐对称。
太和殿、
中和殿、
保和殿位于中轴线上,
是视觉中心,
亦是 古代中国权力最中心。
金黄的琉璃屋顶、
赤红的宫墙,
在阳光照射下格外庄重华 贵,
似在诉说帝国昔日的光辉。
北向,
视 线沿中轴线延伸,
可远眺钟鼓楼。
二楼始 建于元代至元九年(
公元1272年),
后 屡次被毁,
又屡次重建修复,
在元、
明、
清 三朝承担着为全城居民报时的职能,“
晨 钟暮鼓”
是一个时代的记忆,
钟鼓楼也由 此成为“
老北京”
的一个象征。
西向,
北 海公园琼华岛上的白塔分外夺目。
这座 藏式喇嘛塔通体洁白,
建于清顺治八年(
公元1651年),
内供奉舍利子,
保佑国 泰民安。
北海湖面开阔,
常有游人划船,
此情此景
,
让人不自觉地哼起《
让我们 荡起双桨》,
心也随着那首民谣飘荡。
东 向,
可远眺北京新地标̶
国贸CBD。
一片摩天大楼耸立于东三环上
,
钢筋水 泥、
玻璃幕墙,
彻底改变了这座古城的地 貌和布局,
这里是全中国资本和人才的 聚集地,
每天都有新交易、
新项目、
新思 路诞生于此,
这里或许也是现代人朝拜 的新中心。
每 当 夕 阳 西 下,落 日 余 晖 洒 在 热 闹 了一天的紫禁城上,游人散去,神武门关 闭,故宫也渐渐睡去。城市里华灯初上,
远处的国贸中心霓虹闪烁,对忙碌整日 的上班族而言,美好的夜生活才刚刚开 始。人们涌入商场、餐厅、酒吧,尽情欢乐,
享受着北京这座大都市的繁华。喧嚣迷 醉中,景山默然独立,亦如逝去的百年、
千年一样岿然不动,静观着新的故事在 这座城市上演 ……
景 山 公 園 か ら 望 む 北 京
景山公园看 北 京
17. 从景山公园远眺故宫博物院。
18. 北海公园琼华岛上的白塔。
17. 景山公園から俯瞰した故宮博物院。
18. 北海公園琼華島のラマ塔。
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石
畳の道に沿って山を登ると、約20分で頂上に 到着する。山頂にある万春亭からは、北京市 内を一 望できる。南を向けば、紫 禁 城の隅々までを、目に収めることがきる。护城 河に囲まれるように故 宮が佇み、城内は趣深い古亭や、壮大な建物や家屋が びっしりと対称に美しく並んでいる。太和殿、中和殿、
保和殿は中心線上に並び、視覚的にも中心にくるよ うに配 置されており、古 代 中 国の権 力の中 心である ことを表している。黄金に輝く瑠璃の屋根や、美しく 紅色に染まった壁は、太陽の光に照らされて、より一 層 荘 厳で贅 沢に映り、帝 国の過 去の栄 光を我々に訴 えかけているような気さえする。北を向き、中心線に 沿って視 線を移すと、遠 方には鼓 楼を眺めることが できる。二つの楼は元 代の至 元 九 年
(西 暦
1272年)に建てられ、それ以降、幾度となく破壊されては、ま た再建・修復され、元、明、清の三朝に渡り、全市民に 時を知らせる役割を担い、「晨钟暮鼓
(早朝と夕べを
知らせる鐘)」は一つの時代の記憶ともいえる。こう したことから、鐘の鼓 楼もまた、「老 北 京(懐かしき
北京)」の象徴となっている。西を向けば、北海公園内 の琼華島にある純白の塔についつい目を奪われてし まうだろう。このチベット式ラマ塔は全 体が純 白の 建物で、清代順治八年(西暦
1651年)に建立された。中には仏舎利が奉られ、国家の安泰が願われている。
北海湖面は広々としており、遊覧船をよく目にする。
この風景を見ると、思わず
《让 我 们 荡 起 双 桨》
という 曲を口ずさみ、心もあの民 謡のように漂ってしまう のは私だけだろうか。東を向けば、はるか遠くに北京 の新しいランドマークでもある―
国 貿CBDを目に する。東環状3号線にあり、鉄筋コンクリート建て、ガ ラス張りの壁を持つこの摩 天 楼は、この北 京という 街を、外観やレイアウトだけでなく、資本と人材が集 結する場 所に変 化させた。毎 日 新しいビジネスやプ ロジェクト、アイデアが生まれ、現代人が「参詣」
する 新たな中心となったと言えるのかもしれない。日が西へ沈み、 夕 焼けが一 日にぎやかであった紫 禁城を照らす頃になると、観光客の影は消え、神武門 は閉じ、故宮もゆっくりと眠りに入る。街の明かりや 遠くの国貿センターのイルミネーションが灯り出す頃 になると、日中忙しかったサラリーマンたちの楽しい アフター 5 の時 間がようやく始まる。人々でショッピ ングモールや、レストラン、バーはごった返し、街はお 祭り騒ぎである。それぞれが大 都 市 北 京の華やかさ を楽しむのだ。そうした喧騒の中でも、景山は静かに 佇んでおり、過ぎ去った百年、千年といった時と同じ ように、少しも動くことなく、この都市で上演されて いる新たな物語を、ただ静かに見守っている……
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