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⎜ ディスクロージャー誌による財 務諸表関連計数を中心に ⎜

第1章 わが国のバブル貸出のいくつかの類型 では、

道新発行の 検証 拓銀破綻 10年 の記述からバブル貸 出の例を拝借し解説を加えた。そのような方法を選択し た理由は、既述の通り、表立って論評できるバブル貸出 の事案が極めて限られていたことによる。

一方で序章 はじめに で、筆者がA銀行に在籍して いたことを述べているから、A銀行そのもののバブル型 不良債権についての論述を避けることはできないであろ うとも思われた。

しかし筆者が 在籍した とはいえ、バブル期から既 に 20年という歳月が経過している。経過した期間ととも に減退した記憶に頼ることはできないのである。また、

筆者が事実と接触した期間や事実の範囲も限られていた ことはいうまでもない。そして、大切なことは、 A銀行 のバブル型不良債権 の仔細について論評することは、

本稿の目標そのものではないことである。そのこと以上 に、個別行A銀行をトレースすることによって、第2章 および第3章の記述がより実感を伴ったものとなり、よ り解りやすくなることを期したい。

し た がって、本 章 で は 主 に A 銀 行 の ディス ク ロー ジャー誌等でディスクローズされていることや、一般的 に信頼できるとされるマスコミに掲載されたことに可能 な限り絞りながら、A銀行に起こった事象について記述 し、引続いて A銀行の バブル期 、 不良債権処理期 、

経営改善期 を財務諸表関連計数を中心に一気に見てい くこととする。

第1節 A銀行のバブル型不良債権、その主要事例

A銀行に関しては、序章の第2節 1970年代から 80年 代バブル前夜 で、1986年頃までの様子を記述したとこ ろである。このころまでは、日経平均 が 1985年 末 の 13,113円から 1986年末の 18,701円に上昇し、株式市況 は注目すべき活況を示していたが、地価の上昇は穏やか なものであったし、1985年から 1987年序盤にかけて、消 費者物価指数は前年比上昇率を+2%台から0%台に向 けて低下を示し、卸売物価指数においても、同時期、前 年比0%台から▲5%台に低下方向を示していた時期で ある 。

首都圏に本店を持つ大手銀行がどのようなことを感じ ていたか、知る由もないが、A銀行を含む地方銀行にお いては 1986年以前にバブルを予兆した銀行はほとんど なかったものと思われる。

筆者個人の記憶だが、A銀行が大口のバブル型不良債 権問題の行内的表出第1号を確認したのは、1990年(平 成2年)前半の下記 ①関連会社問題 であった。今振 り返れば、その時はあまりにも唐突に訪れたのである。

A銀行を金融庁による早期是正措置にまで至らしめ、

2003年3月期にも多額の追加的処理を必要として、経営 の窮地にまで追い込んだ不良債権の大宗は、1つにA銀 行の 関連会社 問題であり、2つ目に、限定的な先に 対する大口不動産業者向け貸出であった、といえよう。

そして本稿第3章 数字から見る 地方銀行 各行の 足元 において、全国 地方銀行 64行について バブ ル期の不良債権処理のダメージ の大きさについて検討 したが、この第3章の検討結果から、A銀行の バブル 期の不良債権処理のダメージ は、破綻に至った 足利 以下、所謂 ダメージが大きかった銀行 の中でも、 規 模的には上位に入る地銀にあって、際立ってダメージが 大きかった。 と認定せざるをえまい。

① 関連会社問題

1990年A銀行リポート (ディスクロージャー誌)に は、出資比率5%を含めて 関連会社 が 13社報告され ているが、この中にノンバンクと看做すことが妥当な会 社が5社ほど記載されている。Aリース・A銀ファイナ ンス・Aクレジット・Aカードサービス・A銀抵当証券 といった会社である。

これら関連ノンバンクのうち数社が、バブル崩壊の時 点で 財テク や 不動産関連・リゾート施設関連ファ イナンス によって多額の債務を内包していた。債務の 大半が金融機関からの借入で、母体行A銀行の融資比率 は低かったが、信託銀行・長信銀・都市銀行を中心とし て他行は A銀行の母体行責任 を担保と看做し、一時 期は競って貸出を増加させていたのである。しかしバブ ル崩壊後間もなく、A銀行は関連会社の要請に添って、

返済猶予のための取引行各行との話し合いに乗り出さざ るをえなかった。A銀行が乗り出すことによって、関連 会社の取引行から、時間をかけながらの問題解決が認め られたものの、この後、長期間に亘ることが確実視され る極めて重い 母体行責任 を負うこととなった。

A銀行に限らず多くの銀行はOB退職後の受け皿とし て、古くからリース会社やクレジットカード会社を子会 社または関連会社として持っていた。バブル期にさしか かったころからはこれらに加え、本来ファクタリングを 主業務とすべくA銀ファイナンスのような会社や、本来 抵当証券の発行を主業務とすべくA銀抵当証券のような 消費者物価指数 、 卸売物価指数 に関しては、前掲、翁・白

川・白塚 資産価格バブルと金融政策:1980年代後半の日本の 経験とその教訓 金融研究 、2000年 12月、p305図 24.を参 照した。

会社を積極的に設立し、本体銀行で役員を経験したOB を社長に据えていった。新旧関連会社を持つことは銀行 に一般的な現象であったが、本体銀行と関連会社の関係 は様々であったといえよう。前出西村吉正は著書 金融 行政の敗因 の中で OBの中には、現役のコントロー ルを嫌う人もあり、元気の良すぎるわが子が問題を起こ すことになる (p41)と表現しているが、A銀行の関連 会社の一部および、それらがいつの間にか作ってファイ ナンス事業を行っていた認知せざる孫会社は、このよう に柔らかな表現ではとどまらず、本体A銀行の存続を揺 るがす規模と内容にまで発展した 問題 を抱えるに至っ ていた。

これら関連会社問題は、わが子自体の問題なのか、親 の子供に対する無関心の問題なのか、人それぞれ意見は あろうが当時の〝金融村の掟" は 起こしてしまった過 ちの責任は親がとらなければならない。であったと理解 している。

② 大口不動産業者向け貸出

A銀行は札幌市を中心とする市街地やマンション用地 の不動産バブルに加えて、全道的に広がったリゾート施 設関連バブル(ゴルフ場開発を含む)の渦中にあった。

このようなバブル度の高い経営環境は、地方銀行 64行の 中でも突出した数少ない銀行であったことは明らかであ る。

しかしA銀行がこのようなバブル渦に広く参画してバ ブル貸出を拡大していった、と考えるのは正確ではない。

大きくA銀行の足を引っ張った 不動産関連・リゾート 施設関連貸出 は極めて限定的な先に対する貸出であっ たものの、A銀行がメイン行となったこれら特定取引先 の バブル型債務(バブル拡張期に特定先が振出した約 束手形や他行借入)の規模 と メイン寄せ(非メイン 行から追加的貸出を打ち切られるだけでなく、非メイン 行の貸出の肩代わりを迫られること)の規模は余りにも 大きかったというべきであろう。

不動産関連・リゾート施設関連貸出 の中で、突出し た多額の処理を要することとなったR社問題について簡 潔に記述する。R社という不動産業者(一部、リゾート 施設にも関与していた業者)に対しては、R社がA銀行 の全く知らざるところで、多額の不動産投資をR社振出 しの約束手形によって進めていることが判明した時点 で、A銀行経営陣は一旦R社への追加的融資をストップ することを決めたと聞いている。これをそのまま実行し ていれば、小さな損失ではなかったとはいえ、後に処理 に要した金額に較べれば数分の1というレベルにとど まったのであろう。その後、 A銀行の有力取引先である

事業会社の支援を受けて、R社の再建を目指す方向に進 んだが、再建案は失敗し、巨額の不良債権が残った と いう。

①と②の事案については、 企業におけるガバナンス を広い定義で考えたとき、大元であるA銀行のガバナン スの問題であったことは、議論の余地が無いといわざる をえない。

①と②を主体とするあまりにも大きすぎるダメージ は、A銀行がそれまで蓄積していた 内部留保 や 有 価証券の含み益 、さらに毎年度の 業務純益 の積み上 げによって、 数年間 という我慢のできる期間で処理を するには金額が大きすぎたといえよう。

そしてこのように、概ね 1990年(平成1年)〜1993年

(平成4年)という短期間の間に、且つ、数としては少な い特定の事象が原因で、自行の経営状態が急激に悪化し たとき、同時に起る重大な可能性は、特定先および特定 先以外の不良債権について、 問題の先延ばし や 債権 保有銀行によるてこ入れ(上手くいかない方が一般的だ が)という経営行動を誘発することであろう。このよう にして時間がかかった ことによって、しばらくの間の 先延ばし や てこ入れ とともに、 母体行責任 や メイン寄せ によるA銀行の負担額が拡大したと見ざる をえない。

A銀行における コーポレート・ガバナンスの問題 という結論に異議は無いが、ここまでにA銀行の伝統の 一端を記述し、筆者自身がその伝統の中に身を置いてい たことを鑑みるに、例えば 不動産関連・リゾート施設 関連貸出 について、あの強烈な不動産バブルと拓銀周 辺の喧騒の中で、筆者自身に何の方針も無く他力本願を 決めつけていたかといえば〝そうではなかった" との意 を込めて、当時の筆者自身の不動産関連融資方針(最低 限守るべき基準)を思い起こし、下記の通りであったこ とを付記することとしたい。

そして筆者はある時期まで、A銀行においてはこのよ うなことが実現できると確信していた。

不動産関連融資の個別案件に対処する上では、この 最 低守るべき基準 を守れば、仮に 案件審査の要素 (例 えば、ⅰ.融資する会社の経営内容や経営者の資質、ⅱ.

案件プロジェクトの成否見通しや返済財源確保の確実

前掲、平成 11年 10月発行、文藝春秋

道新、連載記事 私のなかの歴史 、2010年4月8日掲載分 参照、(一部転記を含む)。

かかった というべきか、 かけてしまった というべきか、

見解は分かれる。筆者は 何ともいえない という無責任な立 場に立つ。しかし 時間がかかった と 時間をかけてしまっ た の違いが、各銀行の バブル問題に対する対応の本質的か つ決定的違いの1つであった ことは明らかである。

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