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A  Yら 

A  Yら  Yら 

X

X

例えば,Xが共同不法行為者のうちのYだけに対して訴訟を提起し,その関 係で過失相殺がなされたとしよう。その後に他の共同不法行為者であるZに対 して訴訟を提起した場合に,前訴で判断された過失割合はもとより,そこで認 定されたXの全損害額さえもが,後訴においてZとの関係でも前提とされると いう保証は全くないのである。それどころか,X・Y,X・Zの各訴訟におい ては,それぞれZ,Yには無関係に判断がなされるのが建前であるから,結局 X・Y・Zの寄与度ないし負担部分について統一的な判断をするための場がな いことになる。加えて,YがX・Y間の判決で命じられた損害賠償額を支払っ た場合には,その事実をX・Z間の訴訟における判断にどのように織り込むの かという問題も生じる。また,Y・Z間の求償訴訟にしても,Y・Zの各負担 割合を確定し,もしもYならYが自己の負担部分を超えて弁償をしていれば,

その部分についてZに対する給付請求を認めるというにすぎないから,同訴訟 の中でXの寄与部分(過失及び過失相殺)についてまで必ず明らかにされると は限らないのである。

このことは又,Xが共同不法行為者全員から最終的に得られる賠償額の範囲 を確定する場がないことをも意味する。ただ,X・Y間の訴訟において加算的 過失相殺がなされた場合には,それがたとえYとの間だけの判断であるとはい え,Xとすれば自己の請求権の範囲について一応の目処をつけることもできよ う。ところが,相対的過失相殺がなされたとき―特に,YよりもZの過失の方 が大きいのではないかと考えられるような場合―には,Zを被告とする訴訟が 別途提起されることはまず間違いないであろうが,そうすると,X・Y,X・

Zの各損害賠償訴訟,そしてY・Zの求償訴訟という三つの訴訟がばらばらに 鼎立することとなる。これでは統一的な判断を期待することはおよそできず,

それ故に収拾困難な事態が生じかねないのである。そして既に見たところによ れば,1項前段の共同不法行為が成立する場合をも含めて相対的過失相殺がな される場合の方が圧倒的に多いものと思われるから,右のような複雑困難な事 態が頻発することにもなりかねない。

2

) このような事態を回避し,局面を打開するための抜本的な方策としては,

前記三,第3の2で述べたとおり,全共同不法行為者を共同被告とした一回限

りの訴訟により紛争の解決を図ることを目指すほかはない(ただし,各被告の 寄与度ないし負担割合を確定するための被告ら間の訴訟が併合されなければな らないというまでのことはない)ものと考える。これが実現するならば,Xの 全損害額がばらばらに認定されるというようなことが回避されるのは勿論のこ と,被告ら間の複雑な関係も一挙に解決されることになろう。ただ,これは必 要的共同訴訟ではないから,専ら訴訟関係人のそれに向けた積極的な姿勢と裁 判所の適切な訴訟指揮にかかってくることになる。

ア まず,1項前段の共同不法行為に該当するものについては,不法行為 者各自(Yら)がXに生じた損害を賠償しなければならないのを原則とするが,

①中でも「共同性」の強固な共同不法行為にあっては,過失相殺も一体的にな される(加算的過失相殺)から,その結果算出された額を連帯して支払うべき 義務を負担することになる。後は,専らYら間における求償の問題が残るだけ であり,この場合には特に複雑な問題が生ずることは予想し難い。②これに対 し,「共同性」のそれ程強固でない共同不法行為者については,過失相殺の場 面では個別的な処理(相対的過失相殺)がなされることがあり得るから,Xに 生じた損害額を

A

として,Y1については

B

,Y

2

については

C

の各支払が命じら れることもあり得る。したがって,②の場合は①の場合よりはやや複雑になる が,B,Cが重なり合う範囲(仮に,B≧Cとすれば,Cの限度)では連帯して 責任を負担し,はみ出た部分(

B

C

)はY1の個人負担となる。なお,右連帯 部分の負担割合は各自平等負担となるものと解すべきことについては,既に前 記三,第4において述べたとおりである。

また,Xが受けるべき最終賠償額がBの範囲に限定されることは言うまでも ない。

イ 次に,1項後段の共同行為者及び2項の教唆者・幇助者の場合には,

そもそもXの損害を賠償すべき責任の範囲が各行為者毎に異なることがある。

当該共同行為の「共同性」の強固なものについてはそのようなことはないが,

その結び付き具合がそれ程でもないものについては,各行為が損害を惹起した 範囲ないしは損害の中に占める比重(=寄与度)により分割されたり,損害の うちの一部についてしか責任を負わないものが出てきたりする可能性を否定し

難いのである。例えば,Xに生じた全損害をAとした場合において,Y1につ いてはA全額,Y2についてはそのうちの一部であるBをそれぞれ賠償すべき 責任があるものとされたり(一部連帯),或いは,Y1はC,Y2はD(C≧D)

とされ,Dの範囲では連帯責任を負うが,それを超える部分はY1の個人負担 とされることもあり,さらにはC+D=Aと完全な分割責任が認められる場合 もあり得るといった具合である。しかも,ここでは過失相殺がなされる場合に は常に相対的過失相殺によるわけであるから,Y1はc,Y2がdということに なるなど,上記アの場合に比較するとかなり複雑になることは避けられないこ とになろう。

しかし,この場合にも,基本的にはアの場合と同一であり,cとdが重なり 合い,c>dとすれば,非連帯部分(c−d)についてはY1の個人責任が問 われ,一部連帯の部分(d)についてのY1およびY2の負担割合は平等である。

また,Xの受ける最終賠償額はcにとどまる。

五 寄与度減責論

第1 割合的因果関係論ないし部分的因果関係論

1 寄与度減責論(注66)は,前にも述べたように,複数の原因が競合する場合の 損害賠償請求訴訟において,公平で均衡のとれた結論に達するための手法とし て登場したものと言ってよい。即ち,これは,①共同不法行為は成立するが,

その者の果たした役割が相対的に小さいために,直ちに全部責任を負わせるこ とが過酷と感じられるというような場合―特に,公害事件のように,損害賠償 額が莫大な金額にのぼる場合はそれが顕著である―や,②被害者の特異体質そ の他特別の要因(素因)があるため,加害者に全部の損害を賠償させることが 躊躇されるような場合,③自然災害等の不可抗力が寄与している場合などには,

加害者の責任をその者の行為の「寄与度」に見合う範囲内に限定しようとする ものであるが,既にこの理論に立脚する裁判例がいくつか現れるなど,実務に 対しても現実に一定の影響を及ぼすまでになっている。(注67)

このようなところからも推測されるように,それは因果関係の問題であると

ともに,場合によっては過失相殺の法理ないしはその類推,又は,過失相殺の 趣旨の類推などの手法をも包含する広範なものであるが,この理論を因果関係 論の見直しという角度から提唱されたのは,野村好弘,浜上則雄両教授である が,その論稿(ここでは,専ら,野村「因果関係の本質―寄与度に基づく割合 的因果関係論」と浜上「損害賠償法における『保障理論』と『部分的因果関係 の理論』」を取り上げる)によっても,複数の原因が競合している全部の場合 をこの理論により統一的・包括的に説明しようという野心的な企てであること が窺われる。(注68)

2 しかし,結論から先に言えば,この理論にはいくつかの根本的な疑問があ り,論者の試みは必ずしも成功しているとはいえないように思われる。少なく とも,複数の原因が競合している全ての場合をこの理論により説明しようとい う企ては明らかに破綻をきたしているものと考える。

(1) 野村・前掲は「割合的因果関係」と言い,浜上・前掲が「部分的因果関 係」と言うところからも明らかなように,論者は,いずれも因果関係論,なか んずく事実的因果関係の問題としてこれを取り扱っておられる。ということは,

「行為(原因)毎に結果との間に因果関係のある部分を認定することができる」

(浜上教授)とか,「それを割合的に認定判断することができる」(野村教授)

ということを,その立論の前提にしておられるものと考えてよい。

――――――――――――

(注66)これに対しては批判的見解も多いが,なかでも,窪田助教授の「自然力と営造物の設 置管理の瑕疵との競合」(国家補償法大系2の211頁以下)「損害賠償法における原因競 合の問題―寄与度減責論の批判的検討―」(判タ668-22以下)などの一連の論稿はこの理 論に対して根本的な疑問を突きつけたものとして注目される。

(注67)野村教授は,既に実務に定着したと見ておられるようである。確かに,二重事故の事 例や交通事故と医療過誤の競合事例など,さらには被害者に一定の素因がある場合にお いて,「分割責任」が認められる傾向にあることは窺われるが,それが「割合的因果関係」

等の理論が採用された結果であるとは言い切れないのではないか。そのことは,被害者 の素因を減責事由と認めた裁判例においても,過失相殺の類推によるものの方がむしろ 多いという事実を見ただけでも明らかではないかと思われる。

(注68)ただし,浜上教授の立論は,「部分的因果関係論」に損害賠償法における「保証理論」

が組み合わさったものであり,しかも共同不法行為について客観説を採用されるところ から,その具体的な結論は必ずしも「寄与度減責論」と呼ぶに相応しいものではないよ うにも思われる。

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